道州制

日本で議論されている地方制度
日本の道州制論議から転送)

(どうしゅうせい)とは、国家地方行政制度のひとつで、行政区画として「」と「」を置くもの。「府県制」「市制」「町村制」などにならった用語である。

日本では、現行の都道府県よりも広域な行政区分として「」と「」を新たに設ける構想を指す[注釈 1][注釈 2]。各道州には、現在の都道府県よりも大きな地方自治権を与える[注釈 3]。単に広域自治体の名称と規模を変えるにとどまらず[注釈 4]国家中央政府が持つ権限財源を各地方へ移譲することで、地方分権型の社会を目指す構想である[1]

日本の道州制の構想が、日本における連邦制の実現を目指すレベルなのか、それより低いレベルでの地方分権の改革に留まるのかというのは議論・論者によって異なる。なお、現状で「道」と「州」を共に置く国家はないが、日本での道州制に関する議論において他国の地方自治制度について言及される場合、連邦制の国家を指して「道州制」という表現が用いられることがある(後述)。

背景 編集

定義 編集

道州制とは、行政区画として道と州を置く地方行政制度である。北海道以外の地域に複数の州を設置し、それらの道州に現在の都道府県より高い行政権を与える構想を指す。

道州制については様々な場所で様々な議論が行われており、論者によって様々な異なる主張がある。

  1. 北海道を除く都府県を廃止して行政を広域化するという案。
  2. 都府県の内幾つかを分割しその上で、都府県の広域連合地方公共団体として道州を設置するという案。
  3. 外交軍事以外の権限を全て国家から地方に委譲し、対等な道州同士の緩やかな連合によって国に対し低い地方の地位を押し上げるという案。
  4. 連邦制にするという案。(大前研一の流れをくむという道州制.COM[2]など)
  5. 国会・軍を含め中央政府の権限を道州に移譲するという政府案。[3]

これらのように様々な主張が出ており、明確な定義がなされているのではない。地方分権を共通の目的としているので、様々な団体から実現を訴える声が上がっている一方で、道州制についての認知度は高いとはいえず、国主導の道州制推進には反対意見も多い。

財政問題 編集

現在、国も地方も莫大な債務を負っているため、県の財政規模では信用力が低下し、利率が上昇して更なる負担を国民は負わなくてはならなくなる。また、場合によっては「県の倒産」となり、公共サービスの低下や税率の上昇が起きる。そうなると、キャピタルフライトが発生し、一方で低所得者層の底割れが起きて生活保護世帯が増え、しかも税率上昇という悪循環に陥り、住民の流出と国土の荒廃が起きる。長期的には日本経済に重大な悪影響を及ぼす可能性がある。この事態を防ぐために、都道府県の合併によって財政規模を拡大して信用力を上げるという方法が考えられる。つまり、都道府県合併の方法の一つとして、道州制が持ち上がっている。[要出典]

論議の推移 編集

明治〜昭和初期 編集

明治政府は、地方の反乱が相次いだために、県より広い行政体の設置には消極的であった。しかし、人口希薄などを理由として、北海道にあった3県を廃止して、北海道庁 (1886-1947)を設置した。民間の議論としては、自由民権運動家植木枝盛が作成した私擬憲法の「東洋大日本国国憲按」で日本における連邦制の導入が謡われている。これ以前の江戸末期には佐藤信淵が『宇内混同秘策」で、京都の他に江戸と大坂に都を置き、日本各地に省を置く14省制を提案している。

州庁設置案 編集

以降は、台湾総督府樺太庁朝鮮総督府南洋庁と順に設置されたことで、府県の狭小さが経済統制の障害と考えられ、内地を統轄する内務省下に、郡制廃止とともに複数の府県を包括する広域行政体の設置が議論され、田中義一内閣の行政制度審議会が、1927年に、全国を6箇の州に分けて、官選の長を置く「州庁設置案」を内閣に提案した[4]。ここでの州名は、州庁所在都市名を取った物になっている。

州名 府県
仙台州 青森県岩手県宮城県福島県秋田県山形県
東京州 茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県東京府神奈川県山梨県長野県新潟県
名古屋州 静岡県愛知県岐阜県三重県富山県石川県福井県
大阪州 滋賀県京都府大阪府兵庫県奈良県和歌山県徳島県香川県高知県
広島州 鳥取県島根県岡山県広島県山口県愛媛県
福岡州 福岡県佐賀県長崎県大分県宮崎県熊本県鹿児島県沖縄県

この北海道以外を6州と区分して国政事務を移行するとした「州庁設置案」は、行政制度審議会で取り扱われたが成案とならず、審議会は1927年7月の田中義一内閣の総辞職とともに廃止となる[5]

地方長官会議 編集

行政制度審議会廃止後は、府県廃合などを含む地方行政機関問題として、地方長官会議で様々な議論がされた。会議では、総務や警察などの四部を一部廃止とする府県14部廃止論や、町村・府県の規模変更後に全国10道とする意見があった。また、1936年からの廣田内閣で、東北6県の知事から「中間機関設置の要望書」が潮内務大臣へ提出された。約10年にわたるこの間の地方長官(都道府県知事)による中間行政機関検討案は、政界や内務省と折り合えず、地方行政の分存対立や行政事務の錯綜を招きかねないとも評された。

その後、1938年3月の第1次近衛内閣時代に政界に影響を強めた国策研究会が、「道庁及び州庁設置案」に関して次なる論評を主に示している。

  1. 大蔵、商工、鉄道、逓信、農林を地方官庁に併合することに困難があり、行政権限の移譲が望めない。
  2. 経済圏により区別すべしと云うが、京浜・阪神などの大都市を含む地域とその他の地域について、経済差異をどう均衡させるのか。
  3. これを公共団体とした場合に、これまで地方繁栄の基礎をなしてきた府県行政とその影響下にある周辺地域の衰退をどうするか。

以上などから、道庁又は州庁設置問題は、行政移譲前の地域近隣の繁栄を奪うことから地方の反対が予想され、弊害の方が大きいのではないかとして、国策研究会は現在の制度下で刷新を図るのがよいと結論づけた。

地方連絡協議会 編集

1940年5月、内務省訓令9号により府県間の相互連絡を図る措置として、米内内閣時代に各府県知事による地方連絡協議会が8つ設置され、必要に応じて各協議会を開催する旨が示された[6]。また、各地方連絡協議会の事務は、関東地方連絡協議会は警視庁総監管房、東北地方協議会は宮城県総務部、東海地方連絡協議会は愛知県総務部などが代表して取り扱った。この地方連絡協議会は、太平洋戦争中の1943年7月に内務省訓令13号により廃止されるまで続いた。

この間の1942年湯沢内務大臣東京都制法案を第81帝国議会に提出するが、ここで道州制問題に言及し、経済ブロックの理論構想として関八州(関東地方)があるが、薪炭の例だけ見ても関八州だけでは自給自足ができない。生活経済圏からの考え方は困難であり、また行政組織の二重弊害を避けるべきと反対意見を述べている。

太平洋戦争中の1943年7月、地方行政協議会令(勅令548号)により、全国に地方行政協議会(会長には当該地域の府県知事が兼任)が設置された。戦時行政法のひとつである地方行政協議会令は、翌年1944年に一部改正、1945年地方総監府に改名された。大空襲や地上戦開始などによる敵軍の本土上陸作戦と国土分断に備え、地方総監府は同年6月10日に勅令第350号により設置されている。いずれも府県行政を調整し、広域行政体を統合しようとしたもので「国の出先機関」の様相を強く持っていた。また、戦時下(特に地方総監府時代)には、本土決戦に備えた行政の効率化という側面も有していた。

太平洋戦争後の議論 編集

太平洋戦争後の占領下で行政改革が進められ、1946年に行政運営と行政機関の根本的改革を目的として行政調査部内閣に設置された。地方行政機関の規模等を含めた調査が行政調査部で行われ、1948年に3案の行政組織が提案された。

  • 道制案 - 都道府県を廃止して、日本の地方行政機関として「道」を設置する
  • 州制案 - 都道府県を廃止して、日本の地方行政機関として「州」を設置する
  • 地方行政庁案 - 都道府県を存続させ、広域行政機関として「地方行政庁」を設置する

こうした体制の変化に伴い、都道府県の在り方に関心が高まった。1955年には、関西経済連合会が「地方行政機構の改革に関する意見」において、都道府県を廃止と国の総合出先機関として「道州」を設置することを提案した。また、1957年の第4次地方制度調査会は「地方制」案を答申した。この地方制は7地方・8地方・9地方案であった(少数意見として15県・16県・17県案も併記)。地方行政を調査審議する地方制度調査会のこの「地方制」案に対し、同年10月に全国知事会は「府県制度改革に関する意見」の中で以下の理由を示して反対した。

