日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)

死刑 > 死刑囚 > 日本における死刑囚 > 日本における死刑囚の一覧 > 日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)
死刑 > 日本における死刑 > 日本における死刑囚 > 日本における死刑囚の一覧 > 日本における死刑囚の一覧 (1970-1999)

日本における死刑囚の一覧 (1970-1999) は、1970年(昭和45年)から1999年平成11年)の日本で、刑事裁判によって死刑判決を言い渡され、確定した死刑囚の一覧記事である。

1970年 - 1974年編集

1970年死刑確定囚(12人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
川越一家3人殺傷事件 (M) 1970年2月19日 1965年8月24日 交際を求めていた女性の家族に反対され、逆上し姉夫婦を殺害し実弟に重傷を負わせた[1]
浜松義妹殺害事件 (I) 1970年2月20日 1968年1月10日 犠牲者1人。死刑執行日は不明。
町田署警察官殺害事件 (O) 1970年3月26日 1967年10月5日 愛人と無理心中するため、交番勤務の警察官を殺害し、拳銃を強奪[2]。死刑執行日は不明。
福岡2人連続殺傷事件 (K) 1970年3月26日 1966年・1967年 一審は無期懲役。福岡現金輸送車職員毒殺事件のT死刑囚と同じ1975年10月3日に死刑執行予定であったが、当日Tが自殺したため延期。2日後の1975年10月5日に死刑執行(37歳没)。
三原食堂女主人強盗殺害事件 (H) 1970年5月 1963年1月20日 殺人前科に余罪多数。1965年に留置場から脱獄しその際窃盗や傷害の余罪を起こし別件で懲役15年が確定。1975年死刑執行(38歳没)。
弘前宝石商殺害事件 (N) 1970年4月16日 1967年8月10日 共犯は無期懲役、死刑執行日は不明。
北海道知人強盗殺人事件 (N) 1970年6月 1968年10月19日 控訴取り下げにより死刑確定。死刑執行日は不明。
秋田・五城目夫婦殺害事件 (I) 1970年6月11日 1968年7月23日 強盗に入りマサカリで夫婦を撲殺し金品を奪った[3]
女性美容師殺害事件 (S) 1970年8月20日 1967年1月26日 犯行時19歳(少年死刑囚)。一審は無期懲役。内縁の妻がいるのに、結婚すると騙して金をとった女性が邪魔になった為、連れ出した矢板市で殺害し、死体を玉川上水に遺棄した[4]。1968年に一時脱走の前科あり。
日暮里用務員夫婦殺害事件 (T) 1970年9月22日 1966年8月10日 一審は無期懲役。死刑執行日は不明。
マルヨ無線事件 (O) 1970年12月12日[5] 1966年12月5日 1946年(昭和21年)9月19日生まれ[6]。2020年9月27日時点で[7]福岡拘置所に収監中(現在74歳)[8]
1968年12月24日に福岡地裁第2刑事部で死刑判決[事件番号:昭和42年(わ)第25号][9]。1970年3月20日に福岡高裁第3刑事部で控訴棄却判決[事件番号:昭和44年(う)第64号]を[10]、同年11月12日に最高裁第一小法廷[11]入江俊郎裁判長)[12]で上告棄却判決を受け[11]、同年12月12日に死刑が確定した[5]
被害者の死因の1つとされる放火を否認して再審請求中[6]。死刑確定後の収監年数(50年7か月と23日 )は、帝銀事件平沢貞通[注 1](32年)を上回る世界記録。
栃木連続少女殺害事件 (U) 1970年12月15日 1962年・1963年 殺人前科あり(懲役8年)。死刑執行日は不明。

1971年死刑確定囚(7人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
横浜団地主婦殺害事件 (W) 1971年2月23日 1967年6月9日 死刑執行日は不明。
静岡同僚妻殺害放火事件 (M) 1971年3月9日 1967年4月29日 死刑執行日は不明。
横須賀線電車爆破事件(純多摩良樹) 1971年4月22日 1968年6月16日 犠牲者1人。本名はW。獄中で「純多摩良樹」の筆名で短歌を寄稿。1975年12月5日宮城刑務所にて死刑執行(32歳没)。純多摩の希望により遺骨は支援者の牧師が預かったが、1995年、遺族により遺骨が引き取られ、短歌新聞社より歌集『死に至る罪―純多摩良樹歌集』 が刊行された。
新潟デザイナー誘拐殺人事件 (Y) 1971年5月11日 1965年1月13日 1977年5月21日に東京拘置所の独房の窓ガラスを割り、その破片で首を切り自殺(35歳没)。
栃木呉服店一家3人強盗殺人事件 (M) 1971年8月17日 1969年1月3日 犯行当時19歳(少年死刑囚)。死刑執行日は不明。
横浜母子強盗殺人事件 (H) 1971年10月26日 1967年3月14日 1975年12月7日に死刑執行(37歳没)。
愛知義妹夫婦殺害事件 (F) 1971年12月21日 1969年2月20日 1976年に死刑執行。

1972年死刑確定囚(7人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
京都幼稚園管理人夫婦強盗殺傷事件 (A) 1972年2月22日 1966年6月11日 無期懲役仮出獄中。1976年に死刑執行。
愛知母親・長崎少女連続殺人事件 (K) 1972年4月20日 1969年4月19日
1969年5月26日
1976年9月2日に死刑執行。
名張毒ぶどう酒事件(奥西勝) 1972年6月15日 1961年3月28日 1926年(大正15年)1月1日生まれ[6]。1964年12月13日に津地裁で無罪判決を受けたが、1969年9月10日に名古屋高裁で一審破棄・死刑判決を受けた[6]
1972年6月15日に最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定[6]。その後、再審請求を繰り返し、2005年4月には第7次再審請求が認められたが、検察の異議申し立てにより2006年12月に再審開始取り消し決定がなされた[6]。最高裁で2010年4月に名古屋高裁への差し戻し決定がなされるも、その後も再審は認められなかった[6]
第9次再審請求中の2015年10月4日に八王子医療刑務所で病死(89歳没)[6]。死後、2015年11月6日に実妹が第10次再審請求[6]
東北大学女子職員殺害事件 (K) 1972年6月27日[14] 1969年9月1日[14] 事件当時19歳6か月(少年死刑囚[14]
事件当日夜、宮城県亘理郡山元町の町道で東北大学農学研究科職員の女性(20歳)を襲い[15]、背後から左手を首に巻き付けて後方に引き寄せ、所携の小刀を女性の背中に数回突き刺すなどして強姦し、失血死させた[14]
第一審・仙台地裁は1971年1月28日に無期懲役判決を言い渡したが[14]控訴審・仙台高裁は1971年8月3日に逆転死刑判決を宣告[15]。1972年(昭和47年)6月27日[14][16]に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受け死刑確定[14]
1976年に宮城刑務所で死刑執行[17]
藤沢市女子高生殺害事件 (S) 1972年7月18日 1967年1月13日 1941年(昭和16年)7月10日生まれ[21](出身地:岩手県西磐井郡花泉町[注 2][22]。強盗強姦・窃盗・傷害の罪により懲役刑に処された前科がある[21]
神奈川県藤沢市内で帰宅途中の女子高生(事件当時19歳・神奈川県立湘南高等学校定時制4年生)[23]を襲い、強姦した上で絞殺し、死体を被害者宅近くの宅地造成地に埋めた[24]
第一審・横浜地裁第3刑事部[21](赤穂三郎裁判長)は死刑求刑に対し、1969年3月18日に無期懲役判決を言い渡したが[25]、控訴審・東京高裁刑事第5部(吉川由己夫裁判長)[24]は1971年(昭和46年)11月8日に逆転死刑判決を宣告[26]。1972年(昭和47年)7月18日に最高裁第三小法廷(田中二郎裁判長)で上告棄却の判決を受け死刑確定[27]
死刑確定後も再三にわたり再審請求を繰り返したが、確定から10年4か月後の[28]1982年11月25日に東京拘置所で死刑執行[29](41歳没)[30]。拘置所長から死刑執行を宣告された際には激しく抵抗し、刑場で刑務官たちと格闘を繰り広げた[31]
戸田一家4人殺害事件 (H) 1972年8月1日 1970年8月9日[32] 埼玉県戸田市下笹目3271番地の実兄(当時40歳)宅を襲撃し[32]、一家4人(兄と37歳の妻、12歳長男、7歳次男)をまき割で殴殺、妻に乱暴した事件[33]。1972年7月17日に浦和地裁(石橋浩二裁判長)で死刑判決を受けた[32]。控訴期限の7月31日までに控訴せず、死刑が確定[33]。1976年4月27日に死刑執行。
尼崎母娘強盗殺人事件 (M) 1972年12月8日 1969年4月5日 強盗殺人未遂前歴(中等少年院送致)。1976年4月23日に死刑執行。

1973年死刑確定囚(5人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
群馬連続女性殺害事件(大久保清 1973年3月9日 1971年 「絵のモデルになってくれませんか?」と女性を誘い出して8人を殺害、被害者多数。一審で死刑判決を受け、控訴せず確定。1976年1月22日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)。
福岡農協強盗殺傷事件 (A) 1973年3月2日 1967年6月20日 1976年9月2日に死刑執行。
富山少女殺害事件 (T) 1973年10月18日 1970年3月29日 1977年に死刑執行。
山口・徳山市家政婦殺害事件 (B) 1973年9月27日 1967年11月11日 上告棄却。Bは仲間D(無期)と共謀し女性金融業者宅に押し入り金融業者の悲鳴を聞いた家政婦を殺害、金融業者の手足を縛り銀行に電話をかけさせ約42万円を届けさせそれを奪取。逃亡時にBは金融業者の首を縛った。彼女は命は助かったものの全治7か月の重傷であった[34]。1978年に死刑執行。
神奈川3人連続毒殺事件 (H) 1973年12月13日 1969年12月 上告棄却。金欲しさのため友人三人を次々と毒殺。犯行を隠すため放火もした[35]。最高裁は1974年2月に判決訂正申立棄却。

1974年死刑確定囚(2人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大田原女性セールスマン殺害事件 (A) 1974年7月 1971年8月 知人女性を撲殺。一審は無期懲役だったが二審で逆転死刑。上告取り下げにより死刑確定。1975年9月5日に東京拘置所でシーツで首を吊り自殺、34歳没[36]
沼津金融業者殺害事件 (A) 1974年12月20日 1969年2月 上告棄却。共犯二人とともに、静岡県内の金融業者を誘い出し睡眠薬を飲ませ絞殺。死体を箱根山中に埋めた。裁判中に自動車の排気ガス機構に関する特許権を取得している。1977年に死刑執行。

1975年 - 1979年編集

1975年死刑確定囚(2人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
山口2女性強盗殺傷事件 (H) 1975年5月27日 1966年10月7日 1983年11月29日に死刑執行。
木曽川アベック殺人事件 (O) 1975年10月3日 1973年2月4日 - 5日 4人で木曽川河川敷にいた面識のない男女2人を拉致、それぞれを殺害、死体を遺棄した事件[37]。主犯にのみ死刑判決、1977年に死刑執行。

1976年死刑確定囚(1人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
波崎事件 (T) 1976年4月1日[6] 1963年8月26日[6] 1917年(大正6年)4月26日生まれ[6](事件当時46歳)。
1971年12月24日に水戸地裁土浦支部(田上輝彦裁判長)で死刑判決を受け、1973年7月6日に東京高裁(堀義次裁判長)で死刑判決[6](破棄自判[38]
1976年4月1日に最高裁第一小法廷[38]藤林益三裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[6]
物証・自白とも一切なく、再審請求中の2003年9月3日に東京拘置所で病死(86歳没)[6]

1977年死刑確定囚(3人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
ピアノ騒音殺人事件 (O) 1977年4月16日 1974年8月28日 1928年(昭和3年)6月4日生まれ[6]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在93歳)[8]。2018年6月時点で、日本における収監中の死刑囚としては最高齢[39]
騒音トラブルの末に隣人の母子を殺害。
1975年10月20日に横浜地裁小田原支部で死刑判決を受けた[6]。その後控訴したが自ら取り下げ、1977年4月16日付で死刑が確定[6]
沖縄一家殺傷事件 (O)[40] 1977年4月26日[41] 1973年3月30日[42][43] 1942年(昭和17年)3月30日生まれ(事件当時31歳)[40]
沖縄県名護市字古我地の義父宅で[44]義母(当時47歳)と義弟(同19歳)の2人を包丁で刺殺し、義父(当時62歳)も包丁で刺し殺そうとして2か月の怪我を負わせた[41]。動機は自身の不倫から妻に家出され、義父母に乱暴な振る舞いをしたことから離婚話が出たところ、それを逆恨みしたものだった[41]
1974年(昭和49年)3月12日に那覇地裁刑事第2部で死刑判決を受け[45]、1976年(昭和51年)1月19日に福岡高裁那覇支部で控訴棄却判決を受けた[41][40]
1977年(昭和52年)4月26日に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受け、死刑が確定[41]。1980年12月16日に死刑執行(38歳没)。
北九州組員4人連続殺人事件 (K)[46][42] 1977年6月7日[42] 1975年6月4日
1975年6月17日[42]
1945年(昭和20年)4月12日生まれ[注 3][46](事件当時30歳)[42]。暴力団合田一家3代目「小桜組」組員[47]
福岡刑務所に服役中[注 4]、同じ作業所で働いていた男性(事件当時46歳)[注 5]の紹介を受け、1975年4月24日に仮出所すると翌日に「小桜組」に入った[48]。知人男性宅(福岡県北九州市小倉南区城野一丁目のマンション)で男性夫婦と同居して覚醒剤の密売を始めたが、男性の内妻(当時34歳)[注 6]と不倫関係になり、それを巡って男性とトラブルになったことで本事件を起こした[47](強盗殺人・殺人・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反)[42]
  1. 1975年6月4日に服役中に知り合った知人男性(当時46歳)とその内妻(同34歳)を脇差で刺殺し、知人所有の宝石類等28点と約束手形3通(額面:各200万円)を強取した[42]
  2. 同月17日、北九州市戸畑区正津町にて[49]2件の殺人事件。覚せい剤の密売で協力しあっていた知人男性(28歳)が金銭関係の清算に応じなかったことから、この知人を拳銃で射殺したほか、偶然逃走中に出会った女性(28歳)に匿ってもらうよう頼んだが、断られたため拳銃で射殺した[42]

このほか殺人未遂・公務執行妨害1件[注 7]、覚醒剤取締法違反2件を犯した[42]
1977年3月30日に福岡地裁小倉支部で死刑判決を受け、同年6月7日に控訴を取り下げたことで死刑が確定[42]。1978年11月16日に死刑執行(33歳没)。

1978年死刑確定囚(4人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K)[40] 1977年12月20日[注 8] 1969年9月10日[53] 1950年(昭和25年)8月28日生まれ[54]。犯行時19歳の少年死刑囚
金のある質屋の子供を誘拐して身代金を得ようと考え[53]東京都渋谷区内で当時6歳の男児(広尾小学校1年生・渋谷区恵比寿在住)を身代金目的で誘拐し、渋谷区三丁目の公衆便所内[55]にて繰り小刀で刺殺した[53]。その後、男児の死体をオープンケースに詰め、これを駅構内の携帯品一時預かりところに預けて遺棄したほか、男児の実家(質屋)に電話を掛けて身代金500万円を要求した(殺人・死体遺棄・身代金目的拐取および要求)[53]。このほか身代金目的拐取予備1件・器物損壊2件・恐喝未遂1件・現住建造物放火未遂1件の余罪あり[53]
1972年(昭和47年)4月8日に東京地裁刑事第12部で死刑判決を受け、1976年(昭和51年)7月20日に東京高裁第8刑事部で控訴棄却判決を受けた[54]
1977年(昭和52年)12月20日に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受けて死刑が確定[56]。1979年に東京拘置所で死刑執行[57](29歳没)。
東京連続少年誘拐殺人事件 (K)[58] 1978年1月26日[59] 1965年1月22日
1970年10月17日[59]
1925年(大正14年)5月31日生まれ[58](2. の事件当時45歳)[59]海軍軍楽隊当時、上官から求められて同性愛行為の間柄となったことを契機に、終戦後にはバンド仲間や家出少年、勤務先の工場付近で遊んでいた中学生などと同性愛行為を繰り返し、1962年(昭和37年)6月には中学生の裸体写真を撮影したことが発覚して警察署で取り調べを受けたこともあった[注 9][61]
  1. 1965年(昭和40年)1月22日19時ごろ、東京都小金井市中町で帰宅途中に偶然見かけた小学校6年生の男児[60](12歳)[59]を「いずれ将来は同性愛行為の対象にしよう」と考え、男児と親しくなるつもりで連れ出した[60]。しかし19時30分ごろ、自身が経営していた工場事務室(東京都三鷹市井口)に男児を連れ込んだところ、不安を感じた男児が逃げ出そうとしたため[60]、抱きかかえて工場材料置き場に連れ込もうとしたが、さらに逃げようとした上に大声で騒いだため、これを従業員に気づかれたり、男児を連れ込んだことが警察に露見したりすることを恐れ、男児の殺害を決意[62]。男児の首を荷造り用の紙紐で縛り、同工場または埼玉県狭山市大字根岸の山林内(もしくはその山林に向かう途中の自動車内)で絞殺した[62]。犯行後、自分の工場の空き地で犯行に使用した紙紐や被害者の着衣・鞄などを焼却した[63]
  2. 1. の事件後、経営していた工場が経営不振で倒産したため、台東区内の土木建築業者で手配師として働き、山谷で労働者を集めていた[64]。そのような中、小学校3年生の男児[62](当時8歳)[59]と自身の趣味の話がきっかけで親しくなっていた[62]。1970年(昭和45年)10月17日13時ごろ、男児から頼まれて自身の運転する自動車に同乗させたが、男児が自身を信用しきっていることにつけ込み、荒川河川敷に連れ込んで同性愛行為をしようと決意[65]。荒川河川敷(埼玉県和光市大字下新倉)までわいせつ目的で男児を誘拐し、駐車中の社内で男児の体を触ったが、男児から拒絶され「両親に言いつける」などと言ったり、付近の自動車教習所を見て助けを求めようとする素振りを見せたため、口封じのため殺害を決意[65]。14時30分ごろ、男児の首を強く絞め、鼻を塞いで気絶させたが、男児が死亡したと思って遺棄しようとしたところ、急に男児が起きて「おじさん、僕を殺すのか」と言ったため、車から持ってきた電工用ナイフ1丁(刃体の長さ約8.5 cm)で首を切りつけ、左胸(心臓)を2回刺して殺害[66]

1973年1月31日に東京地裁刑事第11部で死刑判決を受け[58]、1976年10月7日に東京高裁第8刑事部で控訴棄却判決を受けた[67]
1978年1月26日に最高裁第一小法廷で上告棄却判決を受け死刑が確定[59]。1981年1月に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。

愛知県武豊町一家3人強盗殺人事件 (O) 1978年4月17日 1971年5月1日 事業に失敗し、新たに砂利採取業を始めようとした1971年春、愛知県知多郡武豊町冨貴の男性(当時61歳)が山林約30,600平方メートル(当時の時価総額約2億5,000万円)を売りに出したことを知り、男性を殺害して財産を奪うことを決意[68]
同年5月1日19時ごろ、土地の売買を装って男性宅を訪れ、男性と彼の内妻(当時44歳)を金槌で撲殺。偶然遊びに来ていた内妻のいとこの女性(当時24歳)も居間で絞め殺し、3人の遺体を全裸にした上で庭の下水用水槽に投げ込み、上からセメントを流し込んでコンクリート詰めにした[68]
その後、男性宅にあった現金187,000円、預金通帳(残高43万円余)、不動産権利書16通、実印、株券、指輪などを盗み、預金を全額下ろした[68]。また、自らの経営する共和電解工業と男性との間で山林の売買契約が成立したように装い、移転登記も済ませた[68]。被害者3人の遺体は約8か月後に発見された[68]
強盗殺人、死体遺棄、詐欺などの罪に問われた。逮捕当時から「主犯は別人」と主張し、公判中にも逃亡を図ったが、1974年5月20日に名古屋地裁刑事第2部(藤本忠雄裁判長)でOの単独犯と認定され、求刑通り死刑判決を受けた[68]。1978年4月17日に最高裁第一小法廷(岸盛一裁判長)で上告棄却の判決を受け、一・二審の死刑判決が確定[69]
1985年5月31日に名古屋拘置所で死刑執行(53歳没)[70]
群馬2女性強盗殺人事件 (N)[71] 1978年6月22日[71] 1968年9月9日
1971年3月11日[71]
1930年(昭和5年)10月3日生まれ[72](1. の事件当時37歳)[71]。過去に詐欺1回・強盗および窃盗1回の前科あり[71]。強盗および窃盗の罪で服役後、1967年12月に仮出所したが、群馬県碓氷郡松井田町(現:安中市)で[73]以下の2事件(強盗殺人・死体遺棄・死体損壊)を起こしたほか[71]、群馬県(安中市・高崎市)および埼玉県熊谷市[74]詐欺4件を犯した[71]
  1. 仮釈放中の1968年9月9日、前刑(窃盗)の被害者である44歳女性宅を訪れ謝罪したところ、女性から罵られ、相手にされなかったことに逆上[71]。当時金銭に窮していたこともあって、仕返しを兼ねて女性宅に押し入り、女性の腹を拳で殴るなどの暴行を加えたが、激しく抵抗されたために持っていた手拭いで絞殺[71]。女性のがま口(現金18,000円入り)1個を奪い、死体を畑に埋めて遺棄した[71]
  2. 1. から約2年6か月後の[75]1971年3月11日に発生[71]。服役中に習得したミシンの技能を生かして生計を立てようとしたが、その資金の金策に苦慮していたところ、偶然付近で土地を売って1,000万円以上の大金を得た者がいる旨の話を聞き、その人物から金を奪おうと企てた[71]。事件当日にその人物の家を下見し、翌12日深夜に覆面をして侵入したところ、留守番をしていた女性(当時48歳)と鉢合わせしたため、女性を手および細紐で絞殺して現金28,400円・定期預金証書4通などを強取した[71]。さらに翌13日0時ごろ、死体を山林に運び出して放置し、同日夜にはのこぎりで死体の両足を切断し、15日夜には畑に埋めて遺棄した[71]

