日本の航空事故
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日本の航空事故(にほんのこうくうじこ)は、日本国内で発生した民間航空機やゼネラル・アビエーションの航空事故およびインシデントについての一覧である。以下ではそれぞれの事故を事故発生日順に並べ、凡例で挙げた項目について記載している。
日本国外で発生した航空事故については以下を参照。
- 航空事故の一覧 (1959年以前) - 1959年以前に発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (1960年から1979年) - 1960年から1979年までに発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (1980年から1999年) - 1980年から1999年までに発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (2000年から2019年) - 2000年から2019年までに発生した航空事故
- 航空事故の一覧 (2020年以降) - 2020年以降に発生した航空事故
なお、日本国内の各航空会社の事故については、以下の一覧記事も参照のこと
凡例編集
- 事故発生日
- 便名: 航空会社と便名もしくは機体記号または機体名
- 機種: 製造元と機種
- 死者: 犠牲者数
- 状況: 事故の状況
- 詳細: 個別の記事がある場合には詳細として内部リンク
1910年代編集
1913年編集
1920年代編集
1928年編集
1930年代編集
1931年編集
1932年編集
1935年編集
1936年編集
1937年編集
- 1937年5月26日
- 便名: フランス航空省主催「パリ東京間100時間懸賞飛行レース」
- 機種: コードロンC635シムーン
- 死者: 乗員2名軽傷。
- 状況: 悪天候により高知県の戸原海岸に不時着、転覆して大破。マルセル・ドレ(fr:Marcel Doret)と機関士が軽傷を負った。[7]
1938年編集
- 1938年7月29日
- 1938年8月24日
- 便名: 1) 日本飛行学校 訓練機(機体記号:J-BIDH)、2) 日本航空輸送 旅客機(機体記号:J-BJDO)
- 機種: 1) アンリオ (en) HD.14 EP-2、2) フォッカー スーパーユニバーサル
- 死者: 両機の乗員5人全員と地上の80人が死亡。
- 状況: 大森区(現在の大田区)上空で空中衝突。1機が工場に墜落し爆発炎上したため、付近の市民も数多く巻き込まれた。
- 詳細:「大森民間機空中衝突墜落事故」を参照。
- 1938年12月8日
1939年編集
1940年代編集
1940年編集
1950年代編集
1952年編集
1954年編集
1957年編集
1958年編集
1960年代編集
1960年編集
- 1960年3月16日
- 便名: 1) 全日本空輸 25便、2) 航空自衛隊 訓練機(機体記号:94-8137)
- 機種: 1) ダグラス DC-3、2) ノースアメリカン F-86D セイバー
- 死者: 両機の乗員乗客34人中3人が死亡。
- 状況: 航空管制ミスにより、小牧空港の滑走路上で2機が正面衝突。
- 詳細: 「全日空小牧空港衝突事故」を参照。
- 1960年11月17日
1962年編集
1963年編集
- 1963年4月24日
- 1963年5月1日
- 便名: 日東航空 つばめ号(機体記号:JA3115)
- 機種: デ・ハビランド・カナダ DHC-3 オッター
- 死者: 乗員乗客11人中9人が死亡(2人が負傷)。
- 状況: 濃霧の中、航路を誤ったことで淡路島の諭鶴羽山に墜落。
- 詳細: 「日東航空つばめ号墜落事故」を参照。
- 1963年5月10日
- 便名: 全日本空輸 802便
- 機種: ダグラス DC-3
- 死者: なし(7人が負傷)。
- 状況: 仙台空港で着陸に失敗。
- 詳細: 「全日空機仙台空港着陸失敗事故」を参照。
- 1963年8月17日
- 便名: 藤田航空 臨時便(機体記号:JA6155)
- 機種: デ・ハビランド DH-114 ヘロン1B
- 死者: 乗員乗客19人全員が死亡。
- 状況: エンジントラブルのために空港に引き返そうとして山間部に墜落。
- 詳細: 「藤田航空機八丈富士墜落事故」を参照。