  • 現行都道府県を廃止して官治的な「地方」(地方制)を設けることは、現行憲法制度の精神に反し違憲の疑いがある。
  • 「地方」に国家的性格を持たせることは、中央集権を強化し、民主政治の根本に逆行するものである

これにより地方制度調査会の答申は、検討されないことになった。

昭和中期(高度成長期) 編集

高度経済成長期(1960-70年代)には、地方から都会への出稼ぎ集団就職人口が工業地帯へ移ったことによって、過疎過密の問題が生まれた。この時期から、貨物量の急激な増加や通勤・通学の長距離化や季節要因での大規模移動が発生し、地方毎の広域の社会資本整備の必要性から、道州制論議は生まれていた。大都市圏とそこに含まれない地方の道県との間では、所得や生活基盤に格差が生まれており、地方交付税などで是正できる程の税収を持ち合わせていなかったため、予算規模の拡大を目指し、いくつかの県が合併する道州制が考えられた。

しかし経済成長に伴い政府は「国土の均衡ある発展」「福祉国家」を標語に、税収が少ない道県には地方交付税や補助金を増やした。例えば池田勇人内閣の所得倍増計画や、田中角栄内閣の日本列島改造論などに代表される地方への財政資金フローの確保により、地方の生活基盤の整備が進んだ。その結果、予算規模の拡大を目的にした道州制を導入する動機は意義を失い、道州制は議論の深まりを見せなかった。1965年の第10次地方制度調査会の答申を受けた都道府県合併特例法案の廃案が繰り返されるにつれて道州制導入の機運は後退した。1981年の第18次地方制度調査会では「現行の府県制度は国民の生活・意識に強く定着」と分析し、広域的地方制度は検討をつづけると報告された。

プラザ合意から道州制特区推進法まで 編集

地方に対しては、与党は民活法や1987年総合保養地域整備法(いわゆるリゾート法)の制定により、自立的な経済活動が行いやすい第三次産業の振興を図った。また、国営企業公社民営化に際しては、分割が検討された。

政治に対しては、地方ごとの議会開設が要点と考えられるため、細川政権衆議院総選挙への小選挙区比例代表制の導入に当たって、比例代表制が既に施行されていた参議院選挙の比例制度とは異なり、地方ブロックごとの比例制度導入を図った。これは、小選挙区の区画が既存の市町村・既存の都道府県の境界を重視したので、比例選挙区の区画が将来の道州制の区割りになると見做されたからである。

地方行政に対しては、1989年から1992年にかけて臨時行政改革審議会が置かれ、都道府県の広域連合とともに道州制の検討を答申した。1994年には地方自治法改正により県の広域連合が制度化された。国会においても地方分権の決議が採択され、道州制の論議が高まることとなった。さらに2004年の地方自治法の改正により、都道府県の合併が申請によって可能となった。

又、2004年に招集された第28次地方制度調査会は、2006年に「道州制のあり方に関する答申」をおこない、都道府県の廃止と新設となる道州による道州制導入を打ち出した。道州には9道州・11道州・13道州の3例である。特に北海道は2004年に道州制を先行実施する提言をし、それに特区制度をもって政府は応え、2006年に道州制特区推進法を公布した。

道州制特区推進法から平成末期まで 編集

流行期 編集

平成になって道州制の論議が活発になった。背景には、国民の間では、交通網の発達によって交流圏が拡大した点を挙げる者が多いが、自治体関係者の間では、国家の債務が膨大になって、地方交付税や補助金や公共事業の削減で、地方が国の失政の尻拭いをさせられている点を挙げる者が多かった[7]

道州制が施行される場合には州庁が設置されるため、各都道府県では、自らの都道府県庁所在地が州庁所在地に選ばれるのに有利な枠組みが、論議の中心となっている。これは、廃藩置県後の県の合併で、県庁を失った地域でも同様である。また、州庁が置かれる都市は、経済の中心地となって莫大な恩恵を受けると期待され、税収増や人口増が期待された。このため、各地が州庁を誘致しようと躍起になっていた。

実際に、道州制へ賛成派と反対派の特徴を見ると、府県庁所在地が中央省庁のブロック単位出先機関所在地である宮城県愛知県大阪府北海道などが、また多くの政令指定都市などが賛成派なのに対して、県庁所在地が中央省庁のブロック単位出先機関所在地ではない福島県富山県福井県兵庫県鳥取県三重県が反対派となっている[8]

一方で、国は「小さな政府」と称して政府機関を縮小し、地方への交付金を削減しつつ、地方への統制の強化と合理化を進めていた。これは、市町村を大量に削減し、次いで広域自治体であるを大量に削減しようという発想としての道州制で、中央集権の強化という色が濃い。政府の道州制論議や、その前段階の三位一体の改革では、国の行政機関・機能・財源を都道府県に委譲するのを拒み、都道府県や市町村の「住民自治」の部分のみを「小さな政府」として、国は依然として統制権の強い「大きな政府」に留まろうとする意見が散見されるために、全国知事会では反発があった[9][10]

2006年2月28日に地方制度調査会が区域例を発表した際には、石原慎太郎東京都知事(当時)や、橋本大二郎・高知県知事(当時)が、「国と地方の役割分担をどうするのかが曖昧だ」と批判した[11]。同じく片山善博・鳥取県知事(当時)も、「国の在り方についての抜本的な議論が無い」と批判した。

同じく、佐藤栄佐久・福島県知事(当時)は、「必要性や課題を十分検討しないまま、『枠組み』を前提に制度設計が示された。道州制に移行できなければ権限や税財源を移譲できないという口実を与え、強く憂慮する。」と非難した[12]。これに先立つ2006年2月22日の福島県議会でも、「歴史的・文化的に多様である地方自治体を中央集権的にコントロールする物であり、住民主役の真の地方分権改革とは対極にある。」と発言し、道州制を非難した[13][14]。又、井戸敏三・兵庫県知事(当時)は、「ムードに流されて進めれば、単なる都道府県合併に終わる」と発言している[11]

道州制特区推進法の制定によって、現在の「道」と国の出先機関の地方区分が同一である北海道において、権限を新たな「道」に委譲し、やがて全国へと道州制を拡大していこうとした。第一次安倍晋三政権では、道州制に向けてのビジョン策定として、自らの選挙区である中国地方山陽地方山陰地方の格差を例に挙げて総裁選で公約し、担当大臣も置いた。

一方、反対派からは、「単なる都道府県の合併ではないか?」という見方や、合併ならば都府県庁を失う地域が軽視されることなどが危惧された。

2006年の中日新聞の全国世論調査では、道州制に「賛成」・「どちらかといえば賛成」を含めて29%、「反対」・「どちらかといえば反対」を含めて62%であった。但し地方分権に「賛成」は62%になった。また地域ごとでは賛成は北海道、東北、四国で多く、反対は甲信越、九州で多い。「平成の大合併」で住んでいる市町村が合併した人の感想は、「合併して良かった」が19%、「合併しない方がよかった」が17%とほぼ変わらないのに対して、「どちらとも言えない」が63%に上った[15]

このため、国土交通省国土形成計画では、地方ブロック単位での独自の国際交流や、特色ある地域形成を目指す内容を盛り込んで、地方ブロックを道州に見立てた計画として、道州制のイメージの理解に努めたりしていた。また、議論の叩き台として、11道州案や国土形成計画を用いた具体的な調査検討に入るなど、道州制を定着させるための様々な策を講じた。さらに、道州制と新型交付税を組み合わせて導入すると、政府は地方への歳出の削減度合が高まり、増税も抑制できる、と主張された。

忘れられた道州制 編集

2009年に民主党が政権を握ると道州制議論は一旦遠のいた。2012年には自公が政権を奪還するが、全国町村会平成の大合併同様の合併要求や州都一極集中を問題視。町村は自民党の支持基盤でもあり、道州制法案は塩漬け状態となった[16]

2010年代前半には、都構想大阪都構想中京都構想新潟都構想)など、主に都市部で地方自治の拡充の議論が本格化し、各地の首長らも前向きな発言をしたり、地方自治体の組織に協議体が置かれたりしたが、2010年代中盤以降になると大阪都構想以外の構想は議論が下火となり、大阪都構想も住民投票で否決された。

平成末期には止まらない東京一極集中に対して政府も匙を投げる形となり、中央省庁の地方移転も、大規模移転は文化庁のみにとどまった[17]。同様に道州制議論も冬の時代を迎え、福岡などの一部地域を除いて死語と化した[18]

2018年(平成30年)10月には、自由民主党内の機関『道州制推進本部』が廃止された。廃止を決めたのは同党政務調査会長の岸田文雄であり[19][20]、岸田は2021年に首相に就任した。

