日本の文化

日本人の共有する文化

日本文化(にほんのぶんか、にっぽんのぶんか)全般について、幅広く過去から現在への事象を取り上げ、概要の説明やリンクを示す。

厳島神社

分類については、まだ発展・整理の途上であり、正式なものではない。日本発祥のもの以外でも、日本に深く根付いているものはこの記事に含まれる。

概要 編集

文化という言葉は、芸術学問など人間が生み出した高い達成度を持つもの(ハイカルチャー)を指すとともに、人間の社会が長年にわたって形成してきた慣習や振舞いの体系を指す。後者の意味ではなどの日常生活全般に関わる慣習や、芸能道徳宗教から政治経済といった社会構造まで、その範疇は非常に幅広い。

日本の文化も単純に一括りにできるものではなく、様々な要素を含んでおり、古代から中世にいたっては中国朝鮮半島インドを中心としたアジアの近隣諸国、そして西洋では大航海時代にあたる戦国時代安土桃山時代と、明治以降の近現代では欧米からの影響を受け続けていた。他の国からの素晴らしい文化を意図的に選択・吸収・洗練・取捨などの仕掛けを繰り返し、様々な手が加えられて独特な展開を遂げている。

日本の伝統文化は、日本古来の神道や、仏教や中国文化、西洋文化などの外来の文化を融合させながら、時代とともに変遷してきた。しかし、表面的には大きく変化していても、ここで生きる日本人としての伝統習俗をちゃんと引き継いでいるため、現代の日本人は昔の日本人と比べると、その思考や行動の様式はあまり変化ないところが多い[注釈 1]

日本文化を特徴的に示す概念として、「(わ)」という言葉がしばしば用いられる(例:和語和文和歌和服和食和風旅館など)。「和」は古くから「日本文化」を明確に示す言葉であり、「」などの言葉が象徴された「中国文化」や、「洋・蘭・英・仏・独・伊・露」などの言葉が象徴された「西欧文化」から対比の言葉として使われている。

また「大和やまと)」という言葉が使われる場合もある(例:大和言葉大和魂大和男子大和絵など)。「大和」は現在の奈良県を指す旧国名だが、同時に「ヤマト政権」の誕生した地であり、日本全体を指す。

日本の文化と宗教の関係 編集

 
鎌倉大仏、高徳院

日本にも縄文時代からシャーマニズムアニミズム太陽神崇拝女神崇拝先祖崇拝精霊崇拝といった汎神論的自然崇拝があり、多神教に基づく宗教文化がある。沖縄の信仰にもその古来縄文の形態を残している。

多神教に基づくとはいえ、この国独自の特徴があるとすれば、「道具や言葉、吐息にまですべてに命が宿る」という考え方であり、例えば針供養[注釈 2]道具塚言霊息吹という表現に表れており、また侵略してきた敵さえも祀るという考え方(例えば蒙古塚)もある。

遠くインドを起源とする「仏教密教[注釈 3] を大陸から受け入れて、独自の仏教・密教文化を定着させてきた。さまざまな伝統や慣習のうちには仏教を起源とするものも多く見られ、古来の神道と相互に影響しあいながら日本の信仰や文化の基盤を形作ってきた。また、ヒンドゥー教は、ほとんど直接には日本に伝わっては居ないが、仏教・密教に多大な影響を与えているので、日本の仏教や神道においてヒンドゥー教由来の神々が存在し文化的影響がある。

他の東アジア諸国と同様に「儒教[注釈 4] や「道教」も受け入れたが、その影響は中国や朝鮮半島ほどではない[注釈 5]。儒教は寄親・寄子の制度[要出典]や、戸主家督制度などの社会制度に影響を及ぼしている。道教は、そのものより陰陽五行八卦宿曜道などが奈良時代から平安時代に隆盛を極め、陰陽師の台頭と共に現在もその思想が風俗となって受け継がれているが、儒教と同様に日本独自のものに変化している。具体的な例としては、干支家紋九曜ちらし寿司の四色や五色の彩などが陰陽五行に基づいている。武道も神道が基軸となり、それに儒教や道教や禅宗などが加わって修練による開眼精神と哲学を持ったになったといわれる。

日本は永らく神道と仏教とを神仏習合(神仏混淆)させてきたが、明治初頭、神道と仏教は再分離され、廃仏毀釈の波の中で多くの仏教や神道の遺産が失われた。神道は国家神道とされて仏教や土着の習俗と引き離され、皇室を中心とする信仰に再編され、政治・教育と結びつけられた。日本の伝統仏教も、この時代に勢力を拡大した新宗教キリスト教の脅威に対抗するためこれに協力し、江戸時代に引き続き日本の社会に強い影響力を持ちつづけた。大日本帝国憲法では信仰の自由が規定されたが、政府は「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という解釈に立脚し、神道・神社を他宗派の上位に置いた。しかし、第二次世界大戦後に国家神道は国家覇権の手段となったとされ、GHQの指示により神道は政治・教育と分離されて他の宗教と同列の信仰としての位置づけがなされた。仏教も「葬式仏教」と揶揄されるほどに宗教としては形骸化する傾向があり、日本人の日常の生活意識から、神道と仏教を中心とした文化的価値観は薄れてきている。

明治維新によって西洋思想に圧倒されたが、宮中の保守的な漢学者の影響によってその思想が教育勅語などに取り入れられた。

純粋な宗教的価値観の具現化でないとしても、古来からの神道が礎となってその上に仏教・密教や儒教や道教、あるいはキリスト教[注釈 6] をも含め、さまざまな外来の宗教を混在させながら、今日ある日本の精神や文化の土壌は形成された。これらの宗教混在に基づく価値観は日本の風俗習慣、文化に深く根ざしており、祭礼伝統芸能武道農業林業水産業建築土木正月七五三など、さまざまな場面に影響を及ぼしており、神道を主体とする宗教を抜きにして日本の文化や精神の本質は語れないという側面がある。