1964年編集
1965年編集
- 1965年2月14日
- 便名: 全日本空輸 貨物機(機体記号:JA5080)
- 機種: ダグラス DC-3
- 死者: 乗員2人全員が死亡。
- 状況: 南アルプス山中に巡航中墜落したが、機体が発見されたのは失踪後22か月経ってからであった。失踪当日は悪天候であったが、墜落原因は不明となっている。
- 詳細: 「全日空貨物機失踪事故」を参照。
- 1965年2月27日
- 便名: 日本航空 訓練機(機体記号:JA8023)
- 機種: コンベア 880-22M-22[19]
- 死者: なし(2人が負傷)。
- 状況: 「日本航空壱岐空港墜落事故」を参照。
- 1965年12月25日
- 便名: 日本航空 813便
- 機種: ダグラス DC-8-33
- 死者: なし。
- 詳細: 「日本航空オークランド空港緊急着陸事故」を参照。
1966年編集
- 1966年2月4日
- 1966年3月4日
- 1966年3月5日
- 便名: 英国海外航空 (BOAC) 911便
- 機種: ボーイング 707-436[22]
- 死者: 乗員乗客124人全員が死亡。
- 状況: 富士山上空で乱気流に巻き込まれて機体が空中分解し墜落。
- 詳細: 「英国海外航空機空中分解事故」を参照。
- 1966年8月26日
- 便名: 日本航空 銀座号(訓練機、機体記号:JA8030)
- 機種: コンベア CV-880-22M-3[23]
- 死者: 乗員5人全員が死亡。
- 状況: 操縦士の試験飛行の際に離陸に失敗し、滑走路脇に墜落炎上。
- 詳細: 「日本航空羽田空港墜落事故」を参照。
- 1966年9月18日
- 便名: 全日本空輸 60便
- 機種: フォッカー F27 フレンドシップ
- 死者: なし。
- 詳細: 「全日空機鹿児島空港オーバーラン事故」を参照。
- 1966年11月13日
1967年編集
1969年編集
- 1969年10月20日
- 便名: 全日本空輸 104便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-213[26]
- 死者: なし。
- 詳細: 「全日空機宮崎空港オーバーラン事故」を参照。
- 1969年12月14日
- 便名: 1) 全日本空輸 547便、2) 読売新聞社 取材機(機体記号:JA5022)
- 機種: 1) 日本航空機製造 YS-11A-213[27]、2) ビーチクラフト C-50 ツイン・ボナンザ
- 死者: なし。
- 状況: 全日空所属のYS-11型機が兵庫県淡路島上空で読売新聞社所有のビーチクラフト機と接触。幸い両機とも大阪空港に無事に着陸した。接触によりビーチクラフト機は方向舵が利かなくなり、プロペラが曲がる損傷。全日空機は事故で左主翼の先端を接触で失った[28]が、製造中の主翼を流用して1か月後に復帰した。なお、全日空機は退役後、香川県のさぬきこどもの国で保存展示されている。
- 詳細: 「全日空機淡路島空中接触事故」を参照。
1970年代編集
1970年編集
- 1970年2月10日
- 便名: 東京航空 取材機(機体記号:JA3141)
- 機種: 富士重工業 FA-200 エアロスバル
- 死者: 搭乗者3人全員が死亡。
- 状況: かりふぉるにあ丸遭難事故取材のためにフジテレビがチャーターした航空機が千葉県沖に不時着水し行方不明に。原因は杜撰な飛行計画のために燃料が枯渇し不時着水を余儀なくされたこととされた。
- 1970年5月23日
- 1970年7月27日
- 便名: フライング・タイガー・ライン 45便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-8-63AF
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 那覇空港の滑走路手前の海上に墜落。
- 詳細: 「フライング・タイガー・ライン45便那覇沖墜落事故」を参照。
1971年編集
1972年編集
- 1972年5月15日
- 便名: 日本航空 便名不明(機体記号:JA8046)
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-8-61[34]
- 死者: なし(16人が負傷)。
- 状況: 操縦ミスにより離陸中に滑走路を逸脱し、エンジンより出火。