1974年(昭和49年)7月26日に前橋地裁高崎支部で死刑判決を受け[72]、1975年(昭和50年)10月8日に東京高裁第9刑事部で控訴棄却判決を受けた[76]
1978年6月22日に最高裁第一小法廷で上告棄却判決を受け死刑が確定[77]。1984年10月30日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)。

1979年死刑確定囚(4人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大分・福岡女性連続殺人事件 (A) 1979年1月 1977年2月28日
1977年3月8日
控訴取下げ、1985年7月25日に福岡拘置所で死刑執行。
古谷惣吉連続殺人事件(古谷惣吉)[78] 1979年1月26日[注 10]
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[80]
1965年
(10月30日ごろ - 12月12日)[81]
1914年(大正3年)2月16日生まれ[78](事件当時51歳)[81]警察庁広域重要指定105号事件[82](8人殺害で起訴)[81]
1951年に福岡県で2人を殺害して強盗殺人罪で懲役10年に処された前科があり(参照:福岡連続強盗殺人事件[83]、1964年11月9日に熊本刑務所仮出所して以降もなお定職に就かず[84]、金銭に窮した末に強盗目的で犯行におよんだ[85]
1971年4月1日に神戸地裁第二刑事部[78](中川幹郎裁判長)で死刑判決を受け[86]、1974年12月13日に大阪高裁第5刑事部[87](本間末吉裁判長)で控訴棄却判決を受けた[88]
1978年11月28日に最高裁第三小法廷(高辻正己裁判長)で上告棄却判決を受け[79]、翌1979年1月26日付で同小法廷から判決訂正申立棄却決定を[事件番号:昭和53年(み)7号]を受け[80]、死刑が確定[82]。死刑確定後の1982年12月2日、収監先の大阪拘置所で下記Oら死刑囚2人を襲撃する事件を起こしたが、「仮に同事件で起訴されれば古谷は判決が確定するまで死刑執行が見送られる一方、かえって自分たちの死刑執行順位が繰り上がることになる」と恐れた被害者2人が立件を望まなかったため[89]起訴されなかった。
1985年5月31日に大阪拘置所で死刑執行(71歳没)[82]
芦屋の人妻一家殺傷事件 (O)[90] 1979年4月17日[91] 1976年12月24日 1943年(昭和18年)10月12日生まれ[92](事件当時33歳)[91]
神戸地裁尼崎支部で1977年(昭和52年)3月30日に無期懲役判決を受けたが[92]、検察官が控訴したところ、同年10月18日に大阪高裁第7刑事部で死刑判決(破棄自判)を受けた[93]。1979年4月17日に最高裁第三小法廷で上告棄却判決を受け、死刑が確定[91][94]
死刑確定後の1982年12月2日に収監先・大阪拘置所内で、別の死刑囚1人とともに古谷惣吉に襲撃された[89]。1987年9月30日に大阪拘置所で死刑執行[90](43歳没)。
熊本義兄一家殺傷事件 (K) 1979年7月10日 1970年7月4日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1989年11月10日に福岡拘置所で死刑執行。

1980年 - 1984年編集

1980年死刑確定囚(7人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
上野消火器商一家殺人事件 (K) 1980年1月5日 1974年2月6日 最高裁判決訂正申立せず。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(52歳没)。
上野消火器商一家殺人事件 (T) 1980年1月16日 1974年2月6日 消火器セールスを行っていたTが得意先を奪われた恨みから、上記Kを誘い同業者と家族ら5人を殺害し金銭を奪った事件。1977年3月17日に東京高裁で控訴棄却[95]、1980年に最高裁で死刑が確定。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(49歳没)。
銚子民宿母子殺害事件 (Y) 1980年3月11日 1976年6月14日 殺人の前科あり。1987年9月30日に東京拘置所で死刑執行(35歳没)。
福島連続保険金殺人事件 (K) 1980年4月25日 1970年7月28日
1971年5月20日
1974年3月29日に福島地裁白河支部で死刑判決を受け、1977年6月28日に仙台高裁で控訴棄却判決[6]。1980年4月25日に最高裁(栗木一夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが、殺人1件を否認して計4回にわたり自力で再審請求していた[6]
1993年3月26日に[6]宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接。刑場は宮城刑務所にある)[注 11]で死刑執行(55歳没)。
徳島上那賀母子強盗殺人事件 (M) 1980年7月22日 1976年3月12日 被害に遭った家庭に強盗に押し入り母娘2人を殺害。その後、タクシーを奪い郵便局に強盗に入るも失敗、幼児を人質にして車内に籠城する事件を起こした[96]。一審は無期懲役、上告取り下げで確定。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
寝屋川夫婦殺害事件 (W) 1980年11月6日 1975年8月23日 拾った合鍵で侵入し夫婦を殺害。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
袴田事件袴田巌 1980年11月28日 1966年6月30日 1936年(昭和11年)3月10日生まれ(現在85歳)[6]
第一審から無罪を主張したが、1968年9月11日に静岡地裁(石見勝四裁判長)で死刑判決[6]。1976年6月18日に東京高裁(横川敏雄裁判長)で控訴棄却判決・1980年11月19日に最高裁(宮崎梧一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[6]
2011年には「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定(当時42年間、その後46年間)。第二次再審請求の際のDNA鑑定により有罪の証拠とされた犯行時に着用したとされる衣服から加害者と被害者双方のDNAが検出されなかったことから、2014年3月27日に静岡地裁村山浩昭裁判長)が再審開始を決定。これにより死刑の執行が停止され、同日に東京拘置所から48年ぶりに釈放された。釈放後、袴田は拘禁反応糖尿病のため東京都内の病院に入院したが、その後病状は回復しつつあると診断され、2014年5月27日、故郷の浜松市に帰り、市内の病院に転院した。
2018年6月11日に東京高裁で再審開始決定を取り消す決定が出された[6]が、死刑の執行および拘置は停止されていない。

1981年死刑確定囚(3人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
釧路薬局一家殺害事件 (K) 1981年3月19日[6] 1974年8月7日[6] 1932年(昭和7年)4月21日生まれ・漁船員[97]本籍地は岩手県気仙郡三陸町越喜来、住居は福島県いわき市[97]
一家3人を殺害し金銭を強奪した[98]
1975年9月に釧路地裁で死刑判決を受け、1977年8月23日に札幌高裁で控訴棄却判決[6]
1981年3月29日に最高裁第一小法廷(藤崎萬里裁判長)で上告棄却判決を受け[98]、死刑が確定[6]。責任能力の認定などから再審請求したが、棄却された[6]
1993年11月26日に札幌刑務所(収監先・札幌拘置支所に隣接)[注 11]で死刑執行(61歳没)[6]
長崎雨宿り殺人事件 (O) 1981年6月16日[6] 1977年9月24日[6] 1937年(昭和12年)8月29日生まれ[100]。本籍地は大分県玖珠郡玖珠町[100]。殺人・強盗など前科6犯[101]。一人住まいの高齢女性を強姦し、角材で撲殺した上で金品を強奪した[101]
1978年9月に長崎地裁で死刑判決を受け、1979年9月に福岡高裁で控訴棄却判決[6]
上告審から無実を主張したが[6]、1981年6月16日に最高裁第三小法廷(環昌一裁判長)で上告棄却判決を受け[101]、死刑が確定[6]
それ以降は自力で18年にわたり再審請求し、死刑執行時点では初めて弁護人が付いて再審請求してから4日目だった[6]
第7次再審請求中の1999年12月17日に福岡拘置所で死刑執行(62歳没)[102]
愛媛・松前連続保険金殺人事件 (T) 1981年6月26日[6] 1971年1月
1972年7月[6]
1930年(昭和5年)10月20日生まれ・金融業[103]。本籍地は愛媛県松山市中村町[103]
実姉と共謀して交通事故を装い、実母を殺害したほか、それを口外されることを恐れて自身の妻を絞殺した[104]。共犯2人も有罪確定。
1976年2月18日に松山地裁で死刑判決を受け、1979年12月18日に高松高裁[6]、実母殺害について死刑+妻殺害について無期懲役の判決[注 12]を受けた[104]
1981年6月26日に最高裁第二小法廷(木下忠良裁判長)で上告棄却判決を受け[104]、死刑が確定[6]。1993年3月26日に大阪拘置所で死刑執行(62歳没)[6]

1982年死刑確定囚(1人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
世田谷女性殺害事件 (S) 1982年9月1日 1977年12月3日[105] 東京都世田谷区にて不動産売主の女性を強盗目的で殺害した。共犯は懲役13年。
1979年5月17日に東京地裁(金隆史裁判長)で死刑判決・1982年9月に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決を受け、上告せず死刑確定[105]。1993年11月26日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)[105]

1983年死刑確定囚(1人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
徳島高齢者連続殺人事件 (F) 1983年4月14日 1978年11月[105]
1978年12月16日[105]
1983年4月14日に徳島地裁(山田真也裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず確定したが[105]、「知的障害者で自分が死刑になることを理解できなかった」との指摘がある。1995年5月26日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)[105]

1984年死刑確定囚(3人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大阪電解事件 (D) 1984年4月27日[105] 1974年7月10日[105]
1974年10月3日[105]
1923年(大正12年)4月19日生まれ・会社員[106]
本籍地は大阪府大阪市西淀川区中島一丁目、住居は大阪府寝屋川市田井町[106]
金銭欲から、Dの勤務先の会社幹部を殺害し、死体を遺棄することで幹部が金員を拐帯して失踪したように偽装し、同会社の小切手を使って取引銀行から大金を引き出そうと企て、短期間内に会社の上司2人を次々に絞殺し、死体を埋立地に埋めた[107]
下記共犯S(本事件以前の服役中に知り合った)[108]とともに、1978年2月23日に大阪地裁(浅野芳朗裁判長)で死刑判決を、1980年11月28日に大阪高裁で控訴棄却判決を受けた[105]
1984年4月27日に最高裁第二小法廷(牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け[107]、死刑が確定[105]。1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(70歳没)[105]
大阪電解事件 (S) 1984年4月27日[105] 1974年7月10日[105]
1974年10月3日[105]
1936年(昭和11年)11月13日生まれ・元洗車場経営[106]。本籍地は和歌山県橋本市神野々、住居は兵庫県神戸市葺合区上筒井通五丁目[106](現:神戸市中央区上筒井通五丁目)。
上記Dの共犯(裁判経緯も同一)[105]。1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(57歳没)[105]
近畿連続強盗殺人事件 (K) 1984年9月13日[105] 1975年4月3日[105] - 1977年 1944年(昭和19年)8月29日生まれ[109]。本籍地は福岡県北九州市八幡西区大字香月[109]
7府県で強盗をし3人を殺害。
1980年9月13日に神戸地裁(高橋通延裁判長)で死刑判決を受け、1982年5月26日に大阪高裁(八木直道裁判長)で控訴棄却判決[105]
1984年9月13日に最高裁第一小法廷(矢口洪一裁判長)で上告棄却判決を受け[110]、死刑が確定[105]
1993年3月26日に大阪拘置所で死刑執行(48歳没)[105]。死刑執行時は精神疾患であった可能性が指摘されている[105]

1985年 - 1989年編集

1986年に死刑が確定した死刑囚はいない。

1985年死刑確定囚(2人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
群馬3女性殺害事件 (A) 1985年4月26日[105] 1977年4月16日[105] 1950年(昭和25年)2月10日生まれ[108][111]。旧姓K[111]
1978年3月8日に前橋地裁(浅野達男裁判長)で死刑判決を受け、1980年2月20日に東京高裁第11刑事部[112](岡村治信裁判長)で控訴棄却判決[105]
1985年4月26日に最高裁第二小法廷[113]牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[105]。1994年12月1日(当時は養父母との接見交通禁止に対し国家賠償請求訴訟中)に東京拘置所で死刑執行(44歳没)[105]
青森旅館連続女性殺人事件 (S) 1985年7月1日 1984年9月9日[105] 1928年(昭和3年)3月1日生まれ[114]。1958年(昭和33年)6月5日に岐阜県大垣市で強盗殺人事件を起こし、同年9月2日に岐阜地裁大垣支部で無期懲役判決を受け、1976年(昭和51年)3月31日に仮釈放されるまで岐阜刑務所に服役していた[115]
1985年6月17日に青森地裁第一刑事部で死刑判決を受け[114]、弁護人が控訴した翌日に自ら控訴を取り下げ死刑確定[105]。1994年12月1日に宮城刑務所(収監先:仙台拘置支所に隣接)[注 11]で死刑執行(65歳没)[105]

1987年死刑確定囚(8人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
裕士ちゃん誘拐殺人事件 (S) 1987年1月19日 1986年5月9日[105] 1940年(昭和15年)9月20日生まれ[116]
1986年12月22日に東京地裁刑事第5部[116](高島英世裁判長)で死刑判決を受け、本人の控訴取り下げにより死刑確定[105]。1983年に「永山基準」が示されて以降、被害者1人の殺人事件としては初めて死刑が確定した事件である[117]
1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行[105](54歳没)。
連続企業爆破事件大道寺将司 1987年4月20日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[118]
1974年8月30日-1975年5月4日 1948年(昭和23年)6月5日生まれ[105]。共犯の一部が超法規的措置で出国[105]
1979年11月12日に東京地裁(蓑原茂広裁判長)で死刑判決を、1982年10月29日に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[105]。1987年3月24日に最高裁第三小法廷(伊藤正己裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け[119]、同判決への訂正申し立ても1987年4月20日付で棄却されたため[118]、益永とともに死刑が確定[120]。同決定により共犯者の黒川芳正は無期懲役、共犯の女も懲役8年が確定した[120]
交流誌「キタコブシ」が出ていたほか、著書『死刑確定中』や句集『鴉の目』『棺一基』『残の月』などがある[105]
東京拘置所に収監されていたが2017年5月24日に収監先・東京拘置所内で多発性骨髄腫のため病死(68歳没)[121]
連続企業爆破事件(益永利明 1987年4月21日
(死刑確定日)[122]
1974年8月30日-1975年5月4日 1948年(昭和23年)6月1日生まれ(旧姓:片岡)[105]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在73歳)[123]
裁判経緯は同上。1987年4月21日に判決訂正申立の棄却決定を通知され、死刑が確定[122]。その直前(同年4月7日)に獄中結婚していた[122]国家賠償請求訴訟を多数提訴しているほか、交流誌「ごましお通信」が出ていた[105]。著書『爆弾世代の証言』がある[105]
名古屋保険金殺人事件 (I) 1987年4月15日[105] 1979年11月19日 - 1983年12月25日 1942年(昭和17年)6月27日生まれ[124][105]
1985年12月5日に名古屋地裁刑事第2部[124](鈴木雄八郎裁判長)で死刑判決を受けた[105]。1987年3月31日に名古屋高裁刑事第1部[125](山本卓裁判長)で控訴棄却判決を受け、上告せず1987年4月15日付で死刑確定[105]
1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(56歳没)[105]。共犯のHは1993年9月に最高裁で死刑が確定し、2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行[126]
名古屋市女子大生誘拐殺人事件(木村修治) 1987年7月9日[105] 1980年12月2日[105] 1950年(昭和25年)2月5日生まれ[108][105]愛知県名古屋市被差別部落出身(参考・白山中学校事件)。
1982年3月23日に名古屋地裁(塩見秀則裁判長)で死刑判決を、1983年1月26日に名古屋高裁(村上悦夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[105]。1987年7月9日に最高裁(大内恒夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[105]
最高裁上告後「水平社宣言」や死刑廃止運動を知り、1986年2月には死刑廃止運動を行う死刑囚による「日本死刑囚会議・麦の会」に入会、同年には同会運営委員となる。上告審では死刑違憲論を主張するも棄却。大道寺将司・益永利明・坂口弘らとともに統一獄中者組合員として獄中活動。1993年9月に恩赦出願。1995年1月に手記『本当の自分を生きたい 死刑囚・木村修治の手記』(インパクト出版会)を出版。恩赦出願の結果は代理人に通知されないまま、1995年12月21日に名古屋拘置所で死刑執行(45歳没)[105]。また日本死刑囚会議・麦の会『死刑囚からあなたへ 国には殺されたくない』(インパクト出版会)に手記「強く、優しく生き抜いてください」を寄稿(死刑執行後の1997年3月刊行)。
秋山兄弟事件(秋山芳光)[127] 1987年7月17日[128] 1975年8月25日[128] 1929年(昭和4年)8月23日生まれ[108][129]
秋山兄弟(双生児)の弟。兄が経営していた紙工場の元従業員。
1976年12月16日に東京地裁刑事第20部で死刑判決を受け[129]、1980年3月27日に東京高裁第12刑事部[130](千葉和郎裁判長)で控訴棄却判決[128]。1987年7月17日に最高裁第二小法廷(香川保一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[131]
2006年12月25日に東京拘置所で死刑執行(77歳没)[128]。この年齢での死刑執行は日本国憲法下では最高齢で、確定から19年5か月後の死刑執行は戦後最長。
共犯者である兄も芳光とともに死刑を求刑されたが[132]、従犯とされ[133]、第一審で無期懲役判決を受けた[129]。検察官が死刑を求めて控訴したものの[132]、控訴審でも無期懲役が支持され[130]、確定したが、主犯は兄であるとして2003年8月に再審請求するも棄却。
東村山署警察官殺害事件 (T) 1987年10月23日[128] 1976年10月18日[128] 1925年(大正14年)1月30日生まれ[108][134]。旧姓K[134]
1977年11月18日に東京地裁八王子支部(現:東京地裁立川支部)刑事第2部で死刑判決を受け[135]、1981年7月7日に東京高裁第8刑事部[136](市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決[128]。1987年10月23日に最高裁第二小法廷(牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[137]。1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行[128](70歳没)。
熊本連続強盗殺人事件(平田直人[138] 1987年12月18日[128] 1979年3月28日[128] 1932年(昭和7年)1月1日生まれ[128]
1980年10月2日に熊本地裁(辻原吉勝裁判長)で死刑判決を受け、1982年4月27日に福岡高裁(平田勝雅裁判長)で控訴棄却判決を受けた[128]
1987年12月18日に最高裁(牧圭次裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[128]。事実誤認を主張して再審請求していたが棄却され、1995年12月21日に福岡拘置所で死刑執行(63歳没)[128]

