日本基督教団鳥取教会(にほんきりすときょうだんとっとりきょうかい)は、鳥取県鳥取市西町にある日本基督教団の教会で、旧組合教会系の教会である。

日本基督教団鳥取教会
地図
北緯35度30分13.5秒 東経134度14分7.1秒 / 北緯35.503750度 東経134.235306度 / 35.503750; 134.235306座標: 北緯35度30分13.5秒 東経134度14分7.1秒 / 北緯35.503750度 東経134.235306度 / 35.503750; 134.235306
所在地 鳥取県鳥取市西町1丁目425番地
日本の旗 日本
教派 日本基督教団
ウェブサイト 日本基督教団 鳥取教会
歴史
創設日 1890年2月23日 (1890-02-23)
聖職者
牧師 橋原正彦
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歴史 編集

熊本バンド加藤勇次郎同志社英学校に入学し、鳥取出身の吉村秀蔵に出会う。明治12年(1879年)に吉村の招きで、加藤は鳥取を訪れる。そこで、40日間にわたる鳥取最初の伝道活動を行う。

その後、吉村秀蔵が、金森通倫綱島佳吉元良勇次郎上代知新J・H・デフォレストO.ケリーE.タルカットジョージ・ローランドなどアメリカン・ボード宣教師が伝道を助け、明治13年(1880年)の教会の設立に関わっている。

明治15年(1882年)には、元魚町一丁目の綱島佳吉岡垣春六堀利蔵らが友愛会という求道者の集まりを結成した。

明治16年(1883年)、若桜町の借家で説教所を開講する。この集団は明治19年(1886年)、鹿野街道の粧屋又兵衛の家で集会を持つようになった。この5か月後に、日本基伝道会社から上代知新が招聘され、初代牧師になった。教会は元魚町の石井邸に移転した。[1]

タルカット宣教師は鳥取に長期滞在し、1887年には教会をバックに鳥取英和女学校が設立された。しかし、財政難により15年で閉校する。

明治21年(1888年)に、アメリカン・ボードのジョージ・ローランド宣教師が鳥取に赴任する。

明治22年(1889年)3月24日、ローランド宣教師のもと、友愛会、青年会、英和女学校の生徒にリバイバルが起り、120人が洗礼を受け、300人収容の教会堂が一杯になった。[2]

これらの教会活動の中で、内田正尾崎信太郎西尾幸太郎森脇竹蔵などの人材を生んでいる。1916年にアメリカン・ボードの婦人宣教師エステラ・コーが赴任すると、教勢が拡大する。コーを中心に、熊本バンドにあやかって鳥取バンドと呼ばれる集団が形成された。[3]

昭和18年(1943年)に鳥取大地震で被災するが、教会のメンバーが復興に大きく貢献した。

近年では自由民主党衆議院議員石破茂の所属教会として知られる。

出身者 編集

脚注 編集

  1. ^ 守部(2009年)142-143頁
  2. ^ 守部(2009年)143頁
  3. ^ 守部(2009年)143‐144頁

参考文献 編集