- 詳細: 「日本航空の航空事故およびインシデント#日本航空羽田空港暴走事故」を参照。
- 1972年5月30日
- 便名: 横浜航空 そよかぜ号
- 機種: セスナ 402A
- 死者: 乗員乗客10人全員が死亡。
- 詳細: 「横浜航空そよかぜ号墜落事故」を参照。
- 1972年9月23日
- 1972年12月8日
- 便名: 東亜国内航空 便名、機体番号不明
- 機種: ボーイング727-100
- 死者: なし
- 詳細: 東京発大分経由鹿児島行きの東亜国内航空機が大分空港に着陸後、エプロンに向かうためにUターンを行ったところ、操作を誤り滑走路外へ逸脱。草地へ突っ込み前脚を損傷した。東亜国内航空はジェット機を導入したばかりで、万全を期すために機長資格者2名同乗させるダブルパイロット制を採用。さらに当該機は東亜国内航空の運行責任者が直々に操縦していたが事故を避けられなかった[36]。
1973年編集
1977年編集
- 1977年9月8日
- 便名: 全日本空輸 855便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-500[38]
- 死者: なし。
- 詳細: 「全日空機大島空港オーバーラン事故」を参照。
1978年編集
- 1978年6月2日
- 便名: 日本航空 115便
- 機種: ボーイング 747SR-46[39]
- 死者: なし(23人が負傷)。
- 状況: 伊丹空港へ着陸の際、機体を引き起こしすぎたため胴体後部を滑走路に接触させるしりもち事故となった。同機体はボーイング社による圧力隔壁の不良修理の結果、日本航空123便墜落事故を起こす遠因となった。
- 詳細: 「日本航空115便しりもち事故」を参照。
1979年編集
- 1979年1月30日
- 便名: ヴァリグ・ブラジル航空 967便
- 機種: ボーイング 707-323C[41]
- 死者: 乗員6人全員が死亡。
- 状況: 太平洋上空を飛行中に失踪。現在に至るまで行方不明のため原因不明。
- 詳細: 「ヴァリグ・ブラジル航空967便遭難事故」を参照。
- 1979年7月21日
- 便名: 東亜国内航空 381便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11-109[42]
- 死者: なし。
- 詳細: 「東亜国内航空381便胴体着陸事故」を参照。
1980年代編集
1982年編集
- 1982年2月9日
- 便名: 日本航空 350便
- 機種: ダグラス DC-8-61
- 死者: 乗員乗客174人中24人が死亡。
- 状況: 東京国際空港への着陸進入中に、急激に降下し、滑走路の手前の海面に墜落。精神疾患を持っていた機長が、突然機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったのが原因。
- 詳細: 「日本航空350便墜落事故」を参照。
- 1982年8月26日
1983年編集
- 1983年3月11日
- 便名: 日本近距離航空 497便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-208[44]
- 死者: なし(52人が負傷)。
- 状況: 中標津空港に着陸進入中、滑走路手前の樹木に接触し墜落。 操縦士が吹雪のため滑走路の視認に気をとられ、適切な進入角度を取らないまま着陸を行ったのが原因。
- 詳細: 「日本近距離航空機中標津空港事故」を参照。
1984年編集
1985年編集
- 1985年8月12日
- 便名: 日本航空 123便
- 機種: ボーイング 747SR-46[47]
- 死者: 乗員乗客524人中520人が死亡。
- 状況: ボーイング社の修理ミスにより圧力隔壁が破損し、垂直尾翼が吹き飛び油圧を損失した。操縦不能に陥り迷走した後に御巣鷹山に墜落。単独機による事故では史上最悪の犠牲者数。
- 詳細: 「日本航空123便墜落事故」を参照。
1987年編集
- 1987年8月2日
- 便名: 日本農林ヘリコプター(機体記号:JA9355)
- 機種: アエロスパシアル AS350B
- 死者: 番組パーソナリティ(石田紀子)と番組スタッフ1名(その他の搭乗員3名も負傷)。
- 状況: ラジオ番組の湘南ミュージックスカイウェイのために飛行していたヘリコプターが、高度を下げすぎて海面に墜落。番組はそのまま打ち切りとなった。
