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概要編集

女剣劇で売った松山容子着物を振り乱し、大信田礼子が若さとボインミニスタイルで虎の皮のパンチラで暴れまくり[2][3][4][5]茶の間の人気を呼んだ女性2人による元祖「バディムービー時代劇」[5]

当時人気を博していた『素浪人 月影兵庫』の女性版[6]。女性コンビを主人公にし、お色気アクションを加えた点が新しく[3]、番組スタート以来、各局新番組を完全に食う人気ぶり[3]。第一回放送で視聴率22%(以下、視聴率はビデオリサーチ)を記録し[7]、6回目の『三匹の侍』『泥棒育ち ドロボーイ』『喧嘩太郎』『お吟さま』など、この秋の民放各局の新番組は宣伝費合計20億円といわれる大プロモーションを展開したが[8]、他局の新番組が軒並み総崩れを起こす中[7][8]、常時視聴率20%台を確保し[2][9]、一時はテレビ界の人気を一手にかっさらうほどの騒ぎを呼んだ[6]紙芝居と揶揄する声も出たが[10]、番組開始二ヵ月で視聴率28%を記録した[10]。『男はつらいよ』も同じ1クールの新番組の一つだったが[8]、第一回放送は関東8.9%、関西11.5%と振るわず[8]、『週刊文春』は「確実に20%を稼ぐ渥美清で勝負したんだが、完全に思惑外れ。ヤクザものはもうダメだね」と評していた[8]

当初は1クールの放送予定が高視聴率を稼ぎ、1969年に入っても裏番組、NHK大河ドラマ天と地』と互角に渡り合い[9][11]、1年、4クールに延長された[5]

当時の昭和元禄、ハレハレムードのご時勢を反映して映画に続いてテレビも『11PM』のような深夜番組は勿論、『小川宏ショー』のような朝のワイドショーエッチを盛り込み、『長谷川肇モーニングショー』では、ドクター奈良林祥が朝からセックス講座を行い、『桂小金治アフタヌーンショー』では、半裸美女モデルに浪越徳治郎指圧を行うなどエロを盛り込んだ[2]。またテレビドラマも同じ東映製作の『大奥』や『キイハンター』、東宝日本テレビ製作の『37階の男』、日本テレビ製作の『夜の主役』なども遠慮ないお色気シーンを売り物にし、各局エロをエスカレートさせていった[2]。中でもエロ描写で話題を呼んだのが『旅がらすくれないお仙』であった[2]

あらすじ編集

小太刀の名手で滅法強い女渡世人お仙と、ハネっかえりのグラマーな女スリお銀が男相手に巻き起こす珍道中[1][7][10]

