日本新薬硬式野球部
日本の社会人野球チーム
日本新薬硬式野球部(にっぽんしんやくこうしきやきゅうぶ、Nippon Shinyaku Baseball Team)は、京都府京都市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟している社会人野球の企業チームである。合宿所は、京都府長岡京市に所在する。
チーム名(通称) | 日本新薬、新薬 |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1955年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド | 京都市横大路運動公園野球場など |
チームカラー | 紺色 |
監督 | 鎌田将吾[1] |
都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 38回 |
最近の出場 | 2022年 |
最高成績 | 4強 |
日本産業対抗野球大会 | |
出場回数 | なし |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 26回 |
最近の出場 | 2024年 |
最高成績 | 4強 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
概要
編集1955年、日本新薬が『日本新薬硬式野球部』として創設。1957年に都市対抗野球に初出場、1983年に日本選手権に初出場を果たしている。創部以来、全国大会の常連であり、2002年に三菱自動車京都が廃部[2]となってからは京都府随一のチーム力を誇る。
2004年以降は日本選手権本戦への出場を3年連続で逃したり、2006年の都市対抗野球の京滋奈地区予選ではニチダイに代表の座を奪われ、近畿地区2次予選を突破してギリギリで最後の全国切符を手にするなど、そのチーム力にやや陰りが見えつつあった。しかし、2007年以降は5年連続で京滋奈地区の代表権を獲得するなど、再び力を取り戻した。地区予選が近畿地区に統合された2012年の都市対抗野球の予選でも近畿地区第4代表の座を獲得した。
2013年は、都市対抗野球の近畿地区2次予選で1勝も出来ずに予選敗退に終わり、2001年から続いていた連続本戦出場が12回で途絶えた。しかし、2014年は近畿地区第2代表の座を獲得した。
2017年1月、当チームOBで元プロ野球選手の吹石徳一が監督に就任した[3]。
2020年1月、退任した吹石に代わり、OBの松村聡が新監督に就任。吹石はアドバイザーとして当チームのサポートに回る[4]。松村は2023年11月をもって監督を退任している[1]。
設立・沿革
編集主要大会の出場歴・最高成績
編集- 都市対抗野球大会 - 出場38回、4強1回(1994年)
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場26回、4強1回(2017年)
- JABA岡山大会 - 優勝1回(1988年)
- JABA東京スポニチ大会 - 優勝2回(2016年、2019年)
- JABA四国大会 - 優勝1回(2017年)
- JABA伊勢・松阪大会 - 優勝1回(2017年)
主な出身プロ野球選手
編集元プロ野球選手の競技者登録
編集- 長谷部栄一(元:大阪タイガース) - 選手兼任監督 → 監督 → 退団
- 西垣一(元:大阪タイガース) - 外野手 → 監督 → 退団
- 吹石徳一(元:近鉄バファローズ) - アドバイザー(2013年) → ヘッドコーチ(2014年 - 2016年) → 監督(2017年 - 2019年)[5] → アドバイザー兼スカウト[4]
- 丹羽将弥(元:オリックス・バファローズ) - 外野手(2014年 - 2015年) → 退団
- 倉本寿彦(元:日本新薬→横浜DeNAベイスターズ) - 内野手(2023年) → 退団
かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督
編集- 前田正治(投手) - 選手・監督として在籍。
- 榎田宏樹(投手) - 選手として在籍。第71回JABA東京スポニチ大会MVP。榎田大樹の実弟。
脚注
編集- ^ a b 「社会人野球:社会人野球 日本新薬の新監督に鎌田氏」『毎日新聞』2023年11月28日。2024年1月26日閲覧。( 要購読契約)
- ^ のちにクラブチームとして再出発している(記事名もクラブチームとしての名称となっている)が、企業チーム時代の力はない
- ^ 吹石一恵パパ、徳一氏が日本新薬監督に 孫とW喜び 日刊スポーツ、2017年1月3日閲覧。
- ^ a b “元近鉄の吹石氏が日本新薬監督退任、今後はスカウト”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2020年1月6日) 2020年1月7日閲覧。
- ^ 社会人野球・監督考 日本新薬・吹石徳一氏
関連項目
編集外部リンク
編集- 日本新薬硬式野球部HP
- 日本新薬硬式野球部 (@Shinyaku_yakyu) - X(旧Twitter)
- シンヤくん (@shinyakunnippon) - X(旧Twitter)