1988年死刑確定囚(11人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
福岡連続保険金殺人事件(浜田武重[139] 1988年3月8日 1978年3月(24日 - 25日)
1978年7月1日
1979年5月9日
1927年(昭和2年)3月10日生まれ[128]
内縁の妻(一審公判中に死亡)と共謀して内縁の妻の子供(当時16歳)を農業用水路で水死に見せかけ殺害するなど、3件の殺人事件を起こして被害者2人の保険金約1,100万円を詐取した[140]
3件中2件の殺人について無罪を主張していたが[141]、1982年3月29日に福岡地裁(秋吉重臣裁判長)で死刑判決を受け、1984年6月19日に福岡高裁(山本茂裁判長)で控訴棄却判決[128]。1988年3月8日に最高裁(伊藤正己裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[128]福岡拘置所に収監されていたが、2017年6月26日に所内で死亡(90歳没・当時は確定死刑囚で最高齢)[141]
北九州市病院長殺害事件 (S) 1988年4月15日[128] 1979年11月4日 - 5日[128] 1946年(昭和21年)10月19日生まれ・釣具店経営[142]。本籍地は福岡県北九州市小倉北区昭和町、住居は同区木町一丁目[142]
北九州市で大病院を経営していた院長を殺害して大金を強奪することを計画し、大金の奪取には失敗したものの、被害者を殺害して死体を切断・遺棄した[143]
1982年3月16日に福岡地裁小倉支部(佐野精孝裁判長)で死刑判決を受け、1984年3月14日に福岡高裁(緒方誠哉裁判長)で控訴棄却判決を受けた。
1988年4月15日に最高裁第二小法廷(香川保一裁判長)で上告棄却判決を受け[143]、死刑が確定[128]
1983年に最高裁で「永山基準」が示されて以降、殺害された被害者が1人の殺人事件で、複数の被告人に死刑判決が言い渡され確定した唯一の事例[144][145]
1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(49歳没)[128]。自力で再審請求していたとされるが、詳細は不明[128]
北九州市病院長殺害事件 (Y) 1988年4月15日[128] 1979年11月4日 - 5日[128] 1952年(昭和27年)9月5日生まれ・スナック経営[142]。本籍地および住居は北九州市戸畑区椎ノ木町[142]
上記Sの共犯(裁判経緯はいずれも同上)[128]。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(43歳没)[128]。再審請求準備中だった[128]
日立女子中学生誘拐殺人事件 (W) 1988年4月28日[128] 1978年10月16日[128] 1939年(昭和14年)3月25日生まれ[128]。経営していた鉄工所の経営難に加え韓国へのキーセン旅行に何度も行ったことから1,400万円の負債を重ね、資産家であった妻の養父の中学校3年生の娘を金銭目的で誘拐[146]。被害者にクロロホルムを嗅がせて気絶させ、車内で鼻・首を押さえつけて殺害した[147]
1980年2月8日に水戸地裁(大関隆夫裁判長)で死刑判決を受け、1983年3月15日に東京高裁(菅野英男裁判長)で控訴棄却判決[128]。1988年4月28日に最高裁(角田礼次郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[128]。東京拘置所に収監されていたが2013年6月上旬にくも膜下出血で倒れ、同月23日夜に病死[148](74歳没・当時再審請求中[128])。
群馬連続女性農夫殺害事件 (S) 1988年5月20日 1981年10月2日
1982年7月3日
1927年(昭和2年)2月2日生まれ[149][150]
強盗致傷罪で懲役8年に処せられたほか、強姦致傷、殺人、死体遺棄の罪で無期懲役刑[注 13]に処された受刑者が、仮釈放中に再犯した事件[151]。群馬県の境町佐波郡/現:伊勢崎市)および宮城村勢多郡/現:前橋市)で、女性2人[注 14]を相次いで殺害[151]。このほか、1947年10月15日に夫婦を殺傷した強盗殺傷事件も自供したが、同事件は既に公訴時効が成立していた。
殺人および強姦致傷の罪に問われ[151]、1983年12月26日に前橋地裁(小林宣雄裁判長)で死刑判決を受け、1985年1月17日に東京高裁(小野啓二裁判長)で控訴棄却の判決を受けた[128]
1988年6月20日に最高裁第二小法廷(奥野久之裁判長)で上告棄却判決を受け[151]、死刑が確定[128]
1995年12月21日に東京拘置所で死刑執行(68歳没)[128]
男娼等連続強盗殺人事件[152] (W) 1988年6月2日 1967年4月24日
1967年8月5日
1972年4月10日
1973年3月20日
1948年(昭和23年)3月17日生まれ[128]。2020年9月27日時点で[7]大阪拘置所に収監中(現在73歳)[153]
以下の事件を起こした(被害者は売春婦3人・男娼1人)[154]。前半2件は少年時代の犯行(少年死刑囚)。
  1. 1967年(昭和42年)4月24日朝(当時19歳)、愛知県名古屋市中区葉場町の旅館で同宿した女性(当時36歳)を絞殺し、現金35,000円を奪った[155]
  2. 1967年4月10日(当時19歳)、大阪府大阪市西成区のホテルで女性(当時39歳)を絞殺し、現金2,000円を奪った[155]
  3. 1972年(昭和47年)8月5日未明(当時24歳)、大阪市天王寺区茶臼山町で客引きしていた男性(当時26歳)を絞殺し、現金2,000円などを奪った[155]
  4. 1973年(昭和48年)3月20日(当時25歳)、大阪市浪速区のホテルで女性(当時40歳)を絞殺し、がま口(現金640円入り)・腕時計などを奪った[155]

第一審・大阪地裁(大政正一裁判長)で1975年8月29日に無期懲役判決を受けたが[154]、控訴審・大阪高裁(西村哲夫裁判長)で1978年5月30日に一審破棄・死刑判決[128]
1988年6月2日に最高裁第一小法廷(高島益郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[152]。4件中2件は無実を主張[128]

神田ビル放火殺人事件 (I) 1988年7月1日[128] 1981年7月6日[128] 1947年(昭和22年)8月23日生まれ[156]。本籍地は東京都三鷹市下連雀六丁目、住居は東京都田無市(現:西東京市)北原二丁目[156]
酒色に溺れて多額の会社資金を使い込んだことから、証拠となる帳簿類を焼却し、会社所有の現金を入手した上で逃走することを計画[157]。深夜、それを実行する過程で、妨げとなった会社上司とビル管理人を殺害するとともに、現金252万円余りを強取してビルの一部を焼燬した[157]
1982年12月7日に東京高裁(大関規雄裁判長)で死刑判決を受け、起訴から1年半後となる1984年3月15日に東京高裁(寺沢栄裁判長)で控訴棄却判決[128]
1988年7月1日に最高裁第二小法廷(奥野久之裁判長)で上告棄却判決を受け[157]、死刑が確定[128]
1996年7月11日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)[128]
夕張保険金殺人事件 (HN) 1988年10月11日[158] 1984年5月5日[158] 1947年(昭和22年)生まれ[159]。下記HYの妻。女性死刑囚としては戦後3人目に処刑された。裁判経緯は夫と同一[158]。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所[注 11]で死刑執行(51歳没)[160]
夕張保険金殺人事件 (HY) 1988年10月13日[158] 1984年5月5日[158] 1944年(昭和19年)生まれ[158]。夫婦による犯行で、上記HNの夫。
現住建造物等放火・殺人・詐欺罪に問われた[160]。放火を認めた一方で殺意は否認したが、1987年3月9日に妻とともに札幌地裁(鈴木勝利裁判長)で死刑判決を受けた[158]。その後、妻とともに量刑不当を理由に札幌高裁へ控訴していたが[160]、1988年10月11日に2人とも控訴を取り下げ死刑が確定[158]。これは(昭和天皇の容体悪化により)[160]恩赦を期待したものだったが[158]、恩赦はされず、1996年5月には夫だけが控訴取り下げ無効を申し立てたが、札幌高裁・最高裁ともにこれを棄却し、1997年6月までにすべて審理を終えていた[160]
1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所[注 11]で死刑執行(54歳没)[160]
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H) 1988年10月17日[158] 1978年5月21日
1978年6月10日[158]
社長を務めていた会社の経営に行き詰まり、役員Nとともに金品を奪う目的で銀座のクラブのママなど2人を殺害。1978年7月10日にNとともに逮捕[161]。1980年1月18日に東京地裁(小野幹雄裁判長)で死刑判決を受け、1982年1月21日に東京高裁(市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決[158]
恩赦を期待して1988年10月22日付で上告を取り下げ死刑が確定したが[158]、恩赦はされなかった。共犯Nは1990年2月に最高裁で死刑確定[158]。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)[158]
元昭和石油重役一家殺害事件 (I) 1988年10月22日[158] 1983年1月29日[158] 1984年6月5日に東京地裁(佐藤文哉裁判長)で死刑判決を受け、1985年11月29日に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決[158]
恩赦を期待したためか1988年10月22日付で上告を取り下げ死刑が確定したが[158]恩赦はされなかった。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)[158]

1989年死刑確定囚(5人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
日建土木事件 (N) 1989年3月28日[158] 1977年1月7日[158] 1936年(昭和11年)12月18日生まれ[158]。1980年7月8日に名古屋地裁で死刑判決、1981年9月10日に名古屋高裁で控訴棄却判決[158]
1989年3月28日に最高裁(安岡満彦裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[158]。共犯とされた人物は無罪を主張したが、最高裁で異例の減軽判決(無期懲役)が言い渡された[158]。1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(61歳没)[158]
埼玉2女性殺害事件(石田富蔵[162] 1989年6月13日[158] 1973年8月4日
1974年9月13日[158]
1921年(大正10年)11月13日生まれ[158]。1973年8月に埼玉県川口市内で交際中の女性を絞殺し、1974年9月には同県鳩ヶ谷市(現:川口市)の飲食店に盗み目的で侵入して経営者女性を絞殺した[163]。1件の強盗殺人事件で取り調べを受けていた際にもう1件の殺人を自白したが、刑事裁判では強盗殺人事件[158](1974年の事件)[163]について冤罪を主張し[158]、後者(1973年の事件)[163]についても傷害致死罪を主張した[158]
1980年1月30日に浦和地裁(杉山英巳裁判長)で死刑判決を受け、1982年12月23日には東京高裁(菅間英男裁判長)で控訴棄却判決を受けた[158]。最高裁(坂上壽夫裁判長)で1989年6月13日に上告棄却判決を受け死刑確定[158]
2009年6月以降は東京拘置所内の病棟で治療を受けていたが、2014年4月19日に前立腺癌のため所内で病死(92歳没)[163]。当時は再審請求を棄却され、再度請求する準備をしていたところだった[163]
「殺し屋」連続殺人事件 (F)[158] 1989年10月13日 1970年2月13日 - 1973年4月15日 1942年(昭和17年)2月23日生まれ(旧姓S)[158]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在79歳)[159]
従兄弟の暴力団員に依頼し都合の悪い相手3人を殺害したほか、会社経営者らから恐喝で金銭を巻き上げるなど多数の余罪がある[164]中日スタヂアム事件にも関与した。
1977年3月31日、Sは東京地裁(林修裁判長)で実行犯のうち2人とともに死刑判決を受けるが、起訴事実のうち殺人一件は「共謀の証明がない」として無実が言い渡された[165]。1982年7月1日に東京高裁(船田三雄裁判長)で控訴棄却判決[158]
1989年10月13日に最高裁第三小法廷[166]貞家克己裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[158]
埼玉父親ら3人殺害事件 (K) 1989年11月20日[158] 1985年3月8日[158] 1954年(昭和29年)4月6日生まれ[166]
1986年5月20日に浦和地裁(杉山忠雄裁判長)で死刑判決を受け、1986年12月22日(控訴から半年後)に東京高裁(萩原太郎裁判長)で控訴棄却判決[158]
1989年11月20日に最高裁第二小法廷[166](香川保一裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[158]。1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(43歳没)[158]
伊勢崎女子中学生2人殺害事件 (U) 1989年12月8日[158] 1976年4月1日[158] 1951年(昭和26年)6月29日生まれ(旧姓T)[158]。覚醒剤の購入資金を得るため、隣家で留守番をしていたその家の長女と従兄弟の中学生2人を刺して金品を奪った後、2人がまだ息がある状態で放火して焼殺した[167][168]
1979年3月15日に前橋地裁(浅野達男裁判長)で死刑判決を受け、1983年11月17日に東京高裁(山本茂裁判長)で控訴棄却判決を受けた[158]
1989年12月8日に最高裁第二小法廷[166](島谷六郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[158]。死刑確定後も「犯行時は覚せい剤の影響があり責任能力に問題があった」として再審請求していたが[169]、2013年11月15日に肺癌のため収監先・東京拘置所内で病死(62歳没)[170]

1990年 - 1994年編集

1990年死刑確定囚(7人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N) 1990年2月1日[158] 1978年5月21日
1978年6月10日[158]
1946年(昭和21年)12月18日生まれ[166]
1980年1月18日に東京地裁小野幹雄裁判長)で死刑判決を、1982年1月21日に東京高裁(市川郁雄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[158]
共犯のHは1988年に上告を取り下げ、死刑が確定[158]。自身も1990年2月1日に最高裁第一小法廷[166]四ツ谷巖裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定した[158]。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)[158]
熊本主婦殺人事件(金川一[171] 1990年4月3日 1979年9月11日 1950年(昭和25年)7月7日生まれ[158]。2020年9月27日時点で[7]福岡拘置所に収監中(現在71歳)[159]
客観的証拠がなく、第一審の途中から無実を主張したが、1982年6月14日に熊本地裁八代支部(河上元康裁判長)で無期懲役判決[158]。控訴審・福岡高裁(緒方誠哉裁判長)では1983年3月17日に一審破棄・死刑判決を受け[158]、1990年4月3日に最高裁第三小法廷[166]安岡満彦裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[158]
永山則夫連続射殺事件永山則夫 1990年5月9日
(正式な死刑確定日)[172]
1968年10月11日 - 11月5日 警察庁広域重要指定108号事件」[173]
1949年(昭和24年)6月27日生まれ[174]。各事件当時19歳の少年死刑囚
1979年7月10日に第一審・東京地裁刑事第5部(蓑原茂広裁判長)で死刑判決を受けたが控訴し[175]、1981年8月21日に控訴審・東京高裁刑事第2部(船田三雄裁判長)は第一審判決を破棄自判して無期懲役判決を言い渡した[176]
しかしこの控訴審判決を不服とした東京高検が最高裁へ上告したところ[177][178]、1983年7月8日に最高裁第二小法廷(大橋進裁判長)は上告審判決公判で「死刑を回避した控訴審判決は量刑不当。破棄しなければ著しく社会正義に反する」などとして原審を破棄し、審理を東京高裁に差し戻した[179]。最高裁が量刑不当を理由に被告人に不利益な方向で控訴審判決を破棄して高裁への差し戻しを命じた事例は戦後刑事裁判史上初で、最高裁は同時に判決理由で死刑適用基準について初めて詳細に明示した[179](後の「永山基準」)。
差し戻し後の控訴審では1987年3月18日に東京高裁刑事第3部(石田穣一裁判長)が第一審・死刑判決を支持して被告人・永山の控訴を棄却する判決を言い渡した[180]。そして1990年4月17日に最高裁第三小法廷(安岡満彦裁判長)が上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を言い渡し[181]、永山は同判決に対し訂正を申し立てたが、これも最高裁第三小法廷(坂上壽夫裁判長)から棄却決定が出されたため、(決定が永山に通達された)1990年5月9日に死刑が確定[172]
1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)[160]
長崎3人殺害事件(村竹正博[182] 1990年4月27日 1978年3月21日[174] 1944年(昭和19年)3月30日生まれ[174]
第一審・長崎地裁佐世保支部(亀井義朗裁判長)では情状酌量により無期懲役判決(1983年3月30日)を受けたが、控訴審・福岡高裁(桑原宗朝裁判長)で1985年10月18日に一審破棄・死刑判決を受けた[174]
1990年4月27日に最高裁(藤島昭裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[174]。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(54歳没)[174]
空知連続殺人事件 (H) 1990年10月25日
(正式な死刑確定日)[183]
1972年5月6日
1972年8月19日
1974年5月12日[184]
1934年(昭和9年)5月8日生まれ[174]。離婚後、重機の運転手として勤務しながら男で1つで小学生の息子2人を育てていたが、1972年5月6日に[184]空知支庁管内・月形町で女子専門学校生A(当時19歳)を乗用車内で暴行して窒息死させた[185](殺人・強姦致死事件)ほか、同年8月19日には[184]同管内奈井江町でデパート店員の女性B(当時19歳)を同様の手口で殺害して遺体を山林に遺棄した[185](殺人・強姦致死および死体遺棄事件)。また1974年5月12日には奈井江町内で農家の主婦C(当時40歳)を乗用車で拉致し、強姦して負傷させた上で農道上に放置する事件(強姦致傷事件)を起こし[184]、同年5月26日にC事件の容疑で緊急逮捕された[186]。その後A・B両被害者の殺害を自供し[186]、1974年6月6日にC事件(強姦致傷)の加害者として、同月22日にはA事件(殺人・強姦致死)とB事件(殺人・強姦致死および死体遺棄)の加害者としてそれぞれ起訴された[184]。「証拠は違法捜査による自白のみで物証がない」として無罪を主張[174]。1976年6月24日に札幌地裁岩見沢支部は罪状のうち死体遺棄を無罪と判断し、殺意も否定して無期懲役判決を言い渡したが、被告人H・検察官とも控訴した[186]。その後、札幌高裁は検察官の主張を全面的に認め、1979年4月12日に原判決を破棄して死刑判決を言い渡した[186]。上告審では安田好弘らが弁護団を再編して弁護活動を行ったが[注 15][187]、1990年9月13日に最高裁(角田礼次郎裁判長)で上告棄却判決を受け[174]、同年10月23日付で判決訂正の申し立ても棄却されたため、同月25日に死刑が確定[注 16][183]
死刑確定後の1992年9月24日に札幌高裁へ再審請求したが[188]、2001年2月16日に再審請求棄却決定がなされた[189]。同月19日に異議申し立てをしたが2003年3月31日に異議申し立ても棄却されたため、同年4月7日に最高裁へ特別抗告していた[189]
札幌刑務所札幌拘置支所[注 11]に収監されていたが、2003年8月にスキルス性胃癌と診断され、同年12月には胃の全摘手術を[189]八王子医療刑務所で受けた後、収監先・札幌拘置支所へ戻り[185]療養していた[189]。しかし2004年6月4日、癌性悪液質により札幌刑務所[注 11]の病舎内で病死(70歳没)[189]
三崎事件(荒井政男[190] 1990年10月16日[174] 1971年12月21日[174] 1927年(昭和2年)2月4日生まれ[174]
1976年9月25日に横浜地裁横須賀支部(秦不二雄裁判長)で死刑判決を受け、1984年12月18日には東京高裁(小野慶二裁判長)で控訴棄却判決[174]。1990年10月16日に最高裁(坂上壽夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[174]
東京拘置所に収監されていたが、再審請求中の2009年9月3日に所内で病死(82歳没)[174]。死後、家族が再審を引き継いだ[174]
救援会の機関紙『潮風』がある[174]
福岡県直方市強盗殺人事件 (T) 1990年12月17日
(訂正判決宣告日)[191]
1980年4月23日[174] 1932年(昭和7年)6月20日生まれ[174]
1956年(昭和31年)9月9日に福岡県飯塚市外二瀬町の質屋へ3人組で押し入り、経営者を刺殺する強盗殺人事件を起こし、飯塚警察署(福岡県警)に逮捕された[192]。同事件では1957年(昭和32年)10月30日に福岡高裁で無期懲役判決を受けて熊本刑務所に収監され、1978年(昭和53年)11月22日に仮釈放されたが[193]、仮釈放中に本事件を起こした(再犯)[194]
1980年4月23日に福岡県直方市頓野で女性(当時64歳)宅に侵入し、金品を物色中に被害者に見つかったことから絞殺して現金2,000円を奪った[194]。また同年6月25日には同県北九州市八幡西区楠木二丁目へ盗みに入り、それを見つけて追いかけてきた男性の首などをナイフで突き刺し[195]、約6か月の怪我を負わせたほか、1979年11月 - 1980年6月にかけて15件の盗みを重ねた[196]
1981年7月14日に第一審・福岡地裁小倉支部(佐野精孝裁判長)で死刑判決[196]。1986年12月2日に控訴審・福岡高裁刑事第1部(永井登志彦裁判長)で控訴棄却判決を受け[197]最高裁第二小法廷中島敏次郎裁判長)で1990年12月14日に上告棄却の判決を受けたが、上告審の判決文に殺人事件と余罪の空き巣の間隔を「2か月」とすべきところ「1年2か月」と誤記していたため、これを把握した最高検察庁が同日中に判決訂正の申し立てを行い[194]、同月17日に改めて訂正判決が言い渡された[191]。最高裁が刑事事件判決における誤記などを訂正する判決を言い渡した事例は1964年(昭和39年)[注 17]以来26年ぶりで、死刑事件では史上初だった[191]
1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(66歳没)[174]