- 詳細: 「湘南ミュージックスカイウェイ#パーソナリティーの事故死および番組終了」を参照。
1988年編集
- 1988年1月10日
- 1988年1月18日
- 便名: 全日本空輸 779便
- 機種: ロッキード L-1011-385-1 トライスター1[49]
- 死者: なし。
- 状況: 千歳空港への夜間着陸の際に滑走路を見失い、滑走路接地後に再浮上して滑走路の左側端に接地後オーバーランし滑走路を右側に飛び出して停止した。機体下面やエンジン下部を損傷するなど中破した。
- 1988年5月30日
- 便名: 全日本空輸 訓練機(機体記号:JA8455)
- 機種: ボーイング 737-281 Adv[50]
- 死者: なし。
- 状況: 沖縄県の下地島空港で片方のエンジンを止めた状態での離陸訓練をしていた際に、滑走路を逸脱し空港エプロン上で停止した。事故機は機体各部を損傷し、損傷した左主翼から燃料漏れを起こしたものの負傷者は出なかった。
- 詳細: 「全日空訓練機下地島離陸失敗事故」を参照。
1990年代編集
1990年編集
- 1990年9月27日
- 便名: 阪急航空 204便
- 機種: 川崎重工BK117-B1型
- 死者: 乗員2名乗客8名全員が死亡。
- 状況: 宮崎空港から延岡ヘリポートに向かっていたが台風20号の接近による視界不良により日向市細島港北側の牧島山山頂付近に墜落。延岡市に創業地工場群を持つ旭化成は、本社のある大阪市、東京への社員の出張又そこからの出張の受け入れが多いが、宮崎 - 延岡間は当時、鉄道は空港とつながっておらず、高速道路もなかった[51]。そのため、旭化成は自社ヘリポートを用意し、延岡工場と宮崎空港間を25分で結ぶヘリコプター路線を1989年3月に開設し、年間1万5千人の社員と、6000人の訪問者を運ぶ予定であった。しかしながら、この事故によりヘリコプターの運航を断念、日豊本線の「高速化」や、日南線の空港アクセス活用の気運がにわかに高まり、宮崎空港線敷設の契機となった。
- 詳細: 「阪急航空チャーター機墜落事故」を参照。
1993年編集
- 1993年4月18日
- 便名: 日本エアシステム 451便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-9-41
- 死者: なし(3人が負傷)。
- 状況: 花巻空港に着陸進入中に激しい乱気流に巻き込まれ、急激に降下したためハードランディングし機体が破損、炎上した。
- 詳細: 「日本エアシステム451便着陸失敗事故」を参照。
1994年編集
- 1994年4月6日
- 1994年4月26日
- 便名: 中華航空 140便
- 機種: エアバス A300B4-622R[53]
- 死者: 乗員乗客271人中264人が死亡。
- 状況: 名古屋空港への着陸復行の際に操縦士と機体制御システムが相反したあげく、失速し墜落。
- 詳細: 「中華航空140便墜落事故」を参照。
- 1994年10月18日
- 便名: 1) 朝日新聞社 取材機(機体記号:JA9621)、2) 毎日新聞社 取材機(機体記号:JA9250)
- 機種: 1) アエロスパシアル AS355 F1、2) アエロスパシアル AS350B[54]
- 死者: 朝日機の乗員3人全員が死亡。
- 状況: 和歌山県から戻る途中の朝日新聞社の取材ヘリコプターが、大阪府泉佐野市にある上之郷インターチェンジ上空で毎日新聞社の取材ヘリコプターと空中衝突し墜落[54]。事故原因は双方の見張り不充分であったが、山脈または市街地を背景に接近したため、互いに視認しにくい状況でもあった[54]。なお、毎日機は損傷を受けたが無事に着陸でき、また皮肉にも事故後に当事者と認識しないまま朝日機の墜落現場を上空から撮影していた。
1996年編集
- 1996年2月9日
- 便名: 長崎航空 回送便
- 機種: ブリテン・ノーマン BN-2B-20 アイランダー
- 死者: なし[55]。
- 状況: 福岡空港から長崎空港へ飛行中、長崎県東彼杵郡川棚町の高見岳に墜落した。
- 1996年6月13日
- 便名: ガルーダ・インドネシア航空 865便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-10-30
- 死者: 乗員乗客275人中3人が死亡[56]。
