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日ケ谷村(ひがたにむら)は、京都府与謝郡にあった。現在の宮津市日ケ谷にあたる。

ひがたにむら
日ケ谷村
廃止日 1954年6月1日
廃止理由 新設合併
宮津町栗田村吉津村府中村日置村世屋村養老村日ケ谷村宮津市
現在の自治体 宮津市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
与謝郡
総人口 1,280
国勢調査1950年
隣接自治体 与謝郡世屋村、養老村、筒川村
竹野郡野間村
日ケ谷村役場
所在地 京都府与謝郡日ケ谷村
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地理編集

 
日ケ谷村(京都府宮津市)
 
日ケ谷城山(日ケ谷城跡)
  • 山岳 : 角突山、笹ヶ尾山

歴史編集

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、近世以来の日ケ谷村が単独で自治体を形成。
  • 1954年昭和29年)6月1日 - 宮津町栗田村吉津村府中村日置村世屋村養老村と合併して宮津市が発足。同日日ケ谷村廃止。
  • 天長寺背後にある日ケ谷城の城主松田山城守頼通は一色氏に仕えていたが、天正10年細川藤孝に攻め滅ぼされた。その子福寿丸は帰農し、その子孫は今も日ケ谷村に残る。頼通の13代の祖頼盛の娘千手姫は後宇多天皇の後妃となる。後に出家して尼となり名を願蓮と改め、後宇多天皇より金剛心院の院号と本尊愛染明王坐像を賜ったという。[1][2]この松田氏一族は鎌倉後期より室町に至るまで多くの奉行人を輩出し、政所寄人の筆頭の公人奉行に任じられるなど幕府奉行人として永禄年間(1558~1570)に至るまで活動していた。

参考文献編集

関連項目編集