キャスト編集

放映リスト(サブタイトルリスト)編集

話数 サブタイトル 放映日 脚本 監督 ゲスト出演者
1 親分衆ふざけないで! 1968/10/6 森田新 荒井岱志 若山富三郎徳大寺伸山本豊三山城新伍
2 くれないに燃えたの 1968/10/13 結束信二 河野寿一 益田喜頓中野誠也珠めぐみ藤尾純加治春雄
3 夜空に咲きたい 1968/10/20 本山大生 田口計藤田淑子多々良純海老江寛波田久夫山村弘三
4 女ってこわい 1968/10/27 荒井岱志 里見浩太郎明石潮吉川満子三島ゆり子梅津栄
5 伜と呼びたい 1968/11/3 河野寿一 工藤堅太郎赤沢亜沙子潮万太郎松本克平金井大
河上一夫、伊吹友紀子、宮城幸生、小田真士、笹木俊志
古閑達則、島田秀雄
6 卑怯よ逃げるなんて 1968/11/10 林伸憲 長谷川哲夫悠木千帆月形龍之介御木本伸介
7 別れるなんてダメよ 1968/11/17 加藤泰 倉丘伸太郎小栗一也千原しのぶ坂口祐三郎原健策
8 送ってあげたいあなた 1968/11/24 今村文人 沢本忠雄、加島こうじ、伝法三千雄、美松艶子
9 浮気はおやめ 1968/12/1 加藤泰 諸口旭嘉手納清美竜崎一郎桑山正一天王寺虎之助
10 下から見ないで 1968/12/8 本山大生 荒井岱志 木村功、三田雅美、青山隆一、二本柳寛牧冬吉汐路章
11 小鳥におきき 1968/12/15 待田京介、矢野潤子、金子吉延、沢井三郎、賀川泰三、国富諭
12 欲張っちゃいけない 1968/12/22 森田新 中村竹弥吉田義夫山岡徹也、丘路千、吉原正皓
13 お金なんてなにサ 1968/12/29 松村正温 丹下キヨ子藤岡重慶青木義朗、高村俊郎、広瀬義宣
14 それを見ちゃったの 1969/1/5 本山大生 和崎俊哉葉山葉子松本染升市村昌治、小倉康子
15 見せ物じゃないわよ 1969/1/12 押川國秋 長谷川安人 上田吉二郎芦屋雁之助、石浜祐次郎、伊豆五郎
16 あら、お久し振り 1969/1/19 今村文人 荒井岱志 中村竹弥梶健司高桐真舟橋元、河上一夫、和田昌也
17 親切を売りたいの 1969/1/26 押川國秋 林伸憲 三島ゆり子玉川良一、滝恵一、稲吉靖原ひさ子
18 でも!好きなのよ 1969/2/2 松村正温 宮城千賀子佐々木功伊藤栄子小林勝彦不破潤
19 どうすりゃ気が済むの? 1969/2/9 押川國秋 小野登 菅貫太郎阿井美千子山田禅二山口幸生西山嘉孝
20 それが、困るのよ 1969/2/16 加藤泰 林伸憲 宮浩之、松川純子若杉英二二見忠男沢淑子
21 黙っちゃいられない 1969/2/23 今村文人 荒井岱志 中村竹弥花柳幻舟、葵みつ子、永田光男、高村俊郎
22 先に行っちゃ、いや 1969/3/2 本山大生 小野登 寺島達夫新井茂子成瀬昌彦武藤英司高木二朗
23 まあ、ご立派ね 1969/3/9 荒井岱志 山本豊三北林早苗青山宏穂積隆信、原聖四郎
24 だって憎いのよ 1969/3/16 佐々木康 坂口祐三郎田中春男桃山みつる田口計志摩靖彦山岡徹也
25 その気にならないで! 1969/3/23 今村文人 荒井岱志 中村竹弥清水紘治井上清子潮万太郎織本順吉
26 もっと、可愛がって 1969/3/30 松村正温 林伸憲 若林豪太田博之岩村百合子、国一太郎、村田天作
27 何さ!じれったい 1969/4/6 本山大生 荒井岱志 芦屋雁之助林真一郎鮎川十糸子小栗一也
28 おひげが痛いわ 1969/4/13 岸生朗 河原崎長一郎、松原光二、篠原美恵、天王寺虎之助、宮城幸生
29 あたい、売るわよ 1969/4/20 本山大生 林伸憲 富川澈夫姿美千子、瀬良明、吉川雅恵太宰久雄
30 精を出すのよ 1969/4/27 松村正温 玉川良一正司照江、加島こうじ、郡司良、江幡高志
31 たかが、うわさよ 1969/5/4 本山大生 荒井岱志 工藤堅太郎嘉手納清美、南部章三、円山栄子、三田村元
32 女の傷は深いのよ 1969/5/11 林伸憲 花柳小菊永井柳太郎青柳美枝子黒木進、戸田皓久
33 お年なのにすごいわね 1969/5/18 荒井岱志 十朱久雄高倉みゆき鮎川浩新井茂子
34 追っかけないでよ 1969/5/25 安井昌二江見俊太郎蔵忠芳小田部通麿鈴木金哉
35 ふふふ、お寺で逢うなんて 1969/6/1 小沢英輔 金井大磯村みどり睦五郎藤尾純
36 いいの、はやく縛って 1969/6/8 本山大生 小池朝雄、加賀爪芳和、時美沙山村弘三
37 さあ、乗ったわよ 1969/6/15 加藤泰 藤岡重慶稲吉靖桜井良子、如月剛、島米八
38 だめよ、さわらないで 1969/6/22 今村文人 柳沢真一藤江喜幸御木本伸介三田登喜子、河上一夫
39 大丈夫?横になるわよ 1969/6/29 林伸憲 中原早苗金井由美山岡徹也西山嘉孝夏目俊二
40 裏をのぞくのよ 1969/7/6 本山大生 亀石征一郎小瀬朗沢ひろみ根岸明美
41 だます積りじゃないわ 1969/7/13 今村文人 荒井岱志 山本麟一二見忠男高城淳一天野新士
42 異人さんて、すてき! 1969/7/20 E・H・エリック多々良純、三田雅美
43 隠すのは無理よ 1969/7/27 林伸憲 花園ひろみ三原有美子、加納美栄子
44 女じゃ、たてないの? 1969/8/3 本山大生 長谷川安人 三上真一郎宮園純子藤田淑子加賀邦男、南祐輔
45 宝がぬれてるわ 1969/8/10 荒井岱志 左時枝入川保則永田光男、千葉敏郎、不破潤
46 死んだって、思っただけよ 1969/8/17 今村文人 佐々木康 瀬良明高野通子工藤堅太郎藤尾純森健二
47 ねえ、目をさましてよ 1969/8/24 岸生朗 長谷川安人 松木路子平井昌一花ノ本寿近藤正臣高田次郎
48 あら変だ、けがするわ 1969/8/31 本山大生 林伸憲 三島ゆり子蔵忠芳徳大寺伸小林勝彦、水島真哉
49 何だ、大きいだけね 1969/9/7 森田新 小野登 亀石征一郎潮万太郎、里井茂、有川正治平沢彰
50 女が据え膳食うからよ 1969/9/14 岸生朗 古市真也 睦五郎夏目俊二万里昌代、野崎善彦
51 煙がにおうわね 1969/9/21 今村文人 荒井岱志 中村竹弥坂口徹、楠義孝、天王寺虎之助鈴木金哉
52 重ねるのよ二つの花を 1969/9/28 西尾三枝子見明凡太郎池田昌子