現代世界が抱える諸問題において、このような日本的な宗教的価値観が有効とされる場合もあり、これを方法論としてみた場合、たとえば「里山」あるいは「鎮守の森」の文化や「もったい(物体)ない」の考え方は環境保全に対し、「大豆文化(倹約、醸造神事)」の伝統は食糧危機に対し、問題の解決を示唆する可能性もある。いっぽう、急峻な地形と多雨により水の豊富さによって「すべてを水に流す」ともされてきたが、水質汚濁による環境問題や資源保全の観点から、その言葉の意義は薄れてきている。

伝統芸能や伝統のスポーツ、あるいは日常生活におけるお辞儀・礼儀作法・食事作法などにおいて、広範に見られる特徴として「(形)」の尊重という点が挙げられ、日本の美点ともされてきた。これらにはあらゆるところから取り入れてきた道徳(各学問からの影響が大きい)の影響や、人と衝突するのを避け和を尊ぶという心性から、無言の内に相手への敬意・配慮の念が込められていることも多い。近年では生活様式の欧米化により「エチケット」や「マナー」などに置き換えられ、これらの日本の伝統的な規範意識の形骸化を憂慮する声もある。

歴史 編集

 
縄文中期の火焔土器、東京国立博物館蔵
 
法隆寺(7世紀創建)
 
東大寺南大門金剛力士像(1203年)
 
姫路城(1601-08年)
 
復元された帝国ホテル旧館の玄関部分(博物館明治村

歴史 編集

旧石器時代から日本全国に人々の定住の痕跡のある遺跡が発見されている。 縄文時代では南方系縄文人、北方系縄文人で文化に差異が見られる。

日本という島国の特性上、多様な民族の渡来があったと考えられ、蝦夷隼人熊襲土蜘蛛など、和人とは異なった文化を持った少数民族と思しき集団も見受けられる。 こうした民族も同化していき、当時先進であった中国や大陸の文化も受け入れながら、日本土着の文化と混和融合しながら根付いていったものと思われる。

該当する文化: 旧石器文化縄文文化弥生文化

前漢の時代頃から中国の王朝に積極的に朝貢し初め、先進文化国だった中国の文物を受け入れるようになった。金属器刀剣類など)や漢字仏教などがその代表である。後には遣隋使遣唐使が派遣され、留学生が先進文化を学び、日本に持ち帰ってきた。こうして日本固有の文化の上に外来の文化が取り入れられていった。

9世紀半ばの承和年間の派遣をもって遣唐使が途絶し、894年に遣唐使が計画されたものの菅原道真の意見で中止になった。それ以降は、中国の文物(唐物)や文化などは中国人海商によってもたらされるようになり、貴族社会で唐物は珍重され続けた。それと同時に、外国からの影響が日本独自に消化されてゆき、「国風文化」時代を迎えた。貴族の女性の間で漢字からかな文字が生まれ、源氏物語枕草子に代表される和歌や物語、日記文学など文芸が盛んになった。芸術の分野でも、法隆寺唐招提寺の建築には中国などの影響が強く見られたのに対して、宇治平等院では日本人好みの表現になっている。こうした文化様式を和様と呼ぶ。

該当する文化: 古墳文化飛鳥文化白鳳文化天平文化弘仁・貞観文化国風文化院政期文化

中世 編集

 
武士) 1860年。

古代末から中世に武士が台頭してくると、流鏑馬、犬追物など武士特有の文化が生まれ、合戦をテーマにした軍記物語平家物語など)も生まれた。彫像も、力強い肉体を持った物へと代わっていった(金剛力士像等はその代表といえる)。都や農村では猿楽田楽などの舞踊が発達した。平清盛との貿易以降、日宋貿易が盛んに行われた。この時代には禅宗僧の往来がしきりで、禅宗とともに持ち込まれた文化(精進料理水墨画、喫茶の習慣など)はその後の日本文化の発展に大きな影響を与えた。天竜寺船勘合貿易により中国との往来は絶えることはなく、銅銭が大量輸入され、唐物が珍重された。室町時代は戦乱の世であったが、東山文化の時代を中心にして、猿楽茶の湯・書院(書院造)などが発展し、今日「日本的」といわれる文化の多くがこの時代に創られた。

該当する文化: 鎌倉文化室町文化北山文化東山文化

近世 編集

安土桃山時代にヨーロッパの新しい異文化がもたらされた(南蛮文化)。鉄砲が戦闘形式を一変させ、天下統一への道を開いたほか、外来語天ぷらなど飲食物も伝えられた。イエズス会などの宣教師たちがキリスト教の布教を進めたが、徳川幕府がスペインポルトガルの領土的野心を疑うと共に、特定宗教が国内における大勢力になることを嫌ったため、宣教師は追放され、次いで禁教の施策が取られた。こうして江戸幕府はキリスト教の禁止および鎖国の道を選ぶことになる。この時期には宣教師及び朝鮮出兵で捕虜となった技術者が活版印刷の技術を伝え、刊行本が世に出回り始めた。

政権が安定し、「鎖国」によりオランダ李氏朝鮮琉球アイヌ以外の外国と隔絶された日本では、天草・島原一揆の鎮圧以来平和な時期が長く続き、再び独自の文化が発達した。寺子屋藩校の普及により読み書き算盤が広く浸透し、幕府奨励の儒学のほかに本草学などの自然科学が育った。庶民の間では芝居(歌舞伎人形浄瑠璃)や刊行物(浮世草子読本など)、そして浮世絵が愛好され、世俗的な文化が栄えた。大相撲興行が始まったのもこの頃である。また、日本が漢字文化の影響を受ける前の古代のことを研究することで日本本来のあり方を知ろうとする国学も興り、幕末の尊皇攘夷運動の思想的土壌を作った。

