日本最後の一覧

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日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧

なお、現在も可能であるが数十年あるいはそれ以上の長期間にわたって実例がなく、今後も実際に発生する可能性が著しく低いような物事は法改正や環境の変化に起因するものに限定し、単に「日本最後」と呼ばれるだけのものは除外している。

生物編集

政治や軍事編集

天皇・朝廷および律令制に由来する地位・官職編集

幕府および武士編集

近代以降の政治制度編集

  • 国政選挙立候補者
    • 最後の大正生まれの国政選挙立候補者:川島良吉(1918年8月1日生。2012年衆議院議員選挙に出馬)
  • 地方議員
    • 最後まで在任した大正生まれの市議会議員ならびに女性議員および地方議会選挙立候補者:橋本きくい(元潮来市議。1925年4月1日生。2016年1月31日の市議選で落選、2020年の選挙でも立候補したが落選)[10][11][12]
    • 最後まで在任していた大正生まれの地方議会議員:赤屋敷信一一戸町議会議員。1926年1月29日生。2017年7月25日辞職)[注釈 14]
  • 最後の国葬吉田茂1967年
  • 最後に特例市に指定された市:佐賀市2014年4月1日指定。特例市制度は2015年に廃止)

近代以降の軍事編集

外交編集

  • 最後の満洲国駐箚大使山田乙三(大使在任中の1945年8月18日に満洲国が崩壊)
  • 最後の駐日満洲国大使:王允卿(大使在任中の1945年8月18日に満洲国が崩壊)
  • 最後の特命全権公使高橋通敏アイスランド駐箚特命全権公使、鈴木耕一ホンジュラス駐箚特命全権公使(両名とも1967年6月5日付で特命全権大使に昇格)
  • 最後の中華民国駐箚大使:宇山厚(大使在任中の1972年9月29日に日華断交)
  • 最後の駐日中華民国大使:彭孟緝(大使在任中の1972年9月29日に日華断交)
  • 最後の南ベトナム駐箚大使:人見宏(1975年6月27日に離任。後任者が赴任しないまま1976年11月6日付で在南ベトナム大使が廃止)
  • 最後の駐日南ベトナム大使:グエン・チュウ・ダン(大使在任中の1975年4月30日に首都サイゴンが陥落し、反共政権が崩壊)
  • 最後のシリア駐箚大使:鈴木敏郎(2012年6月5日にペルソナ・ノン・グラータに認定され解任。その後は人道危機のためシリア駐箚大使を任命せず)
  • 最後の駐日シリア大使:ムハンマド・ガッサーン・アル=ハバシュ(2012年6月6日にペルソナ・ノン・グラータに認定され解任。その後の大使候補者は、日本からアグレマンを得られず)

社会編集

過去の時代に生まれた日本人編集

過去の特定の時代に生まれ、最後まで生存していた日本人(日本国籍者)

日本国内における死刑編集

以下いずれも日本国内

その他編集

学問・教育施設編集

  • 最後の男子大学:東洋食品工業短期大学(2008年度より男女共学化)
    ※東食短大では、開学以来、力作業を伴う実習授業が多いことから永らく女子の募集は無く入学を認めていなかったが、2008年度より男女共学となった。これにより、日本の男子大学は消滅した。
  • 最後の薬学部以外の薬剤師養成課程:広島大学(2006年の薬剤師養成課程の6年制移行に伴う措置)
    ※かつての薬剤師養成課程は医学部に設置されていることが多かった[注釈 30]が、次第に薬学部として独立していった。広島大では最後まで医学部内に薬剤師養成課程(総合薬学科)を設置していたが、6年制移行に伴って医学部から分離され、薬学部薬学科となった。これにより、薬学部以外の管轄による薬剤師養成課程は消滅した。

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貨幣編集

製品編集

  • 赤チンを製造・販売していた最後の企業:三栄製薬(東京都世田谷区
    ※2019年5月31日を最後にマーキュロクロム液(通称:赤チン)が日本薬局方から除外されたため、小堺製薬が製造を廃止。これにより三栄製薬が最後の製造・販売企業となった。長年親しまれてきたため、消費者からの要望もあって日本薬局方から除外された後も製造を続けていたが、成分に水銀を含んでいることから、水銀に関する水俣条約により2021年以降は規制対象となるため、2020年12月24日製造分をもって製造を終了した[28][29]