令和以降の議論 編集

関西経済連合会による提言 編集

2020年令和2年)11月16日関西経済連合会は「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への自治体の対応を通じ、地方分権の重要性が改めて認識された」として、道州制の議論を始めるべきであるとの提言を行った。近畿や四国などの12府県市で構成する関西広域連合の機能強化を訴え、提言書を日本政府や構成自治体に送付した[21]

提言では「COVID-19を通じて東京一極集中のリスクや地方自治体の権限不足などの課題が露呈した」と指摘した上で、「分権・分散型の社会を構築し、各地域が成長の核としての役割を果たすことが必要」と主張した。その主体として関西広域連合を挙げ、構成自治体から事務作業権限をより多く移したり、全会一致ではなく多数決での速やかな意思決定を可能にさせたりするべきであるなどと主張した[21]

同会の会長の松本正義住友電気工業の会長も務める)は「(COVID-19は)地方自治や広域連携について議論を起こす好機」と述べ、提言を通じて地方分権への機運が高まることに期待を寄せた[21]

総務大臣による道州制の肯定 編集

2020年(令和2年)12月21日総務大臣武田良太は道州制について「一つの改革案として広域の自治体を10前後のブロックに再編する道州制は一つの有力なもの」と理解を示した。武田は「少子化が進み、デジタル化、行政手続のオンライン化が進む中で、社会構造が変わっていくことに伴って、行政も常にスリム化を図っていく努力をしていかなくてはならない」などと述べた[22]

道州制の枠組み 編集

道州制の導入は、州都への一極集中という危険を妊んでいるため、州都や枠組み(都府県の組み合わせ)に関心が集まりやすく、州政府の機構や事業といった中身の論議が軽視される傾向が大きい。州都の位置は各地域の盛衰に直結するので、州都や枠組みで我田引水の如き主張が展開される例は珍しくない。

また、枠組みの作り方も、地理や歴史を無視して、特定の大都市への一極集中を促す発想が多い。このような傾向に対しては、「どこかの市にバキュームのように吸い寄せられる国土づくりではなく、地域の伝統や文化を守る手伝いをするのが国の大事な仕事だ。」(佐藤栄佐久・前福島県知事)[23] という声や、「枠組みから議論に入るのは危険だ。」(西川一誠・福井県知事)[24] という声も出ている。

地方制度調査会の区域例 編集

2006年2月28日、内閣総理大臣の諮問機関である地方制度調査会(会長:諸井虔太平洋セメント相談役)が、「道州制のあり方に関する答申」を発表した。この答申の中では、「区域例」として、「9道州」「11道州」「13道州」の3例を示している。なお、この「区域例」には、次の2つの註が付いている。

  • 道州の区域については様々な考え方があり得る。ここで示した区域例は、各府省の地方支分部局に着目し、基本的にその管轄区域に準拠したものである。
  • 東京圏においては、東京都及び周辺の県の区域を合わせて一の道州とすることが基本となる。ただし、東京都の区域(又は現在特別区の存する区域等)のみをもって一の道州(又はそれに相当する何らかの自治体)とすることも考えられる。

以下の道州の枠組みに、その構成都道府県の2003年度県民総生産の合計を付記する。東京都の都民総生産は83兆6303億円。

9道州 編集

 
9道州
道州名 住民総生産 都道府県
北海道 19兆5044億円 北海道
東北 32兆4200億円 青森県、岩手県、秋田県、山形県、宮城県、福島県
北関東信越 43兆5586億円 茨城県、栃木県、群馬県、新潟県、長野県
南関東 156兆7627億円 埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県(東京だけ分離して州とする場合、「東京州(仮)」「南関東州(仮)」の2州に分ける)
中部 72兆7339億円 富山県、石川県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県
近畿 82兆2004億円 福井県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県
中国・四国 41兆5305億円 鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県
九州 43兆4862億円 福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県
沖縄 3兆5755億円 沖縄県

11道州 編集

 
11道州
道州名 住民総生産 都道府県
北海道 19兆5044億円 北海道
東北 32兆4200億円 青森県、岩手県、秋田県、山形県、宮城県、福島県
北関東 54兆6282億円 茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、長野県
南関東 136兆6839億円 千葉県、東京都、神奈川県、山梨県(東京だけ分離して州とする場合、首都圏を「北関東州(仮)」「東京州(仮)」「南関東州(仮)」の3州とする)
北陸 21兆3242億円 新潟県、富山県、石川県、福井県
東海 63兆7072億円 岐阜県、静岡県、愛知県、三重県
近畿 78兆9121億円 滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県
中国 28兆1378億円 鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県
四国 13兆3927億円 徳島県、香川県、愛媛県、高知県
九州 43兆4862億円 福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県
沖縄 3兆5755億円 沖縄県

13道州 編集

 
13道州
道州名 住民総生産 都道府県
北海道 19兆5044億円 北海道
北東北 12兆4998億円 青森県、岩手県、秋田県
南東北 19兆9202億円 宮城県、山形県、福島県
北関東 54兆6282億円 茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、長野県
南関東 136兆6839億円 千葉県、東京都、神奈川県、山梨県(東京を分離し東京州とする論議もある)。
北陸 21兆3242億円 新潟県、富山県、石川県、福井県
東海 63兆7072億円 岐阜県、静岡県、愛知県、三重県
近畿 78兆9121億円 滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県
中国 28兆1378億円 鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県
四国 13兆3927億円 徳島県、香川県、愛媛県、高知県
北九州 28兆9496億円 福岡県、佐賀県、長崎県、大分県
南九州 14兆5366億円 熊本県、宮崎県、鹿児島県
沖縄 3兆5755億円 沖縄県

国会に議席を有する政党からの区域例 編集

自由民主党道州制推進本部 編集

自由民主党の道州制推進本部(本部長:谷垣禎一)が2008年5月29日に提示した区割り案。これには「東京都を南関東から独立させるべき」との意見もあり、また各都道府県の知事や議会議長との意見交換を行っていた。なお、道州制推進本部は、2018年10月15日岸田文雄によって廃止された[19][20]

9道州 編集
道州名 都道府県
北海道 北海道
東北 青森県、岩手県、秋田県、山形県、宮城県、福島県
北関東 茨城県、栃木県、群馬県、新潟県
南関東 埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県
中部 富山県、石川県、福井県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県
関西 滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県
中国・四国 鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県
九州 福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県
沖縄 沖縄県
11道州 編集
道州名 都道府県
北海道 9道州案に同じ。
東北 ※1
北関東 ※1、※2
南関東 ※2
北陸 富山県、石川県、福井県
東海 長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県
関西 9道州案と同じ。
中国 鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県
四国 徳島県、香川県、愛媛県、高知県
九州 9道州案と同じ。
沖縄 9道州案と同じ。
  • ※1新潟県を東北に入れる案もある。
  • ※2埼玉県を北関東に入れる案もある。

民間などからの区域例 編集

経団連は10程度の道州再編を提言している[25]

神奈川県の政治団体 編集

道州制推進連盟[26] は、12道州制を提唱している[27]

道州名 都道府県
北海道 北海道
東北州 青森、岩手、秋田、宮城、山形、福島
北陸信越州 新潟、富山、石川、福井、長野
北関東州 茨城、栃木、群馬、埼玉
南関東州 千葉、神奈川、山梨、東京都下
東京特別州 東京23区
東海州 岐阜、静岡、愛知、三重
近畿州 滋賀、京都、大阪、兵庫、奈良、和歌山
中国州 鳥取、島根、岡山、広島、山口
四国州 徳島、香川、愛媛、高知
九州州 福岡、佐賀、長崎、熊本、大分、宮崎、鹿児島
沖縄特別州 沖縄

四つのくに構想 編集

川勝平太が提唱している構想[28]

洲名 地域
森の洲 東北北海道
野の洲 関東
山の洲 甲信越北陸福井県を除く)・中部
海の洲 近畿中国四国九州沖縄

新首都として『鎮守の森の都(那須)』を首都機能移転の候補地にしている。

各地別の論議 編集

現在、道州制の論議が進んでいる地方としては、北海道地方東北地方南関東地方近畿地方中国地方四国地方九州地方沖縄県などがある。

北海道では地方政府が積極的に道州制を推進している[29]。また西日本地方では市町村合併が比較的早く進んだため、道州制へ積極的な議論や調査が多い。

北海道地方 編集

北海道は日本の都道府県で最も大きな面積を有し、単独で広域地方(北海道地方)を構成する。このため、都道府県の合併を経ることなく道州制への移行が可能であると考えられることから、「北海道を全国に先駆けて道州制のモデルとする特別な区域(道州制特区)」にしようという動きが起こっている。2004年(平成16年)には北海道庁日本政府へ提言を行い、2006年(平成18年)には道州制特区法国会で成立した[29]