鎖国体制の中でも、制限された形で中国・朝鮮との交流は続いていた。西洋との交流は厳しく制限されたものの、長崎の出島を通じてオランダとの交易が行われた。長崎から入ってくる中国文化や西洋文化は知識人の好奇心を刺激し、洋学蘭学(医学)・漢方医学が発達した。この流れは、幕末帝国主義時代の欧米の接近に際して対応する力となり、開国の原動力のひとつになった。

該当する文化: 桃山文化寛永文化元禄文化宝暦・天明文化化政文化

近代 編集

幕末の開国、明治維新を経て、欧米の文物・制度を取り入れ日本の近代化を図ることが国家目標になった。新奇な風俗が次々にもたらされ文明開化の風潮が広まった。政府主導で積極的な西洋文化の導入が図られ、鹿鳴館時代には皮相的に急激な西洋化が図られたが、日本の伝統を見直そうという反動の動きも起こった。「和魂洋才」という言葉もよく使われた。啓蒙的な思想家が封建的な思想や習慣を否定し、西洋の政治制度、文物を紹介し、新聞、雑誌などのメディアや鉄道など交通機関の発達は各地に新しい文化を広め、庶民生活に大きな影響を与えた。しかし、都市部から離れた地域(農村部)では依然として、農業を基盤とした伝統的な行事や生活習慣が続いていた。

大正時代頃には進学率の上昇などを背景に、都市を中心に洋風の文化が次第に浸透し、デパートに代表される消費文化、大衆文化が成立した。アメリカの大衆文化の影響もあって、都市にはカフェー映画館などの享楽的な文化も広まり、エロ・グロ・ナンセンスが流行した。一方で貧富の格差も増大し、労働争議社会主義運動が起こるようになる。都市のスラム化も社会問題となった。

昭和初年の大恐慌により経済は疲弊し、農村は荒廃した。国民の期待は軍部に集まり、弱腰であると非難されていた政治家は信頼を失った。やがて日中戦争が始まると、共産主義・社会主義への弾圧が強まり、自由主義も弾圧された。戦意高揚のために日本及び日本民族の優秀さが説かれた。国際的には英米などから批判を受けて、日独伊三国同盟を結んだ。世界から孤立した日本は真珠湾攻撃により太平洋戦争を開戦し、第二次世界大戦に参戦、国家総力戦のため食料や資源が統制された。

太平洋戦争末期には、連合国の海上封鎖と空襲、働き盛りの男性が徴兵されたことによる労働力不足のために、日本は深刻な食糧難と物資不足に見舞われることになる。戦争遂行のため大衆文化や伝統文化も政府に統制された。

近代文化: 文明開化明治維新大正デモクラシー昭和文化

現代 編集

日本がポツダム宣言を受け入れて降伏し、アメリカ軍を主体とする連合国軍に占領されると、日本の大半はGHQの管轄下におかれた。GHQの指示により日本政府は特権階級、武装及び軍国主義の排除・解体・追放と産業・経済の民主化を進めた。旧植民地およびソ連軍占領地域からの引き揚げや戦地からの復員が進み、日本人は戦後しばらくの間は苦しい生活を強いられた。

戦後はアメリカの近代文化が国民の憧れとなり、高度経済成長により日本は飛躍的な工業化と都市化を遂げる。これに伴い従来の生活習慣は革命的な変化をとげ、伝統的な生活習慣の多くが失われていった。しかし戦後日本はアメリカのコピーではなかった。アメリカの近代的な文化を受け入れながら、独自の日本的な形に昇華し、多彩で豊かな食文化、アニメ漫画などをはじめとする新しい日本の文化が生まれた。アメリカに次ぐ経済大国となった日本は自信を回復し、1970年の大阪万博では「人類の進歩と調和」が謳いあげられた。

東アジアを除く諸外国では、近年にいたるまでもっぱら「サムライ」「ゲイシャ」などの一部の伝統的な文物が日本文化として知られていたが、バブル時代後の1990年代以降、諸外国にも現代的な日本のアニメや漫画が美しい、かっこいいなどと世界中から注目されるようになった。特にアニメ、漫画映画食文化は欧米やアジアの都市部に浸透し、それらに関する店や施設(寿司バーや漫画ショップ)が多数みられるようになっている。

総括 編集

先史時代の日本文化は、自然と調和しつつ、その中に共生感覚を磨いた価値観が芽生えた。そして有史以来、漢字文化圏に属し輸入文化・翻訳文化の側面を持ち、積極的に外国の文化を摂取し、これを在来の文化と融合して日本化することで独自の文化を形成してきた。しかし、同じく中国文化の絶大な影響を受けた韓国ベトナムと異なり、政治的には中国の諸王朝の支配に入ったことは、7世紀以降一度も無かった。平安期江戸期には外国との交流の機会が減少したが、この時期に日本独自の文化が顕著に熟成されたという特徴がある。その後、近代日本の文化は、明治維新と連合国占領時代の2度、大転換期を迎えた(もっとも、これは都市部を中心とする視点であり、民俗学などでは、むしろ第二次世界大戦と高度経済成長によってもたらされた文化の断絶が強調されている)。われわれ現在の日本人がイメージする伝統的文化にも明治以降に生まれたもの(例:神前結婚)や俗に言う外国文化であるもの(例:“コウノトリが赤ちゃんを運ぶ”という伝説。これはヨーロッパの民話であるが、日本でも地域的に定着している)も多い。「明治維新以降-第二次世界大戦降伏まで」の時代には、帝国主義国が植民地争奪を繰り広げる国際環境の中、西洋の圧倒的な文明と先進文化を前に日本のアイデンティティをどう捉えるかが課題であった。