日本最後の各種施設・建築物編集

城郭(日本の城)編集

交通編集

鉄道編集

路線編集

列車編集

人物編集

道路編集

二輪車・四輪車編集

電気通信編集

エンターテインメント編集

テレビ編集

放送局編集

テレビ番組編集

ラジオ編集

音楽編集

スポーツ編集

ラグビー編集

サッカー編集

野球編集

※以下、特に断りのない限り「プロ野球」は日本野球機構を示す。また、選手・監督については、特に断りのない限り、最後まで選手・監督であった人物を示す。

相撲編集

ボクシング編集

競馬編集

囲碁・将棋編集

  • 最後の世襲制将棋名人関根金次郎十三世名人(1935年3月26日付で世襲を廃止、実力制名人戦制に移行)
  • 最後の世襲制囲碁本因坊本因坊秀哉二十一世(1936年に選手権戦制に移行)
  • 明治生まれ最後の現役将棋棋士:小堀清一九段(1912年(明治45年)2月10日生。1987年4月引退)
  • 大正生まれ最後の現役将棋棋士:丸田祐三九段(1919年(大正8年)3月30日生。1996年3月引退)
  • 戦前生まれ最後の現役将棋棋士:加藤一二三九段(1940年(昭和15年)1月1日生。2017年6月20日引退)