さらに、北海道知事の附属機関『北海道道州制特別区域提案検討委員会』が2007年(平成19年)に設立され、以後議論を行っている[30]

背景として、北海道は道内総生産に対する公共投資の比率が12.5%にも及び、沖縄県に次いで高い水準である[31]。そのため公共事業が地域経済に与える影響は大きく、北海道庁にとってはその権限を移譲・集約されることでメリットがある。

北海道庁と国土交通省北海道局その他中央省庁との二重行政の解消と、権限の委譲に主眼が置かれているが、二重行政の解消で、行政コストの抑制を優先したい国と、財源と権限の委譲を優先させたい道との間での駆け引きが続いている。

東北地方 編集

北東北地方の3県(青森県岩手県秋田県)では、2010年を目途にした北東北3県の合併(現行法規内)や将来の道州制(将来構想)も視野に入れた議論が行われていた。1997年からは「北東北みらい債」といった、北東北3県の合同事業が行われている。しかし、北海道新幹線の建設の前倒しが決定されると、多額の建設費用から青森県の財政状況が将来に渡って悪化し続ける予測が判明し、3県合併で財政悪化に巻き込まれたくない岩手県と秋田県の両県知事が「道州制の際は東北6県で1つの州」[32] と明言し、3県合併構想は棚上げ状態にされた。

なお、東北三法や国土形成計画、北海道東北自治協議会や、東北電力が主導権を握る東北経済連合会の枠組みが新潟県を含めた7県であるため、「道州制東北ブロック懇談会」にはこの7県の自治体や経済団体が参加しており、7県をもって東北州(仮)とする案[33] も見られる。特に東北電力が7県の枠組みを推しており、テレビローカル番組を7県で放送したり(→ブロックネット#東北地方(+新潟県))、新潟スタジアム命名権を取得して「東北電力ビッグスワンスタジアム」、現在は「デンカビックスワンスタジアム」としたりして、新潟県が東北地方の一部であると地道に主張している。仙台市新潟市が同じ東北州(仮)に入ることで、発展の重心が南部へ偏ると懸念する北部では、東北6県の枠組みを推す意見が多い。仙台市民を対象とした調査でも、枠組みは「東北6県で1州」が最も多く、「北東北3県と南東北3県の2州」「東北6県と新潟県で1州」と続いており、7県で1つの州という案は浸透していない[34]

2010年4月27日、地域主権型道州制国民協議会会長で、政府の道州制ビジョン懇談会座長を務めた江口克彦(元PHP総合研究所社長)は東北州都について触れ、「東北州だと仙台がニューヨークとして州都は平泉でもいいと思う」と発言した[35]

また福島県が北関東州に入る案もあるため、東北が福島県を抜いた5県での州になる可能性もある。

関東地方 編集

北関東地方・信越・福島県 編集

北関東地方の埼玉県茨城県栃木県群馬県中部地方長野県を加えて「北関東州」にし(後述する地方制度調査会の案のひとつ)、さいたま市を州都にしようとの論議がある。 ただし、

  1. 長野県の代わりに新潟県を入れる議論(後述する自民党道州制推進本部の案)
  2. 埼玉県の代わりに新潟県を入れて計5県で「北関東信越州」とする議論(後述する地方制度調査会の案のひとつ。これに福島県も含める場合あり)
  3. 福島県・茨城県・栃木県・群馬県・新潟県の5県で構成する議論(北関東磐越五県知事会議の枠)。とりわけ、北関東の中で人口の多い茨城県、栃木県は福島県と広く接しており、中通り浜通り会津の全てと方言や歴史の上で共通性を持ち、文化的・経済的・人的繋がりも非常に深い。
  4. 北関東3県+福島県・長野県・新潟県をともに含めて一つの州とする議論
  5. 茨城県は東関東に分類し、栃木県・群馬県・埼玉県で北関東州とする議論(下記参照)[要出典]
  6. 埼玉県は南関東に分類し、南関東州に含める議論
  7. 関東南北を統合し、関東地方1都6県+α(山梨県)で「関東州」とする議論
  8. 茨城県・栃木県・群馬県・埼玉県に千葉県を加えて「関東州」とする議論[要出典]
  9. 州都を宇都宮市にする議論
  10. 州都を高崎市前橋市にする議論
  11. 州都を日光市霧降高原にする議論[要出典]
  12. 茨城県と埼玉県が北関東州の場合、茨城県の鹿行南部と千葉県の東葛北部の交換する議論[要出典]
  13. 埼玉県が北関東州の場合、西武沿線や和光市が離脱する議論[要出典]
  14. 埼玉県が南関東州の場合、茨城県を南北に分割して、茨城県南部を南関東州に含める議論[要出典]
  15. 長野県が中部州の場合、坂城町含む東信地方もしくはそれ+栄村のみ含める議論[要出典]
  16. 新潟県が北関東州で長野県が中部州の場合、上越地域を北陸州または中部州に含める議論[要出典]

などもあり、予断を許さない。

南関東地方 編集

南関東を地理で分けると1都3県(千葉県東京都神奈川県埼玉県)になるが、関東外ではあるが東京都に隣接する山梨県も加える場合が多い。さらに、埼玉県を外す主張もある。また、東京都区部およびその一部周辺、都心の一部の区や横浜市を特別行政区として独立させる構想、神奈川県では神奈川単独州(もしくは多摩・山梨を加えた西関東州)、神奈川県と静岡県・山梨県をまとめる構想もある。また関東は一体であるとして南関東だけ分けることに反対する主張もある。また北関東は一体感がなく・茨城県から さいたま市へのアクセスが悪く、北関東州(埼玉・群馬・栃木)・東関東州(千葉・茨城)する案もある。

東関東地方 編集

東関東として千葉県茨城県を行政区とする。さらにそこに福島県浜通りを加える案もある。東京23区を特別州とした際に考えられる。東関東州、北関東州(埼玉県群馬県栃木県)、南関東州(神奈川県山梨県東京多摩地域)を加えたもの)に東京特別州の4地域に分ける案。[要出典]

中部地方 編集

北陸地方 編集

富山県 編集

2007年8月に富山県北日本新聞が行った世論調査では、道州制反対派が賛成派を倍以上上回っている[36]

福井県 編集

福井県では、仮に道州制が施行された場合、所属について地方制度調査会(所在地:東京都区部)による区割り案は、9道州の場合は関西州に、11道州及び13道州の場合は北陸州、また、「熱論・合州国家日本」に掲載されている区割り案では、大前研一案が北陸道平松守彦案が関東信越州江口克彦案が信越北陸州とされている。

2006年(平成18年)3月1日河瀬一治・敦賀市長は、新年度当初予算案発表会見の中で道州制について触れ、以下のように発言した。

嶺南の総意は近畿(関西)に入る事。嶺北が北陸に入るならば縁を切る事もある。
文化圏や今秋(2006年秋)のJR直流化など、嶺南は近畿に近い。嶺南だけを見れば当然、近畿。県も経済的な繋がりが深い近畿に向いているだろう。嶺北が北陸に入るとなれば、縁を切って、お別れという事になる。 — [37]

次いで、同年3月6日には、村上利夫・小浜市長(当時)も、市議会の所信表明で道州制について触れ、以下のように発言した。

福井県が関西と圏域を一にする事を強く主張する。少なくとも小浜市や嶺南が北陸に属する事はあってはならない。
道州制は、東京一極集中を是正する動機になるやもしれぬと期待している。国と県で論議されるべき問題だが、地域割りについては市町村として決して看過できる問題ではない。自治体としての意思表示を明確にすべき時だ。 — [38]

一方、3年後の2008年(平成21年)8月4日に河瀬一治・敦賀市長が定例記者会見にて上述の「嶺北とは縁を切る」という自身の発言について新聞記者から質問された際には、「嶺南と嶺北を分けるのではなく、福井県が一体となって関西へ入ることが望ましい」という主旨で以下のように発言している[39][40]

昔、そんなことをちらっと言ったこともありますけれども、やはり福井県というのは一緒になって、昔、話をすると、うちは滋賀県の時代も敦賀県の時代もありましたし、100年以上前の話ですけれども、それと、文化的にも確かに嶺北とは違います。もう言葉が、イントネーションが違いますし、そういう意味で、そういうところはありますけれども、でも福井県になってもう100年以上たちますし、福井県の中の一員として今頑張ってきておりますから。恐らく嶺北の皆さん方も、例えば道州制の中でどういうふうに分かれるかとなると、もしそれなら関西のほうがいいんじゃないかと思っている人もたくさんいると思うんです。だから無理やり切り離すということは考えんでもいいんじゃないかなと思っています。
歴史的なものを見て、文化的なことを見れば、どちらかというと、私は余り標準語しゃべりませんけれども、東京へ行ったら絶対に関西の人やねと言われます。学生時分もそうやったんですけれども、行って、向こうでしゃべったら、あなた関西の人でしょうと言われるイントネーションなんです。この敦賀を含めて嶺南地域というのは。それだけの文化圏でもっていますから。そういう意味はありますけれども、先ほど言いました、福井県としてもう100年以上一緒になってやってきておりますので、前言いましたのは、どうしてもあかんと、もうどうしてもと言うんなら、そういうときはやむを得ずということは言いましたけれども、今は雰囲気的にそういうことも余りありませんので、福井県は一つということで頑張っていきたいなと思います。
新潟県 編集