強大な中華帝国が盛んな時代には、日本の貴族は中国文化を模範とした天平文化を築き、留学生が学んできた先進文化が政策上の規範になった。漢文を流暢に読み書きすることは、貴族にとって重要なことだった。

平安時代以降、日本独自の「国風文化」が興ったが、この時期までの文化の中心は貴族と寺院であった。平安末期の平氏政権期から鎌倉時代にかけて日宋貿易が行われ、新しい仏教とともに精進料理や文人画などの中国文化が流れ込んだ。その後の日本の伝統文化にもこの時期に宋から取り入れられた文物の流れをくむものが多い。鎌倉時代には関東を中心にした武士の文化が京都の王朝・貴族文化と並び立つものとして勃興する。

室町時代には日明貿易によって引き続き中国文化が持ち込まれ、この時期に輸入された織物や陶器・書画などは、現代に残る伝統工芸品の技術に流れ込んでいる。室町時代から安土桃山時代には、戦国大名により各地に地方色豊かな文化が生まれた。

江戸時代、「鎖国」の世にも長崎を通じて清国との交流は続き、儒者は清以前の中国を理想化する傾向があった。また、蘭学が盛んになると、「日本」という国のアイデンティティを求め、古代日本へ回帰しようとする国学のような学問も興った。また、江戸時代は江戸・京都・大坂の3大都市を中心に町人の文化が栄えた時期である。

第二次世界大戦以前の帝国主義時代には、日本を強国にするため積極的に西洋の文物や価値観を取り入れようとする動き(脱亜思想)と、独立のために伝統を強調しようとする動き(国粋主義)、そして西洋文明に対抗してアジア諸国の連合を目指す動き(アジア主義)が存在した。この3つの潮流はしばしば衝突し、極端な西洋崇拝になったり、日本文化のアジア進出に結びついたり、また西洋文明を蔑視するようになったりもした。最終的にはこの3つの流れは合流し、大東亜共栄圏へと繋がっていく。

第二次世界大戦後は、アメリカ文化を積極的に受け入れる(アメリカナイゼーション)動きが優位となり、日本文化のアメリカ化が進むものの、この3つの価値観は日本の外来文化をめぐる態度の底流として影響を与え続けていると見られる。

日本文化論 編集

日本文化、あるいは日本人を特徴づけると考えられる概念を中心にした日本文化論・日本人論も多く提唱されている(日本人論の項目を参照)。

日本人の気質と主張されるもの 編集

日本でも個人が自己の利益を図り、利益の対立する他者と競合するのは当然であるものの、一応表向きは、自己主張を抑える奥ゆかしさが美徳とされるので、そのような価値観の比較的薄い社会の人間と比べた場合、その表向きの建前を崩さずに、時には逆に利用して相手を出し抜いて自分の利益を達成することが多くなりがちといわれることが多い。これは他の『○○文化論』同様、ひとつのナラティブであるという異論も強い。真偽は別にして、具体的には以下に挙げたようなものがある。

  • お辞儀敬礼:日本ではこのような礼法が発達したことについては多くの意見がある。無論、心の底はまた別である。
  • 本音と建前:表向き、『和』を重んじることになっているので、表向きは無難なことだけを言い、真意は相手に「察してもらう」ことを期待する傾向が強いとされる。私的な空間や利害関係のない相手と向き合っているときなど、『和』という表向きの約束事にも配慮する必要がないときは、より露骨に自分の本音を出すようになる傾向があるといわれる。
  • 「ハレ(晴れ)」と「ケ(褻)」
  • ウチとソト
  • 根回し : 非公式な打ち合わせで、事前に利害を調整しておく交渉のやり方。
  • 談合:上層部による話し合いで問題を解決するやり方。解決に至った場合は手打ちという儀式行為が成される。水枯れ期の田圃への取水についての村落同士の話し合いなどを発生起源とし、近年では土木・建設をはじめ多くの公共事業の分配方法の商慣習として蔓延していた。諸外国におけるカルテル同様、商行為上の犯罪行為として摘発されるようになってきている。
  • 」の文化・「謙遜」の文化
  • 義理の倫理
  • お上」への従順さ、政治に対する無関心。
  • をかし
  • もののあわれ
  • 忖度」と「慮(おもんぱか)る」
  • 体育会系村社会
  • 過労死
  • 飲みニケーション

外国から見た日本 編集

概要 編集

江戸時代から明治時代の日本には、多くの外国人が訪れ、あるいは居住しており、その人たちが残した記録や著作が多く伝わっている。ラザフォード・オールコック『大君の国』、アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』などは今でも読まれている。また、これらの著作によって近代西洋人の日本観について論じたものとして、渡辺京二の『逝きし世の面影』や、平川祐弘『和魂洋才の系譜』などの著作がある。

日本文化がヨーロッパでまず注目されたのは浮世絵などの美術品であった。その後、非西洋国家として初めて近代化に成功し、日清・日露戦争に勝利した日本に対して世界的な関心も高まった。外国からイメージされた「日本」の文化は、特に欧米圏では、キリスト教文化とは全く系統の異なる文化への好奇心(エキゾチズム)から、ある一面が誇張され、あるいは中国などと混同され、ステロタイプ(ステレオタイプ、紋切り型)化されて伝わる傾向があり、日本人から見れば「偏った認識」と思われるものが多く見受けられた。近年では、アニメ、漫画カラオケデジタルアートコンピューターアートなどMade in Japanゲームなどのポップカルチャーが海外で注目され、今までとは違った「日本」のイメージを持つ者も増えてきている。ハリウッド映画にも、本格的に日本を描こうとする作品が作られたり、日本映画をリメイクしたり、日本人監督を起用するなどの動きが見られる[要出典]

