日本科学技術振興財団

公益財団法人日本科学技術振興財団(にほんかがくぎじゅつしんこうざいだん、: Japan Science Foundation)は、1960年科学技術水準の向上に寄与することを目的とする民間の中枢機関として設立された日本公益財団法人。「科学技術館」の運営母体であり、「所沢航空発祥記念館」の指定管理者でもある。

日本科学技術振興財団
Japan Science Foundation
科学技術館外観(2012年3月)
本部・科学技術館
団体種類 公益財団法人
設立 1960年
所在地 東京都千代田区北の丸公園2番1号
北緯35度41分29.7秒東経139度45分11秒座標: 北緯35度41分29.7秒 東経139度45分11秒
法人番号 5010005016795
主要人物 理事長 榊原 定征
活動地域 日本の旗 日本
主眼 科学技術振興に関する諸事業を総合的かつ効果的に推進することにより、日本科学技術の発展に寄与すること
活動内容 科学館、博物館等の企画、設置及び運営 他
ウェブサイト http://www2.jsf.or.jp/
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目次

概要編集

振興事業部、科学技術館事業部、情報システム開発部、航空記念館運営部、催事推進部の各部門が運営されている。

また科学技術学園高等学校(学校法人科学技術学園)の設立母体でもある。

公益法人制度改革に伴い、2011年4月1日に公益財団法人に移行した。

振興事業部編集

振興事業部は、本物の科学や技術に一般の人が触れる事ができるような普及啓発活動を行っている。

  • 「青少年のための科学の祭典」などは、振興事業部の事業である。

テレビ放送事業編集

日本科学技術振興財団テレビ事業本部
英名 Japan Science Foundation Television operational headquarters
放送対象地域 関東広域圏
東京都茨城県栃木県群馬県埼玉県千葉県神奈川県
ニュース系列 独立局
番組供給系列 日本科学技術振興財団テレビ事業本部
略称 テレビ部門局
愛称 科学テレビ 東京12チャンネルテレビ
呼出符号 JOTX-TV
開局日 1964年4月12日
本社 東京都
アナログ親局 東京 12ch
公式サイト http://www2.jsf.or.jp/
特記事項:
1973年(昭和48年)10月1日に東京12チャンネルへ事業譲渡、同31日をもって科学テレビを閉局し、11月から総合放送局に移行
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現在のテレビ東京の前身・日本科学技術振興財団テレビ事業本部(通称東京12チャンネル)の免許人であった。当時のVHF12チャンネル(ch)は、在日米軍レーダー用に使っていたチャンネルであり、津野田知重がアメリカへ単身で返還を要望しに行ったが、彼は財団とも関わっており、すぐに認可された。12chは返還直後の1959年NHK大阪放送局教育テレビジョンに初めて使用開始され、全国的にはNHK教育テレビジョンで多く使用された(関西圏以外では北海道新潟県関門都市圏等)他、1962年に開局した広島県広島テレビ放送NNNNNS系列)や宮城県仙台放送FNNFNS系列)のアナログ親局にも12chが使用された。

チャンネルの返還後、同チャンネルを使ったテレビ放送の免許を巡っては、本財団以外にラジオ関東(現在のアール・エフ・ラジオ日本、実際には河野一郎の意向が働いていたといわれる)、千代田テレビ(当時日本中小企業政治連盟を率いていた鮎川義介が中心)、中央教育放送(毎日新聞社毎日放送日本私立大学連盟が中心)、日本電波塔東京タワー)などが名乗りを上げたといわれているが、元々本財団の設立には正力松太郎中曽根康弘石川一郎植村甲午郎など政財界の大物が多数絡んでいたこともあり、最終的に財団に対し免許が下りることとなった[1]

1964年4月12日に開局。「科学テレビ 東京12チャンネルテレビ」という愛称を付けた。国からは、科学技術教育番組60%、一般教養番組15%、教養・報道番組25%を放送するという条件があったので、娯楽性のある番組は無いに等しかった。ちなみにこの頃、関東地方では12chが映らないテレビも多かったため、アンテナがあっても受信できないという事態が発生した[2]

科学テレビは毎月数千万円の赤字を出していたため、1965年6月には津野田に代わり元日産生命保険社長の藤本輝夫が理事に就任し大幅な人員整理を断行。この頃「NHKが財団のテレビ部門を吸収し、テレビ3チャンネル体制を構築する」(12chにNHK教育テレビを移設させ、空いた3chに「NHK報道テレビ」を開局させる)という話が進められていたため、「NHKと合併するのなら営業部門は不要」との判断から営業部の大リストラが行われ、実に営業部門の人員の75%が退職に追い込まれた[3]1966年にはそのために必要な放送法の改正案が国会に提出されたが、審議未了で廃案となり、結局この合併話も流れてしまった。

NHKとの合併話が白紙に戻った結果、1966年4月には放送時間の大幅な短縮を強いられた[4]が、他の在京テレビ局各局が科学テレビ協力委員会を発足させ、それらの協力を得て、一般的な番組も放送されるようになった。更に、財団形式では経営などに無理があったため、1968年に株式会社東京12チャンネルプロダクション(現在の株式会社テレビ東京の法人格。1973年の放送免許譲渡までは番組制作会社)を設立した。この時、大阪の毎日放送MBSテレビ)が経営に乗り出しており、いわゆる「腸捻転ネット」が解消されるまでは東京12チャンネルともネットワーク関係があったほか、2015年現在でも同局はテレビ東京の放送持株会社テレビ東京ホールディングスの大株主に名を連ねている。また水面下では「毎日放送が東京12チャンネルプロダクションを買収する」という話が進められていたとも言われていたが、結局は実現しなかった[5]

当時、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に出資していた日本経済新聞社は、財界からのたっての要請により、1969年11月1日に経営を引き受け、正式に参加。その後、日経は「科学テレビ」をグループの電波媒体とした。1973年10月31日に、科学テレビは幕を閉じた。「株式会社東京十二チャンネルプロダクション」は「株式会社東京十二チャンネル」となり、財団が経営を東京12チャンネルに移行させたとともに、免許も教育局から一般総合局に変わった。「株式会社東京十二チャンネル」は1981年10月1日に社名を「株式会社テレビ東京」に変更した。

主な番組編集

脚注編集

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  1. ^ 『東京12チャンネルの挑戦』(金子明雄著、三一書房1998年)pp.41 - 42
  2. ^ NHK教育テレビジョンに12chが割り当てられている地域では12chが映るテレビが普及しつつあった
  3. ^ 『東京12チャンネルの挑戦』pp.51 - 52
  4. ^ 基本的に平日は10:00-11:30と17:00-21:00。日曜日は日中の放送がなく夜間のみだった
  5. ^ 当時郵政大臣だった田中角栄から圧力があり、毎日新聞社社長の田中香苗や東京放送(当時)社長の今道潤三からも、将来的に毎日放送をTBS系列に移行させる可能性があるかもしれないと暗に毎日放送側に釘を刺されたとされる(『毎日放送四十年史』)。

関連項目編集

外部リンク編集