新潟県上越地方かつ県の最西端に位置する糸魚川市では、2008年(平成20年)6月に市議員の古畑浩一が米田徹市長に「道州制が実現したとき、糸魚川は新潟県としてついていく必要はあるのか」などと質問し、隣接する長野県の小谷村と合併して長野県に編入されることで現状よりもインフラストラクチャーの充実が期待できると主張した[41]。この構想は小谷村議会議長(当時)の北村利幸からも賛同された[41]

一方で糸魚川市長の米田徹は「あり得ない」と明確に否定し、[41]また長野県副知事(2010年当時)の腰原愛正も「興味深い構想だが、考えたことがない」などと否定的な見解を示した[41]

詳細については糸魚川市#政治の記事を参照。

東海地方 編集

社団法人中部経済連合会は、愛知県岐阜県三重県静岡県長野県の5県による「中部州(仮称)」を提言。その上で東海北陸自動車道の全線開通で、交流が活性化するとの予測を踏まえて、富山県石川県福井県北陸地方3県を含む8県で構成する案も検討した[42]

道州制への移行時期を2015-2018年と想定。区割りにあたって「経済的に一つの圏域として自立可能となること」を重視し、人口や域内総生産がオランダオーストラリアなどに匹敵する5県の枠組みが適当とした。

道州の首長直接選挙で選ぶとし、恣意的な行政運営を避けるため多選制限(2期8年)が必要との考えを示した。州議会議員の定数は、現在の国会議員定数が国民約17万人に1人の割合であることを踏まえ、5県の人口約1732万人を考慮して100人程度が適当とした。

州の施策を域内にきめ細かく展開するため、州本庁のほか10-15程度のブロック機関を設けるとした。

近畿地方 編集

2004年6月30日には、京阪神の経済団体から、近畿2府6県(福井県・滋賀県・京都府・三重県奈良県和歌山県大阪府・兵庫県)に、四国の徳島県を加えた広域行政体の設置を求める提言が出されており、州庁の組織や行政運営に留まらず、州の様々な設置方法も提案されている[43]

橋下徹大阪府知事が就任して間もない頃から関西州構想を高唱している。橋下は大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC、現・大阪府咲洲庁舎)を関西州の州庁として想定するとともに、それが所在する大阪南港地域を関西州の州都とする構想を語っている。

なお、近畿地方とその周辺の7府県4政令指定都市は、特別の地方公共団体としての関西広域連合を結成している。これが道州制の関西州への地均しであるととらえる向きもあるが、同広域連合自体は、「この連合は府県との併存を前提とした設置根拠も道州とは異なる組織であり、広域連合がそのまま道州に転化するものではない」「道州制を含めた将来の関西における広域行政システムのあり方は、今後、関西広域連合の活動実績を積み重ねたうえで、関西自らが評価し検討していくものである」、としている[44]

これらとは別に、2007年9月21日、政府の道州制ビジョン懇談会において江口克彦座長(後に参議院議員になり1期務めた)は、東京23区と大阪を特別州とし、東北北信越など全国を12道州に分ける私案を公表した[45]

中四国地方 編集

中国地方 編集

地元政界では、広島県広島市岡山県岡山市などが、州都の誘致に積極的である。

財界では、中国地方5県で一組の州とする「中国州」を提唱している。この場合の名称は中華人民共和国と混同される可能性がある。

従来より中国地方においては、瀬戸内海側(山陽地方)と日本海側(山陰地方)との間や沿岸部と中国山地山間地域との間に、経済面やインフラ面での格差が生じており、これが年々拡大している。そのため、中国経済連合会中国地方総合研究センターによる中間研究報告「広域的な地方自治のあり方に関する基礎的研究」では、産業の誘致や、高速道路網の建設などでの格差是正に重点を置いて、州議会は行政との癒着を避けるため、州都(広島市を想定)のみならず州内の各市も持ち回りで実施するとして、各地域の産業や文化的特性を尊重した、多極型の土地の形成を目指すとしている。

広島市による州都の主張 編集

広島市は中国地方、中国・四国地方のいずれの場合でも中枢拠点機能が地方内で最も高いことから、「中国州」「中四国州」に関わらず、州都に相応しい都市は広島市であると主張している。

岡山市による州都の主張 編集

岡山市は、山陽地方と四国に渡る交通の結節点として東瀬戸経済圏の中心都市となっている点から、「中四国州」の枠を支持して州庁の誘致を目指している。

岡山県はかつて中四国州を強力に推進し、行動計画にもその旨を記していたが、2013年8月29日に新たに県知事に就任した伊原木隆太主導のもとで改定された中期行動計画の素案からは「中四国州の推進」が削除された[46]

また、広島県と岡山県は別々の枠組みを推しており、広島県は民意(アンケート結果)から「中国州」を、岡山県はスケールメリットから「中四国州」を支持しているが、実態は州庁の誘致を目的とした我田引水である。

福山市による州都の主張 編集

中四国地方のちょうど中央部に位置する広島県の福山市では、一部の経済人や市議から、福山市を州都にせよとする主張が出ているが、現時点では大きな支持を受けていない。

山陰地方や四国における慎重意見 編集

「中四国州」は、産業や交通インフラ整備の進んでいる山陽地方が、地理的にも中心となるため、現在以上に社会資本の集中が強まって格差が拡大すると危惧されており、山陰地方や四国では反対が根強い。

「中国州」の場合、 三次市等の中国自動車道沿線に州都を持ってくる案も出ている。[要出典]

「中国州」・「四国州」で成立し、山口県が「九州府」へ行ってしまった場合、[要出典] 地理的に広島市を州都にするには厳しくなり、既存県庁所在地以外に州都を置かれる可能性も高くなる。

鳥取県における議論 編集

鳥取県においては、県都の鳥取市津山市から80km、岡山市から130km、福山市から210km、三次市から220km、広島市から300km、神戸市から180km、大阪市から190kmの距離に位置しており、山陰両県の中では距離の短い岡山県方面以外は特に阪神地方との結び付きが強いことから、鳥取市の経済界を中心に「関西州」への編入を求める声も上がってきている。

一方で県西部の米子市などでは道州制導入に際し、島根県松江市などと合併して「中海市」を設ける考えが以前からあり、東・中部と西部の間で意見のずれが生じている。また、平井伸治鳥取県知事が近畿ブロック知事会への参加を表明し、2008年6月6日に正式に加入が認められて以降は、2010年12月1日に設立された関西広域連合にも構成団体として参加するなど、県内の道州制論議に何らかの進展をもたらす可能性がある。

山口県 編集

なお、下関市では「関門特別市」の準備を進めているが、これについては後述の「関門」を参照すること。

四国地方 編集

経済界では、四国4県から構成する「四国州」構想を打ち出している。

関門 編集

関門海峡を挟んで隣接する山口県下関市福岡県北九州市、九州と中国の経済連合会、下関市と北九州市の両商工会議所などは2007年12月に「関門特別市」の発足に向けた事務レベルの設立準備会を設けた。「特別市」を称するように、1市で単独の道州であり、中国や九州などの道州には所属しない。

従来より、関門海峡を海上物流の要として活用して来た山口県福岡県、広島県などの経済界から、関門海峡両岸の一体的な発展を要するという意見が出されていたことから、国土形成計画の広域地方計画では九州圏と中国圏の双方の計画策定に参画することが決定している。

特別市構想の背景には関門海峡で線引きした地方制度調査会の区域例に対する反対がある[47]

九州地方 編集

九州地方知事会と、地元経済団体で構成される九州地域戦略会議が、九州7県を一体とする「九州府」構想を打ち出している。

従来の東京偏重の施策から脱して、東アジアの拠点として成長するという、九州の持つ地理的特性を生かした長期ビジョンを掲げているのが特徴である[48]

福岡県 編集

福岡県福岡市の市長の高島宗一郎は2020年(令和2年)12月7日に、九州で道州制を導入することについて「なればいいと思っており、何か発信していきたい」と述べ、賛成との考えを示した。高島は、現状の都道府県制では「九州」という地域は行政組織ではないため、その名が海外から認知されづらいと主張した。また農林水産物の輸出に関して九州が一体となることで安定供給することができ、外国の市場に参入しやすくなると期待を述べた[49]

