一筆啓上 日本一短い手紙の館

福井県坂井市にある博物館
日本一短い手紙の館から転送)

一筆啓上 日本一短い手紙の館(いっぴつけいじょう にほんいちみじかいてがみのやかた)は、福井県坂井市丸岡町にある一筆啓上賞 日本一短い手紙の資料館。

一筆啓上 日本一短い手紙の館
Brief Messages from the Heart Museum
日本一短い手紙の館
日本一短い手紙の館
一筆啓上 日本一短い手紙の館の位置(福井県内)
一筆啓上 日本一短い手紙の館
日本一短い手紙の館の位置
施設情報
正式名称 一筆啓上 日本一短い手紙の館
専門分野 日本一短い手紙
事業主体 福井県坂井市
管理運営 公益財団法人 丸岡文化財団
開館 2015年8月23日[1]
所在地 910-0231
福井県坂井市丸岡町霞町3丁目10番地1
位置 北緯36度9分13.61秒 東経136度16分29.09秒 / 北緯36.1537806度 東経136.2747472度 / 36.1537806; 136.2747472座標: 北緯36度9分13.61秒 東経136度16分29.09秒 / 北緯36.1537806度 東経136.2747472度 / 36.1537806; 136.2747472
外部リンク 日本一短い手紙の館
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概要  編集

鬼作左」とも呼ばれた本多重次が陣中から妻へ宛てた手紙は、「一筆啓上 火の用心」から始まる。この手紙は用件を簡潔明瞭に伝えており、手紙のお手本と評価されている[2]。また、短い文章のなかでも妻子を気遣っており、本多の優しさを読み取ることができる[2]。この手紙のなかで「お仙」と呼ばれた人物は、幼名を仙千代といった越前丸岡藩の初代藩主本多成重のことであった[2]。このため、丸岡町職員であった大廻政成の発案で[3]、1993年(平成5年)には「母」をテーマとして「一筆啓上賞」の公募を始めた。

「一筆啓上賞」の入選作品は、以前は出版された書籍[4]でしか見ることができなかった。入選作品を常設展示するために資料館の建設が計画され[5]2015年平成27年)8月23日に一筆啓上 日本一短い手紙の館が開館した。構造に関しては2階建て[6]、3階建て[7]両方の記述がある。開館日は「ふみ」の語呂合わせから23日とした[5]。1階には過去の入賞作品が展示され[1]のように表示される映像で作品を紹介している[5][8]

「一筆啓上賞」について 編集

毎年多くの作品が寄せられている「日本一短い手紙 一筆啓上賞」は本多作左衛門重次の手紙をモチーフに始まった。現代に、日本の手紙文化の復権を目指そうと始まった「一筆啓上賞」は、わずか40文字の短い文で人を虜にした。そして、過去20年以上にわたる多くの人々の想いが結集して「一筆啓上 日本一短い手紙の館」は誕生した[9]

1994年(平成6年)から住友グループが「一筆啓上賞」を後援している[10]。「一筆啓上賞」は「大切なこと 人から人へ」という住友グループのグループメッセージと適うこと、また、坂井市丸岡町住友家初代当主である住友政友の出身地であり、ゆかりが深いことなどが理由である。

沿革 編集

  • 1993年平成5年)- 「一筆啓上賞」の公募を開始(第1回目応募数 32,236通)。
  • 1994年(平成6年)- 財団法人丸岡町文化振興事業団 発足[11]
  • 2013年(平成25年)4月1日 - 公益財団法人丸岡文化財団に名称変更[11]
  • 2013年(平成25年)9月 - 丸岡文化財団は「一筆啓上賞」に関する博物館の建設地について、丸岡城西側の旧医院跡地にする方針を発表した。しかし、この場所は丸岡城の内堀に当たることなどから、地元の了解を得られず、丸岡文化財団は丸岡城北側にある丸岡文化財団の敷地に変更した(1度目の変更)[12][注 1][注 2]
  • 2014年(平成26年)6月6日 - 丸岡文化財団の敷地内から丸岡城二の丸の石垣が出土したため、丸岡図書館北側の駐車場内に建設地を変更した(2度目の変更)[12]
  • 2015年(平成27年)8月23日 - 開館[1]

一筆啓上賞 編集

各回テーマと審査員 編集

一筆啓上賞 (1993-2002) 編集

開催時期 テーマ 選考委員
第1回 1993年 「母」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一 (考古学者)
第2回 1994年 「家族」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)
第3回 1995年 「愛」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)
第4回 1996年 「父」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)
第5回 1997年 「母への想い」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)
第6回 1998年 「ふるさとへの想い」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)
第7回 1999年 「友へ」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)
第8回 2000年 「私へ」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)ゲスト選考委員小室等(シンガーソングライター)
第9回 2001年 「いのち」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)ゲスト選考委員小室等(シンガーソングライター)
第10回 2002年 「喜怒哀楽」 黒岩重吾(作家) 俵万智(歌人) 時実新子(『川柳展望』主宰) 中村梅之助(俳優・歌舞伎役者) 森浩一(考古学者)ゲスト選考委員小室等(シンガーソングライター) 