2020年の『USニューズ&ワールド・レポート』によると、日本の文化的影響力は、アジアで最も高い順位を記録した[1]

蔡亦竹によると、国共内戦後、中国から台湾に逃れた少数派の中国国民党は、多数派の元日本国民であった台湾人に「われわれは対日戦争に勝って台湾人を二等国民の扱いから解放した」と主張することで、自らの高圧的統治を正当化し、台湾人アイデンティティを喚起してしまう恐れがあるため、元々台湾人のみに共有された、日本文学日本映画テレビ番組などは推奨しなかった[2]1972年日中国交正常化に伴い、台湾は直ちに日本に国交断絶を宣言したが、中国との国交樹立は裏切りであり、この年に台湾政府は一切の放送で日本語を禁止にし、日本映画の輸入もご法度になり、1980年代末にようやく禁制が緩くなったが、薬師丸ひろ子が台湾で映画宣伝をおこなった際は、日本語では無く英語で司会者とやり取りをおこない、「日本追放」の全面解除は1993年まで待たねばならず、学校では日本は悪者として教育された[2]。政権に政治的に圧迫され、マスコミを統制された台湾人はレンタルビデオ店の棚に並んでいる、在日台湾人が録画し、キャビンアテンダントが台湾に持ち込んだ「密輸品」の日本のプロレスドラマ時代劇バラエティ番組アダルトビデオに心の自由を求め、「密輸品」のビデオでエンターテインメントを享受することで「オレらの方が本物を知っているぞ」という妙な優越感を持ち、政権の思想統制をあざ笑ったという[2]

日本のアニメ、J-POPファッションを愛するタイ人がたくさんおり、Japan Expo、アニメ、J-POPほか多くのイベントが行われている(2018年Japan Expoの来場者は53万人[3][4]タイ学者Nopporn Suwanpanichタイ語版は、「我々(タイ人)は、自分たちよりも文明的な国から学びたいと思っています」「日本はアジアで最も文明的な国です。私たちは日本人ヒーローだと思っています」と述べている[5]

香港では日本文化の影響は大きく、人気がある。嶺南大学の梁旭明は、「茶道着物に象徴されるように、彼らの深い文化がうらやましいのです」「私たちにはそのようなものは、あまりありません」として、香港人が日本文化を称賛するのは、お金に貪欲な香港文化よりも豊かに見えるからと述べている[5]

アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの英語圏国家でも大きな影響力を与えている。2021年、単語検索ツールWordtipsが世界各国で語学学習をするに当たり、どの言語が最も人気があるかをGoogleキーワードプランナーを利用し調査したところ、アメリカカナダオーストラリアニュージーランドといった英語圏を中心に、日本語が最も学びたい言語に選ばれた[6]

外国から見た日本文化 編集

民話・伝承・昔話 編集

日本各地に様々な言い伝えや民話昔話などが伝わっている。

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下駄
 
髪飾り

古く縄文時代の遺跡から見つかる勾玉などの装身具(アクセサリー)、日本神話に見られる三種の神器(勾玉・)などから初期の衣類を含めた身体装飾には権威的・呪術的な意味があったと考えられている。

後に律令制を導入すると官製を中心に本格的に身分・階級の違いを表すようになっていく。一時的に大陸文化を遮断した平安時代には国風の平安装束も発達した。

その後、時代によって衣装はめまぐるしく変わりながらも、身分によってある程度分類されていた。明治時代以降、軍隊や官庁、学校などから次第に西洋風の服が採用されるようになり、今日では日常的には洋服を着用し、晴れの日やめでたい日(「ハレとケ」)など和服を着る、といったスタイルが多くなっている。

伝統衣装 編集

装束の詳しい種類や詳細は和服及びCategory:和服を参照。

現在一般的に知られている
現代の一般的な冠婚葬祭の装束
その他
付属品・携行品
化粧・装飾
織物、裁縫関連
日本各地の織物の伝統工芸品については、伝統工芸を参照。
時代による変遷
大衆的ではないファッション

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御節料理(三段重)の例

日本の料理は「和食」(学術的には「日本料理」)と呼ばれており、欧米や西アジアの料理とはかなり異なっているが、東アジア東南アジア諸国には、日本と類似した料理、食材などが数多く見られる。

しかし、食のマナーの面では他の東アジア諸国と比べても独特なものがある。東アジア諸国での食事の仕方は鍋物や大きな皿に盛った料理に皆で取り分ける食べ方が多くみられる。日本では平安時代の貴族の間で儀礼・酒宴として食された大饗料理がこの形態であり、主人と客が椅子に着座して机がおかれ、「台盤」と呼ばれる卓上に大皿の料理が置かれ、これを取り分けられた。

中世には大饗料理に代わり、武家における儀礼・酒宴の料理として本膳料理が確立する。本膳料理は主人と客が床に着座し、個人専用の食器(属人器)に複数の料理を配膳する銘々膳が特徴とされる。

他の東アジア諸国では取り箸を使わず、各人の箸で料理を取り分ける直箸が親愛の表現とされるが、日本では直箸はマナー違反である(最近は衛生上の理由から、東アジア各国でも取り箸を使う習慣が定着してきている)。また、碗や皿などの食器を持つことが許され、箸だけで食事をするのは日本だけとされる(箸を使う習慣のある他の地域では、汁物や米を食べる時に匙を使うのが一般的である)。蕎麦やうどんなどの汁麺を音をたててすすることが許されていることなど、日本以外では見られないような習慣が多い[要出典]。近年は低脂肪の日本食が評価され、健康的な食事とも言われる。