ただし高島自身が道州制実現に向けて取り組むかについては「市長としてすごくやりがいのある仕事が多く、制度とかそうしたところに今の自分の力を注ぎたいという思いはあまりない」と否定した[49]

なお、北九州市は、前述の通り「関門特別市」の準備を進めている。

大分県 編集

大分県では、平松守彦知事(当時。2003年4月退任)の在任中に、九州を東アジア諸国との人・物・金の交流拠点として経済力を高めようという「アジア九州経済圏構想」が、平松前知事を初めとする自治体関係者の間で出されていた。

しかし、現職の広瀬勝貞知事が就任した2003年4月以降は使用されていない。

沖縄県 編集

九州と琉球は歴史と風土が全く異なる点から、沖縄県で単独の州として、「沖縄州」あるいは「琉球州」への移行を目指している[注釈 2]琉球独立運動推進の一環として、琉球州を設置し、大幅な自治権を獲得したいとの議論もあり[50]、人口・経済・財政の規模が、最も小さい州になる可能性が高い。

地元経済界では、州都として普天間飛行場跡地への中枢拠点機能の設置と、高度医療施設、情報産業の誘致を行う予定である[51]

肯定論と否定論 編集

道州制を導入することには賛否がある。

分析枠組 編集

道州制導入に関する賛否の意見は多いが、その必要および導入の効果についての理論的分析は少ない。塩沢由典の『関西経済論』(2010、晃洋書房)第5章「道州制について」(pp.275-337)は、その数少ない考察のひとつである。同章は、現在において道州制を導入する必要を経済学の観点から分析している。塩沢は、長期停滞する日本の現状をキャッチアップ時代の終結により明治維新以来の中央集権制が制度疲労を起こしているからだと分析し(第5節 いまなぜ道州制か)、現状を打破する方策のひとつとして道州制があるとしている。塩沢の考察は、各道州に(1)立法権、(2)財政自主権のあることを前提になされている(第3節 いかなる道州制か)。塩沢は、たんに行政効率の観点からの道州制論議を厳しく批判している(第2節 「道州制」をめぐる困難)。

肯定論 編集

  • 都府県合併による地方公務員の削減および国から都道府県への権限委譲による国家公務員の削減[25]
  • 都府県合併による地方議会議員の削減[25]
  • 都府県単位より大きな資本の選択と集中が可能。地域の実情に応じた政策・事業が実行できる[25]
  • 広範囲な交通網の整備が、広い視野の観点で実施できる。このため、不要な空港の濫立といった浪費を節約できる(大前研一などが主張している[52])。
  • 自然環境や治山治水に関する事業は、県よりも広い広域自治体を設置した方が処理しやすい(奥野誠亮などが主張している[53])。
  • 東京一極集中の抑制、過密化の抑制、過疎化の抑制[25]、また二重行政の解消や国や県の出先機関の廃止・縮小が可能になる(九州地方知事会などが主張している[54])。
  • 中央政治・行政が無能でも、地方政治・行政がしっかりしていれば、日本全体が衰退するような悪循環・連鎖を回避できる。

期待される効果 編集

  • 国から各道州へ様々な権限、的確な財源等を移管すれば、地域活性化、地方経済再生、現行より適切な競争原理による日本全体の経済の興隆の実現を期待できる。
  • 小さな単位である市町村では実現の難しい政策を大きな単位である道州により、効率的かつ効果的に展開できる。
  • 公務員数の大幅な削減に期待でき、行政をスリムにできる。
  • 自然災害、戦争、テロなどで首都機能が停止した場合、道州が首都のバックアップとなれば、リスクマネジメントできる。
  • 道州間で現行より適切な競争原理が働くようになり、それが行政や科学技術のイノベーションを産む原動力となる。また、それらの好影響が日本全体の経済に反映される。
  • 政策実験が可能になり、課題先進国日本の問題解決策発見に貢献する[55]

否定論 編集

  • 国債の発行に代わって地方債を発行するため信用力の低下に拍車がかかるという脅威がある。(京都大学教授の藤井聡超人大陸にて指摘している。)これについては、三橋貴明も道州制でスペインはすでに失敗している[56] と具体例を挙げて批判している。また藤井聡は以下も問題点にあげている。
    • 巨大地震など日本全体で対応しなければならないような大規模災害への対応能力の低下
    • 日本全体で見ても数年に一度以下しかおこらないような頻度の少ない災害への対応能力の低下
    • 道州境界を跨ぐ地点で想定外の災害が発生した場合の対応能力の低下
  • 都府県の廃止(合併)によって州を設置すると、州都とその周辺の声ばかりが重視され、合併で行政権を失った地域の声が軽視される。(加茂市小池清彦らが主張している。)
  • 強大な権限を持った道州知事が中央政府の意向に従わない可能性がある。(東京大学教授の森田朗らが危惧している[57]。)
  • 財政の弱い自治体同士が合併しても、財政が強くなるわけではない。(富山県知事石井隆一は道州制施行後の税収問題を挙げ、2006年の全国知事会について北日本新聞のインタビューに「道州制は財政的にみると、自立性が高まるのは南関東など一部だけ。強いところはもっと強くなり、弱いところはさらに弱くなる。私は道州制が格差拡大につながることをはっきり言いたかった」と、道州制に否定的な姿勢を示した[58]。)
  • 道州議会所在地、道州庁所在地(県庁所在地)や政令指定都市にのみ人・金・有名店などが集中し、道州庁所在地・政令指定都市以外の市・町・村離島の扱いが蔑ろになる(京都府知事は「その中(道内)で一極集中が進む」と発言している。)
  • 「道州制」が導入されることになれば、日本全国に展開している大企業などは地域からの撤退をちらつかせつつ政治的発言力を強め、それによりかえって「官民癒着」の構造が強まるのではないかと一部労働組合は懸念を表明している。
  • 国籍条項との整合性。現在では「公権力の行使または国家意思の形成への参画にたずさわる公務員となるためには、日本国籍が必要」(内閣法制局の見解)との理由から国家公務員の任用資格の一つとして日本国籍を必要とする(教育職など、一部例外を除く)。一方、「地方自治体は主に地域に関連した職務を執行する」との理由から、地方公務員に日本国籍を持たない外国人が任用されることも自治体の判断で可能である(ただし警察官など公権力を行使する地方公務員は除く)。地方に大幅に権限を委譲した場合、地方公務員が公権力を行使するケースが出てくる可能性がある。
  • 「地方分権」のかけ声とは裏腹に、上からの道州制推進は中央集権的な体制の再編強化につながる恐れがある(下記「導入前提の議論や国主導の道州制論議への拒否感」を参照)。
  • 結局は「はじめに補助金削減ありき」で、国の「お荷物」と化した赤字の地方自治体を体よく切り捨てるための単なる方便ではないか、という懸念も根強い。
  • 道州制の最終目標は「連邦制」であり、統一国家である日本を分断する愚策である。
  • 国と地方の役割は、相互作用の上に成り立っており、道州制によって国の役割を縮小すれば、外交力が低下し、安全保障上の問題も生じかねないとしている[59]
  • 道州制によって公務員が削減されるとしているが、連邦制のアメリカ合衆国やドイツ連邦共和国と我が国の「国民千人当たりの公務員数」を比較すると我が国が最も少なく、道州制によって我が国の公務員が削減されるとは言えない。

導入前提の議論や国主導の道州制論議への拒否感 編集

  • 滋賀県知事嘉田由紀子(当時)は「行政区域が広過ぎるなど国民の反対が強い中で、拙速に推進の立場を取るのは時期尚早だ」と主張している[60]
  • 福島県知事佐藤雄平(当時)は、2006年11月16日に当選後初めての知事記者会見で、単なる行政の簡素化や、福島の都市が州都にならないであろうことを含め、州都への一極集中による過疎過密への懸念を元に、道州制に否定的な姿勢を示しているが、それらの修正が担保されるのであれば、再考をありうると述べた[61]
  • 鳥取県知事片山善博(当時)は、2006年の全国知事会で「規模の拡大は住民自治の否定に繋がる」と発言し、北海道特区も国からの権限委譲が十分でない点を挙げ「われわれが目指す道州制とは違う」と批判している[62]
  • 兵庫県知事井戸敏三(当時)は、2006年の全国知事会で「国が権限を持ったまま道州制に移行すれば、国の出先機関になってしまう」と主張している。
  • 福井県知事西川一誠(当時)は「(道州制の)導入を前提にした議論を行うべきではない」と発言している。
  • 三重県知事野呂昭彦(当時)は「道州制の導入は今の段階では時期尚早であり、慎重に議論を進めるべき。」と発言。理由として(1)道州制の議論以前に、国の目指すべき姿の議論が必要(2)国と地方の役割分担から地方政府のあり方へ議論を進化させるべき(3)地域の視点、住民の視点で考えることが大切。の三点を挙げた。また、「少なくとも三重県では、道州制を住民に説明できる理由やメリットは出てきていない」とも発言した。