- 状況: 離陸滑走中にエンジンが故障し離陸中断したが、離陸決心速度を既に超過していたためオーバーラン、空港に隣接する道路を横切り、擱座・炎上した。
- 詳細: 「福岡空港ガルーダ航空機離陸事故」を参照。
1997年編集
- 1997年6月8日
- 便名: 日本航空 706便
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-11
- 死者: なし(12人が負傷[57]、のちに1人が死亡)。
- 状況: 着陸アプローチ中に自動操縦が突如解除され、機体が突如乱高下したことで搭乗員が負傷した。
- 詳細: 「日本航空MD11機乱高下事故」を参照。
1998年編集
- 1998年11月14日
- 便名: 日本トランスオーシャン航空 022便
- 機種: ボーイング 737-200
- 死者: なし(5人が負傷)。
- 状況: 副操縦士が漁火らしき灯火を航空機の接近と誤認し、急激な回避動作を行い機体を激しく動揺させたため負傷者が発生した。
- 詳細: 「日本航空の航空事故およびインシデント#日本トランスオーシャン航空022便」を参照。
2000年代編集
2000年編集
- 2000年2月16日
- 便名: エアーニッポン 354便
- 機種: 日本航空機製造 YS-11A-213
- 死者: なし[58]。
- 状況: 札幌飛行場への着陸時に滑走路をオーバーランし、スノーバンクに衝突した。
2001年編集
- 2001年1月31日
- 便名: 1) 日本航空 907便
- 2) 日本航空 958便
- 機種: 1) ボーイング 747-400D、2) マクドネル・ダグラス DC-10-40
- 死者: なし(907便の100人が負傷)。
- 状況: 航空管制官が誤った指示を出したため、2機が空中衝突寸前のニアミスを起こした。
- 詳細: 「日本航空機駿河湾上空ニアミス事故」を参照。
- 便名: 1) 日本航空 907便
- 2001年5月19日
2002年編集
2003年編集
2004年編集
- 2004年1月1日
- 便名: 日本エアシステム 979便(運航はハーレクィンエア)
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-81
- 死者: なし(2人が負傷)。
- 状況: 徳之島空港へ着陸時に左主脚を折損し、左主翼が滑走路上に接触して動けなくなった。 原因は左主脚に金属疲労による亀裂が生じ、着陸時の衝撃により折損したため。
- 詳細: 「日本エアシステム機徳之島空港着陸失敗事故」を参照。
- 2004年9月23日
- 便名: 日本航空ジャパン 2408便
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-90-30
- 死者: なし(3人が負傷)。
- 状況: 伊丹空港へ向けて降下中、気象レーダーの操作が不適切であったため、本来は避けられるタービュランスに巻き込まれた結果、機体を動揺させた。この結果、乗客の幼児に重度の熱傷を負わせたが、救急車の要請をしないなどの不適切な対応であった[64]。
2005年編集
- 2005年5月3日
- 2005年6月15日
- 便名: 日本航空インターナショナル 1002便[66]
- 機種: ボーイング 767-300
- 死者: なし(17人が負傷)。
- 状況: 操縦桿の操作ミスにより、前脚の着地時に著しい荷重がかかりこれにより前脚を破損したものである。
- 2005年8月12日
- 便名: JALウェイズ 58便
- 機種: マクドネル・ダグラス DC-10-40
- 死者: なし。
- 状況: 福岡空港離陸直後にエンジンから出火、部品の破片が市街地に散乱した。出火した模様は偶然NHKのテレビカメラに撮られており放送された。
- 詳細: 「JALウェイズ58便エンジン爆発事故」を参照。
2007年編集
- 2007年3月13日
- 便名: 全日本空輸 1603便(運航はエアーセントラル)
- 機種: ボンバルディア DHC-8-402Q ダッシュ8[67]
- 死者: なし。
- 状況: 車輪が出なくなったため胴体着陸を行った。その後長時間にわたり滑走路が閉鎖された。
- 詳細: 「全日空機高知空港胴体着陸事故」を参照。
- 2007年4月9日
- 2007年8月20日
- 2007年10月27日
- 便名: 大阪航空 体験飛行便(機体記号:JA102D)[70]
- 機種: ロビンソン R22 Beta