1991年死刑確定囚(4人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
自殺偽装夫殺害事件 (M) 1991年1月31日 1974年8月8日
1978年4月24日[174]
1932年(昭和7年)3月10日生まれの女性死刑囚[174]。1978年、共犯者らと経営していたバーの店員の内縁の夫を殺害して死体を遺棄。警察がMらを逮捕して取り調べる過程で、1974年にMが夫をガス中毒死に偽装して殺していた事実も判明した[198]。裁判では夫殺害については無実を主張したが、1980年5月6日に東京地裁(小林充裁判長)で死刑判決[174]。1986年6月5日に東京高裁(寺沢栄裁判長)で控訴棄却判決を、1991年1月31日に最高裁(四ツ谷巖裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[174]
東京拘置所に収監されていたが、再審請求中の2007年7月17日に所内で病死(75歳没)[174]
パチンコ景品商殺害事件 (S) 1991年2月5日 1983年1月16日[174] 1931年(昭和6年)12月28日生まれ[174]。1950年に強盗殺人で無期懲役の判決を受け、仮釈放後に再犯。
1984年1月23日に東京地裁(田尾勇裁判長)で死刑判決を受け、1985年7月8日には東京高裁(柳瀬隆治裁判長)で控訴棄却判決[174]
1991年2月5日に最高裁(可部恒雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[174]。1998年6月25日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)[174]
泰州くん誘拐殺人事件 (T) 1991年6月11日 1984年2月13日[174] 1939年(昭和14年)8月15日生まれ[174]
1985年7月17日に広島地裁福山支部(雑賀飛龍裁判長)で死刑判決を、1986年10月21日に広島高裁(久安弘一裁判長)で控訴棄却判決を受けた[174]
1991年6月11日に最高裁(園部逸夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[174]。死刑確定後に俳句の投稿を禁止され、1998年11月19日に広島拘置所で死刑執行(59歳没)[174]
大宮母子殺人事件(佐川和男[199] 1991年11月29日 1981年4月4日[174] 1951年(昭和26年)3月21日生まれ[174]
1982年3月30日に浦和地裁(米沢敏雄裁判長)で死刑判決を、1987年6月23日に東京高裁(小野慶二裁判長)で控訴棄却判決を受けた[174]
1991年11月29日に最高裁(藤島昭裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[174]。共犯は逃亡中に病死[174]。1999年12月17日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)[174]

1992年死刑確定囚(5人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
市原両親殺害事件 (S) 1992年1月30日 1974年10月30日[126] 1952年(昭和27年)9月14日生まれ[126]。2019年10月1日付で[200]東京拘置所に収監中(現在68歳)[126]
1984年3月15日に千葉地裁(太田浩裁判長)で死刑判決を、1986年8月29日に東京高裁(石丸俊彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[126]。1992年1月31日に最高裁(大堀誠一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが、無実を主張[126]
東京都北区幼女殺害事件 (S) 1992年2月18日 1979年7月28日[126] 1937年(昭和12年)2月12日生まれ[126]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[126]
1981年3月16日に東京地裁(松本時夫裁判長)で死刑判決を、1985年9月17日に東京高裁(寺沢栄裁判長)で控訴棄却判決を受けた[126]
1992年2月18日に最高裁(可部恒雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[126]。1999年9月10日に東京拘置所で死刑執行(62歳没)[126]
福島女性飲食店経営者殺害事件 (T) 1992年6月18日 1990年5月2日[126] 1938年(昭和13年)4月27日生まれ[126]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[126]
1992年6月18日に福島地裁郡山支部(慶田康男裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず同年7月に死刑確定[126]。1999年9月10日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)[注 11]で死刑執行(61歳没)[126]
熊本母娘殺害事件 (M) 1992年9月24日 1985年7月24日 1930年(昭和5年)4月10日生まれ[126]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[126]
1986年8月5日に熊本地裁(荒木勝己裁判長)で死刑判決を受け、1987年6月22日に福岡高裁(浅野芳朗裁判長)で控訴棄却判決を受けた[126]
1992年9月24日に最高裁(大堀誠一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[126]。1999年9月10日に福岡拘置所で死刑執行(69歳没)[126]
赤穂同僚妻子殺害事件 (N) 1992年9月29日 1983年1月19日[126] 1950年(昭和25年)6月17日生まれ[126]。1984年7月10日に神戸地裁姫路支部(藤原寛裁判長)で死刑判決を、1987年1月23日に大阪高裁(家村繁治裁判長)で控訴棄却判決を受けた[126]
1992年9月29日に最高裁(貞家克己裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[126]。2007年4月27日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)[126]

1993年死刑確定囚(7人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
連合赤軍事件坂口弘 1993年3月9日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[201]
1971年 - 1972年2月 1946年(昭和21年)11月12日生まれ[126]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在74歳)[202]
共犯の一部が超法規的措置で出国[126]
1982年6月18日に東京地裁(中野武男裁判長)で死刑判決を、1986年9月26日に東京高裁(山本茂裁判長)で控訴棄却判決を受けた[126]。1993年2月19日に最高裁第三小法廷(坂上壽夫裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け[203]、同判決への訂正申し立ても1993年3月9日付で棄却されたため[201]、坂口・永田の死刑と植垣康博(元兵士)の懲役20年判決が確定[204]
著書『坂口弘歌稿』『あさま山荘1972』や歌集『常しへの道』『暗黒世紀』など[126]
連合赤軍事件(永田洋子 1993年3月9日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[201]
1971年 - 1972年2月 1945年(昭和20年)2月8日生まれ[126]。坂口の共犯(裁判経緯は坂口と同一)[126]
脳腫瘍の手術後に脳萎縮・誤嚥性肺炎などを患い[205]、2011年2月5日に多臓器不全のため東京拘置所内で死去(65歳没)[205][206]。死去時点で再審請求中だった[126]。著書『十六の墓標』『私生きてます』など多数[126]
山中湖連続殺人事件(澤地和夫) 1993年7月7日 1984年10月11日
1984年10月25日
1939年(昭和14年)4月15日生まれ[126]。元警視庁警部[207]
警視庁退職後の1984年10月に知人を通じて知り合った共犯Iと共謀し、宝石取引を装って東京都の宝石商を山中湖畔(山梨県)の別荘で絞殺して現金約720万円などを奪い、遺体を床下に埋めて遺棄した[207]。さらに同月には融資話を装って埼玉県の金融業者を別荘に誘い、乗用車内で絞殺して現金約2,000万円などを奪い、遺体を埋めた[207]
刑事裁判では強盗殺人・死体遺棄罪などに問われ[208]、1987年10月30日に東京地裁(中山善房裁判長)で死刑判決を受けた[126]。控訴審・東京高裁(内藤丈夫裁判長)でも1989年3月31日に控訴棄却判決を受けた[126]。1993年7月に上告を取り下げ死刑確定[126](共犯Iは1995年に最高裁で上告棄却判決・死刑確定)[209]
2007年10月から胃癌の治療を受けていたが[208]完治せず延命治療を拒否し、2008年12月16日に東京拘置所内で多臓器不全のため獄死(69歳没・再審請求中)[207]。公判中の1989年1月に手記『監獄日記 東京拘置所の四季』(彩流社)を出版。以後、死刑確定後には『東京拘置所死刑囚物語 獄中20年と死刑囚の仲間たち』(2006年3月・彩流社)・『なぜ死刑なのですか 元警察官死刑囚の言い分』(2006年10月・柘植書房新社)を刊行したほか、死後にも『殺意の時 元警察官・死刑囚の告白』(2010年4月・彩流社)が刊行された[126]
今市4人殺傷事件(藤波芳夫[210] 1993年9月9日 1981年3月29日 1931年(昭和6年)5月15日生まれ[126]。本籍地は埼玉県鴻巣市逆川一丁目75番地1[211]
栃木県今市市大室(現:日光市大室)で離婚した妻の実家に押し入り、親類の男女2人を刺殺した[212]
1982年2月19日に宇都宮地裁(竹田央裁判長)で死刑判決を受け、1987年11月11日に東京高裁(岡田満了裁判長)で控訴棄却判決を受けた[126]
1993年9月9日に最高裁第一小法廷(味村治裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[211]。死刑確定後に「事件当時は覚醒剤の影響下にあり、飲酒によりフラッシュバック状態になって事件を起こした」として、責任能力の問題を主張し、再審請求していた[213]
2006年12月25日に東京拘置所で死刑執行(75歳没)[126]。2008年10月11日に開催された「響かせあおう死刑廃止の声2008 死刑囚からあなたへ」では「死刑執行時は車椅子に乗った状態から刑務官に両脇を抱えられて刑場に立たされた」とする死刑執行の場面が再現されているほか[214]、『年報・死刑廃止2007』には遺書全文が掲載されている[215]
名古屋保険金殺人事件 (H) 1993年9月21日 1979年11月19日 - 1983年12月25日 1950年(昭和25年)11月3日生まれ[216][217][218]。旧姓T[126]
経営していた板金塗装会社の経営不振から、1979年11月に知人の共犯Iと共謀して知り合いの織布工A(当時20歳)[219]に生命保険(2,000万円)を掛け[220]衣浦港愛知県知多郡武豊町)に突き落として殺害した[219]。さらに1983年1月にも雇っていた従業員B(同30歳)に生命保険(2,000万円)[220]を掛けた上で京都府相楽郡加茂町内にて交通事故を装って殺害したほか、同年12月には愛知県半田市内で金融業者C(当時39歳)を[219]借金逃れのために殺害した[220]
1985年12月5日に名古屋地裁刑事第2部[124](鈴木雄八郎裁判長)で[126]共犯Iとともに死刑判決を受け[105]、1987年3月31日に名古屋高裁刑事第1部[125](山本卓裁判長)で控訴棄却判決を受けた[220]。共犯Iは控訴審判決後に上告せず、死刑確定[105]
自身も1993年9月21日に最高裁第三小法廷(園部逸夫裁判長)で上告棄却判決(5裁判官全員一致)を受け[221]死刑が確定したが、裁判官大野正男が「死刑制度は憲法違反とは断言できないが、合憲判断を下した1948年の大法廷判決以降、死刑が「残虐な刑罰」(日本国憲法36条違反)に当たると評価される余地は著しく増大した[注 18]。死刑廃止に向かいつつある国際的動向と、死刑制度の存続を支持する我が国民との意識とが大きな隔たりを持ち続けることは好ましくない。一定期間、死刑執行を法律で実験的に停止し、犯罪増加の有無との相関関係を調べるなどの立法的施策が考えられる」と補足意見を述べた[219]
死刑確定後には1997年11月[222]・2000年5月下旬と[223]2度にわたり恩赦出願をしたが、2度とも名古屋拘置所から「恩赦不相応」の告知がなされた[222]。死刑が確定した1993年および死刑確定後の2000年には被害者Bの遺族(母親・兄ら)が「Hを許すことはできないが、生きてこそ償いだ。死刑執行は望まない」とする嘆願書を収監先・名古屋拘置所宛に提出し、後者は死刑囚Hの弁護人が2000年5月下旬に提出した恩赦願いに添えていた[223]
Bの兄は2001年4月にも高村正彦法務大臣に対し死刑執行の中止などを訴えたが[224]森山眞弓法務大臣の死刑執行命令により2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)[225]
北九州母娘殺傷事件 (M) 1993年11月16日[226] 1990年3月12日 1950年(昭和25年)3月18日生まれ[126]。無期懲役刑の受刑者が仮釈放中に再犯した事件[126]
1993年10月27日に福岡地裁小倉支部(森田富人裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が控訴したが、1993年11月16日に自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定した[126]。その後公判再開を申し立てたが棄却され、2009年1月29日に福岡拘置所で死刑執行(58歳没)[126]
本事件の死刑確定以降、被害者1人の殺人事件に対する死刑確定は1998年4月(熊本大学生誘拐殺人事件)までなかった[117]
平取事件 (O)[227] 1993年12月10日 1979年7月18日[209] 1944年(昭和19年)1月19日生まれ[217]
日高振興局管内・沙流郡平取町で剥製業者一家4人を射殺した[227]。1984年3月23日に札幌地裁(安藤正博裁判長)で死刑判決を受け、1987年5月19日に札幌高裁(水谷富茂人裁判長)で控訴棄却判決[209]
1993年12月10日に最高裁(小野正男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが[209]、1999年11月8日に収監先・札幌拘置支所(札幌刑務所に隣接)[注 11]で入浴中、貸し出された剃刀で右頸部右頸部(頸動脈)を切り自殺(55歳没)[注 19][227]

1994年死刑確定囚(3人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
勝田清孝事件(勝田清孝) 1994年2月5日
(正式な死刑確定日)[228]
1972年9月 - 1983年1月 1948年(昭和23年)8月29日生まれ[217][209]。事件の一部(1982年10月 - 1983年1月 / 警察官を襲撃して拳銃を強奪し、その拳銃で起こした連続強盗殺傷事件)は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定された[229]
強盗殺人罪など合計33の罪状・計27の犯罪事実で名古屋地方裁判所起訴されたが、併合罪刑法第45条)の規定により[注 12]、「113号事件」を起こす以前に受けた有罪判決X[注 20]を境に「X判決前の強盗殺人7件ほか17罪」(前半事件)+「X判決後の殺人1件ほか『113号事件』16罪」と分離されて判決が言い渡された[231]
1986年3月24日に名古屋地裁刑事第4部(橋本享典裁判長)で、前半事件・113号事件ともに死刑判決を受け[231]、名古屋高裁に控訴したが[232]、1988年2月19日に名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)で控訴棄却判決を受けた[233]
1994年1月17日に最高裁第一小法廷(小野幹雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定したが[234]、同日に支援者である来栖宥子の実母(藤原姓)と養子縁組して「藤原清孝」に改名していた[228][235]
1994年1月26日付で最高裁判決を不服として最高裁第一小法廷(小野幹雄裁判長)に判決を訂正するよう申し立てたが、1994年2月3日付で同小法廷から申立て棄却決定が出され、同決定書が1994年2月5日に勝田宛に届いたことで正式に死刑判決が確定した[228]
2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(52歳没)[209]
岐阜前妻一家殺害事件 (M) 1994年3月18日 1989年2月14日[209] 1943年(昭和18年)7月26日生まれ[209]。殺害した被害者3人のうち2人については傷害致死罪を主張したが、1989年12月14日に岐阜地裁(橋本達彦裁判長)で死刑判決[209]
1990年7月16日に名古屋高裁(吉田誠吾裁判長)で控訴棄却判決を受け上告したが、1994年3月18日に上告を取り下げ死刑確定[209]。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(57歳没)[209]
北海道庁爆破事件大森勝久 1994年9月5日
(上告審判決への訂正申立に対する棄却決定日)[236]
1976年3月2日[209] 1947年(昭和22年)9月7日生まれ[209]。2020年9月27日時点で[7]札幌刑務所札幌拘置支所[注 11]に収監中(現在73歳)[237]
極左暴力集団「東アジア反日武装戦線」によるテロ事件。一貫して無実を主張したが、1983年3月29日に札幌地裁(生島三則裁判長)で死刑判決を受け、1988年1月21日に札幌高裁(水谷富茂人裁判長)で控訴棄却判決[209]
1994年7月15日に最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[238]、同判決に対し「本件は冤罪」として訂正を申し立てたが[239]、1994年9月5日付で棄却されたため[236]死刑が確定[239]
1985年、支援者と獄中結婚。獄中で極左から保守主義に転向し、外部協力者によって論文を雑誌に掲載しているほか、政治評論のホームページを運用している。

1995年 - 1999年編集

1995年死刑確定囚(3人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
佐賀隣人一家殺人事件 (O) 1995年4月21日 1983年5月16日 1945年(昭和20年)1月10日生まれ[209]
刑事裁判では「事件当時は精神障害だった」として責任能力を争ったが、1987年3月12日に佐賀地裁(早船嘉一裁判長)で死刑判決[209]。1989年10月24日には福岡高裁(丸山明裁判長)で控訴棄却判決を受け[209]、1995年4月21日に最高裁第二小法廷[240]中島敏次郎裁判長)で上告棄却判決を受けたため、死刑が確定[209]。2000年11月30日に福岡拘置所で死刑執行(55歳没)[209]
山梨・新潟連続殺人事件 (F) 1995年6月27日[241] 1986年3月6日
1986年3月11日[209]
1958年(昭和33年)4月22日生まれ[209]
1987年7月6日に甲府地裁(古口満裁判長)で死刑判決を受け、1988年12月15日に東京高裁(石丸俊彦裁判長)で控訴棄却判決を受けた[209]
1995年6月8日に最高裁第二小法廷[240](高橋久光裁判長)で上告棄却判決を受け[209]、同年6月27日付で死刑確定[241]
2013年12月12日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)[209]
山中湖連続殺人事件 (I) 1995年7月25日[242] 1984年10月 1949年(昭和24年)7月2日生まれ[209]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在72歳)[237]
1987年10月30日に東京地裁(中山善房裁判長)で死刑判決、1989年3月31日に東京高裁(内藤丈夫裁判長)で控訴棄却判決を受けた[209]。共犯・澤地和夫は1993年7月に上告を取り下げ死刑が確定(2008年12月に病死)[126]
自身も1995年7月3日に最高裁第一小法廷[240](大西勝也裁判長)で上告棄却判決を受け[209]、7月25日付で死刑が確定[242]

1996年死刑確定囚(4人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
徳島隣人3人射殺事件 (I) 1996年3月4日 1986年6月3日[209] 1932年(昭和7年)12月12日生まれ[209]。第一審・徳島地裁(山田真也裁判長)では1988年3月22日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・高松高裁(村田晃裁判長)では1989年11月28日に一審破棄・死刑判決[209]
1996年3月4日に最高裁第二小法廷[240]河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[209]。2007年12月7日に大阪拘置所で死刑執行(74歳没)[209]
不動産会社連続殺人事件(山野静二郎[243] 1996年10月25日 1982年3月21日 - 25日 1938年(昭和13年)7月31日生まれ[237]。2020年9月27日時点で[7]大阪拘置所に収監中(現在83歳)[237]
自身が経営していた不動産会社の資金繰りに困り、知人の不動産会社社長を架空取引で誘き出し殺害、社長が持参していた小切手を換金した。ついで役員を誘い出して殺害し手付金として持参してきた2100万円を奪った[244]
刑事裁判では重大な事実誤認を主張したが、1985年7月22日に大阪地裁(池田良兼裁判長)で死刑判決を受け、1989年10月11日には大阪高裁(西村清治裁判長)で控訴棄却判決を受けた[209]
1996年10月25日に最高裁第二小法廷[240](福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[209]
著書に『死刑囚の祈り』『死刑囚の叫び』、支援会誌に「オリーブ通信」がある[209]
練馬一家5人殺害事件 (A) 1996年11月14日 1983年6月27日 1935年(昭和10年)3月9日生まれ[245][246]秋田県秋田市出身)[246]・元不動産鑑定士[245][247]。1961年9月10日に死亡した父親の遺産を巡り、弟が姉の夫に対し暴力をふるったことから弟を出刃包丁で刺し、左目を失明させる事件を起こしたことで殺人未遂罪・傷害罪に問われ、1962年8月7日に秋田地裁で懲役3年の実刑判決を受けた前科がある[248]
「競売で落札した物件に立退き料吊り上げのために居座っていた賃借人が邪魔になった」という動機から、一家5人を玄能やまさかりで殺害し、遺体をバラバラにした[249]
1985年12月20日に東京地裁(柴田孝夫裁判長)で死刑判決を、1990年1月23日に東京高裁(高木典雄裁判長)で控訴棄却の判決を受けた[209]
1996年11月14日に最高裁第一小法廷(高橋久子裁判長)で上告棄却の判決を受け[249]、死刑が確定[209]。2001年12月27日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)[209]
姫路母子3人殺害事件 (M) 1996年12月17日 1985年11月29日
1985年12月3日[209]
1961年(昭和36年)8月17日生まれ[250]
1988年2月26日に神戸地裁(加藤光康裁判長)で死刑判決を受け、1990年10月3日に大阪高裁(池田吉兼裁判長)で控訴棄却判決を受けた[250]
1996年12月17日に最高裁第三小法廷[251]尾崎行信裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[250]。2003年9月12日に大阪拘置所で死刑執行(42歳没)[250]アムネスティ・インターナショナル日本支部が2006年に出した報告書によれば、死刑囚Mは精神状態に問題があり、死刑執行当時は再審請求準備中だった[252]

1997年死刑確定囚(3人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大阪宝石商夫婦強盗殺人事件 (N) 1997年1月28日 1982年5月20日[250] 1943年(昭和18年)12月24日生まれ[250]。1985年5月16日に大阪地裁堺支部(重富純和裁判長)で死刑判決、1991年10月27日に大阪高裁(池田吉兼裁判長)で控訴棄却判決[250]
1997年1月28日に最高裁第三小法廷[251]可部恒雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[250]。死刑確定から約11年1か月後の[253]2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)[250]
徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件 (M) 1997年4月28日 1988年4月18日
1988年6月1日[250]
1944年(昭和19年)3月19日生まれ[250]。1990年5月22日に徳島地裁(虎井寧夫裁判長)で死刑判決、1992年1月23日に高松高裁(村田晃裁判長)で控訴棄却判決[250]
1997年1月28日に最高裁第二小法廷[251]根岸重治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[250]
死刑確定から約10年8か月後の[254]2008年2月1日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。
福岡内妻一家4人殺害事件(大城英明[255] 1997年9月11日 1976年6月13日 1942年(昭和17年)3月10日生まれ(旧姓:秋好)[250]。2020年9月27日時点で[7]福岡拘置所に収監中(現在79歳)[256]
被害者4人のうち、3人殺害については「内妻の犯行」と主張[250]。1985年5月31日に福岡地裁飯塚支部(松信尚章裁判長)で死刑判決、1991年12月9日に福岡高裁(雑賀飛龍裁判長)で控訴棄却判決[250]
1997年9月11日に最高裁第一小法廷[251]藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[250]。関連書籍に『秋好事件』『秋好英明事件』(いずれも著者:島田荘司)がある[250]

