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日本人のノーベル賞受賞者

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概要編集

第二次世界大戦終戦後、未だ戦後占領期にあった1949年11月3日(文化の日)、日本人として初めて湯川秀樹が授賞した[1]広島原爆投下および長崎原爆投下からわずか4年余りしか経ってないにも関わらず、原子力爆弾の基本理論に近しい素粒子理論である「中間子理論」を授賞理由とした湯川は敗戦直後の日本国民に受け入れられ、国民に大いに自信を与えたという[2]

1901年から始まり2018年に至るノーベル賞の歴史の中で、日本は非欧米諸国の中で最も多い27名の受賞者を輩出しており、このうち3名が受賞時点で外国籍を取得していた。21世紀に入ってからでは、自然科学部門の国別で日本は米国に続く世界第2位のノーベル賞受賞者数となっている[要出典]。ただし、経済学賞を受賞した日本人はおらず、また女性[注 1]や団体及び複数回にわたってノーベル賞を受賞した日本人・団体もいない。

受賞者の多くが大学教授などの研究者である中、1973年に民間企業 (IBM) の技術者であった江崎玲於奈が物理学賞を受賞。2002年に民間企業(島津製作所)の技術者であった田中耕一が化学賞を受賞。2014年に青色LEDの開発で赤崎勇、天野浩と共に物理学賞を受賞した中村修二も、民間企業(日亜化学工業)在籍時の高輝度青色LEDの発明・実用化が理由となった。

日本関連の授賞者数(国籍は授賞時、2018年時点)
部門 \ 出身・国籍 日本出身で
日本国籍
日本出身で
外国籍
日本関連地出身で
外国籍
合計
物理学賞 9 2 11
化学賞 7 2 9
生理学・医学賞 5 5
文学賞 2 1 3
平和賞 1 1
経済学賞 0
合計 24 3 2 29
各年毎の日本国籍、および、日本関連の外国籍の授賞者数(2018年時点)

(合計:24+5名)

1
2
3
4
1901
1911
1921
1931
1941
1951
1961
1971
1981
1991
2001
2011
2021
  •   物理学賞(9+2名)
  •   化学賞(7+2名)
  •   生理学・医学賞(5+0名)
  •   文学賞(2+1名)
  •   平和賞(1+0名)
  •   経済学賞(0+0名)

受賞時点で日本国籍の受賞者編集

現職などは各受賞者の記事を参照。

物理学賞編集

受賞時日本国籍のノーベル物理学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1949年   湯川秀樹 京都帝国大学理学部卒、理学博士大阪帝国大学
1/1 中間子の存在の予想[7]
1965年   朝永振一郎 京都帝国大学理学部卒、理学博士(東京帝国大学
1/3 量子電気力学分野での基礎的研究[8]
1973年   江崎玲於奈 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
1/4 半導体におけるトンネル効果の実験的発見[9]
2002年   小柴昌俊 東京大学理学部卒、ロチェスター大学大学博士課程修了 (Ph.D.)、理学博士(東京大学)
1/4 天体物理学、特に宇宙ニュートリノの検出に対するパイオニア的貢献[10]
2008年   小林誠 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
1/4 小林・益川理論CP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[11]
  益川敏英 名古屋大学理学部卒、理学博士(名古屋大学)
1/4 小林・益川理論とCP対称性の破れの起源の発見による素粒子物理学への貢献[11]
2014年   赤崎勇 京都大学理学部卒、工学博士(名古屋大学)
1/3 高輝度で省電力の色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]
  天野浩 名古屋大学工学部卒、工学博士(名古屋大学)
1/3 高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]
2015年   梶田隆章 埼玉大学理学部卒、理学博士(東京大学)
1/2 ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動の発見[13]