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 後桃園天皇に譲位。
  2. ^ 生没年が判明している者のみ。また松下村塾自体は1892年まで存続したが、記録が散佚しているため、松下村塾塾生で最後まで生き残りだった者は現在も不明である。
  3. ^ 金沢藩執政(藩臣最高職)本多政均の暗殺に対する加賀本多家旧臣の敵討ち(「明治の忠臣蔵」と言われている)により石川県刑獄寮の裁判で切腹の判決が下され、旧臣12人が切腹した[2][3][4][5]1872年11月4日切腹刑執行。
  4. ^ 京都市伏見区淀納所内の水茶屋で松原貞芳(京都府士族)と口論となり、一旦は収まったものの、松原が挨拶せずに立ち去ったために激高し斬殺。服部は自首し、本来ならば斬罪のところ、士族であり、自首もしたため、自裁(切腹刑)となった[6][7][8]1872年8月13日切腹刑執行。最後の切腹刑執行から数えて2番目に当たる。
  5. ^ 徳田を含む6人組は、1880年(明治13年)12月21日から翌年1月21日の約1か月の間に4件の侵入強盗を起こし、4件目の侵入強盗の際、家主の母を殺害している。この殺害の件により、改定律例第127条及び第13条により、除族の上斬首刑の判決が1881年(明治14年)12月30日松江裁判所鳥取支庁により下された[9]。なお、その2日後に旧刑法が施行されている。
  6. ^ 公布日が最後となる勅令。日本国憲法施行後、勅令を新規に公布することはできないが、過去に公布され現在も有効な勅令は複数存在する。
  7. ^ 平沼は大政奉還以前生まれの首相経験者で最後の生き残りであった(1952年8月22日没)。
  8. ^ 鈴木貫太郎は最後の非国会議員の内閣総理大臣でもあった。なお、明治改元以前生まれの首相経験者で最後の生き残りは平沼や鈴木貫太郎ではなく岡田啓介であった(1952年10月17日没)。
  9. ^ なお、19世紀生まれの首相経験者で最後の生き残りは東久邇宮稔彦王(1990年1月20日没)である。
  10. ^ 鈴木善幸は明治生まれの首相経験者で最後の生き残りでもあった(2004年7月19日没)。
  11. ^ 村山は大正生まれの首相経験者で最後の生き残りでもある。
  12. ^ 宇垣は参議院議員衆議院議員では尾崎行雄
  13. ^ 原は帝国議会時代から議席を維持し続けた最後の現職議員でもあった。
  14. ^ 同じく90歳の神奈川県寒川町の藤沢喜代治議員の不出馬による。
  15. ^ 海上保安庁北朝鮮不審船が交戦。
  16. ^ 元山沖で、海上保安庁(日本特別掃海隊)所属の掃海艇が触雷したことによる。
  17. ^ 太平洋戦争に参戦しフィリピンルバング島に派遣され、終戦後も小野田寛郎らとともに戦闘を継続。フィリピン警察軍と銃撃戦になり胸を撃たれ死亡。
  18. ^ モンテネグロ公国は日露戦争に於いて大日本帝国に宣戦布告したが実際には戦闘は行われず、講和会議にモンテネグロ王国が出席しなかったことから、国際法上モンテネグロ公国との戦争が継続していた。2006年6月3日にセルビア・モンテネグロからモンテネグロ共和国が独立する際に、外務大臣と首相特使によりモンテネグロ共和国政府へ独立の承認と戦争の終結を伝える文書が届けられた。「日本とモンテネグロの関係」を参照されたし。
  19. ^ 生年月日に確かな記録のある人としては世界最後でもあった。
  20. ^ 罪状は、381両分(現在の価値換算で約150〜380万円程[13])の二分金および25両分(同じく約10~25万円程[13])の太政官札民部省札を偽造し売ったこと、さらに5両分(同じく約2~5万円程[13])の民部省札を偽造し使ったこと。執行日は1870年(明治3年)5月27日、執行時の年齢は40歳であった[14]
  21. ^ 罪状は、父を殺し母を傷つけたこと、さらに父母以外の2人を死に至らしめたこと。執行許可日は1870年(明治3年)9月23日、許可時の年齢は28歳であった[15]
  22. ^ 罪状は、軍曹2人の銀時計を窃盗したとして営倉に入っていた東京鎮台騎兵第1大隊1等卒兵の宇留根が、脱走し工兵第1大隊営下副官室に侵入、2,572円37銭8厘(当時の1円を現在の2万円として換算した場合、約5,140万円[16])を窃盗したというもの。執行許可日は1879年(明治12年)12月3日、執行日は翌日の4日。執行許可時の年齢は23歳であった[17][18]
  23. ^ この年に3人の女性が梟首によって執行されているが、その内の2人のどちらかである。1人目は、10月14日に執行された稲イレ(罪状:不倫を疑い、夫婦喧嘩をきっかけに就寝中の夫を13カ所刺して殺害)[19][20]、2人目は名前不詳の当時広島県在住30代女性(罪状:夫殺し)[21]である。
  24. ^ 1886年(明治19年)12月に「青森の亭主殺し」事件の加害者である小山内スミと小野長之助の公開斬首刑が青森県弘前市青森監獄前で行われた。この時2人の斬首刑に兼平巡査が斬首刑の執行人として、死刑執行者付添役に森矯(東奥義塾教師)がそれぞれの任を果したと言わている。
    しかし、このことが事実である場合、この死刑執行は事実上の斬首刑の最後であると共に、官憲による日本国内における一般刑法犯に対する最後の非合法の死刑執行かつ公開処刑であると言わざる得ない[22]
    なお、この2人の死刑執行が行われた同じ年に激化事件である加波山事件により10月2日に3人、10月5日に3人が絞首刑により執行されている。