- 死者: 乗員乗客2人全員が死亡。
- 詳細: 「大阪航空堺市墜落事故」を参照。
2008年編集
2009年編集
- 2009年3月23日
- 便名: フェデックス 80便
- 機種: マクドネル・ダグラス MD-11F
- 死者: 乗員2人全員が死亡。
- 状況: 成田国際空港A滑走路の着陸時に引き起こし動作が遅れたため、滑走路への接地後にポーポイズ現象が起こり機体がバウンド。3回目の接地時、左主脚に垂直方向の過大な荷重が掛かり、設計限界を超える荷重が左主翼に伝わったため、主翼の付け根が破断し横転。滑走路脇へ転覆、炎上した。
- 詳細: 「フェデックス80便着陸失敗事故」を参照。
2010年代編集
2010年編集
2011年編集
2012年編集
- 2012年6月20日
- 便名: 全日空 731便
- 機種: ボーイング767-300ER
- 死者: なし
- 状況: 成田空港で北京首都国際空港発の全日空機(B767-300ER型機)が、着陸時に主脚と前脚が交互に接地してバウンドを繰り返しながら着陸した。乗員乗客全員にけが人は出なかったが、着陸時の衝撃で機体の一部が変形した。
2015年編集
- 2015年2月12日
- 便名: 海上自衛隊鹿屋航空基地第211教育航空隊所属OH-6DAヘリコプター
- 機種: ヒューズ・ヘリコプターズ OH-6DAヘリコプター
- 死者: 3名(機長かつ教官三等海佐、同乗三等海佐、操縦訓練生二等海曹)
- 状況: 訓練生の航法訓練のため、薩摩半島を経由しながら北上。しかし、鹿児島県出水市付近の天候不良により、宮崎県えびの市上空を通過して大隅半島を南下するルートに変更。北部の鹿児島県伊佐市上空で消息を絶った。翌13日に、えびの市の山中で、機体とともに隊員3名の遺体が発見された。海上自衛隊は、調査の結果、悪天候下で機長が「空間識失調」に陥ったことが原因と発表した。
- 詳細: 「OH-6DAえびの墜落事故」を参照。
- 2015年4月14日
- 便名: アシアナ航空 162便
- 機種: エアバス A320-232[77]
- 死者: なし(28人が負傷[78])。
- 状況: 仁川国際空港発の便が広島空港の滑走路へ進入する際、標準接近高度より低く飛行していたため、着陸復行を行ったが間に合わず、ローカライザアンテナに接触し、着陸後滑走路を逸れて停止した[78]。
- 詳細: 「アシアナ航空162便着陸失敗事故」を参照。
- 2015年7月26日
- 便名: 個人所有機(機体記号:JA4060)[79]
- 機種: パイパー PA-46-350P マリブ・ミラージュ[79]
- 死者: 乗員5人中2人と地上の1人が死亡。
- 状況: 慣熟飛行の届出[80] で調布飛行場から伊豆大島に向けて離陸した直後、近隣の住宅地に墜落し、大破・炎上した[81]。最大離陸重量を超過した状態で飛行し、過度な機首上げ姿勢を継続したことなどにより失速して墜落したと推定されている[79]。
- 詳細: 「調布市PA-46墜落事故」を参照。
- 2015年8月28日
- 便名: 第一航空 101便
- 機種: バイキング DHC-6 ツイン・オッター400[82]
- 死者: なし。
- 状況: 那覇空港発粟国空港行きの便が、粟国空港着陸直後に滑走路から大きく右側にそれ、空港外周の柵に衝突した。乗員乗客14名に死者はいないものの、11名が負傷した[82]。
- 詳細: 「第一航空機粟国空港着陸失敗事故」を参照。
2016年編集
- 2016年5月27日
- 便名: 大韓航空 2708便
- 機種: ボーイング 777-300
- 死者: なし。
- 状況: 羽田空港を離陸滑走中に左エンジンから発煙し、その後出火した。
- 詳細: 「大韓航空2708便エンジン火災事故」を参照。
2017年編集
- 2017年3月5日
- 便名: 長野県 消防防災ヘリコプター「アルプス」(機体記号:JA97NA)[83]
- 機種: ベル 412EP
- 死者: 乗員9人全員が死亡。
- 状況: 山岳救助訓練のため、パイロット1人、整備士1人、および長野県内の消防隊員7人の計9人を乗せ、13時31分に長野県松本市の松本空港を離陸した後、鉢伏山付近に墜落した。目的地である高ボッチ高原の臨時ヘリポートに到着時刻を30分過ぎてもヘリは到着せず、ヘリからの連絡も無かったため、長野県警察航空隊「やまびこ2号」が捜索したところ、墜落している機体を発見した。事故当日に3人、翌日に6人の死亡が確認され、長野県最悪の航空機事故となった[84]。長野県警は被疑者不詳で、業務上過失致死容疑で捜査中[85]。
