新田玄気
新田 玄気(にった げんき、1982年8月22日 - )は、香川県高松市出身[1]の元プロ野球選手(捕手)。
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 香川県高松市 |
生年月日 | 1982年8月22日(42歳) |
身長 体重 |
172 cm 80 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2008年 ドラフト5位 |
初出場 | 2010年8月26日 |
最終出場 | 2013年6月30日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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来歴・人物
編集プロ入り前
編集小学校3年でソフトボールを始めると、屋島中学校時代に軟式野球へ転向。高松商業高校では捕手兼投手[1]。3年時に主将を務め、夏の全国高等学校野球選手権香川大会でベスト8まで進んだ[1]。中央大学への進学後は、当初は打撃を活かして指名打者や外野で出場。4年次に春秋連続で東都大学リーグのベストナイン(捕手部門)に選ばれた[1]。在学中には、リーグ戦通算で80試合に出場。打率.266(312打数83安打)、3本塁打、32打点という記録を残した。大学時代のチームメイトに亀井義行がいる。
大学卒業後の2005年に、松下電器(現在のパナソニック)へ入社。当初は外野手だったが、すぐに正捕手に定着する。同年の第32回社会人野球日本選手権大会決勝(対NTT西日本戦)の延長11回に齊藤信介から中越えサヨナラ打を放った[2]。2008年はDHとして社会人ベストナインに選出された[3]。
2008年のNPBドラフト会議で、東京ヤクルトスワローズが5巡目で指名。契約金3,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した[4]。
プロ入り後
編集2009年には、イースタン・リーグ公式戦38試合に出場。打率.241、5本塁打を記録したほか、フレッシュオールスターゲームにも同リーグ選抜の一員として出場したが、一軍公式戦への出場機会はなかった。
2010年には、8月26日の対横浜ベイスターズ戦(明治神宮野球場)9回裏に代打で一軍公式戦デビューを果たすと、一軍初安打を左翼への二塁打で記録した。一軍公式戦には、通算で6試合に出場。打率.333(6打数2安打)でシーズンを終えた。
2011年には、イースタン・リーグ公式戦39試合の出場で打率.183、0本塁打と振るわず、一軍公式戦への出場機会はなかった。
2012年には、一軍公式戦8試合に出場。9月15日の対横浜DeNAベイスターズ戦(神宮)では、藤江均からの2点適時打によって、一軍公式戦初打点を記録した。
2013年には、一軍公式戦で入団後最多の14試合に出場。5月15日には、「7番・捕手」として対埼玉西武ライオンズ戦(神宮)にスタメンで出場すると、7回裏の打席で一軍初本塁打を牧田和久からの2点本塁打で記録した。
2014年には、イースタン・リーグ公式戦49試合の出場で、本塁打0ながら打率.352をマーク。一軍公式戦への出場機会がないまま、10月1日に球団から戦力外通告を受けた[5]が、秋季キャンプから打撃投手へ転身した[6]。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示[7]。
2015年以降も打撃投手やブルペン捕手を務めていたが、ブルペン捕手であった2017年に、6月24日付で育成選手契約を締結。レギュラーシーズンの開幕から故障者が相次ぐチーム事情を背景に、イースタン・リーグ公式戦へ出場できる選手の不足に伴う暫定措置[8]ながら、3年ぶりに現役へ復帰した[9]。なお、背番号については、ブルペン捕手時代の104を引き続き着用する。イースタン・リーグ公式戦には3試合出場し[注 1]、10月3日に球団から戦力外通告を受け[11]、再びブルペン捕手に戻ることとなった[12]。10月31日付で自由契約選手公示された[13]。
詳細情報
編集年度別打撃成績
編集年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2010 | ヤクルト | 6 | 6 | 6 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .333 | .333 | .500 | .833 |
2012 | 8 | 9 | 9 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .222 | .222 | .222 | .444 | |
2013 | 14 | 18 | 17 | 4 | 6 | 0 | 0 | 1 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .353 | .389 | .529 | .918 | |
通算:3年 | 28 | 33 | 32 | 4 | 10 | 1 | 0 | 1 | 14 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | .313 | .333 | .438 | .771 |
年度別守備成績
編集年 度 |
捕手 | ||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 捕逸 | 守備率 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | |
2010 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 0 | 0 | 0 | - |
2012 | 3 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 1 | 0 | .000 |
2013 | 2 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | .889 | 2 | 1 | 1 | .500 |
通算 | 6 | 13 | 2 | 1 | 0 | 0 | .938 | 3 | 2 | 1 | .333 |
記録
編集- 初出場:2010年8月26日、対横浜ベイスターズ19回戦(明治神宮野球場)、9回裏に松井光介の代打で出場
- 初打席・初安打:同上、9回裏に山口俊から左越二塁打
- 初打点:2012年9月15日、対横浜DeNAベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)、8回裏に藤江均から中前2点適時打
- 初先発出場:2013年5月15日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(明治神宮野球場)、7番・捕手で出場
- 初本塁打:同上、7回裏に牧田和久から左中間へ2ラン
背番号
編集- 32 (2009年 - 2014年)
- 104 (2015年 - )
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 新田「1年目から勝負」/プロ野球ドラフト会議 四国新聞
- ^ 朝日新聞、2005年11月28日付朝刊 14版、15面
- ^ 毎日新聞、2008年12月11日付朝刊 13版、21面
- ^ 毎日新聞、2008年11月27日付朝刊 13版、21面
- ^ 来季の契約についてヤクルト球団公式サイト2014年10月1日配信
- ^ “捕手から打撃投手へ…ヤクルト・新田充実の「裏方二刀流」”. スポーツニッポン. 2014年12月16日閲覧。
- ^ 自由契約選手 2014年度公示 NPB.jp 日本野球機構 2014年12月5日閲覧。
- ^ “ヤクルト ブルペン捕手を育成登録 故障者相次ぎ「応急措置」で”. スポーツニッポン. 2017年6月25日閲覧。
- ^ 新規育成選手登録 2017年度 NPB.jp 日本野球機構
- ^ “2017年度 東京ヤクルトスワローズ 個人守備成績(イースタン・リーグ)”. NPB.jp 日本野球機構. 2019年5月7日閲覧。
- ^ “戦力外通告について”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2017年10月3日). 2017年10月3日閲覧。
- ^ “ヤクルト・今浪、橋本病で引退…甲状腺機能低下症「プロで戦えない」”. SANSPO.COM. (2017年10月4日) 2018年1月13日閲覧。
- ^ “自由契約選手(育成選手)|2017年度公示”. NPB.jp 日本野球機構 (2017年10月31日). 2017年11月1日閲覧。
関連項目
編集- 香川県出身の人物一覧
- 中央大学の人物一覧
- 東京ヤクルトスワローズの選手一覧
- 横山徹也、阿部健太 - 新田と同じく、NPBでの現役引退後にチームスタッフを務めていたが、故障者が続出したチーム事情を理由に育成選手契約を結んで暫定的に現役へ復帰した選手。
外部リンク
編集- 個人年度別成績 新田玄気 - NPB.jp 日本野球機構
- 新田 玄気 (genki.nitta.3) - Facebook