化学賞編集

受賞時日本国籍のノーベル化学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1981年   福井謙一 京都帝国大学工学部卒、工学博士(京都大学)
1/2 化学反応過程の理論的研究[14]
2000年   白川英樹 東京工業大学理工学部卒、工学博士(東京工業大学)
1/3 導電性高分子の発見と発展[15]
2001年   野依良治 京都大学工学部卒、工学博士(京都大学)
1/4 キラル触媒による不斉反応の研究[16]
2002年   田中耕一 東北大学工学部卒、工学士(東北大学)、東北大学名誉博士
1/4 生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発[17]
2008年   下村脩 旧制長崎医科大学附属薬学専門部卒、理学博士(名古屋大学)
1/3 緑色蛍光タンパク質 (GFP) の発見と生命科学への貢献[18]
2010年   根岸英一 東京大学工学部卒、ペンシルベニア大学博士課程修了 (Ph.D.)
1/3 クロスカップリングの開発[19]
  鈴木章 北海道大学理学部卒、理学博士(北海道大学)
1/3 クロスカップリングの開発[19]

生理学・医学賞編集

受賞時日本国籍のノーベル生理学・医学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1987年   利根川進 京都大学理学部卒、カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程修了 (Ph.D.)
1/1 多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明[20]
2012年   山中伸弥 神戸大学医学部卒、大阪市立大学大学院医学研究科博士課程修了、博士(医学)大阪市立大学
1/2 様々な細胞に成長できる能力を持つiPS細胞の作製[21]
2015年   大村智 山梨大学学芸学部卒、東京理科大学大学院理学研究科修士課程修了、薬学博士(東京大学)、理学博士(東京理科大学
1/4 線虫寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見[22]
2016年   大隅良典 東京大学教養学部卒、東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得満期退学、理学博士(東京大学)
1/1 オートファジーの仕組みの解明[23]
2018年   本庶佑 京都大学医学部卒、医学博士(京都大学)
1/2 免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用[24]

文学賞編集

受賞時日本国籍のノーベル文学賞受賞者の一覧
受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1968年   川端康成 東京帝国大学文学部国文科卒、文学士(東京帝国大学)
1/1 伊豆の踊子』『雪国』など、日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による叙述の卓越さに対して[25]
1994年   大江健三郎 東京大学文学部仏文科卒、文学士(東京大学)
1/1 個人的な体験』『万延元年のフットボール』など、詩的な言語を用いて現実と神話の混交する世界を創造し、窮地にある現代人の姿を、見る者を当惑させるような絵図に描いた功績に対して[26]

平和賞編集

受賞時日本国籍のノーベル平和賞受賞者の一覧
受賞 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由
1974年   佐藤栄作 東京帝国大学法学部卒、法学士(東京帝国大学)
1/2 非核三原則の提唱[27]

経済学賞編集

2018年現在、ノーベル経済学賞を受賞した日本人はいない。

日本出身の受賞者編集

日本出身(外地を除く)で受賞時外国籍の受賞者

物理学賞編集

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
2008年   南部陽一郎 東京帝国大学理学部卒、理学博士(東京大学)
素粒子物理学における自発的対称性の破れの発見[11]
1/2 福井県福井市にて生まれ育ち、東京帝国大学を卒業、東京大学で理学博士号取得。ノーベル賞として評価された研究は渡米後のものだが日本国籍の時のものである。その後1970年に49歳でアメリカ国籍を取得した際に日本国籍を失っており、受賞時にはアメリカ国籍。晩年はイリノイ州シカゴだけでなく大阪府豊中市の自宅にも居住していた。
2014年   中村修二 徳島大学工学部卒、博士(工学)(徳島大学)
高輝度で省電力の白色光源を可能にした青色発光ダイオードの発明[12]
1/3 愛媛県西宇和郡瀬戸町(現在の伊方町)生まれの大洲市出身(小学校時代に転居)。徳島大学工学部を卒業後、同大学大学院工学研究科修士課程修了。1994年になって徳島大学で博士(工学)の学位を取得。徳島県阿南市日亜化学工業社員時代に青色発光ダイオードの開発を社長に直訴し、1993年に世界に先駆けて高輝度青色LEDを発明、実用化した。1999年に同社を退職し、2000年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授に就任。アメリカで研究を続ける都合により、米国籍を取得[28]