新一筆啓上賞 (2003-) 編集

開催時期 テーマ 選考委員
第1回 2003年 「母との往復書簡」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)中島敬二(住友グループ広報委員会事務局長)
第2回 2004年 「家族殿」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)井場満(住友グループ広報委員会事務局長)
第3回 2005年 「愛」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)井場満(住友グループ広報委員会事務局長)
第4回 2006年 「父」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)井場満(住友グループ広報委員会事務局長)
第5回 2007年 「未来」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)井場満(住友グループ広報委員会事務局長)
第6回 2008年 「夢」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)鈴木久和(住友グループ広報委員会事務局長)
第7回 2009年 「笑」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)鈴木久和(住友グループ広報委員会事務局長)
第8回 2010年 「涙」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)鈴木久和(住友グループ広報委員会事務局長)
第9回 2011年 「明日」 池田理代子(漫画家・声楽家)小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)林正俊(住友グループ広報委員会事務局長)
第10回 2012年 「ありがとう」 池田理代子(漫画家・声楽家)小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)林正俊(住友グループ広報委員会事務局長)
第21回 2013年 「わすれない」 池田理代子(漫画家・声楽家)小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)西ゆうじ(作家)林正俊(住友グループ広報委員会事務局長)
第22回 2014年 「花」 池田理代子(漫画家・声楽家)小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)新森健之(住友グループ広報委員会事務局長)
第23回 2015年 「うた」 池田理代子(劇作家・声楽家)小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)中山千夏(作家)新森健之(住友グループ広報委員会事務局長)
第24回 2016年 「ごめんなさい」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)宮下奈都(作家)新森健之(住友グループ広報委員会事務局長)
第25回 2017年 「母」 小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)宮下奈都(作家)新森健之(住友グループ広報委員会事務局長)
第26回 2018年 「先生」へ  小室等(シンガーソングライター)佐々木幹郎(詩人)夏井いつき(俳人・エッセイスト)宮下奈都(作家)新森健之(住友グループ広報委員会事務局長)
第27回 2019年 「春夏秋冬」

施設概要と館内説明 編集

  • 木造2階建[6]
  • 延床面積 700平方メートル
  • 常設展示室....一筆啓上賞の歴史とともにこれまでの入賞作品を見ることができる。[14]
  • 企画展示室....愛媛県西予市のかまぼこ板の絵と日本一短い手紙のコラボ作品が展示されている。[7]
  • 古城展示室....丸岡城天守閣の3階とほぼ同じ面積になっていて、坂井市についてのビデオを鑑賞できる。[7]
  • ふみの庭....カフェ[7]

開館時間 編集

  • 9:00 - 17:00(入館は16:30まで)

休館日 編集

  • 年末年始[8](12月29日から1月3日)
  • 展示替えのための休館日あり

アクセス 編集

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 旧丸岡町時代に出された長期ビジョンの中で、消滅してしまっている内堀・外堀を再び掘り直すことをはじめとする城郭としての丸岡城復元の方針が示されていた[13]
  2. ^ 出典[13]の「2.坂井市 丸岡城 について」にある丸岡城天守閣の復元模型や地図で5角形の内堀の配置が見られる

出典 編集

  1. ^ a b c “心に響く一筆を展示 福井で「日本一短い手紙の館」開設”. 日本経済新聞. (2015年8月23日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG23H1F_T20C15A8000000/ 2019年7月10日閲覧。 
  2. ^ a b c 丸岡文化財団, 公益財団法人. “この館について | 一筆啓上 日本一短い手紙の館”. 2019年11月3日閲覧。
  3. ^ “「日本一短い手紙」、引退した仕掛け人の思い 今年も大賞5編を発表”. withnews. (2016年2月4日). https://withnews.jp/article/f0160204003qq000000000000000W00o0401qq000012980A 2019年7月10日閲覧。 
  4. ^ 『日本一短い「母」への手紙―一筆啓上賞』丸岡町文化振興事業団、2010年。 
  5. ^ a b c “一筆啓上の発信基地 手紙の館が完成 オープンは“ふみ”の語呂合わせで今月23日”. 産経WEST. (2015年8月17日). https://www.sankei.com/article/20150817-5JVI3BR7DZPBDMU4E3S4SGKVSU/ 2019年7月10日閲覧。 
  6. ^ a b 一筆啓上日本一短い手紙の館開館 坂井市丸岡町、手紙文化を発信”. 福井新聞 (2015年8月24日). 2015年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月29日閲覧。
  7. ^ a b c d 一筆啓上日本一短い手紙”. 一筆啓上日本一短い手紙. 2019年7月17日閲覧。
  8. ^ a b “「一筆啓上日本一短い手紙の館」 120万通の思いが結集”. 北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ(福井新聞). (2015年8月31日). https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000003878 2019年7月10日閲覧。 
  9. ^ 一筆啓上日本一短い手紙の館 この館について”. 一筆啓上 日本一短い手紙の館. 2019年7月17日閲覧。
  10. ^ 一筆啓上賞 日本一短い手紙コンクール特別後援”. 住友グループ広報委員会. 2019年7月28日閲覧。
  11. ^ a b 財団概要(法人格移行のお知らせ)”. 公益財団法人 丸岡文化財団. 2015年8月23日閲覧。
  12. ^ a b 福井新聞 2014年6月7日
  13. ^ a b 渡邊照秀 (2015年4月1日). “歴史的建造物を活かした地域づくりについて” (PDF). 一般財団法人 地域活性化センター. 2015年8月29日閲覧。
  14. ^ 一筆啓上日本一短い手紙”. 一筆啓上日本一短い手紙. 2019年7月17日閲覧。

周辺 編集

関連項目 編集

  • 本多重次 - 日本一短い手紙の作者
  • 丸岡城 - お仙と呼ばれた本多成重が藩主となった。

外部リンク 編集