1998年死刑確定囚(7人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
警察庁広域重要指定115号事件(神宮雅晴[257] 1998年1月16日[258] 1984年9月4日 1943年(昭和18年)1月5日生まれ[259][250]。2020年9月27日時点で[7]大阪拘置所に収監中[注 21](現在78歳)[256]
旧姓:廣田[注 22][261]。1997年11月の上告審弁論後に改姓届を出し、姓を結婚前の「神宮」(しんぐう)に戻した[257]
京都府警察巡査部長だが、西陣警察署十二坊派出所[注 23]に勤務していた1978年3月、署内から盗んだ拳銃で強盗傷人事件を起こし、同月24日付で懲戒免職[260]。1981年2月に大阪高裁で懲役7年に処され、同年4月から加古川刑務所に服役していたが、1984年8月30日に仮出所した[260]。1984年9月4日、かつて勤務していた十二坊派出所(京都府京都市北区)の巡査(当時30歳)を近くの船岡山公園に呼び出して包丁で刺殺し、拳銃を強奪[263]。さらに約3時間後、大阪府大阪市都島区の金融業者支店へ侵入し、奪った拳銃で店員(当時23歳)を射殺し、現金約60万円を奪った[263]
1988年10月25日に[259]大阪地裁第1刑事部(青木暢茂裁判長)[264]で死刑判決を受け[259]、1993年4月30日に大阪高裁第6刑事部[265](村上保之助裁判長)で控訴棄却判決を受けた[266]
1997年12月19日に最高裁第三小法廷(園部逸夫裁判長)で上告棄却判決を受け[257][267]、1998年1月16日に死刑が確定[258]
2事件とも無実を主張し[268]、1998年12月3日から7回の再審請求を行ったが、いずれも棄却され、2011年1月21日に8回目の再審請求を起こしている[258]
控訴中、雑誌『噂の眞相』(1992年1月号)に実名(当時は「廣田雅晴」)で手記「毎日を先陣としたマスコミ報道陣は「赤報隊」に射殺されよ!」を寄稿している[261]。また2013年には[258]、再審請求費用を工面するため、「極悪死刑囚の笑福転倒」と題する原稿を徳間書店から出版して印税を得ようと、原稿を同封した知人宛の信書を郵送しようとしたが[272]、不許可にされたことから、同年4月27日付で国に対し、処分取り消しを求める訴訟を提起[258]。大阪地裁第7民事部(田中健治裁判長)[注 24]は2014年5月22日に原告(神宮)の請求を認める判決を言い渡した[258][273][271]が、大阪高裁(森義之裁判長)[272]は同年11月14日に原判決を取り消し、請求を棄却する判決を言い渡した[注 27][277][278]。最高裁第三小法廷(山崎敏充裁判長)は2016年5月31日付の決定で神宮の上告を棄却した[279]ため、神宮の敗訴が確定[280]
熊本大学生誘拐殺人事件(春田竜也[281] 1998年4月23日 1987年9月14日 1966年(昭和41年)4月18日生まれ(旧姓:田本)[250]
1988年3月30日に熊本地裁(荒木勝己裁判長)で死刑判決、1991年3月26日に福岡高裁(前田一昭裁判長)で控訴棄却判決[250]。上告中に脱獄未遂を起こし、当時の福岡拘置所所長が自殺。
1998年4月23日に最高裁第一小法廷[251]遠藤光男裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[250]。2002年9月18日に福岡拘置所で死刑執行(36歳没)[250]
岐阜県坂祝町一家3人殺害事件 (H) 1998年6月3日[250] 1994年6月3日 殺人前科あり。1998年5月15日に岐阜地裁(沢田経夫裁判長)で死刑判決を受け控訴したが、6月3日に自ら控訴を取り下げて死刑確定[250]。2002年9月18日に名古屋拘置所で死刑執行(43歳没)[250]
富山・長野連続女性誘拐殺人事件 (M) 1998年10月9日
(正式確定日)[注 28][282][283]
1980年2月23日 - 3月7日[284] 1946年(昭和21年)2月14日生まれ[285]本籍[注 29]および住居は富山県富山市上千俵872番地[注 30][288]
2020年9月27日時点で[7]名古屋拘置所に収監中[250]。戦後7番目の女性死刑囚[289]
「警察庁広域重要指定111号事件」[290]。1980年2月23日[284]、富山市で帰宅途中の女子高生(当時18歳)を誘拐し[291]、2日後(2月25日)[284]に睡眠薬を飲ませた上で、腰紐を用いて絞殺した[291](富山事件)[284]
富山事件で身代金獲得に失敗したため[284]、8日後[291](3月5日)[284]には長野県長野市で帰宅途中の女性会社員(当時20歳)を同様に誘拐[291]し、翌6日に殺害(長野事件)[284]。遺体を山中に遺棄し、2人の家族にそれぞれ電話で身代金を要求した[注 31][291]
当初は被害者2人の殺害・死体遺棄を実行したのは[292]、Mと愛人関係にあった男性[293]共謀共同正犯として起訴)とされていたが、検察は第一審の第125回公判(1985年3月5日)で「殺害・死体遺棄ともMが被害者に睡眠薬を飲ませた上で実行した」と主従関係を逆転させた[292]
1988年2月9日に富山地裁(大山貞雄裁判長)は「一連の事件はMの単独犯行」と認定し、被告人Mに求刑通り死刑判決を言い渡した一方、共謀共同正犯とされていた男性(求刑:無期懲役)については「(起訴の根拠とされた)Mの自白には信用性がなく、共謀は認められない」として無罪を言い渡した[284]
死刑を不服としたMと、(男性について有罪を訴えた)富山地検が名古屋高裁金沢支部へ控訴した[294]が、1992年3月31日に名古屋高裁金沢支部(濱田武律裁判長)は「両事件ともMの単独犯行。男性の関与は証拠上認められず、むしろ共謀を否定する消極的事情さえも指摘できる」として、双方の控訴を棄却(Mに死刑、男性に無罪を言い渡した原判決を支持)する判決を言い渡した[295]名古屋高検が同判決への上告を断念したため、男性は1992年4月15日0時に無罪が確定[296]
Mは1998年9月4日に最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け[291]、同年10月7日付の第二小法廷決定[判決訂正申立棄却決定 事件番号:平成10年(み)第54号]により[297]、同月9日[注 28]に死刑が確定[282][283]
上告審判決前の1998年7月、東京拘置所に収監されていた死刑囚と養子縁組して「F」姓に改姓した[注 32][303]。さらに2000年1月時点では「S」姓を名乗っていた[304]が、2007年8月31日時点[305]では元の「M」姓に戻っている[306]
2021年1月までに5度にわたり再審請求を起こしたが、いずれも棄却されている[307]
中村橋派出所警官殺害事件 (S) 1998年9月17日 1989年5月16日 1969年(昭和44年)1月1日生まれ[250]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在52歳)[256]。元陸上自衛官。
銀行強盗のために拳銃を奪おうとして、練馬警察署の「中村橋派出所」を襲撃し、警察官2名をサバイバルナイフで刺殺した。派出所勤務中の警察官2人が同時に殺害され殉職した事件は、1955年(昭和30年)以降では初だった[308]
1991年5月27日に東京地裁(中山善房裁判長)で死刑判決、1994年2月24日に東京高裁(小林充裁判長)で控訴棄却判決を受けた[250]
1998年9月17日に最高裁第一小法廷(井嶋一友裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[309]。死刑確定後の2003年8月、犯行時の責任能力を問題として再審請求[268]
宮代事件(村松誠一郎[310] 1998年10月8日 1980年3月21日 1956年(昭和31年)5月17日生まれ[250]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在65歳)[256]
犠牲者2人。兄弟が起訴され兄(村松)の死刑、弟の無期懲役が確定したが、冤罪説もある。
村松は宮代事件について無実を主張したが、1985年9月26日に浦和地裁(林修裁判長)で死刑判決[250]。1992年6月29日に東京高裁(新谷一信裁判長)で控訴棄却[注 33]、1998年10月8日に最高裁第一小法廷[312](小野幹雄裁判長)で上告棄却判決を受け[250]、同年10月28日付の同小法廷決定[判決訂正申立棄却決定 事件番号:平成10年(み)第76号]により死刑が確定[313]
死刑確定後の2001年2月27日に日本弁護士連合会(日弁連)に対し「東京拘置所が自分に対し違法に新技術を用いたポリグラフ実験を行ったり、ミクロ通信器による人工テレパシー・遠隔痛覚実験などを行っている」などと人権救済を申し立て、これを受けた日弁連は「村松は統合失調症あるいは拘禁ノイローゼなど重篤な精神疾患を患っている」として、法務省に対し死刑執行停止を勧告した[314]
妙義山麓連続殺人事件 (M) 1998年12月1日 1990年12月4日
1991年7月6日
1965年(昭和40年)2月20日生まれ[250]。2020年9月27日時点で[7]東京拘置所に収監中(現在56歳)[256]
2人への殺人罪+1人への傷害致死罪および死体遺棄罪に問われ[250]、1993年8月24日に前橋地裁高崎支部(佐野精孝裁判長)で死刑判決[250]
1994年9月29日に東京高裁(小林充裁判長)で控訴棄却[250]、1998年12月1日に最高裁第三小法廷[312]元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け[250]、同年18日付で同小法廷から判決訂正申立棄却の決定を受け、死刑が確定[315]。1件の殺人については無実を主張し、他の殺人・傷害致死についても「犯行はシンナーの影響によるもの」と主張して再審請求中[268](2004年6月末時点)[316]
アムネスティ・インターナショナル日本支部は2013年の報告書で死刑囚Mについて「『マイクロ波放射線に曝されている』『血液が紫色である』などの妄想があり、弁護団が再審請求しているが、自身の弁護活動に関与できていない」と述べている[317]

1999年死刑確定囚(4人)編集

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
埼玉県友人ら3人殺害事件[318] (T) 1999年2月25日 1972年2月
1973年7月
1974年2月[319]
1932年(昭和7年)8月17日生まれ[320]埼玉県熊谷市[注 34]で以下の事件を起こした[321]
  1. 1972年2月、2.の事件の被害者である男と共謀し、借金返済を迫った農業の男性[322](当時45歳・知人)[319]をハンマーで撲殺[322]
  2. 1973年7月、1. 事件の発覚を恐れて共犯者(当時53歳)[注 35][319]をジャッキで撲殺[322]
  3. 1974年2月、不動産取引を通じて知り合った男性(当時32歳)を[319]石で撲殺[322]して預金通帳(残高約313万円)を奪い[319]、預金(約300万円)を引き出した[322]

被害者3人のうち1人は遺体が発見されていない[268]。1986年3月28日に東京地裁(杉山忠雄裁判長)で死刑判決、1994年9月14日に東京高裁(小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決[320]
1999年2月25日の最高裁判決(小野幹雄裁判長)で上告を棄却され死刑が確定したが[320]「真犯人は事件後に自殺した親方だ」と主張し、2003年12月に再審請求していた[268]が、2019年に棄却されていた[321]
2018年6月に肺炎と診断され、収監先・東京拘置所内の病棟で投薬などの治療を受けていたが、2020年10月17日に病死(88歳没)[319]

熊本・菊池市保険金殺人事件 (S) 1999年3月9日 1988年3月 1945年(昭和20年)3月22日生まれ[312]
暴力団組長[312]。配下の組員らと共謀し、保険金目的で1人を殺害したほか、それに気づいた2人を絞殺し、死体を遺棄した[312]。このほか保険金殺人未遂2件、強盗致傷2件、強盗1件などの余罪あり[312]
第一審・熊本地裁では1992年11月30日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・福岡高裁(池田憲義裁判長)で1995年3月16日に一審破棄・死刑判決[320]
1999年3月9日に最高裁第三小法廷[312]千種秀夫裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[320]
2004年9月14日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[320]
高知3連続殺人事件 (F) 1999年6月25日 1978年12月
1980年4月
1981年1月[320]
1942年(昭和16年)7月13日生まれ[312][320]
1988年3月9日に高知地裁(田村秀作裁判長)で死刑判決を受け、1994年3月8日に高松高裁(米田俊昭裁判長)で控訴棄却判決[320]
1999年6月25日に最高裁第二小法廷[312]福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[320]
2006年12月25日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)[320]
群馬県安中市親子3人殺害事件(松井喜代司[323] 1999年9月13日 1994年2月13日 1948年(昭和23年)1月23日生まれ[324][320]
1975年2月14日[325]群馬県高崎市内で自身との交際を断った[326]女子専門学校生(当時20歳)を包丁で刺殺する殺人事件を起こし[325]、懲役10年の判決を受け、刑務所に服役した前科があった[326]
前述事件の刑期を終えて出所後、群馬県安中市で交際相手の女性(当時42歳)の両親(夫69歳・妻65歳)から結婚に反対され、女性からも結婚を断られたことに逆上し、3人をハンマーで撲殺した[326]。さらに女性の妹夫婦宅にも侵入し、妹とその長女を殺そうと首を絞めるなどした[327]
1994年11月9日に前橋地裁高崎支部(佐野精孝裁判長)で死刑判決を受け[327]、1995年10月6日に東京高裁(小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決を受けた[328]
1999年9月13日に最高裁第一小法廷(大出峻郎裁判長)で上告棄却判決を受け、死刑が確定[329]。上告中には、『週刊金曜日』1999年1月22日号に実名で「死刑制度は犯罪防止にならない」という投書を寄稿している[注 36][323]
一時期は「N」姓を名乗っていた[注 37]。第4次再審請求中の2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)[338]

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 平沢貞通は1955年5月7日付で死刑が確定したが、死刑を執行されぬまま、1987年5月10日(死刑確定から32年後)に肺炎のため、拘置先の八王子医療刑務所で死亡した(95歳没)[13]
  2. ^ 現:岩手県一関市
  3. ^ 大分県別府市生まれだが、6歳のころ(1951年夏ごろ)に父親からの虐待に耐えかねて母とともに家を出、親戚や担任教師の家(佐賀市熊本県天草郡など)に預けられ、佐賀市内の小中学校を卒業した[47]
  4. ^ 脅迫1回、横領・傷害等(2回)、強盗・同未遂等(1回)の前科あり[42]
  5. ^ 1928年(昭和3年)12月3日生まれ[47]
  6. ^ 1941年(昭和16年)5月9日生まれ[47]
  7. ^ 2件目の殺人の直後(6月18日未明まで)、小倉北区中津口一丁目のホテルに潜伏していたところ、ホテル従業員が警察に通報したため、小倉北警察署福岡県警)などの警察官たちに取り囲まれ、説得された[50]。このため逮捕を免れ、あるいは遅延させる目的で警察官を射殺しようとし、小倉北署の警察官2人に相次いで拳銃を発砲したが、防爆盾に阻まれたり、標的を外したりしていずれも未遂に終わった[51]
  8. ^ 上告審判決日[52]。判決確定は1978年1月5日。
  9. ^ 一時は家出少年を自宅に同居させるなどしていたが、同性愛行為の現場を妻に発見されて性癖が露見したり、妻が1962年ごろに胎児を逆子のため死産したことなどから、妻はやがてKとの性交渉を忌避するようになり、1. 事件後の1967年ごろからは関係が途絶していた[60]
  10. ^ 上告審判決は1978年11月28日[79]
  11. ^ a b c d e f g h i j 札幌高裁仙台高裁の管内(前者は北海道全域・後者は東北6県)で死刑が確定した死刑囚はそれぞれ札幌拘置支所仙台拘置支所に収監されるが、死刑執行設備(刑場)はそれぞれ拘置支所に隣接する札幌刑務所宮城刑務所に位置するため、死刑執行はそれぞれ刑務所で行われる[99]
  12. ^ a b 刑法第45条確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする。
  13. ^ 1959年1月27日に千葉県で女性を殺害した前科があった。
  14. ^ 1件目の被害者は56歳、2件目は79歳[150]
  15. ^ 弁護団結成のきっかけは北海道庁爆破事件で死刑判決を受けた大森勝久(1994年に死刑確定)から「冤罪の可能性がある人がいる」と情報を寄せられたことである[187]
  16. ^ 最高裁における係属期間は11年5か月(当時戦後最長)で[187]、担当裁判官が定年退官で相次いで交代するなどしたため上告審が長期化し、通常は1度限りの口頭弁論が2回[185](1985年7月4日・1990年6月21日)[186]開かれた[185]
  17. ^ 1964年7月、窃盗未遂事件の被告人に対し第一審への差し戻し判決を言い渡した際、主文で「上告審の訴訟費用を被告人に負担される」と誤記した例[194]
  18. ^ 死刑冤罪4事件(免田財田川松山島田の各事件)の存在や死刑廃止国の増加など[219]
  19. ^ 法務省によれば当時、自殺した死刑囚は1936年以降で4人目だった[227]
  20. ^ 1981年1月に窃盗罪で大阪簡裁から懲役10月・執行猶予3年の判決を受けていた[230]
  21. ^ 1984年9月30日に都島警察署大阪府警)から大阪拘置所に入所[258]
  22. ^ 結婚後に「廣田」姓に改姓した[260]
  23. ^ 現:北警察署 十二坊交番(所在地:京都市北区紫野十二坊町33-4)[262]
  24. ^ a b 田中健治(裁判長)・三宅知三郎・松本論の裁判官3人は、2014年4月1日時点・2015年2月16日時点で、いずれも大阪地方裁判所第7民事部(合議1~4係)を担当していた[269][270]
  25. ^ 森義之は2014年6月4日に大阪高裁の部総括判事として赴任し、2017年(平成29年)まで務めた[274]。裁判所ウェブサイト (2015) によれば、森は2015年11月1日時点で大阪高裁の第14民事部を担当していた[275]
  26. ^ 裁判所ウェブサイト (2014) によれば、龍見昇・金地香枝は2014年5月22日時点で、ともに大阪高裁の第14民事部を担当していた[276]
  27. ^ 大阪高裁 (2014) は、「刑事施設の長の裁量により、信書の発信を認められるためには、社会通念上必要というべき事情がなければならないが、原告(神宮)の主張する理由(再審請求のために必要な費用を工面するために原稿を出版して印税を得ようとした)はそれに該当しない。また、出版社(徳間書店)との間で折衝が行われた形跡はなく、原稿の内容も元内閣総理大臣を誹謗中傷する趣旨のものが中心で、犯罪被害者を批判する記載、他民族を侮辱・蔑視する記載、わいせつな表現などが多数含まれるものであり、徳間書店によって出版される可能性が高かったとはいえない」と判断した[272]
  28. ^ a b 判決訂正申立棄却決定がMの下に送達された時点をもって、Mの死刑が確定した[298]
  29. ^ 上告棄却時点(当時、Mは「F」姓に改姓済み)での本籍地は埼玉県鴻巣市逆川一丁目75番地1[285]
  30. ^ Mの実家(富山市上千俵)は借地に建っていたが、事件翌年(1981年)に解体され[286]、母親(Mの逮捕当時69歳)[287]石川県老人ホームに入居[286]。また、長男(同当時10歳)[287]も父親(事件前に離婚したMの前夫)に引き取られた[286]
  31. ^ 長野事件の被害者宅への身代金要求は3月6日夜 - 7日にかけ行われた[284]
  32. ^ 『年報・死刑廃止』シリーズによれば、1999年9月28日時点[299] - 2006年9月15日時点[300]までは「F」姓を名乗っていた[301][302]
  33. ^ 同日以降、村松は自身の弁護人(後に解任 / 弟の弁護人になった)だった安田好弘を敵とみなしている[311]
  34. ^ 『朝日新聞』 (2019) では「熊谷市など」と報道されている[319]
  35. ^ ギャンブル仲間だった不動産業者。
  36. ^ 松井はその投書で、「事件を起こした時、結婚詐欺の被害にあってその加害者一家を殺した」と述べた上で、「自分を含め、殺人を犯すような人間は犯行時に『もし捕まったら』とは考えていない。刑の軽重は犯罪の発生には関係なく、厳罰化は犯罪の防止にならない」「死刑制度は『悪いことをした人は殺しても良い』というもので、一番人命を軽視させている」と主張している[323]
  37. ^ 『年報・死刑廃止』によれば、2004年7月末時点[330]では「松井」姓だったが[331]。2005年7月31日時点[332]・2006年9月15日時点[300]および2007年8月31日時点[305]では「N」姓を名乗っていた[333][334][335]。その後、2008年9月30日時点[336]では元の「松井」姓に戻っている[337]