導入の際の問題点 編集

複数の都道府県を合わせた区域に道州制を導入する際には、都道府県を廃止して道州を設置する方法をとるか、既存の都道府県の上に道州を設置する方法をとるかで、移行方法に注意せねばならない問題点が挙げられている。全国で同時に移行するのが望ましいが、北海道と沖縄県は一の道県で、道州とすることも考えられるので、先行して移行することもありうる。外の地域でも国との合意が得られれば先行できるよう答申されている。移行には以下の問題点が挙げられている。

都道府県の廃止 編集

もしも都道府県を廃止して道州を設置する場合には、社会経済上(都道府県の区域単位での新聞放送局警察気象台(特に地方気象台)の区分、プロ野球などの区域や名称なども含む)の問題や、国民体育大会インターハイのような都道府県持ち回りで行われるイベントや全国高等学校野球選手権大会のように各都道府県ごとの出場枠が決められていたイベントの改変の問題、一世紀を越える都道府県への愛着や誇りなどといった土地観や感情の問題などから、都道府県の廃止に国民の理解が得られるかを疑問視する声もある。

しかし、日本の道州制論議は、市町村合併の延長線上の発想で、道州の設置方法も、都道府県の廃止を前提に論議されることが多い。具体的な動きとしても、第28次地方制度調査会の答申は道州と市町村の2層と答申され、市町村合併が進んだ地方でも積極的な調査や研究が行われている。このため、移行後の旧都道府県の区域を現在のと同じような形で、一定の位置づけを与えることも考えられる[63]

名称 編集

道州を設置する際に、方角西)を付けた名称を極力避けて、雅称を用いるべきだという意見がある[要出典]。これは、「東北州」の名称が方角だけであり、さらに「北東北州」や「南東北州」という名称提案がでるに及んで、安易なネーミングを避けるよう婉曲に促したものである。

単位の統一 編集

地方自治法には、「」「」「」「」の定義がない[注釈 5]。このため、道州制を導入する際には、「道」か「州」のどちらか一方に統一するか、「道」・「州」のそれぞれの定義を明確にすべきだという意見もある[要出典]。例えば、片や北海で片や東北となると、「道」と「州」の違いが、具体的な行政区画の単位として異なるのか、それとも現在の都道府県のように名称が異なるだけなのか、が判らなくなる。

一方で、行政区画の単位の統一や道州の定義を必要としないと主張する者もいる[要出典]。こちらは、地方ごとに歴史的由来、財政、経済状態、人口規模、人口密度等が異なることから、全国一律の行政区画の単位の導入は現実的ではないという考え方である(現行法の考え方のまま)。

九州では、「道」や「州」に代わる単位の名称として、「」が提案されている。これは、九州に対東アジアへの外交拠点として大宰府が置かれた歴史を反映した物である。[要出典]

現在、具体的な検討を行っている政府の地方制度調査会では、道または州を仮称とし、自民党の道州制調査会では、北海道を道州制移行後もそのまま「北海」として、九州を「九州」として、これら以外を全て「」とする方針で、現時点では単位の統一には拘らないとしている[要出典]

求心力や一体性 編集

地方制度調査会が提示した区域例では、関東地方は、特に南部が過密状態になっているため、南北分割が前提とされている。

地方制度調査会は、東京都を1つの道州として位置付ける場合、隣接する道州(9道州案の場合は「東京州(仮)」「南関東州(仮)」の2州、11道州案と13道州案の場合は「北関東州(仮)」「東京州(仮)」「南関東州(仮)」の3州となる)との広域連携を実施することで、一体性を維持しつつも一極集中を緩和すると述べている。しかし、東京都のみで1つの州にすると、神奈川県埼玉県千葉県が飛び地になってしまう。このために、東京都を分割して、区部(旧東京市)を以って「東京市」を復活させて、東京市で単独の州とする「東京特別市」の案も出されている[64]。また、東京都を単体で扱う場合、近隣県の一部を東京州に編入させる考えもある。石原慎太郎東京都知事は、仮に東京都だけ分離するのなら、現在の東京都の面積では狭い旨の発言をしている。

京阪神の経済団体が提案する「関西州」の区割り案は、三重県と福井県、徳島県も含めている[65]

九州では、地方制度調査会が全島単独案と南北分割案の両方を例示した(前述)ものの、「九州は7県で1つの道州(名称は「九州府」を予定)を構成する」というのが各県の統一認識となっている。

これは、

  1. 経済の重心が北部に偏っている
  2. 全島単独の方が一体性を醸成しやすい
  3. 福岡県大牟田市熊本県荒尾市など、県内他地域よりも県を跨いだ地域同士の方がより親密な地域があり[注釈 6]、現行の県の区割りで無理やり二分しようとすると、こうした地域の一体性を却って失わせてしまう

などが理由となっている。

一方で、東北地方などの拠点都市の多い地方では、面積が小さい方が小回りが利くという観点から、道州の二分割を求める動きもある。

具体的な動きとして、東北地方では、青森県が「北東北州(仮)」の13道州案を支持している[11]

北陸3県では、地方制度調査会と国土形成計画では意見が異なっており、2006年の地方公共団体、経済団体からの意見聴取結果では、富山県・石川県・福井県の自治体、経済団体、各県の商工会議所連合会のうち、富山県が3県と新潟県含む4県の両方を挙げた[66] ほかは、すべてが3県での枠組みを希望した[66][67]

弱小な州の濫立を防ぐために、2006年12月に成立した「道州制特区推進法」では、北海道と沖縄県を除いて「3県以上からなる地方ブロックの全県で構成」という規模基準が、具体的に記載されている。又ほかにも、道州同士の水平税率調整を行ったり、道州・市町村にも課税自主権を与えたりと、様々な対策法がある。

州都の位置 編集

道州制を採用した場合、その域内のどこかの都市に州政府や議会が置かれることになる。この都市が「州都」である。州都をどこに置くかについては、その地域内のいくつかの都市で熾烈な誘致合戦がおこなわれることがありうる。当該地域内の最大都市は自らが州都となることが当然だとみなすのに対して、当該道州の他都市にとっては、最大都市への集中が進むことは自らの地域が衰退することにつながりうるからである。州都をどこにするのかという問題は、州の範囲をどうするかという議論に密接に関わってくる。

  • 上述のように、州都の第一候補としてはその地域の最大都市が挙げられることが多い。しかし、地域の均衡ある発展のためには州都は必ずしもその域内の最大都市でなくてもよいという議論や、むしろまったく新しい都市を州都にすべきであるという議論、人口よりも地理的な中心性を重視すべきであるという議論もでている。
  • 上記「11道州」案や「13道州」案における「北陸州」では、新潟県、富山県、石川県、福井県がその範囲として想定されているが、その場合の州都の候補としては石川県金沢市(人口約46万人、中核市)や新潟県新潟市(人口約81万人、政令指定都市)や富山県富山市(人口約42万人、中核市)が挙げられている。金沢が歴史的ないし地理的に北陸地方の中心都市であるという自負があるのに対して、新潟は金沢より人口規模が大きい上に北陸地方唯一の政令指定都市である。富山では4県の中心に近くなるが他の2市に比べて都市の規模が小さいという欠点もある。新潟では、もし北陸州の州都が金沢となるのであれば、新潟は北陸州から離脱して単独の「新潟州」という案も提唱されている。
  • 「中国州」または「中国・四国州」の場合、州都の候補としてはまず、その域内の最大都市である広島県広島市(人口約111万人、政令指定都市)が挙げられる。しかし、この地域には広島以外の政令指定都市として岡山県岡山市(人口約72万人、政令指定都市)が存在しており、中国・四国地方を一体としてとらえた場合、岡山の方が交通の拠点性が高い。このため「中国・四国州」の州都としては岡山が相応しい、とする案が提唱されている。
  • 「近畿州(関西州)」の場合、その域内の最大都市は大阪府大阪市(人口約260万人、政令指定都市)であり、たとえば大阪市長橋下徹は「近畿州(関西州)」の州都は大阪市であることを大前提として道州制構想を語っている。しかし、この域内には京都府京都市(人口約147万人、政令指定都市)、兵庫県神戸市(人口約154万人、政令指定都市)、が存在している上に、それぞれが独自の歴史性・文化性[注釈 7] と経済圏を持っている。それらの地域では、大阪が「近畿州(関西州)」の州都となることを大前提とする道州制そのものについての慎重論が根強い。
  • 東北地方の場合、上記「9道州」案と「11道州」案では青森県、岩手県、秋田県、山形県、宮城県、福島県を範囲とする「東北州」が考えられている。その場合の州都の第一候補としては、域内唯一の政令指定都市である宮城県仙台市が挙げられる。しかし、青森県、岩手県・秋田県では仙台一極集中が進むことを警戒し、むしろその3県だけの「北東北州」案を推すべきであるという議論がでている。
  • 九州地方の場合、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県を併せてひとつの州とする考え方が提示されている。現在、有識者等の間で州都の第一候補として話が持ち上がっているのが、地理的に九州のほぼ中心に位置する熊本県熊本市(人口約74万人、政令指定都市)である。これには域内の最大都市であり、九州全体の産業の中心地である福岡県福岡市(人口約150万人、政令指定都市)への一極集中による九州南部の地価下落などを防ぐ役割があり、熊本県知事の蒲島郁夫は「文化や産業の中心である福岡市がニューヨークならば、熊本市は政治的機能の中心地であるワシントンD.C.にしよう」と発言した。しかし、州都は現在の九州の行政・政治・経済の中心地である福岡市にすべきとの議論も出ている。また、九州の交通網において東西軸と南北軸が交わり物流の拠点性が高い佐賀県鳥栖市、福岡県久留米市を中心とした地域や、災害等が少なく、州都としての都市機能が失われにくいとされる大分県大分市を州都にすべきという意見もある。

