日本翻訳家協会(にほんほんやくかきょうかい)は、日本の学術・文筆家団体。

概略編集

1954年、日本ペンクラブの中の「日本翻訳委員会」と、鈴木信太郎が議長を務める「外国文学者協会」とが合体し、辰野隆を初代会長として創設された。1964年には創立10周年を機に、翻訳者を顕彰する日本翻訳文化賞を、翌年からは出版社を顕彰する日本翻訳出版文化賞を設定。国際翻訳家連盟(FIT)に加盟する日本代表の団体となった。1968年、分裂騒動が起き、1997年まで同名の別の団体が存在した(後述)  

歴代会長・理事長編集

平野裕編集

ひらのひろし。1930年7月23日東京生まれ。1953年東京外国語大学ロシア語科卒、毎日新聞社に入り、モスクワ支局長、外信部長、編集局次長、論説委員、英文毎日局長、83年編集局長、85年取締役、87年常務東京本社代表。91年退職。日本翻訳家協会理事長[1]。著書に『赤きソ連の大地 特派員の目』(毎日新聞社 1976)

分裂編集

1968年、豊田実の長期政権と佐藤亮一の独裁に反発した平松幹夫が、林髞(木々高太郎)を会長に選出し、同名の別団体を設立した。のち会長は平松幹夫、人見鉄三郎に代わり、1997年にこちらの分派が解散して、分裂は終わった。その間、分派側では日本翻訳文化賞、日本翻訳出版文化賞という同名の賞を出していたため複雑なことになっている[2]。これについては日本翻訳文化賞 (平松),日本翻訳出版文化賞 (平松)として記述する。

脚注編集

  1. ^ 『現代日本人名録』1987、2002
  2. ^ 昭和42年/1967年・いさかいにも構わず、日本翻訳家協会の新会長を引き受けた木々高太郎。”. 直木賞のすべて 余聞と余分 (2018年12月9日). 2020年7月23日閲覧。

外部リンク編集