文学賞編集

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
2017年   カズオ・イシグロ ケント大学卒、M.A.(イースト・アングリア大学
感情に強く訴える小説群により、世界とつながっているという我々の幻想に潜む深淵を明るみに出したことに対して[29]
1/1 長崎県長崎市で生まれる。漢字表記は石黒一雄。1960年、海洋学者の父が北海で油田調査をすることになり、一家でイギリスのサリー州ギルドフォードに移住、1978年、ケント大学英文学科卒業。1980年、イースト・アングリア大学大学院創作学科でMaster of Artsを取得。1983年、イギリスに帰化。

日本にゆかりのある受賞者編集

化学賞編集

受賞年 名前/受賞者の貢献度 学歴/受賞理由/日本との関係
1986年   李遠哲 国立台湾大学卒、Ph.D.(カリフォルニア大学バークレー校
化学反応の素過程についての研究[30]
1/3 大日本帝国領だった台湾出身の台湾人。幼少時は日本国籍を有し日本語を話した。旧帝国大学の一つ、台北帝国大学を前身とする国立台湾大学を卒業後、国立清華大学大学院で学び、カリフォルニア大学バークレー校でPh.D.を取得。
1987年   チャールズ・
ペダーセン
デイトン大学英語版卒、S.M.(マサチューセッツ工科大学
高選択的に構造特異的な相互作用をする分子(クラウン化合物)の開発と応用[31]
1/3 大日本帝国の保護国だった大韓帝国東莱郡(現在の大韓民国釜山広域市)にノルウェー人の父と日本人の母との間に生まれ、良夫という日本名も持つ。8歳まで朝鮮で育ち、教育を受けるために長崎県を経て、10歳で神奈川県横浜市に移り、18歳まで同市にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジで学んだ後、アメリカに渡った。後にアメリカに帰化した。

ノーベル賞受賞者の出身大学編集

ノーベル賞受賞者の学位取得大学(人数別)編集

各日本人ノーベル賞受賞者が一つ以上の学位(学士号・修士号・博士号)を取得した大学(2018年10月時点)

  • 東京大学 11(物理学賞5、化学賞1、生理学・医学賞2、文学賞2、平和賞1)
  • 京都大学 7(物理学賞3、化学賞2、生理学・医学賞2)
  • 名古屋大学 6(物理学賞4、化学賞2)
  • 北海道大学 1(化学賞1)
  • 東北大学 1(化学賞1)
  • 埼玉大学 1(物理学賞1)
  • 東京理科大学 1(生理学・医学賞1)
  • 東京工業大学 1(化学賞1)
  • 山梨大学 1(生理学・医学賞1)
  • 大阪市立大学 1(生理学・医学賞1)
  • 大阪大学 1(物理学賞1)
  • 神戸大学 1(生理学・医学賞1)
  • 長崎大学 1(化学賞1)
  • 徳島大学 1(物理学賞1)
  • ペンシルベニア大学 1(化学賞1)
  • ロチェスター大学 1(物理学賞1)
  • カリフォルニア大学サンディエゴ 1(生理学・医学賞1)
  • ケント大学 1(文学賞1)
  • イースト・アングリア大学 1(文学賞1)

ノーベル賞受賞者の学位取得大学(学位授与数別)編集

受賞時の博士号取得者は、2018年10月時点で受賞者中22人である。そのうち3人が米国の大学で博士号を取得している。また、3人が日本国外の研究機関在籍中の受賞である。