郷土料理は、比較的狭い地域でも山間部と平野部、沿岸部と内陸部で食生活の違いがあるほか、江戸時代から明治初期の廃藩置県前までの藩政時代に基盤をもつものが多い。このため、食文化は都道府県よりも細かい地域ごとに多彩な食文化が存在している。

今日の日本人は朝・昼・夜と3回の食事を取るのが一般的である。保存技術の発達により、日本のどこでも新鮮な海産物が手に入る(日本は魚介類の消費が世界一である)。家庭で料理するより、外食中食で済ませる機会も多くなっている。20世紀以降、海外の食文化を積極的に取り入れたために、伝統的な和食のみを食べる人々は減ってきている。

日本人が魚介類やを生で食べること、海藻を食べること、それらの食文化を奇異に感じる日本国外の人もいる。

また、各食の分野にはそれぞれ技があり、長年の訓練と経験を積んだ専門職人がいる(例:寿司職人)。

和食(日本料理)
 
天ぷら
 
握り寿司
 
抹茶
 
お好み焼き製造過程の一部
 
かまど
料理
飲み物
食品・食材・材料
庶民的な食品食材からブランド品まで含む。
肉類
  • 江戸時代以前は魚肉に分類。
  • 和牛
魚介類
海藻
野菜
芋類
茸類
果物
柑橘類
加工食品
調味料
和菓子
調理方法
食器マナー
マナー
日本料理の種類

編集

 
法隆寺
 
京都府・銀閣
 
茅葺き屋根
 
天守、初の外観復元天守 名古屋城

日本の住宅 編集

日本各地では、古くからその土地にあった建材を利用した住宅が建てられてきた。そのような地域差がありながらも、日本全国どこでもを使った住宅(日本家屋、和風住宅)が建てられてきた。この背景には、豊富な木材と、湿度の高い気候、木の性質をよく知った技術者の存在などがあった。

住宅は近年までほとんどが木造であったが、現在は鉄筋コンクリート造鉄骨構造の住宅(戸建て、集合住宅)も多くなってきている。また、木造住宅でも現在は輸入材の使用が一般的で、品質の規格化・均一化が進んでいる。

日本建築 編集

古墳時代以前のものは遺跡も参照。
木造の建築様式
御所・離宮
神社
寺院
城郭
民家
近代・現代建築
明治時代以後、ヨーロッパの建築様式・技術が伝えられ、日本の建築も大きく変わっていった。

日本人の空間概念・意識 編集

生活 編集

 
南部鉄器鉄瓶
 
伊万里焼の壺
 
招き猫
 
蚊取り線香

伝統工芸 編集

日本各地で、「ご当地~~」と呼ばれる土産品があるが、それらの日用品は、地域の自然や歴史、産業、伝統などに見合った製品を作ろうとしてきた地域の人々の工夫の賜物である。また、日用品も、現代では多くが大企業の工場で作られるようになったが、その技術も、古くから培われてきた伝統工芸品の技術を応用して生産されているものが多い。

街頭文化 編集

他の国では見られない、または少ない、日本の街中での特徴を示す。

日本の葬式 編集

宗教意識が薄れている現代にあって、葬式は、特に宗教上の信念があってキリスト教式や新宗教の様式で行われる場合、また神式の神葬祭を除けば、仏教の形式を用いる仏式葬儀が行なわれることが多い。

中世以降、庶民の間でも家が成立し、その繁栄や継続が重視された。また、中世は戦乱や災害が多発した時代であり、庶民は弔いを強く求めた。鎌倉仏教の僧侶は、そのような状況を踏まえつつ、身分の貴賤に変わらず庶民を救う観点から、葬式や祖先供養を積極的に行うようになった。その結果、日本の仏教は大衆化する過程で「葬式仏教」となり、庶民は菩提寺檀家の関係が確立していき、江戸時代に一般化した。その状況が、現代まで引き継がれた結果のもので、純粋な宗教行事というより、習俗化したものといえる(現代においては「葬式仏教」は、葬式代や戒名代の高さが注目され、否定的な意味合いでとらえられることもある)。

近年はビジネス化された仏式葬儀に疑問を持つ人びとも増えつつあり、簡素な神式の葬儀も増加している。さらに自然葬散骨宇宙葬森林葬など)もひとつの形式として浸透し始めている。

通夜葬儀場服喪回忌法事盂蘭盆会彼岸

日本の婚礼 編集

結婚相談所見合い結納仲人結婚式場三々九度お色直し床入り新婚旅行

通過儀礼・儀式 編集

七五三入学式卒業式成人式送別会還暦古希喜寿傘寿米寿卒寿白寿若衆宿元服隠居出家得度剃髪

家族制度 編集

本家分家家督養子入り婿部屋住み後家行ず後家名字屋号特別養子縁組無戸籍者死産里親

付き合い・社会制度 編集

寄合い町内会回覧板隣組連絡網コンパ合コン消防団

贈答・儀礼 編集

中元歳暮年賀暑中見舞寒中見舞火事見舞病気見舞快気祝内祝熨斗水引折形香典香典返し冠婚葬祭無尽講頼母子講お返しお年玉

祭儀 編集

地鎮祭定礎上棟式、~開き(事務所・ピアノ・鏡、etc.)、中締めお開き一本締め三本締め

就学制度・教育機関 編集

(詳しくは「日本の教育」「学校制度」その他の項を参照の項を参照)

母子健康手帳保育所幼稚園認定こども園就学前教育授業参観
学校週5日制ハッピーマンデー制度卒業旅行

ハンディキャッパーとの共住 編集

(詳しくは「高齢者福祉」、「社会福祉」その他の項を参照)