県の分割 編集

県境を跨いだ市町村同士が、一方の自治体をA県から分離してB県に編入する場合がある。これにはA県の抵抗も当然予想される。長野県の旧山口村岐阜県中津川市に編入される際に、当時の長野県知事に反して県議会が独自に承認した例がある。

県の分割も考えられる地域としては、たとえば以下の地域がある。これは、地域の過去及び現状における、文化的、経済的交流の状況等を踏まえて道州制区割り案を微調整する観点で検討される可能性もある。

  • 長野県北信東信が北陸州(仮)に入って、その他の地域が東海州(仮)に入るパターン。
  • 岐阜県岐阜東濃西濃中濃が東海州(仮)に入り、飛騨地方が北陸州(仮)に入るパターン。
  • 静岡県:富士市-富士宮市以東が南関東州(仮)に入って、静岡市以西が東海州(仮)に入るパターン。
  • 福井県嶺南地方(敦賀市以西)が近畿州(仮)に入って、嶺北地方が北陸州(仮)に入るパターン。
  • 三重県伊賀もしくは+東紀州地方が近畿州(仮)に入って、左記以外の地方が東海州(仮)に入るパターン。
  • 鹿児島県奄美群島以南もしくはトカラ列島以南(いわゆる奄美地方もしくはその一部)が沖縄州(仮)に入って、左記以外の地方が九州(仮)に入るパターン。

道州と県の関係 編集

一般的に、統治階層の単位は、「町(区)・村<市・県(郡)<州(道)<国家」の順に広くなる。従って、都府県を存続させた上で道州制を施行すれば、日本における統治階層の単位は、「市町村<都府県<道州(府)<国家」の順に広くなる。

「地方主権」の手段としての道州制の発想では、市町村の連合自治体として県を設置して、県の連合自治体として道州を設置する、という「小から大へ」の考え方が目立つ。

広域行政体の規模を見ると、地方裁判所が都府県規模、高等裁判所が道州規模、最高裁判所が国家規模と見ることもできる。

したがって、自治の単位を見る際には、「どの規模の自治体に、どんな権限を持たせるか」という点が要点となる。道州が担う権限としては、交通網(空港高速道路など)や治山治水というように、自然環境や産業基盤に関する権限が主に挙げられている。

一方で、都府県が担う権限としては、「市町村を補完する」ために小回りを利かせるという観点から、生活基盤に関する権限(例:保健所高等学校の運営など)が主に挙げられている。

委譲される権限 編集

州政府に委譲される権限については、現在の所、以下のような、現行の都道府県の廃止を前提として、国及び国の地方支分部局が担う事務の一部と、現行の都道府県庁が担う事務のうち市町村へ移行しないものとする、との論議がある。

なお、基本的に国の地方支分部局は州政府に統合され、地方支分部局職員は州政府職員に、また都道府県庁職員のうち、一部は市町村職員となる。実際に州へ移行する場合においては、国の出先機関を統合し、国の出先機関として仮の「州」を置いたうえで、都道府県と統合及び州知事の公選制が実施されるものとみられる。

州の事務のうち、国から委譲される以下のような権限について、地方側からの「委譲する項目が少な過ぎる」という意見と、中央省庁側からの「憲法や条約上の観点から委譲できない事務がある。」「委譲する項目が多過ぎる」といった意見が対立しており、意見が一致していないのが実状である。実際に、国の地方支分部局の廃止や削減に対して、中央省庁は零回答を出している[68]。それ故に、道州制先行特区法案では、権限については、4-8項目のかなり限定的な委譲に留まる見通しになっている。

  • 社会資本整備:国道の管理、地方道の管理(広域)、一級河川の管理、二級河川の管理(広域)、特定重要港湾の管理、第二種空港の管理、第三種空港の管理、砂防設備の管理保安林の指定
  • 環境:有害化学物質対策大気汚染防止対策水質汚濁防止対策、産業廃棄物処理対策、国定公園の管理、野生動物の保護と狩猟監視(希少・広域)
  • 産業・経済:中小企業対策地域産業対策観光振興政策農業振興政策農地転用の許可指定漁業の許可と漁業権免許
  • 交通・通信:自動車運送や内航海運業等の許可自動車登録検査旅行業やホテル・旅館の登録
  • 雇用・労働:職業紹介職業訓練労働相談、労働基準監督、安全衛生業務、雇用機会均等業務
  • 安全・防災:危険物規制、大規模災害対策、広域防災計画の作成、武力攻撃事態等における避難指示等
  • 福祉・健康:介護事業者の指定、重度障害者福祉施設の設置、高度医療、医療法人の設立認可、感染症対策
  • 教育・文化:学校法人の認可、高校の設置認可、文化財の保護
  • 市町村間の調整:市町村間の調整

(※上記のうち、太字の21項目が国から州政府へ委譲する権限)

財源 編集

三位一体の改革で国との折衝の際に、全国知事会は、道州制を施行する際に、8兆円を自主財源として移譲し、9兆円の補助金を削減する案を出している。

しかし、それが実現した場合、道州の税収に格差が生じることが予想されている。「移譲財源による税収増額-補助金削減額」の差額について、石井隆一・富山県知事は、南関東(1都2県+山梨県)が5200億円増なのに対して、北陸4県は1500億円減、九州7県は4600億円減になるという試算を出している[58][69]

関連作品 編集

注釈 編集

  1. ^ ほかに「都」「府」などの名称が提案されることもある。多くの案においては「北海道」はそのまま「道」として存続するため、「州制」ではなく「道州制」と称される。
  2. ^ a b 2006年12月に成立した道州制特区推進法では、北海道沖縄県を除いて「3県以上からなる地方ブロックの全県で構成」という道州の規模基準が、具体的に記載されている。
  3. ^ 各道州の役割や経済規模は、欧州連合の小国程度を目指すとされる。
  4. ^ 俗に『平成の廃藩置県』『廃県置州』と称されることがある。
  5. ^ 歴史的由来による差異が地方自治法施行以前にはあった。詳細は都道府県#歴史を参照
  6. ^ 例えば、2015年(平成27年)国勢調査によると、常住地による就業者・通学者数のうち市外で就業・通学する者の人口、及び従業地・通学地による就業者・通学者数のうち市外から通勤・通学する者の人口についての双方とも、大牟田市については荒尾市が、荒尾市については大牟田市がそれぞれ最も多くなっている。
  7. ^ たとえば京都市は、永きにわたって日本国家の首都の座を保持していた(日本の首都についての議論は「日本の首都#多様な首都の認識」の項を参照)。

出典 編集

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    「関門特別市」を創設する意義について、「道州制の話もあり、新たな枠組みを議論する時期に来ている」と、末吉興一・北九州市長(当時)が発言し、「道州制で両市が分断されることに危機感を持っている」と、江島潔・下関市長も発言している。しかし、「下関が小倉に呑み込まれてしまう」と危惧する声も、とりわけ下関に根強い。これらの詳細は 関門通信 2007年2月28日付記事 も参照すること。
    なお、「熱論・合州国家日本」に掲載されている平松守彦・前大分県知事の「九州府」の区割り案は、関門海峡で線引きされている。
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関連項目 編集

参考文献 編集

外部リンク 編集