出典編集

  1. ^ 朝日新聞1970年2月19日夕刊
  2. ^ 「団地交番で警官殺される 勤め帰り20人の目前 胸を一突き、短銃奪う 八王子で 犯人、一時間後に逮捕 読売新聞1967年10月6日朝刊
  3. ^ 朝日新聞1970年6月11日夕刊
  4. ^ 朝日新聞1970年8月20日夕刊
  5. ^ a b マルヨ無線事件の死刑囚による国家賠償請求訴訟の判決文 - 福岡高等裁判所第4民事部判決 2016年(平成28年)11月11日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例ID:28244573、平成28年(ネ)第335号、『国家賠償請求控訴事件』。
    • 裁判官 大工強(裁判長)・小田幸生・篠原淳一
    • 原告:死刑囚Oおよび上田國廣(再審請求の弁護人)
      • 訴訟代理人弁護士:大野鉄平・赤羽悠一・若林亮
    • 被告:国(代表者:法務大臣)
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 年報・死刑廃止 2019, p. 248.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 年報・死刑廃止 2020, p. 271.
  8. ^ a b 年報・死刑廃止 2020, p. 245.
  9. ^ 刑事裁判資料213 1977, pp. 216-217.
  10. ^ 刑事裁判資料213 1977, p. 225.
  11. ^ a b 刑事裁判資料213 1977, p. 228.
  12. ^ マルヨ無線事件の死刑囚の上告審判決 - 最高裁判所第一小法廷判決 1970年(昭和45年)11月12日 集刑 第178号249頁、昭和45年(あ)第721号、『強盗殺人、同未遂、放火被告事件』。
  13. ^ 『中日新聞』1987年5月11日朝刊一面1頁「帝銀事件の平沢貞通獄死 死刑確定から32年 95歳肺炎 18回目の再審請求中」(中日新聞社)
  14. ^ a b c d e f g 最高裁 1983, p. 688.
  15. ^ a b 朝日新聞』1971年8月3日東京朝刊第二社会面18頁「【仙台】 仙台高裁 ○○さん殺しの“少年” 無期破棄し死刑の判決」(朝日新聞東京本社
  16. ^ 村野薫 1990, p. 243.
  17. ^ 村野薫 1990, p. 245.
  18. ^ 刑事裁判資料216 1977, 事件一覧表5頁.
  19. ^ 刑事裁判資料216 1977, pp. 64-71.
  20. ^ 刑事裁判資料216 1977, p. 72.
  21. ^ a b c * 同書「事件一覧表」5頁 - 藤沢市女子高生殺害事件(1967年1月13日発生)の事件概要を収録[18]
    • 本文(64 - 71頁) - 【47-5】「強姦致死、殺人、死体遺棄被告事件」(第一審)横浜地方裁判所 昭和42年(わ)第145号 1969年(昭和44年)3月18日第三刑事部判決[被告人:S 熔接工 1941年(昭和16年)7月10日生][19]
    • 本文(72頁) - 昭和46年(あ)第2597号 1972年(昭和47年)7月18日第三小法廷判決(控訴人:被告人Sおよび弁護人・諸橋㐮)[20]
  22. ^ 読売新聞』1967年1月18日東京朝刊第15版第一社会面15頁「【藤沢】Aさん(藤沢の女高生)は殺されていた 宅造地から死体発掘 労務者を逮捕、犯行自供 「S」のいとこからの通報で」(読売新聞東京本社
  23. ^ 中日新聞』1967年1月17日夕刊D版第一社会面7頁「【藤沢】女高生、誘かいか 13日から不明 藤沢署が公開捜索」(中日新聞社
  24. ^ a b 東京高等裁判所第5刑事部判決 1971年(昭和46年)11月8日 『刑事裁判月報』第3巻11号1437号、『判例タイムズ』第274号350頁、『東京高等裁判所(刑事)判決時報』第22巻11号307頁、『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例ID:28145508、昭和44年(う)第2117号、『強姦致死、殺人、死体遺棄被告事件』。
    • 裁判官:吉川由己夫(裁判長)・綿引紳郎・山崎宏八
    • 判決内容:原判決を破棄する。被告人を死刑に処する。
  25. ^ 『毎日新聞』1969年3月19日東京朝刊第14版第二社会面14頁「【藤沢】女高生殺しのSに無期懲役」(毎日新聞東京本社)
  26. ^ 『毎日新聞』1971年11月9日東京朝刊第13版第二社会面22頁「藤沢の女高生殺し 無期懲役を破棄、死刑」(毎日新聞東京本社)
  27. ^ 『朝日新聞』1972年7月18日東京夕刊第3版第一社会面9頁「藤沢の女高生殺し Sの死刑確定」(朝日新聞東京本社)
  28. ^ 大塚公子 1997, p. 165.
  29. ^ 大塚公子 1997, p. 161.
  30. ^ 大塚公子 1997, p. 169.
  31. ^ 大塚公子 1997, p. 167-168.
  32. ^ a b c 『読売新聞』1972年7月18日東京朝刊第14版第二社会面14頁「【浦和】埼玉の兄一家殺しに死刑」(読売新聞東京本社)
  33. ^ a b 『朝日新聞』1972年8月1日東京夕刊第3版第一社会面7頁「控訴せず死刑確定 戸田四人殺し」(朝日新聞東京本社) - 『朝日新聞』縮刷版 1972年8月号29頁
  34. ^ 『朝日新聞」1973年9月27日夕刊
  35. ^ 『朝日新聞」1973年12月13日夕刊
  36. ^ 朝日新聞1975年9月5日夕刊
  37. ^ 『朝日新聞』1973年2月7日朝刊19面「アベック襲い殺す 労務者ら四人を逮捕」
  38. ^ a b 死刑事件判決総索引 1981, p. 50.
  39. ^ 袴田さん再審判断 問われる死刑制度 > 高齢の確定死刑囚」『中日新聞しずおかWeb』中日新聞東海本社、2018年6月6日。2021年1月9日閲覧。オリジナルの2021年1月9日時点におけるアーカイブ。 - 袴田事件の死刑囚・袴田巌(2014年の再審開始・死刑執行および拘置停止決定により釈放中)の現況を追った記事。
  40. ^ a b c d 刑事裁判資料 1981, p. 37.
  41. ^ a b c d e 刑事裁判資料 1981, 事件一覧表3頁.
  42. ^ a b c d e f g h i j k 刑事裁判資料 1981, 事件一覧表1頁.
  43. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 33.
  44. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 32.
  45. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 27.
  46. ^ a b 刑事裁判資料 1981, p. 1.
  47. ^ a b c d e 刑事裁判資料 1981, p. 3.
  48. ^ 刑事裁判資料 1981, pp. 2-3.
  49. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 5.
  50. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 6.
  51. ^ 刑事裁判資料 1981, pp. 6-7.
  52. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 2.
  53. ^ a b c d e 刑事裁判資料 1981, 事件一覧表2頁.
  54. ^ a b 刑事裁判資料 1981, p. 16.
  55. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 20.
  56. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 25.
  57. ^ 村野薫 1990, p. 246.
  58. ^ a b c 刑事裁判資料 1981, p. 180.
  59. ^ a b c d e f 刑事裁判資料 1981, 事件一覧表9頁.
  60. ^ a b c d 刑事裁判資料 1981, p. 182.
  61. ^ 刑事裁判資料 1981, pp. 181-182.
  62. ^ a b c d 刑事裁判資料 1981, p. 183.
  63. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 186.
  64. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 181.
  65. ^ a b 刑事裁判資料 1981, p. 184.
  66. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 185.
  67. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 190.
  68. ^ a b c d e f 読売新聞』1974年5月20日東京夕刊第4版第二社会面10頁「【名古屋】コンクリート詰め殺人 「O」に死刑判決」(読売新聞東京本社
  69. ^ 『読売新聞』1978年4月17日東京夕刊第4版第二社会面8頁「“コンクリ詰め殺人” 死刑確定」(読売新聞東京本社)
  70. ^ 『毎日新聞』1985年7月9日東京夕刊第4版第二社会面6頁「愛知の一家3人殺し Oすでに死刑執行」(毎日新聞東京本社)
  71. ^ a b c d e f g h i j k l m n 刑事裁判資料 1981, 事件一覧表6頁.
  72. ^ a b 刑事裁判資料 1981, p. 73.
  73. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 74.
  74. ^ 刑事裁判資料 1981, pp. 77-78.
  75. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 75.
  76. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 89.
  77. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 107.
  78. ^ a b c 刑事裁判資料 1981, p. 109.
  79. ^ a b 『読売新聞』1978年11月28日東京夕刊第4版第二社会面10頁「『古谷』の死刑確定 老人8人殺人」(読売新聞東京本社)
  80. ^ a b 「判決訂正申立棄却決定 古谷惣吉 (昭和54年)1月26日 第三小法廷 判決訂正申立棄却決定 昭和53年(み)7号 強盗殺人、強盗、強盗未遂」『最高裁判所刑事裁判書総目次 昭和54年1月分』、最高裁判所事務総局、 21頁。 - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)214号の付録。
  81. ^ a b c 刑事裁判資料 1981, 事件一覧表7頁.
  82. ^ a b c 『中日新聞』1985年6月1日朝刊第12版第一社会面23頁「独居老人ら8人殺し 古谷の死刑執行」(中日新聞社)
  83. ^ 『読売新聞』1965年12月13日東京朝刊第二社会面14頁「前科八犯、冷酷な“古谷”幼少から放浪癖 四つで母親と死別 おじの家で育つ 14年前にも連続殺人」(読売新聞東京本社)
  84. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 110.
  85. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 111.
  86. ^ 『読売新聞』1971年4月1日東京夕刊第4版第一社会面9頁「【神戸】連続殺人 『古谷』に死刑の判決“史上例のない残忍さ”」(読売新聞東京本社)
  87. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 118.
  88. ^ 『毎日新聞』1974年12月13日夕刊第4版第二社会面10頁「高裁も死刑支持 西日本連続殺人の『古谷』」(毎日新聞社)
  89. ^ a b 村野薫 2006, p. 141.
  90. ^ a b 村野薫 2006, p. 238.
  91. ^ a b c 刑事裁判資料 1981, 事件一覧表13頁.
  92. ^ a b 刑事裁判資料 1981, p. 256.
  93. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 264.
  94. ^ 刑事裁判資料 1981, p. 278.
  95. ^ 控訴審でも死刑を支持 上野の一家殺しの二人『朝日新聞』1977年(昭和57年)3月17日夕刊、3版、11面
  96. ^ 母娘殺し幼児人質 連続凶行、恐怖の三日間『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月16日夕刊、3版、11面
  97. ^ a b 『最高裁判所裁判集 刑事 昭和56年1月-昭和56年4月』第221号、最高裁判所、1981年、 143頁。
  98. ^ a b 最高裁判所第一小法廷判決 1981年(昭和56年)3月19日 集刑 第221号143頁、昭和52年(あ)第1595号、『強盗殺人被告事件』「死刑事件(釧路の一家三人強殺事件)」。
  99. ^ 村野薫 2006, p. 85.
  100. ^ a b 集刑222 1981, p. 251.
  101. ^ a b c 最高裁判所第三小法廷判決 1981年(昭和56年)6月16日 集刑 第222号251頁、昭和54年(あ)第1736号、『強盗強姦、強盗殺人、窃盗被告事件』「一、絞首による死刑と残虐な刑罰 二、死刑事件(長崎の老女強殺事件)」。
  102. ^ 『読売新聞』1999年12月17日東京夕刊一面1頁「2人の死刑を執行 埼玉・長崎の強盗殺人 1人は再審請求中/法務省」(読売新聞東京本社)
  103. ^ a b 集刑222 1981, p. 663.
  104. ^ a b c 最高裁判所第二小法廷判決 1981年(昭和56年)6月26日 集刑 第222号663頁、昭和55年(あ)第142号、『殺人、詐欺、死体遺棄被告事件』「一、死刑の合憲性 二、死刑事件(愛媛の保険金目当て実母殺害等事件)」。
  105. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc 年報・死刑廃止 2019, p. 249.
  106. ^ a b c d 『最高裁判所裁判集 刑事 昭和59年3月-昭和59年5月』第236号、最高裁判所、1984年、 851頁。
  107. ^ a b 最高裁判所第二小法廷判決 1984年(昭和59年)4月27日 集刑 第236号851頁、昭和56年(あ)第341号、『窃盗、殺人、死体遺棄被告事件』「死刑事件(大阪電解幹部連続殺人事件)」。
  108. ^ a b c d e 集刑289 2006, p. 49.
  109. ^ a b 『最高裁判所裁判集 刑事 昭和59年9月-昭和59年12月』第238号、最高裁判所、1984年、 11頁。
  110. ^ 最高裁判所第一小法廷判決 1984年(昭和59年)9月13日 集刑 第238号11頁、昭和57年(あ)第932号、『住居侵入、強盗殺人、同未遂、強盗致傷、強盗、強盗予備、窃盗、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件』「死刑事件(広域連続強盗殺人事件)」。
  111. ^ a b 刑事裁判資料 1989, p. 493.
  112. ^ 刑事裁判資料 1989, p. 508.
  113. ^ 刑事裁判資料 1989, p. 515.
  114. ^ a b 刑事裁判資料 1989, p. 516.
  115. ^ 刑事裁判資料 1989, p. 517.
  116. ^ a b 刑事裁判資料 1989, p. 686.
  117. ^ a b 毎日新聞』2009年3月19日中部朝刊社会面26頁「愛知・女性拉致殺害:闇サイト殺人判決 1被害者で複数死刑 社会的影響を重視」(毎日新聞中部本社 記者:秋山信一) - 闇サイト殺人事件の関連記事。
  118. ^ a b 最高裁判所第三小法廷決定 1987年(昭和62年)4月20日 集刑 第262号323頁、昭和62年(み)第1号、『爆発物取締罰則違反、同幇助、殺人、殺人未遂、殺人予備、被告事件についてした判決訂正申立』「いわゆる連続企業爆破事件の判決訂正申立棄却決定」。
  119. ^ 最高裁判所第三小法廷判決 1987年(昭和62年)3月24日 集刑 第245号745頁、昭和57年(あ)第1761号、『爆発物取締罰則違反、同幇助、殺人、殺人未遂、殺人予備被告事件』「一、爆発物取締罰則の合憲性 二、死刑の合憲性 三、量刑に関する違憲の主張が欠前提とされた事例 四、死刑事件」。
  120. ^ a b 『毎日新聞』1987年4月22日東京朝刊第二社会面22頁「連続企業爆破事件の大道寺被告らの最高裁判決確定」(毎日新聞東京本社
  121. ^ 連続企業爆破事件の大道寺将司死刑囚が病死」『産経新聞産業経済新聞社、2017年5月24日。2020年5月7日閲覧。オリジナルの2020年5月7日時点におけるアーカイブ。
  122. ^ a b c 『中日新聞』1987年6月21日朝刊第二社会面26頁「企業爆破の死刑囚・益永 支援女性と獄中結婚」(中日新聞社)
  123. ^ 年報・死刑廃止 2020, p. 246.
  124. ^ a b c 刑事裁判資料 1989, p. 695.
  125. ^ a b 刑事裁判資料 1989, p. 713.
  126. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax 年報・死刑廃止 2019, p. 253.
  127. ^ 麦の会 1990, p. 178.
  128. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar 年報・死刑廃止 2019, p. 250.
  129. ^ a b c 刑事裁判資料 1989, p. 615.
  130. ^ a b 刑事裁判資料 1989, p. 639.
  131. ^ 最高裁判所第二小法廷判決 1987年(昭和62年)7月17日 『最高裁判所裁判集刑事』(集刑)第246号211頁、昭和55年(あ)第914号、『強盗殺人、死体遺棄、殺人未遂、詐欺被告事件』「死刑事件(工場主強殺死体遺棄事件)」。 - 秋山兄弟事件の死刑囚・秋山芳光(2006年に死刑執行)の上告審判決。
  132. ^ a b 刑事裁判資料 1989, p. 665.
  133. ^ 刑事裁判資料 1989, p. 638.
  134. ^ a b 刑事裁判資料 1989, p. 667.
  135. ^ 刑事裁判資料 1989, pp. 667-668.
  136. ^ 刑事裁判資料 1989, p. 674.
  137. ^ 最高裁判所第二小法廷判決 1987年(昭和62年)10月23日 『最高裁判所裁判集刑事』(集刑)第247号117頁、昭和56年(あ)第1211号、『強盗殺人、公務執行妨害被告事件』「死刑事件(東村山警察官強殺事件)」。 - 東村山署警察官殺害事件の死刑囚T(1995年に死刑執行)の上告審判決。
  138. ^ 麦の会 1990, p. 184.
  139. ^ 浜田武重「償いは強制されてはならない」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 76頁、 ISSN 0287-2897
  140. ^ 浜田死刑囚が死亡 福岡保険金連続殺人」『日本経済新聞日本経済新聞社、2017年6月26日。2020年5月7日閲覧。オリジナルの2020年5月7日時点におけるアーカイブ。
  141. ^ a b 保険金殺人の浜田武重死刑囚が死亡 90歳、死刑囚で最高齢」『産経新聞産業経済新聞社、2017年6月26日。2020年5月7日閲覧。オリジナルの2020年5月7日時点におけるアーカイブ。
  142. ^ a b c d 集刑249 1988, p. 335.
  143. ^ a b 最高裁判所第二小法廷判決 1988年(昭和63年)4月15日 集刑 第249号335頁、昭和59年(あ)第512号、『強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂被告事件』「死刑事件(病院院長殺害事件)」。
    • 最高裁判所裁判官:香川保一(裁判長)・牧圭次・島谷六郎・藤島昭・奥野久之
  144. ^ 中日新聞』2009年3月18日夕刊第二社会面14頁「千種拉致殺害判決 被害者1人 死刑複数確定は1件」(中日新聞社) - 闇サイト殺人事件の関連記事。
  145. ^ 東京新聞』2009年3月18日夕刊一面1頁「闇サイト殺人 2人死刑 女性拉致監禁 自首の1人は無期 名古屋地裁判決 『無慈悲で残虐』」(中日新聞東京本社) - 闇サイト殺人事件の関連記事。
  146. ^ 「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、68頁、2009年
  147. ^ 東京拘置所:14歳誘拐殺人のW死刑囚が死亡」『毎日新聞毎日新聞社、2013年6月24日。2020年5月7日閲覧。オリジナルの2020年5月7日時点におけるアーカイブ。
  148. ^ 中学生誘拐殺人のW死刑囚が死亡 東京拘置所」『日本経済新聞日本経済新聞社、2013年6月24日。2020年5月7日閲覧。オリジナルの2020年5月7日時点におけるアーカイブ。
  149. ^ 集刑249 1988, p. 583.
  150. ^ a b 集刑289 2006, p. 444.
  151. ^ a b c d 最高裁判所第二小法廷判決 1988年(昭和63年)6月20日 集刑 第249号583頁、昭和60年(あ)第173号、『殺人、強姦致傷被告事件』「死刑事件(群馬の連続殺人事件)」。
    • 最高裁判所裁判官:奥野久之(裁判長)・牧圭次・島谷六郎・藤島昭・香川保一
  152. ^ a b 最高裁判所第一小法廷判決 1988年(昭和63年)6月2日 集刑 第249号595頁、昭和53年(あ)第1290号、『強盗殺人被告事件』「死刑事件(男娼等連続強盗殺人事件)」。 - 男娼等連続強盗殺人事件(1967年 - 1972年)で死刑が確定した死刑囚Wの上告審判決。
  153. ^ 年報・死刑廃止 2020, p. 247.
  154. ^ a b 毎日新聞』1988年6月2日東京夕刊第4版第二社会面10頁「4人殺害に死刑 最高裁判決 早くも昨年と同じ6人目」(毎日新聞東京本社
  155. ^ a b c d 『朝日新聞』1975年8月30日東京夕刊第13版第一社会面19頁「大阪地裁 四人殺害に無期 環境を酌量 『極刑は慎重に』」(朝日新聞東京本社)
  156. ^ a b 『最高裁判所裁判集 刑事 昭和63年7月-12月』第250号、最高裁判所、1988年、 1頁。
  157. ^ a b c 最高裁判所第二小法廷判決 1988年(昭和63年)7月1日 集刑 第250号1頁、昭和59年(あ)第590号、『強盗殺人、現住建造物等放火被告事件』「死刑事件(神田サンミック通商強殺放火事件)」。
  158. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg 年報・死刑廃止 2019, p. 251.
  159. ^ a b c 年報・死刑廃止 2020, p. 248.
  160. ^ a b c d e f g 『中日新聞』1997年8月2日朝刊一面1頁「連続射殺事件 永山則夫死刑囚の刑執行 計4人 北海道の夫婦らも」(中日新聞社)
  161. ^ 経営難の社長ら凶行 銀座のママ殺し49日の夜解決『朝日新聞』1978年(昭和53年)7月11日朝刊、13版、23面
  162. ^ 石田富蔵「生きて償いたい」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 47頁、 ISSN 0287-2897
  163. ^ a b c d e 最高齢92歳の死刑囚が病死 東京拘置所」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2014年4月19日。2020年5月7日閲覧。オリジナルの2014年4月20日時点におけるアーカイブ。
  164. ^ 「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、15頁、2009年
  165. ^ 殺し屋使った連続殺人 三人に死刑判決『朝日新聞』1977年(昭和52年)4月1日朝刊、13版、23面
  166. ^ a b c d e f g 集刑289 2006, p. 53.
  167. ^ 「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、41頁、2009年
  168. ^ 隣家の同居人が自供 伊勢崎の二少女殺し『朝日新聞』1976年(昭和51年)4月2日夕刊、3版、11面
  169. ^ 年報・死刑廃止 2004, p. 90.
  170. ^ U死刑囚が死亡 76年の群馬中学生2人殺害事件」『日本経済新聞日本経済新聞社、2013年11月16日。2020年5月7日閲覧。オリジナルの2020年5月7日時点におけるアーカイブ。
  171. ^ 金川一「前科者ゆえデッチ上げられた」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 72頁、 ISSN 0287-2897
  172. ^ a b 『朝日新聞』1990年5月10日朝刊第二社会面30頁「永山被告の死刑が確定」(朝日新聞社)
  173. ^ 読売新聞』1969年4月7日東京夕刊一面1頁「連続射殺魔ついに逮捕 178日ぶり、けさ代々木の5件目で 19歳のボーイ自供 東京、京都、函館、名古屋の全犯行 “カネが欲しかった” 英語学校に侵入 ガードマン負傷 神宮の森で警官の手に」(読売新聞東京本社
  174. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao 年報・死刑廃止 2019, p. 252.
  175. ^ 『読売新聞』1979年7月11日東京朝刊第14版第一社会面23頁「連続射殺魔『永山』に死刑 東京地裁判決 生い立ち同情するが『冷酷、反省もない』」(読売新聞東京本社)
  176. ^ 『読売新聞』1981年8月22日東京朝刊第14版一面1頁「永山(連続射殺魔)無期に減刑 東京高裁 福祉に一因、本人も反省」(読売新聞東京本社)
  177. ^ 『読売新聞』1981年9月4日東京朝刊第14版第一社会面23頁「『永山』の上告決める 東京高検 『死刑適用の判例に違反』」(読売新聞東京本社)
  178. ^ 『読売新聞』1981年9月4日東京夕刊第一社会面15頁「減刑の『永山』を上告 高検、量刑不当も挙げ」(読売新聞東京本社)
  179. ^ a b 『読売新聞』1983年7月8日東京夕刊第4版一面1頁「連続射殺犯 永山の『無期』判決を破棄 最高裁、死刑含み差し戻し 『量刑甚だしく誤る』 4人殺害は残虐で重大 初めて死刑基準」(読売新聞東京本社)
  180. ^ 東京高裁刑事第3部判決 1987年(昭和62年)3月18日宣告 昭和58年(う)第1105号(窃盗・殺人・強盗殺人・同未遂・銃砲刀剣類所持等取締法違反・火薬類取締法違反被告事件 / 裁判長:石田穣一 陪席裁判官:田尾勇・中野保昭)『判例時報』第1226号142頁、『判例タイムズ』第634号105頁、『高等裁判所刑事裁判速報集』(昭和62年)号46頁などに収録
  181. ^ 中日新聞』1990年4月17日夕刊一面1頁「永山被告の死刑確定 連続射殺事件 最高裁が上告棄却 『罪責は誠に重大』 情状考慮しても妥当 違憲主張退ける」(中日新聞社
  182. ^ 村竹正博「命がふたつ欲しい」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 80頁、 ISSN 0287-2897
  183. ^ a b 年報・死刑廃止 2004, pp. 83-84.
  184. ^ a b c d e 年報・死刑廃止 2004, p. 82.
  185. ^ a b c d e 北海道新聞』2004年6月5日朝刊「空知・連続殺人 H死刑囚が病死 拘置30年 再審を請求中」(北海道新聞社
  186. ^ a b c d e 年報・死刑廃止 2004, p. 83.
  187. ^ a b c 年報・死刑廃止 2004, p. 84.
  188. ^ 年報・死刑廃止 2004, p. 85.
  189. ^ a b c d e 年報・死刑廃止 2004, p. 86.
  190. ^ 荒井政男「私は無実の死刑囚である」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 52頁、 ISSN 0287-2897
  191. ^ a b c 『読売新聞』1990年12月17日東京夕刊第二社会面22頁「最高裁が26年ぶりに訂正判決 死刑事件での誤記認め」(読売新聞東京本社)
  192. ^ 『朝日新聞』1980年6月26日西部朝刊第13版第一社会面19頁「直方の殺人追及 前歴持ち、八幡の強盗男 ブーツの形ピタリ」(朝日新聞西部本社)
  193. ^ 『朝日新聞』1980年6月27日西部朝刊第13版第一社会面21頁「八幡の強盗T 仮釈放中だった」(朝日新聞西部本社)
  194. ^ a b c d 読売新聞』1990年12月15日東京朝刊第一社会面31頁「最高裁が死刑判決文に誤記 犯行間隔を1年違い 異例の『訂正判決』へ」(読売新聞東京本社
  195. ^ 『朝日新聞』1980年6月25日西部夕刊3A版第一社会面9頁「強盗、追跡者刺す 直方の殺人と手口類似 折尾署逮捕」(朝日新聞西部本社)
  196. ^ a b 『朝日新聞』1981年7月14日西部朝刊3A版第二社会面8頁「老女殺し死刑判決 福岡地裁小倉支部 仮出所中直方で犯行」(朝日新聞西部本社)
  197. ^ 『朝日新聞』1986年12月2日西部夕刊A3版第一社会面7頁「直方の女性殺し 控訴審も死刑動かず」(朝日新聞西部本社)
  198. ^ 前の夫もガスで殺す 諸橋らを再逮捕し追及『朝日新聞』1978年(昭和53年)5月26日朝刊、13版、23面
  199. ^ 麦の会 1990, p. 22.
  200. ^ 年報・死刑廃止 2019, p. 275.
  201. ^ a b c 最高裁判所第三小法廷決定 1993年(平成5年)3月9日 集刑 第262号323頁、平成5年(み)第2号、『殺人等被告事件に対する判決訂正の申立て』。
    • 決定主文:本件各申立てを棄却する。
    • 最高裁判所裁判官:坂上壽夫(裁判長)・貞家克己・園部逸夫・佐藤庄市郎・可部恒雄
  202. ^ 年報・死刑廃止 2020, p. 250.
  203. ^ 最高裁判所第三小法廷判決 1993年(平成5年)2月19日 集刑 第262号39頁、昭和61年(あ)第1427号、『殺人、死体遺棄、窃盗、強盗致傷、殺人未遂、公務執行妨害、鉄砲刀剣類所持等取締法違反、爆発物取締罰則違反、火薬類取締法違反、森林法違反、傷害致死、航空法違反、威力業務妨害、住居侵入、監禁、傷害、強盗被告事件』「いわゆる連合赤軍事件」。
  204. ^ 毎日新聞』1993年3月11日東京朝刊第一社会面27頁「連合赤軍事件の被告らの刑確定--最高裁」(毎日新聞東京本社