スタッフ編集

製作編集

キャスティング編集

テレビ初主演の大信田礼子は、東京でモデルデビューしていたが、芸能界に興味が持てず、京都に戻ってブラブラし、東映京都を見学していたところ、東映関係者に「月給25万円で出ないか」と誘われ出演を承諾した[5]。NETは松山容子と大信田のお色気で勝負を賭けたいと算段していたが[12]、松山が「脱ぐのは絶対にイヤ」と強硬に断ったため、お色気担当は大信田一人で担うことになった[12]。大信田は「名前を売り出すのは、清純派でいくより露出派の方が早い」と割り切った[12]

撮影編集

撮影は東映京都撮影所(以下、東映京都)[13]。東映京都の実権を握る[14]同撮影所所長・岡田茂[14]、1964年1月の京都撮影所所長就任以降、東映京都の映画製作は任侠映画を中心とし[15][16]、時代劇はテレビに徐々に移し、東映京都の映画ステージをテレビに渡していった[16][17]。岡田は1968年8月31日付けで映画本部長という、一つの映画会社の社長の立場に匹敵する大きな権限を更に持たされた[18]

本作『旅がらすくれないお仙』撮影中の1969年3月頃に同撮影所で撮影中だったのは『戦後最大の賭場』『旅に出た極道』『緋牡丹博徒 二代目襲名』の映画が三本に対して、本作と『銭形平次』『素浪人花山大吉』『日本剣客伝』『帰って来た用心棒』『怪奇ロマン劇場・四谷怪談前編 後編』(以上 NET)、『あゝ忠臣蔵』(以上 フジ)、『妖術武芸帳』(TBS)『花のお江戸のすごい奴』(日本テレビ)とテレビドラマ撮影が8本というフル回転だった[13]

