於多福座(おたふくざ)は明治時代の青森県八戸町にかつて存在した劇場である。

概要 編集

於多福座は明治8年(1875年)に大澤多門により八戸町山伏小路に建設された。

建物は旧八戸藩学校の建物を活用し、演劇の興行は年に3回程度行われた。建物が老朽化していたため、明治26年(1893年)に新築されるが[1]、明治29年(1896年)に積雪のために建物が崩れてしまった[2]

建物 編集

建物は160坪に2階建ての西洋小屋が1棟建てられていた。明治27年(1894年)に八戸町内で発行された「八戸実地明細絵図」にも建物の絵図が記載されている。絵図には長者山新羅神社の近くにあり、三戸郡役所に隣接して建てられていたことがうかがえる[3]

参考文献 編集

  • 『はちのへ町内風土記』デーリー東北新聞社、1968
  • 『新編八戸市史 近現代資料編1』八戸市、2007
  • 『明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌』八戸市、2002

脚注 編集

  1. ^ 『新編八戸市史 近現代資料編1』八戸市、2007、47P「劇場廃止届」
  2. ^ 『はちのへ町内風土記』デーリー東北新聞社、1968、6P
  3. ^ 『明治・大正の八戸市街図と三戸郡誌』八戸市、2002 付図「八戸実地明細絵図」

関連項目 編集