  205. ^ a b 連合赤軍事件の永田洋子死刑囚が死亡」『日本経済新聞』日本経済新聞社、2011年2月6日。2020年5月8日閲覧。オリジナルの2020年5月8日時点におけるアーカイブ。
  206. ^ 赤軍元メンバー「過ち認めきってない」永田死刑囚病死」『朝日新聞デジタル朝日新聞社、2011年2月6日。2020年5月8日閲覧。オリジナルの2020年5月8日時点におけるアーカイブ。
  207. ^ a b c d 元警視庁警部、沢地死刑囚が病死」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2008年12月16日。2009年2月10日閲覧。オリジナルの2009年2月10日時点におけるアーカイブ。
  208. ^ a b 松垣透「残した「言葉」 病死の沢地和夫死刑囚、書き続けた5作品 (1/2ページ)」『MSN産経ニュース』産業経済新聞社、2008年12月20日、2面。2009年2月2日閲覧。オリジナルの2009年2月2日時点におけるアーカイブ。
  209. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am 年報・死刑廃止 2019, p. 254.
  210. ^ 藤波芳夫「連帯を強め、共に」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 57頁、 ISSN 0287-2897
  211. ^ a b 最高裁判所第一小法廷判決 1993年(平成5年)9月9日 集刑 第262号341頁、昭和63年(あ)第68号、『住居侵入、強盗殺人、強盗殺人未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反』「死刑事件(今市の4人殺傷事件)」。 - 今市4人殺傷事件の被告人(藤波芳夫)への上告審判決
      • 判決主文:本件上告を棄却する。
      • 最高裁判所裁判官:味村治(裁判長)・大堀誠一小野幹雄三好達大白勝
      • 被告人:藤波芳夫
      • 弁護人:宮崎正明
      • 検察官:豊嶋秀直(公判出席)
        • 原典:「昭和63年(あ)第68号 平成5年9月9日判決」『最高裁判所裁判集 刑事』第262号、1993年、 341頁。「判決 本籍 埼玉県鴻巣市逆川一丁目七五番地一 住居 不定 無職 藤波芳夫 昭和六年五月十五日生」
  212. ^ 下野新聞』1981年3月30日朝刊1頁「今市 主婦ら二人殺される 刃物で胸など刺す 子供ら二人重傷 復縁迫った"義弟"」(下野新聞社)
  213. ^ 年報・死刑廃止 2004, p. 91.
  214. ^ フォーラム90 2009, p. 10.
  215. ^ フォーラム90 2009, p. 11.
  216. ^ 『最高裁判所裁判集 刑事 平成5年1月-12月』第262号、最高裁判所、1993年、 421頁。
  217. ^ a b c 集刑289 2006, p. 57.
  218. ^ 年報・死刑廃止 2007, p. 316.
  219. ^ a b c d e 中日新聞』1993年9月22日朝刊第一社会面23頁「半田など連続保険金殺人 『死刑 実験的停止も』 最高裁判事 異例の補足意見 判決は死刑支持 全員一致」(中日新聞社
  220. ^ a b c d 『中日新聞』1987年4月1日朝刊第一社会面23頁「高裁も死刑判決支持 半田の保険金殺人 2被告の控訴棄却」(中日新聞社)
  221. ^ 最高裁判所第三小法廷判決 1993年(平成5年)9月21日 集刑 第262号421頁、昭和62年(あ)第562号、『強盗殺人、死体遺棄、殺人、詐欺』「死刑事件(保険金殺人事件)(補足意見がある)」。
  222. ^ a b 『中日新聞』2000年8月31日夕刊第二社会面10頁「『恩赦認めず』 名古屋拘置所が告知 『死刑は望んでいない』…被害者遺族の願い届かず 3人強殺の死刑囚に」(中日新聞社)
  223. ^ a b 『中日新聞』2000年6月21日朝刊第一社会面31頁「愛知・京都保険金殺人 被害者遺族『死刑望まぬ』 名古屋拘置所に嘆願書」(中日新聞社)
  224. ^ 『中日新聞』2001年4月19日朝刊第一社会面31頁「18年前の保険金殺人被害者遺族 法相に訴え『死刑やめて』 謝罪の手紙、接見…『償いさせたい』名古屋で在監中」
  225. ^ 『読売新聞』2001年12月27日東京夕刊一面1頁「2人に死刑執行 東京・練馬の一家殺害犯ら、昨年11月以来/法務省」(読売新聞東京本社)
  226. ^ 法務大臣森英介 (2009年1月29日), “法務大臣閣議後記者会見の概要(平成21年1月29日(木))” (プレスリリース), 法務省, オリジナルの2018年8月2日時点におけるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20110323011314/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/kaiken_point_sp090129-01.html 2011年3月23日閲覧。 
  227. ^ a b c d 北海道新聞』1999年11月9日朝刊「O死刑囚が自殺」(北海道新聞社
  228. ^ a b c 来栖 1996, p. 302.
  229. ^ 『中日新聞』1983年1月31日夕刊一面1頁「短銃強奪犯を逮捕 京都生まれ無職男 昭和区 白昼、勧銀支店襲う 二発発射、行員ら取り押さえ」(中日新聞社)
  230. ^ 『中日新聞』1986年3月24日夕刊第二社会面8頁「勝田事件の軌跡」
  231. ^ a b 『中日新聞』1986年3月24日夕刊一面1頁「連続殺人・勝田に死刑 名地裁判決 『悪質残虐な犯行、自らの命で償いを』」(中日新聞社)
  232. ^ 『中日新聞』1986年3月28日夕刊第一社会面11頁「『死刑は重い』 勝田控訴」(中日新聞社)
  233. ^ 『中日新聞』1988年2月19日夕刊一面1頁「勝田、二審も死刑判決 『違憲論』退ける 8人殺害、極刑やむを得ぬ 名古屋高裁」
  234. ^ 『中日新聞』1994年1月18日朝刊一面1頁「連続殺人事件 勝田被告の死刑確定 最高裁が上告棄却 『罪責は重大』」(中日新聞社)
  235. ^ 来栖 1996, p. 314.
  236. ^ a b 最高裁判所第三小法廷決定 1994年(平成6年)9月5日 集刑 第264号1頁、平成6年(み)第2号、『爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂被告事件に対する判決訂正の申立て』。
  237. ^ a b c d 年報・死刑廃止 2020, p. 251.
  238. ^ 最高裁判所第二小法廷判決 1994年(平成6年)7月15日 集刑 第263号627頁、昭和63年(あ)第682号、『爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂被告事件』。
  239. ^ a b 『毎日新聞』1994年9月8日東京朝刊第二社会面26頁「大森被告の死刑が確定--道庁爆破」(毎日新聞東京本社)
  240. ^ a b c d e 集刑289 2006, p. 59.
  241. ^ a b 法務大臣谷垣禎一 (2013年12月12日). “法務大臣臨時記者会見の概要 平成25年12月12日(木)” (日本語). 法務省 公式ウェブサイト. 法務省. 2014年6月13日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2020年10月1日閲覧。
  242. ^ a b 山中湖連続殺人事件の死刑囚Iによる国家賠償請求訴訟の判決文 - 東京地方裁判所民事第51部判決 2017年(平成29年)10月24日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例ID:29038063、平成26年(行ウ)第426号、『国家賠償等請求事件』。
    • 主文
      1. 被告は、原告に対し、1万円及びこれに対する平成26年9月25日から支払い済まで年5分の割合による金員を支払え。
      2. 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
      3. 訴訟費用は、これを300分し、その299を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
    • 裁判官:清水知恵子(裁判長)・進藤壮一郎・池田美樹子
    • 訴訟代理人弁護士:大野鉄平・赤羽悠一・若林亮
    • 被告:国(代表者:法務大臣)
  243. ^ 山野誠二郎「『死刑』=その終りなき報復観念」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 61頁、 ISSN 0287-2897
  244. ^ 「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、41頁、2009年
  245. ^ a b 『最高裁判所裁判集 刑事 平成8年11月-12月』第269号、最高裁判所、1996年、 3頁。
  246. ^ a b 大下 1986, p. 216.
  247. ^ 『中日新聞』1983年6月29日朝刊第12版第一社会面23頁「東京の一家5人惨殺 浴槽血の海、バラバラ死体 1億円の土地で争い 『立ち退かぬ』と不動産屋 長女は難逃れる 林間学校で長野へ」「夜通しで切り刻む」(中日新聞社)
  248. ^ 大下 1986, p. 222.
  249. ^ a b 最高裁判所第一小法廷判決 1996年(平成8年)11月14日 集刑 第269号3頁、平成2年(あ)第248号、『殺人、死体損壊被告事件』「死刑事件(元不動産鑑定士による練馬区の一家五名殺害事件)」。
  250. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak 年報・死刑廃止 2019, p. 255.
  251. ^ a b c d e 集刑289 2006, p. 61.
  252. ^ アムネスティ 2006, p. 6.
  253. ^ 法務大臣:鳩山邦夫 (2008年4月10日). “法務大臣臨時記者会見の概要 (平成20年4月10日(木))” (日本語). 法務省 公式ウェブサイト. 法務省. 2011年3月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2020年10月1日閲覧。
  254. ^ 法務大臣:鳩山邦夫 (2008年2月1日). “法務大臣臨時記者会見の概要 (平成20年2月1日(金))” (日本語). 法務省 公式ウェブサイト. 法務省. 2011年3月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2020年10月1日閲覧。
  255. ^ 秋好英明「慟哭のかなたに」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 66頁、 ISSN 0287-2897
  256. ^ a b c d e 年報・死刑廃止 2020, p. 252.
  257. ^ a b c 『毎日新聞』1997年12月20日東京朝刊第14版第一社会面31頁「警官ら連続殺害 元巡査部長の死刑確定 最高裁が上告棄却」(毎日新聞東京本社) - 『毎日新聞』縮刷版 1997年(平成9年)12月号793頁
  258. ^ a b c d e f g 大阪地方裁判所第7民事部判決 2014年(平成26年)5月22日 『訟務月報』第61巻8号1615頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット)文献番号:25504117、『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例ID:28234422、平成25年(行ウ)第96号、『発信不許可処分取消請求事件』、“死刑確定者として大阪拘置所に収容中の原告が、平成25年4月1日付けで、原告が書いた原稿が同封されたα宛の信書の発信を申請したところ、処分行政庁(大阪拘置所)が同月5日付けで同申請を不許可としたことから、被告(国)に対し、本件不許可処分の取消しを求めた事案において、本件信書は、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律139条2項により発信が許されるべき信書で、本件信書の発信を制限することは、必要性及び合理性を欠くものであることは明らかであるとし、本件不許可処分は、裁量権の範囲を逸脱したものとして違法であるとして、原告の請求を認容した事例。 (TKC)”。
    • 判決主文
      1. 処分行政庁が平成25年4月5日付けで原告に対してした、原告が書いた原稿が同封されたA宛の信書の発信を許可しない旨の処分を取り消す。
      2. 訴訟費用は被告の負担とする。
    • 裁判官:田中健治(裁判長)・三宅知三郎・松本論[注 24]
    • 原告:神宮雅晴(警察庁広域重要指定115号事件の死刑囚・大阪拘置所在監)[271]
    • 被告日本国
  259. ^ a b c 判例時報 1988, p. 55.
  260. ^ a b c 判例時報 1988, p. 56.
  261. ^ a b 廣田雅晴 1992, p. 94.
  262. ^ 京都府警察/北警察署(きたけいさつしょ)” (日本語). 京都府警察. 2021年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月23日閲覧。 “十二坊(じゅうにぼう)交番”
  263. ^ a b 判例時報 1988, p. 57.
  264. ^ 判例時報 1988, p. 81.
  265. ^ 判例時報 1994, p. 151.
  266. ^ 『読売新聞』1993年4月30日東京夕刊第一社会面15頁「京都・大阪の短銃連続殺人 広田元巡査部長の控訴棄却 大阪高裁も死刑判決支持」(読売新聞東京本社)
  267. ^ 『東京新聞』1997年12月20日朝刊社会面25頁「元警官の死刑確定へ 京都・大阪連続強殺 最高裁が上告棄却」(中日新聞東京本社)
  268. ^ a b c d e 年報・死刑廃止 2004, p. 92.
  269. ^ 大阪地方裁判所(民事部)担当裁判官一覧(平成26年4月1日現在)” (日本語). 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2014年4月1日). 2014年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月27日閲覧。 “第7民事部の担当裁判官一覧 合議1~4係 田中健治,新宮智之,三宅知三郎,松本諭,木村朱子”
  270. ^ 大阪地方裁判所(民事部)担当裁判官一覧(平成27年2月16日現在)” (日本語). 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2015年2月16日). 2015年2月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月27日閲覧。 “第7民事部の担当裁判官一覧 合議1~4係 田中健治,新宮智之,三宅知三郎,松本諭,木村朱子”
  271. ^ a b 読売新聞』2014年5月23日大阪朝刊第三社会面27頁「死刑囚の原稿発信認める 大阪地裁判決 拘置所の不許可「違法」」(読売新聞大阪本社
  272. ^ a b c 大阪高等裁判所第14民事部判決 2014年(平成26年)11月14日 『訟務月報』第61巻8号1601頁、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット)文献番号:25505187、『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例ID:28234421、平成26年(行コ)第107号、『発信不許可処分取消請求控訴事件』「〔訟務月報〕出版を目的とした死刑確定者の原稿が同封された知人宛ての信書の発信申請について、当該原稿が犯罪被害者を批判する記載等を多数含むものであって、出版社との間で何らかの折衝が行われた形跡もないなどの事情の下では、同新書が刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律139条2項に該当しないとして不許可とした刑事施設の長の判断に裁量権の範囲の逸脱又は濫用がないとされた事例」、“【事案の概要】死刑確定者として拘置所に収容中の被控訴人(原告)が、被控訴人が書いた原稿が同封された信書の発信の申請をしたところ、不許可処分を受けたことから、控訴人(被告、国)に対し、同処分の取り消しを求め、原審は、同処分は裁量権の範囲を逸脱したとして、請求を認容し、処分を取り消したとの事案において、控訴審は、同信書について、刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律139条2項所定の「その発受を必要とする事情」があるとは認められないから、同処分には、裁量の範囲を逸脱した違法があるということはできないとして、原判決を取消し、被控訴人の請求を棄却した事例。”。
    • 判決主文
      1. 原判決を取り消す。
      2. 被控訴人の請求を棄却する。
      3. 訴訟費用は、第1、2審とも被控訴人の負担とする。
    • 裁判官:森義之(裁判長)[注 25]・龍見昇・金地香枝[注 26]
  273. ^ 京都新聞』2014年5月23日朝刊27頁「84年京都・大阪連続強盗殺人 死刑囚の原稿発信認める 大阪地裁「表現の自由」」(京都新聞社)
  274. ^ 裁判官情報 > 森 義之” (日本語). 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版. 2021年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月27日閲覧。
  275. ^ 大阪高等裁判所民事部 担当裁判官一覧(平成27年11月1日現在)” (日本語). 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2015年11月1日). 2015年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月27日閲覧。 “第14民事部 森義之,井上一成,住山真一郎”
  276. ^ 大阪高等裁判所民事部 担当裁判官一覧(平成26年5月22日現在)” (日本語). 裁判所ウェブサイト. 最高裁判所 (2014年5月22日). 2014年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月27日閲覧。 “第14民事部 田中澄夫,村田龍平,龍見昇,金地香枝”
  277. ^ 『読売新聞』2014年11月15日大阪朝刊第三社会面37頁「死刑囚の原稿発送不許可 拘置所の裁量 逸脱なし 大阪高裁」(読売新聞大阪本社)
  278. ^ 堀江拓哉「死刑囚の信書:出版社への原稿送付で「拘置所に裁量権」◇死刑囚が逆転敗訴、大阪高裁」『毎日新聞毎日新聞社、2014年11月15日。オリジナルの2014年11月17日時点におけるアーカイブ。
  279. ^ 死刑囚の原稿発送不許可、判決確定」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2016年6月3日。2021年5月28日閲覧。オリジナルの2021年5月28日時点におけるアーカイブ。
  280. ^ 京都・大阪連続強盗殺人事件の死刑囚 原稿送付不許可で敗訴確定」『産経WEST』産業経済新聞社、2016年6月2日。オリジナルの2016年8月4日時点におけるアーカイブ。
  281. ^ 麦の会 1990, p. 96.
  282. ^ a b 富山・長野連続女性誘拐殺人事件の死刑囚(女性)による第3次再審請求を棄却する決定 - 富山地方裁判所刑事部決定 2015年(平成27年)3月30日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 判例ID:28231497、平成26年(た)第2号「【事案概要】被告人が、みのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、拐取者みのしろ金要求被告事件で受けた単独犯での死刑判決との確定判決に対して再審請求をした事案において、刑訴法435条6号にいう「原判決において認めた罪より軽い罪を認めるべき」場合とは、法定刑の軽い他の犯罪を認めるべきときをいい、弁護人が主張する、単独犯行ではなく、共同正犯の一人にとどまると認めるべき場合はこれに含まれないとして、再審請求が棄却された事例。 (D1-Law)」。
    • 裁判官:田中聖浩(裁判長)・奥山雅哉・吉岡恵
  283. ^ a b 富山・長野連続女性誘拐殺人事件の死刑囚(女性)による第4次再審請求を棄却する決定 - 富山地方裁判所刑事部決定 2017年(平成29年)3月23日 『D1-Law.com』(第一法規法情報総合データベース)判例体系 判例ID:28251100、平成28年(た)第1号、『みのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、拐取者みのしろ金要求被告事件』「【事案概要】若い女性を狙って誘拐して家人に身の代金を要求し、その憂慮に乗じて金員を入手しようと企て、2週間足らずの間に18歳の女子高校生及び20歳の女子会社員を連続して拐取し、殺害して死体を遺棄するなどした被告人に対し、被告人を死刑とした確定判決に対し、被告人が再審請求した件につき、再審請求が棄却された事例。 (D1-Law)」。
    • 裁判官:後藤隆(裁判長)・松井修・永田大貴
  284. ^ a b c d e f g h i 『中日新聞』1988年2月9日夕刊一面1頁「【富山】○○被告は無罪、M死刑 共謀共同正犯認めず 両事件ともMの単独犯行 富山・長野連続女性誘拐殺人に判決 富山地裁」(中日新聞社)
  285. ^ a b 『最高裁判所裁判集 刑事 平成10年1月 - 9月』第273号、最高裁判所、1998年、 551頁。
  286. ^ a b c 野中恭太郎 1992, p. 357.
  287. ^ a b 『朝日新聞』1980年3月31日東京朝刊第13版第一総合面1頁「共同経営が行き詰まる サラ金含め借金残す?」(朝日新聞東京本社) - 『朝日新聞』縮刷版 1980年(昭和55年)3月号1155頁
  288. ^ 富山・長野連続女性誘拐殺人事件の審理併合決定(長野地裁・富山地裁それぞれに起訴されていた事件を富山地裁で一括審理する決定) - 「審判併合請求事件(昭和55年(す)第111号、第112号、第124号 同年7月17日第一小法廷決定)」『最高裁判所刑事判例集』第34巻第4号、最高裁判所、1980年、 230頁。
    • 最高裁判所裁判官:本山亨(裁判長)・團藤重光藤崎萬里中村治朗谷口正孝
    • 最高裁判所第一小法廷決定 1980年(昭和55年)7月17日 刑集 第34巻4号229頁、昭和55年(す)第111号、『審判併合』「刑訴法八条二項による審判の併合請求が認められた事例」、“被告人両名に対する甲地裁に係属中のみのしろ金目的拐取等被告事件と乙地方裁判所に係属中のみのしろ金目的拐取等被告事件とは、事件の内容、関係人の住居その他本件における諸般の事情のもとにおいては、乙地方裁判所に併合するのが相当である。”。
  289. ^ 村野薫 2006, p. 122.
  290. ^ 『朝日新聞』1988年2月9日東京夕刊第一総合面1頁「○○被告は無罪、M死刑 富山・長野連続誘拐殺人に判決」(朝日新聞東京本社)
  291. ^ a b c d e f 最高裁判所第二小法廷判決 1998年(平成10年)9月4日 集刑 第273号551頁、平成4年(あ)第1067号、『身の代金目的拐取、殺人、死体遺棄、拐取者身の代金要求被告事件』「死刑事件(富山・長野連続女性誘拐殺人事件)」。
  292. ^ a b 『朝日新聞』1985年3月6日東京朝刊第一社会面23頁「長野・富山の連続誘拐殺人、検察側が冒頭陳述変更」(朝日新聞東京本社)
  293. ^ 『中日新聞』1987年5月1日朝刊第一社会面23頁「【富山】連続誘拐殺人 M死刑、○○に無期求刑 富山地検論告公判 「金欲しさ、冷酷残忍」 そっぽ向く元愛人同士 Mは平然、○○うつろ」(中日新聞社)
  294. ^ 『中日新聞』1988年2月23日夕刊第一社会面9頁「【富山】富山・長野連続女性誘拐殺人事件 ○○被告の無罪判決に「事実誤認」と検察控訴 「Mと共謀明らか」」(中日新聞社)
  295. ^ 『中日新聞』1992年3月31日夕刊一面1頁「【富山】富山・長野連続女性誘拐殺人 ○○被告無罪、M被告は死刑 一審判決を支持 名高裁金沢支部 共謀関係認めず」(中日新聞社)
  296. ^ 『中日新聞』1992年4月11日朝刊一面1頁「連続誘拐殺人 ○○さんの無罪確定 12年ぶり 名高検が上告断念」(中日新聞社)
  297. ^ 「判決訂正申立棄却決定 (平成10年)10月7日 第二小法廷 平成10年(み)54号」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成10年10月分』、最高裁判所事務総局、 17頁。 - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)274号の付録。
  298. ^ 東京新聞』1998年10月10日朝刊第一社会面27頁「M被告、死刑確定 富山・長野連続殺人」(中日新聞東京本社
  299. ^ 年報・死刑廃止 1999, p. 243.
  300. ^ a b 年報・死刑廃止 2006, p. 287.
  301. ^ 年報・死刑廃止 1999, p. 239.
  302. ^ 年報・死刑廃止 2006, p. 276.
  303. ^ 北日本新聞』1998年9月5日朝刊一面1頁「M被告の死刑確定 富山・長野連続誘拐殺人事件 最高裁が上告棄却 「両事件とも単独犯行」 発生から18年余」(北日本新聞社)
  304. ^ 『北日本新聞』2000年1月29日朝刊第一社会面33頁「富山・長野連続誘拐殺人事件 押収物 被害者側へ返還 遺族の訴えで 法務省・最高裁 法の不備見直しへ」(北日本新聞社)
  305. ^ a b 年報・死刑廃止 2007, p. 332.
  306. ^ 年報・死刑廃止 2007, p. 318.
  307. ^ 『北日本新聞』2021年1月14日朝刊第一社会面33頁「M死刑囚の再審請求棄却 富山地裁 5度目」(北日本新聞社)
  308. ^ 毎日新聞』1989年5月16日東京夕刊一面1頁「東京練馬の派出所で警官2人、刺殺される 職質の若い男、逃走」(毎日新聞東京本社
  309. ^ 『読売新聞』1998年9月18日東京朝刊第一社会面35頁「元自衛官の2警官刺殺に死刑確定 S被告の上告棄却/最高裁」(読売新聞東京本社)
  310. ^ 村松誠一郎「死刑制度が偽りの自供を強いた」『インパクション』第41号、インパクト出版会、1986年5月、 38頁、 ISSN 0287-2897
  311. ^ アムネスティ 2013, p. 34.
  312. ^ a b c d e f g h i 集刑289 2006, p. 63.
  313. ^ 「村松誠一郎 判決訂正申立棄却決定 第一小法廷 1998年10月28日 平成10年(み)76号」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成10年10月分』、最高裁判所事務総局、 17頁。 - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)274号の付録。
  314. ^ アムネスティ 2013, pp. 33-34.
  315. ^ 「判決訂正申立棄却決定 (平成10年)12月18日 第三小法廷 平成10年(み)8号」『最高裁判所刑事裁判書総目次 平成10年12月分』、最高裁判所事務総局、 11頁。 - 『最高裁判所裁判集 刑事』(集刑)274号の付録。
  316. ^ 年報・死刑廃止 2004, p. 89.
  317. ^ アムネスティ 2013, p. 32.
  318. ^ 埼玉県内で3人殺害の死刑囚病死」『NHK 埼玉 NEWS WEB』NHKさいたま放送局、2020年10月17日。2020年10月17日閲覧。オリジナルの2020年10月17日時点におけるアーカイブ。
  319. ^ a b c d e f g 88歳の死刑囚、肺炎で死亡 知人や共犯者ら3人を殺害」『朝日新聞デジタル』朝日新聞社、2020年10月17日。2020年10月17日閲覧。オリジナルの2020年10月17日時点におけるアーカイブ。
  320. ^ a b c d e f g h i j k l 年報・死刑廃止 2019, p. 256.
  321. ^ a b 村上尊一「埼玉連続殺人のT死刑囚、肺炎で死亡 88歳」『毎日新聞』毎日新聞社、2020年10月17日。2020年10月17日閲覧。オリジナルの2020年10月17日時点におけるアーカイブ。
  322. ^ a b c d e T死刑囚が病死 埼玉、昭和47~49年に3人殺害」『産経新聞』産業経済新聞社、2020年10月17日。2020年10月17日閲覧。オリジナルの2020年10月17日時点におけるアーカイブ。
  323. ^ a b c 東京都葛飾区 松井喜代司 東京拘置所在監(50歳)「投書 死刑制度は犯罪防止にならない」『週刊金曜日』第7巻第2号、株式会社金曜日、1999年1月22日、 63頁。 - 通巻256号(1999年1月22日号)。群馬県安中市親子3人殺害事件の死刑囚・松井喜代司(1999年に死刑確定、2017年に死刑執行)による投書。
  324. ^ 集刑289 2006, p. 65.
  325. ^ a b 朝日新聞』1975年2月14日東京夕刊第3版第一社会面7頁「高崎 女子服装学院生 庭先で刺殺さる 家族は留守」(朝日新聞東京本社
  326. ^ a b c 『読売新聞』1994年2月14日東京夕刊第一社会面19頁「交際女性と両親殺す 結婚断られ逆恨み?46歳の容疑者逮捕/群馬・安中」(読売新聞東京本社)
  327. ^ a b 『読売新聞』1994年11月9日東京夕刊第一社会面19頁「群馬・3人殺害に死刑判決 一審で今年8人目/前橋地裁支部」
  328. ^ 『読売新聞』1995年10月6日東京夕刊第二社会面18頁「群馬・高崎の3人殺害、二審も死刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)
  329. ^ 『朝日新聞』1999年9月14日朝刊第二社会面38頁「M被告の死刑確定 群馬・安中の3人殺害事件で上告棄却」(朝日新聞社)
  330. ^ 年報・死刑廃止 2004, p. 299.
  331. ^ 年報・死刑廃止 2004, p. 291.
  332. ^ 年報・死刑廃止 2005, p. 204.
  333. ^ 年報・死刑廃止 2005, p. 195.
  334. ^ 年報・死刑廃止 2006, p. 277.
  335. ^ 年報・死刑廃止 2007, p. 319.
  336. ^ 年報・死刑廃止 2008, p. 293.
  337. ^ 年報・死刑廃止 2008, p. 279.
  338. ^ 『読売新聞』2017年12月20日東京朝刊第二社会面34頁「元少年ら2人死刑執行 市川一家殺害と群馬3人殺害」(読売新聞東京本社)