  25. ^ 1896年(明治29年)9月15日に検事の許可の元、死刑執行を見届けようと30人が参観している。北海道根室の刑場で行われた[23]
    また、1885年(明治18年)7月27日に赤井景韶(罪状:冤罪事件である「高田事件」により収監。その後脱獄し、逃走中の所を目撃した人力車夫を殺害)の執行を旧自由党党員を始め100余名が観覧している[24]
  26. ^ 2010年(平成22年)7月28日に2人の執行を千葉景子法務大臣が立ち会っている[25][26]
  27. ^ 長岡は引き続き日本たばこ産業の初代社長に就任。
  28. ^ 真藤は引き続き日本電信電話の初代社長に就任。
  29. ^ 西川は総裁就任より前の2006年1月23日には日本郵政の初代社長に就任しており、2007年4月1日以降は兼任となっていた。
  30. ^ 医学部以外では、日本大学のように理工学部に薬剤師養成課程を設置していた大学もあった。マツモトキヨシホールディングス会長の松本南海雄がその出身者として知られる。その他、歯学部理学部工学部農学部などに置かれていた大学もあった。
  31. ^ 地方貨幣等は除く。
  32. ^ 地方貨幣等は除く。
  33. ^ 有効券だが、日本の生活文化に適合しない背景もあり、製造は既に中止。
  34. ^ 『しんせい』は2018年12月廃止、『ゴールデンバット』は2019年10月廃止。
  35. ^ ただし後継の釧路コールマインの坑内採炭はまだ続いている。また、露天掘りの炭鉱が数か所存在する。
  36. ^ 天守本壇(重要文化財)が焼失したものを再建。
  37. ^ 同じ場所にあった居館(福山館)を取り壊し、全面改築したもの。
  38. ^ 築城時の天守は焼失。現在は外観復元した建築物が建つ。
  39. ^ 陣屋からの改修。
  40. ^ 城郭の全体は未完成とされる。
  41. ^ このほか、明治初年に房総に移封された旧城主格の藩のいくつか(鶴舞藩長尾藩花房藩など)が築城に着手しているが、未完成に終わった。
  42. ^ 日本海縦貫線を全線走破する昼行特急は「白鳥」が最初で最後である。
  43. ^ 車籍は残したままである。最後にお召し列車牽引機として使用されたのは2001年3月23日。
  44. ^ 2019年現在も使用中。
  45. ^ 1970年に登場した日本初の多扉車でもある。
  46. ^ 逓信大臣との兼任。逓信省と合併後も引き続き運輸通信大臣に就任。
  47. ^ 近藤は改組後のNEXCO中日本の初代会長を2006年まで務めた。
  48. ^ 全国的には2011年7月24日12時30分00秒に終了したが、上記3県は東日本大震災のため延期されていた。
  49. ^ 関東・関西を除く地方局では福島テレビで、1963年4月1日開局。
  50. ^ 独立局以外では高知さんさんテレビさくらんぼテレビジョン。いずれも1997年4月1日開局。
  51. ^ 中国放送より後の1968年に社名変更したラジオ岐阜→岐阜放送は、テレビ開局前の変更である。
  52. ^ 録音用は現在もソニーから80分用の製品(品番:MDW80T)が継続して発売されている。
  53. ^ 山本昌は後楽園球場でプレー経験のある最後の現役選手でもあった。また2019年現在最後の日本球界200勝投手でもある。
  54. ^ オリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスおよびオリックス・ブレーブスへの在籍経験がある最後の現役選手でもあった。
  55. ^ 2007年9月30日に横浜スタジアムで横浜対ヤクルト戦のダブルヘッダーが予定されていたが雨天中止となった。実際に予定されたダブルヘッダーは同試合が最後で、それ以降は日程の消化が遅れダブルヘッダーが実施される可能性が出たことは何度かあるものの、実施に至った例はない。
  56. ^ 1967年12月14日王座獲得後、在位中にWBC分立。
  57. ^ 田原は翌1984年桜花賞を優勝しており、最初のGI優勝騎手にもなっている。

出典編集

  1. ^ 戦え絶滅動物
  2. ^ 石川県 (JPEG,PDF). 石川県誌稿 政治部 刑賞1(明治4‐17年)(35-49コマ) (Report). 国立公文書館. https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/result?DEF_XSL=detail&IS_KIND=detail&DB_ID=G9100001EXTERNAL&GRP_ID=G9100001&IS_TAG_S16=eadid&IS_KEY_S16=M2007041211341750645&IS_LGC_S16=AND&IS_EXTSCH=F2009121017025600406%2BF2005022412244001427%2BF2005031812272303110%2BF2007041211341050636&IS_ORG_ID=M2007041211341750645&IS_STYLE=default&IS_SORT_FLD=sort.tror%2Csort.refc&IS_SORT_KND=asc 2021年7月23日閲覧。. 
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