生活用品・日用品 編集

家具
その他
電気製品

行事 編集

日本のこよみ 編集

日本のこよみについては、Template:季節の話題Template:今日のこよみTemplate:今日は何の日も参照。

暦注の内容
暦記法

年中行事 編集

 
姫路城と花見
 
七夕の笹飾り
 
除夜の鐘
宗教的なものが濃い年中行事#宗教に記載。
各日の行事については、メタリンク 365日を参照。
農業類に関する行事も戦前ごろまで大きな行事であったが、農家の減少や機械化により少なくなっている。(農事暦参照)

1月 - 正月三が日は1日〜3日)、正月飾り御節料理雑煮初夢年賀状初詣七草粥新年会鏡餅鏡開き)、左義長書き初め(2日)、姫始め(2日)、仕事始め(4日)
2月 - 節分春闘バレンタインデー(14日)
3月 - 雛祭り(3日)、卒業、春の彼岸ホワイトデー(14日)
4月 - 入学、新学期、四月馬鹿(エイプリルフール)(1日)灌仏会(8日)
5月 - メーデー(1日)、端午の節句(5日)、ゴールデンウィーク(3日、4日、5日を中心に連休の長さにより毎年変動)、母の日(第2日曜)
6月 - 衣替え父の日(第3日曜)
7月 - 七夕(7日)、暑中見舞い
8月 - 残暑見舞いお盆お中元
9月 - 新学期、防災(1日)、秋分十五夜、秋の彼岸敬老の日(第3月曜)
10月 - 衣替え - ハロウィン(31日)
11月 - 七五三感謝祭(第4木曜日)、ブラックフライデー(第4金曜日)
12月 - サイバーマンデー(第2月曜日)お歳暮忘年会クリスマス(24日、25日)、仕事納め大晦日除夜の鐘(31日)、年越し蕎麦

期日が定まっていないもの
季節
国土の大半が温暖湿潤な気候帯に属し、春夏秋冬がはっきりと推移するこの国においては、この気象条件から、稲作による定住生活が生活の基盤となった。それゆえ、この国に棲む人々は四季の移ろいに敏感で、穏やかではあるが自然に対して感受性の鋭い国民性が育まれた。また、周囲を海に囲まれ個立した島国であることで、他民族との接触に一定の制御が加えられ、前記の特質に加えてさらに、独特の繊細で豊穣な文化を醸し出す下地ともなってきた。

地域の祭り 編集

地域の祭りについてはCategory:日本の祭り

日本で古くから行われている祭りでは神を祭る行事として神輿や御神体を使って行われていることが多い。神を称え、豊作や健康を祈ったり、邪悪なものを吹き飛ばすというような意味合いも込められる。祭りは時期を問わずさまざまなものが行われ、キリスト圏でいう「クリスマス」や「ハロウィン」というように祭りが一日に集中するような日というものは特にないが、季節で見ると夏に多く行われ、盆踊り花火大会が多く開催される。

宗教 編集

 
舞子延命地蔵
 
八坂神社

日本では憲法において「信教の自由」が謳われており、様々な宗教が信仰されている。仏壇(仏教に従って先祖や故人をまつる)と神棚(神道の神をまつる)が両方あるという家庭もあり、いっぽう近年では、そのどちらもないという家庭も増えている。

特定の宗教・宗派に個人的に関わる人も多いが、日本人は全体として宗教意識が希薄であり、事実上の無宗教に近い人々が多数派である。一般的に葬礼は仏式で行われることが多く、結婚式はキリスト教式あるいは神式で、といった宗教形式の混在現象が見られる。日常的に特定の宗教を熱心に信仰するというよりも、事ある毎に個人や家族あるいは団体で、適宜宗教行事として関わるという傾向が顕著である。墓式に関しては、家族の関わる仏教各宗派に属するものが圧倒的に多いが、最近では無宗教のものも増えている。宗教施設の中には神仏習合の権現として参拝の対象になっている例も存在する。また現世利益(世俗)的なものもあるが願掛けなど宗教行為をおこなう所が民間信仰に限らず寺社の中にもあり、これらは観光名所になっている事も多い。

神道 編集

仏教 編集

神仏習合・民間信仰・新宗教 編集

定義上、上記2項目に含まれているものもある。

キリスト教 編集

各地にキリスト教会があり、クリスマスなどの行事は多くの日本人に親しまれているが、キリスト教の信徒は人口の0.8%程度と少ない。カトリック系が最も多い。

言語 編集

 
ひらがな表
 
カタカナ表
日本の言語について、詳しくは日本語の方言日本を参照。

日本の法律、公文書等には日本語が用いられており、日本語が公用語である(裁判所法第74条に裁判では日本語を使うことが規定されているほかは、法律上の明文はない)。実際に使用される場面も日本語が最も多い。

古代から使われてきた言葉は大和言葉であるが、中国の影響もあって高い割合で漢語が使用されるほか、明治時代以降は英語などの外来語やそれを翻訳した和製漢語も多く使われている。英会話が苦手だという日本人は多いが、英語に由来する外来語(例:グローバルスタンダードなど)は好んで使われ、和製英語という日本独自の「英語」も生まれている。歴史的経緯や国際化の進展によって、標識看板などで英語朝鮮語韓国語)、中国語ポルトガル語ロシア語などの併記も行われるようになってきている。

日本語には多様な方言があり、地域によってかなりの違いがある。しかし明治時代に東京方言を基盤に標準語共通語が整備されて以降、学校教育やマスコミ等の影響で東京をも含め全国で伝統的な方言は衰退していく傾向にある。

日本語 編集

漢字
仮名
文法
その他

沖縄県鹿児島県奄美群島における諸方言は、総称として「琉球方言」と呼ばれる。琉球諸島の言語は本土と口頭では互いに通じないほどの違いがあり、また島が違うと意思疎通が困難なほどの著しい多様性を持っていたため、言語として「琉球語」ないし「琉球諸語」とも呼ばれている。現在、沖縄県においてはウチナーヤマトグチと呼ばれる日本語の新方言が話されている。