参考文献編集

永山判決

  • 最高裁判所第二小法廷判決 1983年(昭和58年)7月8日 『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第37巻6号609頁、昭和56年(あ)第1505号、『窃盗殺人強盗殺人、同未遂、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件』「一・死刑選択の許される基準 二・無期懲役を言い渡した控訴審判決が検察官の上告により量刑不当として破棄された事例」、“一・死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であつて、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。二・先の犯行の発覚をおそれ、あるいは金品の強取するため、残虐、執拗あるいは冷酷な方法で、次々に四人を射殺し、遺族の被害感情も深刻である等の不利な情状(判文参照)のある本件においては、犯行時の年齢(一九歳余)、不遇な生育歴、犯行後の獄中結婚、被害の一部弁償等の有利な情状を考慮しても、第一審の死刑判決を破棄して被告人を無期懲役に処した原判決は、甚だしく刑の量定を誤つたものとして破棄を免れない。”。 - 永山則夫連続射殺事件(被告人:永山則夫)の上告審判決。後に「永山基準」と呼ばれる死刑適用基準が明示された。

死刑事件全般関連の文献(判例集)

  • 「死刑事件判決集 (昭和44-46年度)」『刑事裁判資料』第213号、最高裁判所事務総局刑事局、1977年3月、 NCID AN00336020 - 『刑事裁判資料』第213号は朝日大学図書館分室、富山大学附属図書館に所蔵。また『死刑事件判決集』(昭和44-46年度)は久留米大学附属図書館御井学舎分館、熊本大学附属図書館に所蔵。
  • 「死刑事件判決集 (昭和47-51年度)」『刑事裁判資料』第216号、最高裁判所事務総局刑事局、1977年12月、 NCID AN00336020 - 『刑事裁判資料』第216号は朝日大学図書館分室、専修大学図書館神田分館、金沢大学附属図書館、富山大学附属図書館に所蔵。また『死刑事件判決集』(昭和47-51年度)は大阪市立大学学術情報総合センター、学習院大学図書館、明治学院大学図書館(白金校舎図書館)に所蔵。
  • 「死刑事件判決集(昭和52・53・54年度)」『刑事裁判資料』第227号、最高裁判所事務総局刑事局、1981年3月、 NCID AN00336020 - 朝日大学図書館分室、富山大学附属図書館、東北大学附属図書館に所蔵。
  • 「死刑無期事件判決集[死刑事件(昭和60-62年度) / 無期事件(昭和58-62年度)]」『刑事裁判資料』第247号、最高裁判所事務総局刑事局、1989年3月、 NCID AN00336020 - 『刑事裁判資料』第247号は朝日大学図書館分室に所蔵。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事 昭和56年5月 - 7月』第222号、最高裁判所、1981年。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事 昭和63年4月 - 6月』第249号、最高裁判所、1988年。
  • 『最高裁判所裁判集 刑事 平成18年1月 - 8月』第289号、最高裁判所、2006年。 - 光市母子殺害事件の第一次上告審判決[2006年6月20日第三小法廷判決:平成14年(あ)第730号]における検察官の上告趣意書。49 - 68頁に「(別表1)永山判決以後死刑の科刑を是認した最高裁判所の判例一覧表」(収録対象:2002年6月11日〈多摩市パチンコ店強盗殺人事件の上告審判決〉以前に上告棄却判決を宣告された死刑囚)が、69 - 84頁に「(別表2)永山判決以前に犯時少年であった者に死刑の科刑が是認された判例一覧表」が、85 - 86頁に「(別表3)死刑の求刑に対し、永山判決後無期懲役とした控訴審判決について検察官が上告した事例一覧表」が掲載されている。

死刑事件全般関連の文献(書籍・雑誌)

個別事件関連の文献(加害者・被害者などの手記を含む)

  • 大下英治「練馬一家五人殺し」『増刊週刊大衆』第29巻第28号、双葉社、1986年7月11日、 214-239頁。 - 1986年7月11日号(通巻1582号)。練馬一家5人殺害事件の関連記事
  • 「一、仮釈放の五日後に、パトロール中の警察官一名を殺害してピストルを強奪し、さらにそのピストルでサラ金の従業員一名を射殺して現金約六〇万円を強奪したという事案につき、死刑が言い渡された事例 二、自白につき、捜査官の暴行によるものである旨の被告人の主張が排斥され、任意性が認められた事例 三、目撃証言につき、観察条件、目撃内容、証言の具体性などの信用性が高いとされた事例――ピストル強盗連続殺人事件第一審判決 大阪地裁 63. 10. 25 判決」『判例時報』第1304号、判例時報社、1989年5月11日、 55-81頁。 - 警察庁広域重要指定115号事件の加害者・廣田雅晴(1998年に死刑確定)への第一審判決文。
    • 大阪地方裁判所第一刑事部判決 1988年(昭和63年)10月25日、昭和59年(わ)第4576号、『強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件』
    • 主文:被告人を死刑に処する。
    • 裁判官:青木暢茂(裁判長)・林正彦・河田充規
  • 廣田雅晴(大阪拘置所)「毎日を先陣としたマスコミ報道陣は「赤報隊」に射殺されよ!」『噂の眞相』第14巻第1号、株式会社噂の真相、1992年1月、 94-97頁。 - 通巻第155号(1992年1月号:毎月10日発売)。警察庁広域重要指定115号事件の加害者本人による手記。
  • 野中恭太郎「「フェアレディZの女」12年の執念 あくまで男を道連れにしようとした女の哀切」『文藝春秋』第70巻第6号、文藝春秋、1992年6月1日、 346-357頁、 doi:10.11501/3198585 - 1992年6月号。富山・長野連続女性誘拐殺人事件の加害者女性M(1998年に死刑確定)を取り扱った記事。
  • 「一、仮釈放の五日後に、パトロール中の警察官一名を殺害してピストルを強奪し、さらにそのピストルでサラ金の従業員一名を射殺して現金約六〇万円を強奪したという事案につき死刑を言い渡した原判決の判断を正当とした事例 二、自白は警察官の拷問により強要されたものであるから任意性がないという被告人側の主張を排斥した事例 三、目撃証言の信用性などを認めて被告人と犯人の同一性を肯定した事例――ピストル強盗連続殺人事件控訴審判決 大阪高裁 平5. 4. 30 刑六部判決」『判例時報』第1503号、判例時報社、1994年11月1日、 151-161頁。 - 警察庁広域重要指定115号事件の加害者・廣田雅晴への控訴審判決文。
    • 大阪高等裁判所刑事第六部判決 1993年(平成5年)4月30日、平成元年(う)第162号、『強盗殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反、火薬類取締法違反被告事件』
    • 主文:本件控訴棄却する。
    • 裁判官:村上保之助(裁判長)・米田俊昭・安原浩(安原は転勤のため署名・押印できず)
  • 来栖宥子『113号事件 勝田清孝の真実』斉藤繁人(発行人)、恒友出版、1996年8月8日、初版。ISBN 978-4765261104 - 勝田清孝事件の関連書籍

アムネスティ・インターナショナルからの報告書

インパクト出版会の書籍(『年報・死刑廃止』シリーズなど)