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新目白通り

東京都文京区から新宿区に至る道路の通称
新目白通り

新目白通り(しんめじろどおり)は、東京都文京区から新宿区に至る道路の通称である。東京都市計画道路放射第7号線の一部で、目白通りのバイパスとして整備された。

構成路線編集

都市計画編集

東京都市計画道路放射第7号線の一部である。

歴史編集

放射第7号線はかつての清戸道に対応する路線として計画された。都心部から都電早稲田駅交差点までは大正時代から東京市電の路線があったが、それより西側の郊外にはまとまった道路は存在しなかった。昭和10年ごろ郊外部(西落合一丁目交差点以西)で整備が進んだが[1]、新目白通りの区間はほとんどが住宅街となっていた。この区間は高度経済成長期に事業化されたものの、用地買収が難航し最終的に全線が開通するまでに20年以上を要した。

沿革編集

  • 1918年(大正7年)6月26日 - 東京市電江戸川橋停留所から早稲田停留所が開業
  • 1927年(昭和2年)8月10日 - 東京都市計画道路新設認可(放射第7号線)[2][3]
  • 1946年(昭和21年)3月26日 - 都市計画決定(放射第7号線)[4]
  • 1950年(昭和25年)3月2日 - 放射第7号線の計画幅員縮小[5]
  • 1961年(昭和36年)10月5日 - 西落合一丁目交差点から都電早稲田駅交差点まで事業決定(1968年度までの予定)[6]
  • 1967年(昭和42年)7月25日 - 西落合一丁目交差点から山手通りまで開通[7]
  • 1968年(昭和43年)9月29日 - 都電江戸川線が廃止される
  • 1969年(昭和44年)3月 - 山手通りから下落合駅前交差点まで開通[6]
  • 1973年(昭和48年)5月21日 - 山手線ガードから明治通りまで開通[8]
  • 1984年(昭和59年)
    • 3月24日 - 明治通りから都電早稲田駅交差点まで開通[9]
    • 5月1日 - 新目白通りの通称が設定される

参考文献編集

  1. ^ 「失われた「舗装平板」 新宿西落合-練馬区役所先の十三間道路」『読売新聞』、1951年12月12日、朝刊4面。
  2. ^ 昭和2年内務省告示第409号 NDLJP:2956652/1
  3. ^ OY-1-130-1 東京都市計画道路網図 (1) (pdf)”. 市政専門図書館デジタルアーカイブス. 後藤・安田記念東京都市研究所. 2019年9月19日閲覧。
  4. ^ 昭和21年戦災復興院告示第3号 NDLJP:2962266/2
  5. ^ 昭和25年建設省告示第112号 NDLJP:2963484/2
  6. ^ a b 「放射7号線の開通 大幅に遅れそう」『朝日新聞』、1968年11月9日、朝刊16面。
  7. ^ 「放射七号線の一部開通 山手通りと目白通り結ぶ」『朝日新聞』、1967年7月25日、朝刊16面。
  8. ^ 「放射7号追加開通」『毎日新聞』、1973年5月21日、朝刊20面。
  9. ^ 「放射7号の一部開通-早稲田、目白通りの混雑解消へ」『毎日新聞』、1984年3月24日、朝刊20面。

外部リンク編集