大学名 学士 修士 博士 合計
東京大学 8 3 7 18
名古屋大学 3 4 5 12
京都大学 7 2 3 12
北海道大学 1 1 1 3
東京工業大学 1 1 1 3
徳島大学 1 1 1 3
東京理科大学 0 1 1 2
東北大学 1 0 0 1
埼玉大学 1 0 0 1
山梨大学 1 0 0 1
大阪市立大学 0 0 1 1
大阪大学 0 0 1 1
神戸大学 1 0 0 1
長崎大学 1 0 0 1
ペンシルベニア大学 0 0 1 1
ロチェスター大学 0 0 1 1
カリフォルニア大学サンディエゴ校 0 0 1 1
ケント大学 1 0 0 1
イースト・アングリア大学 0 1 0 1
合計 27 13 22 62
  • 東京大学、京都大学、大阪大学、長崎大学はそれぞれ東京帝国大学、京都帝国大学、大阪帝国大学、長崎医科大学附属専門部を含む。
  • 小柴昌俊はロチェスター大学(課程博士:Ph.D)[32]と東京大学(理学博士・論文博士)[33]から博士号を授与されているため、人数が重複している。
  • 大村智は東京大学(薬学博士・論文博士)[34]と東京理科大学(理学博士・論文博士)[35]から博士号を授与されているため、人数が重複している。
  • ノーベル賞受賞を受け、田中耕一には東北大学から名誉博士の称号が贈られている[36]

受賞に関わった人物編集

平和賞編集

受賞を逃した人物編集

日本人としては、第1回から北里柴三郎野口英世などが候補に挙がっていたが、受賞者には選ばれなかった。北里に至っては、共同研究者であったベーリングが受賞したにも拘らず、抗毒素という研究内容を主導していた北里が受賞できないという逆転現象が起こっていた。

山極勝三郎市川厚一は、ウサギの耳にコールタールを塗布し続け、1915年に世界初の人工癌発生に成功したが、1926年のノーベル賞は癌・寄生虫起源説のヨハネス・フィビゲルに授与された[37][38]。現在フィビゲルが提唱した癌・寄生虫起源説は誤りであると考えられている。

世界初のビタミンB1単離に成功した鈴木梅太郎は、ドイツ語への翻訳で「世界初」が誤って記されなかったため注目されず、1929年のノーベル賞を逃した[39]

脊髄副交感神経の発見で1930年代に6度ノーベル賞候補となるも受賞を逃した呉建について、国連大使を歴任した松平康東は、当時日本枢軸国であったことから受賞に至らなかったとしている[40]

1970年に大澤映二・北海道大学理学部化学第二学科助教授(当時)はフラーレン (fullerene C60) の存在を理論的に予言したものの、肝心の論文を日本語でのみ発表しており英文では発表していなかったため、1996年のノーベル賞を逃した。この顛末は当時の『ネイチャー』(第384号、96年12月26日発売)にも掲載された[41][42]

1998年、スーパーカミオカンデでニュートリノ振動を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した戸塚洋二も有力なノーベル賞候補と目されていたが、2008年に死去した。彼の後輩で教え子でもある梶田隆章が2015年に物理学賞を受賞した際には、もし戸塚が生きていれば共同受賞は確実だったと惜しまれた[43]

文学賞では、読売新聞が2012年3月にノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長に取材し、「安部公房は急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」「三島由紀夫は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。井上靖が、非常に真剣に討論されていた」といったコメントを得たことを報じた[44]。このコメントと上記の守秘義務との関連は不明である。ドナルド・キーンは、ベストベリー委員長が三島由紀夫について、安部ほどは受賞に近づいていなかったと指摘したことについては、「スウェーデン人で国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドが『金閣寺』を高く評価することをスウェーデン・アカデミーに伝えており、その推薦は軽視されないということだった。受賞に大変近かったはずだ」と同記事内で述べている。2014年1月3日、三島由紀夫が1963年度のノーベル文学賞の有力候補6人の中に入っていたことが公式発表された[45][46]。6人の中には、三島の他にサミュエル・ベケットらがおり、その後3人に絞り込まれた際に三島は外れた[47]。1963年度の選考資料によると、委員会がドナルド・キーンに日本の作家についての評価を求めていたことが分かった[48]。当時キーンは、実績を重視し、年齢順に「谷崎潤一郎(76歳)、川端康成(63歳)、三島由紀夫(38歳)」の順で推薦したが、本心では「三島が現役の作家で最も優れている」と思っていたとし、それでも三島よりも谷崎と川端を高く評価したのは、年功序列を意識する日本社会に配慮したからだと説明して、「日本人の中には三島はまだ若いと考える人もいて、もし谷崎と川端を差し置いて受賞すれば、日本の一般市民は奇妙に感じるのではないかと考えた」と2015年4月に明らかにした[48]