- 2017年6月3日
- 2017年11月8日
- 便名: 東邦航空回送便
- 機種: エアバス・ヘリコプターズAS332L
- 死者: 乗員4人全員が死亡。
- 状況: 業務を終え、山梨県から栃木県のヘリポートに向かっていた回送便が長野・群馬県境を越えた後機体が制御不能に陥り、上野村の橋付近に墜落、炎上、大破した。機体とテールローターを繋ぐボルトに亀裂が入ったまま飛行を続けたためにボルトが破断しテールローターが外れたのが原因。しかも亀裂の事実が整備士(この事故で死亡)のみ知っていて共有されていなかった。
2018年編集
- 2018年8月10日
- 便名: 群馬県防災航空隊「はるな」(機体記号:JA200G)
- 機種: ベル 412EP
- 死者: 乗員9人全員が死亡。
- 状況:8月11日に開通を予定している登山道「ぐんま県境稜線トレイル」の確認視察のため前橋市ヘリポートを離陸した群馬県防災ヘリコプター「はるな」が群馬県と長野県の県境付近を飛行中に消息を絶ち、直ちに航空自衛隊などが捜索を開始。群馬県吾妻郡中之条町の横手山に「はるな」の機体と見られる物体を発見[88]。その後、航空自衛隊や群馬県警察本部などによる捜索隊により「はるな」が墜落していることを確認し、本機に搭乗していた群馬県防災航空隊員4名並びに吾妻広域消防本部職員5名の合計9名[88] を救出し収容したが、11日になって9名全員の死亡が確認された[89]。事故の原因は、天候悪化で雲の中を飛行して地形を確認できなくなり、機長が高度や姿勢を把握できなくなる「空間識失調」に陥り、正常に操縦できなくなったことが原因と結論づけた。[90]
2020年代編集
2020年編集
- 2020年2月1日
- 便名 : 福島県警察航空隊 「あずま」(機体番号 : JA139F)
- 機種 : アグスタウエストランド AW139
- 死者 : なし
- 状況 : 臓器移植のための心臓を会津中央病院から福島空港に運んでいた福島県警察航空隊のヘリコプターが不時着、大破。7人が重軽傷を負い、移植は断念された。[91]
2022年編集
脚注編集
注釈編集
出典編集
- ^ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー(大正2年1〜6月) Archived 2011年1月25日, at the Wayback Machine.
- ^ 昭和初期に国産旅客機の試作が行なわれた ( 愛知県 ) 日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン
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- ^ 東京朝日新聞1932年9月15日夕刊
- ^ 東京朝日新聞1932年10月16日朝刊
- ^ 郵便機が民家に墜落、五戸全焼『新愛知新聞』昭和10年6月23日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p144 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『毎日年鑑』昭和13年別冊、p30
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- ^ 朝日新聞1940年2月6日朝刊
- ^ 断崖に激突した中華航空機、遺体を確認(昭和17年9月29日 朝日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p238
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- ^ “JTA機が揺れ、立っていた女性客室乗務員が右足の親指骨折…航空事故と認定”. 読売新聞オンライン (2022年10月9日). 2022年10月9日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- 運輸安全委員会 (JTSB)
- 日本の航空事故総覧
- Aviation Safety Network > Japan air safety profile(英語) - 日本国内で発生した民間航空機による事故の便覧