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日本カーリット工場爆発事故

日本カーリット工場爆発事故(にほんカーリットこうじょうばくはつじこ)は、1955年昭和30年)8月2日神奈川県横浜市保土ケ谷区にある火薬工場にて発生した爆発事故である。

事故の概要編集

1955年(昭和30年)8月2日午前10時45分頃、横浜市保土ケ谷区仏向町1625の日本カーリット工場[注 1]の第6填薬室にて、火薬の充填作業中に火薬の中に異物が混入するなどしていたため発生した摩擦が原因で、火薬が爆発。 この爆発が引き金となり、同じ作業場にあった別の約600キロの火薬が誘爆して爆発、さらに作業所内を手押し車で搬送中だった400キロの火薬にも引火し爆発したと推察されている。この事故により3名が死亡(1名は即死、2名は病院搬送後に死亡)、重軽傷者19名を出した。

なお、爆発が2度あった理由については、数十メートル離れた別の作業場(火薬乾燥作業場)に居て助かった目撃者の証言から、「まず作業場から煙が噴出して、そのすぐ後に爆発が2度に分かれて発生した」との目撃情報から、警察は前記のように爆発したものと推察した。しかし事故が発生した作業所内にいた者は全員死亡しているため、実際に建物内でどのような過程で爆発が2度に分かれて発生したのか、その詳細については今でも不明のままである。

事故現場の火薬製造工場は人気のない山間地の窪地に建てられていると共に、作業場の周りは高さ10メートルほど土を盛って土手を作っているなど、安全対策に配慮した場所だったので、1トンもの多量の火薬が爆発した事を考えれば、被害は最小限で食い止められたと言える。だがそれでも土手の半分近くは吹き飛び、事故現場から100メートルほど離れた場所にある日本カーリットの事務所は窓ガラスが割れたり、吹き飛ばされた土砂が屋根に5センチ近く積もるなどして半壊してしまった。

この爆発で付近の地下に保管されていたTNT火薬50トン×2の保管庫の扉も破損し、山林内に火災が類焼し誘爆の危険があったため横浜市消防局は決死隊を編成し、志願者20名のうち妻帯者3人を除く17人が現場に突入して決死の消火活動を行い誘爆を阻止したが、もし類焼していた場合は保土ヶ谷区全体に被害が及ぶ可能性があった。

折りしもこの前日に東京都墨田区厩橋にて墨田区花火問屋爆発事故(死者18名)が発生していた事もあり、この爆発事故は世間の注目を大いに集めた。

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 2019年現在、たちばなの丘公園やカーリットの森などといった広大な緑地となっており、工場は現存しない[1]

出典編集

  1. ^ 保土ケ谷区の広大な緑地「カーリットの森」、火薬工場だったころの姿は?”. はまれぽ.com (2015年7月17日). 2019年8月4日閲覧。

関連項目編集