影響編集

1969年4月のテレビ番組改編期を前に、大信田が「歌をやりたいので3月で番組を降ろさせて下さい」と申し入れた[11]。大信田は歌手デビューに備え、いずみたくに師事し、いずみから「フェースもプロポーションもいいから結構いけるぞ」と太鼓判を押されていた[11]。大信田は少し前までナベプロに所属していて[11]、1時間物1本撮るのにロケアフレコなどを含め6日もかかる本作の撮影がギャラの割に合わないと不満があった[11]。大信田に降りられると視聴率の低下は免れず、NETと東映で協議し何とか大信田の続投を説得した[11]。前述のように1969年に入っても裏番組、『天と地』と互角に渡り合っていたが、日本テレビバラエティ番組コント55号の裏番組をぶっとばせ!』が1969年4月から同じく裏で始まると視聴率がガタ落ちした[6]。しかし二年目に突入する1969年10月の番組改編期でも、松山&大信田コンビでのロングランを狙ったが[3]、今度はTBSテレビの帯ドラマに引き抜きの噂があった松山が降板を申し入れ[6]、松山と揉め[3]三浦布美子扇ひろこを松山の代役に構想したが[6]、やむなく大信田を残し、花園ひろみを起用して『緋剣流れ星お蘭』として模様替えした[3]

1969年4月からは東映東京撮影所で製作した『プレイガール』(東京12チャンネル)も放送開始され、東映の東西撮影所で製作された作品が、時代劇及び現代劇に於ける"女性ハレンチアクションドラマ"の先駆けとなった[3]。両作品の成功で以降、各局が"女性アクションドラマ"をこぞって製作した[3]。また当時東映が製作した宮園純子主演の「妖艶毒婦伝シリーズ」二作目の『妖艶毒婦伝 人斬りお勝』で、本作に於ける大信田のスタイルをそのまま映画に持ち込み、大信田が宮園の相棒を演じる芸のなさで映画の衰退を物語るとの論調も出た[4]

放映ネット局編集

フィルム・ソフト状況編集

2007年2月に東映チャンネルで放送された第5話以外のフィルムは、行方不明になっている[1]2015年7月に、東映ビデオより第5話のみを収録したDVDが発売された。