障害者が使用する言葉

耳の聞こえない、聞こえにくい聴覚障害者の間では、「手話」が広く用いられている。難聴など聴力を完全に失っていない人などでは「口話」を使う人もいるが、限界もある。日本手話は、一見日本語と同じように見えるが、独自の要素を持っている。語順も必ずしも日本語と同じとは限らない。

目が見えない、見えにくい視覚障害者には、点の並び方ですべての文字を表せるよう考案された「点字」がある。

日本語以外 編集

アイヌ語
日本では北海道を中心に千島樺太でも使用されていた。アイヌ人が使用していたが、現在では日常会話に使っている者はほとんどおらず、話者が激減し数百名しか話せる人がいない、危機言語(話者がいなくなるおそれのある言語)である。
その他
日本に数多く暮らす在日朝鮮人・韓国人は、日本語を使う者が多数派になっている。朝鮮語(韓国語)も使われており、日本では日本語に次いで話者が多い。しかし、日本で話される朝鮮語は日本語の影響を受け、在日朝鮮語と呼ばれる日本化した朝鮮語になっている。
他にもブラジル人ポルトガル語などが一部地域でよく話されている。

娯楽・レジャー 編集

娯楽 編集

 
(翁奉納 春日神社 (丹波篠山市)

旅行・観光・行楽 編集

 
道後温泉本館重要文化財近代和風建築

日本人は旅行好き、観光行楽好きと言われる。

遊び 編集

伝統的

自然

冬・雪

学校・球技

近代的

スポーツ 編集

 
広島大学の剣道

本来、スポーツとは西洋の概念であることから、近代以前の勝敗を争うような身体活動は単に「競技」、また戦闘技術に関するものは「武術」「武道」などと呼ぶ方が正しい。

伝統的スポーツ 編集

近代以降のスポーツ 編集

明治時代以降、海外の影響を受けてサッカーテニス野球ボート陸上などの競技が学校を中心に導入された。ゴルフは社交として戦後盛んになり、接待で行われることも多い。また、上記の古武道が西洋スポーツを取り入れるなどして現代的にアレンジされ、現代武道となった。

選手の育成・技能の向上 編集

レクリエーションとしてのスポーツ 編集

芸術・メディア 編集

趣味・嗜好・教養 編集

文学 編集

文学
 
元暦校本万葉集

美術 編集

美術
 
浮世絵凱風快晴葛飾北斎

工芸 編集

工芸陶芸

芸道 編集

 
茶道。盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。
芸道

音楽 編集

音楽
 
三味線を弾く日原史絵

映画 編集

 
ゴジラ』(1954年)
映画

園芸 編集

 
岩倉実相院の石庭(京都)
園芸
  • 園芸植物
朝顔桜草花菖蒲万年青イワヒバカラタチバナ万両ヤブコウジ松葉蘭長生蘭富貴蘭東洋ラン椿など

学問 編集

学問
その他

情報・通信・マスメディア 編集

情報通信マスメディアの発達は日本文化に大きな影響を与えている。

サブカルチャー 編集

 
秋葉原・万世橋交差点(2013年)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 例えば、住居が和風座敷から洋間に変わっても、室内にを脱いで上がる点では変わらない。
  2. ^ 針供養などの、針を含めた道具にも魂が宿るとする考えは仏教では、邪道とされた。
  3. ^ 仏教と密教を別の宗教とする宗教学上の見解も多い。
  4. ^ 儒教は哲学や思想であるが宗教では無いとする見解もある。
  5. ^ ベトナムも漢字文化や儒教を受け入れたが、現在では影響が薄まっている。
  6. ^ 古くはキリシタン文化。

出典 編集

  1. ^ “Cultural Influence Cutting-edge centers of art, entertainment and fashion. Italy and France top this list.”. USニューズ&ワールド・レポート. オリジナルの2021年8月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210813052942/https://www.usnews.com/news/best-countries/influence-rankings 
  2. ^ a b c “台湾人だけが知る、志村けんが台湾に愛された深い理由”. ニューズウィーク. (2020年4月3日). オリジナルの2021年8月13日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210813195835/https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/04/post-92988_1.php 
  3. ^ “タイで「ジャパン・エキスポ」53万人来場”. 日テレNEWS24. (2018年1月29日). オリジナルの2018年2月1日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180201075113/https://www.news24.jp/articles/2018/01/29/10384182.html 
  4. ^ “かわいすぎるタイ人日本語教師 びーむ先生インタビュー”. タイランドハイパーリンクス. (2014年3月3日). オリジナルの2014年3月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140306175953/https://www.thaich.net/news/beamsensei.htm 
  5. ^ a b c d “Cute Power!”. ニューズウィーク. (1999年11月7日). オリジナルの2019年5月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190509023151/https://www.newsweek.com/cute-power-164150 
  6. ^ MISCThis is the Language Each Country Wants to Learn the Most”. 2021年10月1日閲覧。
  7. ^ “Fight'n Rage, el juego más indie uruguayo se traduce al japonés”. エル・パイス英語版. (2020年9月9日). オリジナルの2021年8月24日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/ZWrnP 
  8. ^ ブリギッテ・シテーガ『世界が認めたニッポンの居眠り』 畔上司訳 阪急コミュニケーションズ 2013年、ISBN 978-4-484-13107-8 pp.10-15.
  9. ^ 「カラオケ、エモジ…」 オバマ氏、日本語交え、安倍総理を歓待 産経新聞2015.4.28

関連項目 編集

外部リンク 編集