ほかに、2000年代頃から、作家の村上春樹がノーベル賞最有力候補としてしばしばメディアに取り上げられているが[49][50][51][52][53]、2017年現在、受賞していない。

ノーベル賞候補者となった人物編集

ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1966年まで(平和賞のみ1967年まで)の候補者が公表されている。

ノーベル物理学賞では、本多光太郎が1932年の候補に日本人初の候補者に挙がっている。このほか、西島和彦(1960年 - 1961年、1964年、1965年)、中野董夫(1961年)、大貫義郎(1965年 - 1966年)、などがいる。

彼ら以外に坂田昌一は1969年にノーベル物理学賞候補者となっていたことがほぼ確実視されているが、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。

ノーベル化学賞では、1911年に秦佐八郎が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、鈴木梅太郎(1936年)、朝比奈泰彦(1951年 - 1952年)、油脂化学を専門とした外山修之(1958年)、水島三一郎(1962年、1964年)、九州大学名誉教授の山藤一雄(1964年)などがいる。

ノーベル生理学・医学賞では、1901年に北里柴三郎が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、秦佐八郎(1912年 - 1913年)、野口英世(1913年 - 1915年、1920年 - 1921年、1924年 - 1927年)、鈴木梅太郎(1914年)、1919年に稲田龍吉井戸泰が共同候補者となり、山極勝三郎(1925年 - 1926年、1928年、1936年)、加藤元一(1928年、1935年、1937年)、呉建(1931年、1933年、1935年 - 1937年、1939年)、佐々木隆興(1935年 - 1936年、1939年、1941年)、市川厚一(1936年)、久野寧(1936年、1938年、1953年)、石原誠(1939年)、鳥潟隆三(1939年)、大阪大学名誉教授の黒津敏行(1952年)、勝沼精蔵(1953年)などがいる。

ノーベル文学賞では、賀川豊彦が1947年・1948年の2度候補に挙がっている[54]。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1965年までの候補者が公表されている[55]。2009年、朝日新聞がノーベル財団に50年以上経過した過去の情報公開を請求した結果、賀川の後は1958年に谷崎潤一郎西脇順三郎が候補となっていたことが確認された[56]。さらに、谷崎と西脇は1960年から1962年にも候補者となっていたことが、公開された日本の外務省公電からの間接的な形で2010年に研究者によって確認され[57]、2013年に読売新聞によるスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求の結果としても裏付けられた[58]。また、同じ情報公開請求では1968年に受賞した川端康成が、1961年と1962年に候補者となっていたことも明らかになった[59]。後述する2014年の資料公開で、川端・谷崎・西脇の3人は1963年にも候補者となっていたことが判明している[60]。2015年1月、共同通信社の資料公開請求に基づく開示により、1964年度も前年同様に谷崎・川端・西脇・三島の4人がノミネートされ、そのうち谷崎潤一郎は1960年度に続き最終選考6人の中に含まれていたことが明らかになった[61]。2016年1月にはやはり共同通信社の資料公開請求に基づく開示で1965年度についてはこの年7月に亡くなった谷崎を含む前年と同じ4人がノミネート対象となり、スウェーデンアカデミーは「谷崎亡き後、川端が日本人候補者の中で最有力だ」としたものの、日本人4人は最終選考に残っていなかったことが明らかにされた[62]。2017年1月、読売新聞による資料公開請求に基づく開示で、1966年度は川端と西脇が候補となり、川端はノミネート以来初めて最終選考対象6人に残っていたことが明らかになった[63]。この年の選考に際しては伊藤整が意見書を寄せていたことも判明している[63]

ノーベル平和賞では、1909年に有賀長雄が日本人初の候補者に挙がっている。渋沢栄一(1926年 - 1927年)、賀川豊彦(1954年 - 1956年、1960年)、岸信介(1960年)、鈴木大拙(1963年)、吉田茂(1965年 - 1966年)、湯川秀樹(1966年)が候補となっていたことがノルウェー・ノーベル委員会の公表した資料により明らかになっており[64][65][66]、吉田については関係者の残した手記などから1967年にも推薦が行われたとみられていた[64]。2018年1月にノーベル財団がウェブサイトに公表した1967年度の候補者リストに吉田の名前があり(推薦者は栗山茂ら)[67]、推測が裏付けられた。