脚注編集

  1. ^ a b c 旅がらすくれないお仙#5(Internet Archive)
  2. ^ a b c d e “ピンク色のブラウン管 "エッチ度"ぐっと濃くして 深夜ショーからドラマまで”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 2. (1969年1月15日) 
  3. ^ a b c d e f g h “大暴れ!ハレンチ・ドラマ 大きいお仙の影響 対決する『女殺し―』『お蘭』 女アクション続々と登場 テレビ界新番組大異変”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 5. (1969年9月7日) 
  4. ^ a b 「勢揃い"女やくざ"の艶姿」『週刊大衆』1969年4月3日号、双葉社、 156頁。
  5. ^ a b c d 黄金の「昭和テレビ時代劇」主役をオール直撃!(4)大信田礼子<「旅がらすくれないお仙」かみなりのお銀>
  6. ^ a b c d e 「ジャーナル 裏目で泣く『くれないお仙』」『サンデー毎日』1969年7月6日号、毎日新聞社、 37頁。
  7. ^ a b c 「テレビラジオ ポスト 松山容子、大信田礼子が圧勝ハレンチで大当たりの新番組」『週刊明星』1968年10月27日号、集英社、 127頁。
  8. ^ a b c d e 「マスコミの目20億円新番組を総点検する」『週刊文春』1968年10月28日号、文藝春秋、 12頁。
  9. ^ a b 「ルック 芸能 NHK対策で脱ぎまくる大信田礼子 好調『天と地と』へのNETの苦肉策」『週刊現代』1969年1月30日号、講談社、 36頁。
  10. ^ a b c 「〔今週のおんな〕 大信田礼子のTVプロポーション ー"かみなりお銀"の若いお色気」『アサヒ芸能』1968年11月24日号、徳間書店、 119–121。
  11. ^ a b c d e f 「ジャーナル 脱ぐのはやめて歌いたい」『サンデー毎日』1969年2月9日号、毎日新聞社、 46頁。
  12. ^ a b c 「CORNER コーナー 毎回脱ぐ露出派女優」『アサヒ芸能』1968年10月6日号、徳間書店、 94頁。
  13. ^ a b “ミニルポ 探訪『東映京都撮影所活気あるTV 映画』”. 内外タイムス (内外タイムス社): p. 3. (1969年3月13日) 
  14. ^ a b 「お楽しみ案内 映画・舞台 『その'退屈男'罷りならぬ 映画・歌舞伎先輩スターからヒジ鉄を食った大川橋蔵の立ち場』」『週刊サンケイ』1965年2月22日号、産業経済新聞社、 54–55頁。池上金男笠原和夫・下菊坂菊馬・佐治乾野上竜雄宮川一郎国弘威雄「《座談会》若い世代の発言その1・東映へ直言する」『シナリオ』1966年5月号、日本シナリオ作家協会、 30頁。
  15. ^ 黒沢清四方田犬彦吉見俊哉李鳳宇(編)「日本映画とやくざ、あるいは『不良性感度の時代』 2.任侠やくざ映画の時代 文・内藤誠」『日本映画は生きている 第四巻 スクリーンのなかの他者岩波書店、2010年、269頁。ISBN 978-4-00-028394-6東映ポスター集製作委員会「東映任侠路線興亡史」『ポスターでつづる東映映画史』青心社、1980年、189頁。ISBN 4-948735-08-6北浦寛之『テレビ成長期の日本映画』名古屋大学出版会、2018年、144頁。ISBN 978481580905-8織井優佳 (1999年9月25日). “スター(航海新世紀へ朝日新聞創刊120周年)【大阪】”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 15 “【読書】波瀾万丈の映画人生』岡田茂著”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 読書2頁. (2004年7月19日) “【産経抄】”. 産業経済新聞 (産業経済新聞社): p. 1. (2011年5月14日) 能村庸一 (2011年9月). “テレビ時代劇60年の軌跡 (1)-(5)”. 日本経済新聞夕刊 (日本経済新聞社): p. 1 
  16. ^ a b 金田信一郎「岡田茂・東映相談役インタビュー」『テレビはなぜ、つまらなくなったのか スターで綴るメディア興亡史』日経BP社、2006年、211-215頁。ISBN 4-8222-0158-9NBonlineプレミアム : 【岡田茂・東映相談役】テレビとXヤクザ、2つの映画で復活した(Internet Archive)岡田茂(映画界の巨人)インタビュー 映画界へ 聞き手・福田和也 (PDF)”. メッセージ.jp. BSフジ (2005年5月15日). 2018年9月2日閲覧。(archive)
  17. ^ 『東映の軌跡』東映株式会社総務部社史編纂、東映株式会社、2016年、564頁。佐藤忠男(編)『日本の映画人 日本映画の創造者たち』日外アソシエーツ、2007年、122頁。ISBN 978-4-8169-2035-6『私と東映』× 神先 頌尚氏インタビュー (第3回 / 全4回)
  18. ^ 「日本映画の現勢Ⅴ 『特集 日本映画の首脳たち 五社首脳とその人脈 異才の経営者 大川博』 文・今村金衛」『キネマ旬報』1968年12月上旬号、キネマ旬報社、 119-121頁。井沢淳・高橋英一・鳥畑圭作・キネマ旬報編集部「TOPIC JOURNAL 責任重大の松竹三島新企画部長」『キネマ旬報』1968年12月下旬号、キネマ旬報社、 26-27頁。藤本真澄(東宝・専務取締役)・白井昌夫(松竹・専務取締役)・岡田茂(東映・常務取締役)、聞く人・北浦馨「夢を売る英雄たちの会談 3人のゼネラル・プロデューサーの果断なる現実処理」『映画時報』1968年10月号、映画時報社、 18頁。文化通信社編『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』ヤマハミュージックメディア、2012年、326-334頁。ISBN 978-4-636-88519-4

関連項目編集

NET(現テレビ朝日)系 日曜20時台
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旅がらすくれないお仙