日本にゆかりのある候補者としてはリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーがいる。クーデンホーフ家とカレルギー家が連携した伯爵一族クーデンホーフ=カレルギー家の人物で、東京生まれのオーストリアの国際的政治活動家。母はクーデンホーフ光子。日本人名の幼名を持ち、その名は、青山 栄次郎(あおやま えいじろう)。汎ヨーロッパ連合主宰者として汎ヨーロッパ主義(パン・ヨーロッパ主義)を提唱し、それは後世の欧州連合構想の先駆けとなった。そのため欧州連合の父の一人に数えられる。何度もノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。

日本における賞金にかかる所得税の扱い編集

日本人がノーベル賞受賞に際して受け取った賞金は、所得税法第9条13号ホに基づき、ノーベル経済学賞を除き非課税となる(「ノーベル基金から支出される賞金」と規定されており、スウェーデン国立銀行から賞金が支出される経済学賞は同法第9条13号の対象外で同法第9条第13号ヘの財務大臣の指定[68]も受けていないため課税対象)。これは湯川秀樹がノーベル賞を受賞した時、賞金に課税されることに世論の反発が起こり、1949年11月24日に、「贈与(個人からの贈与及び個人以外のものからの贈与のうち、学術、技芸、慈善その他文化的又は社会的貢献を表彰するものとして交付する報奨金品)を非課税とする」と所得税法が改正された結果である。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 受賞に関わった女性としては2017年のノーベル平和賞の授賞式でメダル等を受け取り、受賞講演を行ったサーロー節子がいる[3][4][5][6]。(受賞に関わった人物を参照)

出典編集

  1. ^ 「妻の支え」で得たノーベル賞 渡部裕明(産経新聞 2014年4月16日)
  2. ^ もう一度読みたい <初のノーベル賞 湯川秀樹1>敗戦国日本 受賞に沸く(毎日新聞 2015年11月9日)
  3. ^ a b “授賞式でサーローさんら演説 ICANにノーベル平和賞”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2017年12月10日). http://www.asahi.com/articles/ASKDB2RW2KDBUHBI003.html 2017年12月14日閲覧。 
  4. ^ a b “サーローさん「核兵器は絶対悪」…平和賞授賞式”. 読売新聞 (読売新聞社). (2017年12月11日). http://www.yomiuri.co.jp/world/20171210-OYT1T50080.html 2017年12月14日閲覧。 
  5. ^ a b “ノーベル平和賞 授賞式 サーローさん「核兵器は絶対悪」”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2017年12月10日). https://mainichi.jp/articles/20171211/k00/00m/030/081000c 2017年12月14日閲覧。 
  6. ^ a b “平和賞受賞式でサーローさん演説”. 中国新聞 (中国新聞社). (2017年12月12日). http://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=394794&comment_sub_id=0&category_id=112 2017年12月14日閲覧。 
  7. ^ The Nobel Prize in Physics 1949”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
  8. ^ The Nobel Prize in Physics 1965”. Nobel Foundation. 2009年12月19日閲覧。
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  62. ^ “ノーベル文学賞の65年選考「川端康成、谷崎亡き後の最有力」 三島由紀夫「将来的に検討されるべきだ」とも”. 産経新聞. (2016年1月5日). http://www.sankei.com/life/news/160105/lif1601050010-n1.html 2016年2月2日閲覧。 
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  65. ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学――ノーベル平和賞と日本:吉田茂元首相の推薦をめぐる1966年の秘密工作―― (PDF) 」高崎経済大学地域政策学会、2016年
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  67. ^ Shigeru Yoshida - Nomination Database(ノーベル賞公式サイト)
  68. ^ 所得税法第九条第一項第十三号ニ又はヘに規定する団体又は基金及び交付される金品等を指定する件

関連項目編集

外部リンク編集