日本航空オークランド空港緊急着陸事故

日本航空オークランド空港緊急着陸事故は、1965年12月25日に発生した航空事故である。

日本航空 813便
1974年に撮影された事故機
事故の概要
日付 1965年12月25日
概要 メンテナンスエラーによるエンジンの爆発[1]
現場 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ
北緯37度40分 西経122度26分 / 北緯37.667度 西経122.433度 / 37.667; -122.433座標: 北緯37度40分 西経122度26分 / 北緯37.667度 西経122.433度 / 37.667; -122.433
乗客数 31
乗員数 10
負傷者数 0
死者数 0
生存者数 41(全員)
機種 ダグラス DC-8-33
機体名 KAMAKURA
運用者 日本の旗 日本航空
機体記号 JA8006
出発地 アメリカ合衆国の旗 サンフランシスコ国際空港
経由地 アメリカ合衆国の旗 ホノルル国際空港
目的地 日本の旗 東京国際空港
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サンフランシスコ国際空港から東京国際空港へ向かっていた日本航空813便(ダグラス DC-8-33)の第1エンジンが離陸直後に爆発した。パイロットは対岸のオークランド国際空港に緊急着陸を行い、乗員乗客41人は全員無事だった[2][3][4]

飛行の詳細 編集

事故機 編集

事故機のダグラス DC-8-33(JA8006)は、1961年5月2日に製造番号45626として製造された。13,423時間の飛行経験があり、直近の検査以降に21.5時間を飛行していた。搭載されていたジェットエンジンプラット・アンド・ホイットニー社製のJT4A-9英語版エンジンだった[5]

爆発した第1エンジンは1965年8月に日本航空の東京工場でオーバーホールされたもので、11月20日にJA8006に搭載され、12月24日に運用に復帰した。オーバーホールでは低圧コンプレッサーのトルクリングに疲労亀裂が見つかったため、リングが交換されていた[6]

乗員乗客 編集

機長は40歳の日本人男性で、DC-8のほかにコンベア880ダグラス DC-4ダグラス DC-6ダグラス DC-7での飛行資格があった。総飛行時間は8,031時間で、DC-8では909時間の経験があった[7]。この時の機長は後に日本航空351便ハイジャック事件にも巻き込まれた[8][9]

副操縦士は30歳の日本人男性で、DC-8のほかにダグラス DC-4、ダグラス DC-6、ダグラス DC-7での飛行資格があった。総飛行時間は1,768時間で、DC-8では234時間の経験があった[7]

航空機関士は41歳のアメリカ人男性で、DC-8のほかにダグラス DC-6、ダグラス DC-7での飛行資格があった。総飛行時間は14,077時間で、DC-8では1,560時間の経験があった[7]

航空士(航法士)は41歳の日本人男性だった。総飛行時間は7,305時間で、DC-8では2,715時間の経験があった[7]

813便には31人の乗客が搭乗していたが、このうち4人がデッドヘッドとしてだった[10]

事故の経緯 編集

PSD13時08分、813便はサンフランシスコ国際空港の滑走路01から離陸した。13時11分、4,500フィート (1,400 m)付近を270ノット (500 km/h)で上昇中に第1エンジンが爆発した。機体は激しく振動しながら左へ傾いた。パイロットはすぐにエンジン故障時のチェックリストを実行し、振動は収まった。第1エンジンでは火災が発生していたが、コックピットからエンジンの様子は見えず、火災警報も作動しなかった。そのためパイロットは客室乗務員からの報告によって火災について知った[11][12][13]

エンジンの爆発から1分以内にパイロットはメーデーを宣言し、緊急着陸の許可を要請した。この時点で横方向の制御が困難になっており、油圧量が減少した[11][12][13]

13時16分、機長は左旋回をしてサンフランシスコ国際空港へ戻るのではなく、ほぼ直線的に進入できるオークランド国際空港の滑走路29へ向かうことを決断した。13時20分、813便は滑走路29への着陸に成功した[11][12][13]

事故調査 編集

機体の損傷 編集

第1エンジンは爆発後に炎上したため、激しく損傷していた。また、爆発により左側の補助翼が半分近く脱落していたほか、飛散した破片により油圧パイプや第2エンジンのパイロンなどが破損した[14][15]

調査から、第1エンジンの低圧コンプレッサーのアウター・ケースが粉々になり、エンジンから脱落していたことが判明した。エンジンカウルの前方部も脱落しており、低圧コンプレッサーの段はすべて破損していた[15]

最終報告書 編集

 
JT4A-9エンジンの構造図

事故調査を行ったNTSBは事故原因をエンジンの点検時及びオーバーホール時に担当者が低圧コンプレッサーのトルクリングを適切に固定できなかったこととした[1][12][13][14][16]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ a b Accident description Japan Airlines Flight 813”. 2020年7月13日閲覧。
  2. ^ Maintenance Cited in Jal Engine Blast”. AviationWeeks. 2020年7月2日閲覧。
  3. ^ 運輸省 「航空事故調査報告書 No.001日本航空 ダグラスDC-8 JA8006 サンフランシスコ カリフォニヤ 1965.12.25」1967年11月29日発行
  4. ^ 山本 2001.
  5. ^ report, pp. 6.
  6. ^ report, pp. 6–7.
  7. ^ a b c d report, pp. 5–6.
  8. ^ 加藤 常夫/上田 恒夫『機長席からのメッセージ―人間、機械そして自然を愛して』有斐閣ビジネス、1986年。 
  9. ^ 「波乱の日航機機長、無事に"着陸"」『朝日新聞』1985年3月19日朝刊
  10. ^ report, pp. 2.
  11. ^ a b c report, pp. 2–4.
  12. ^ a b c d 柳田1, pp. 367–369.
  13. ^ a b c d 柳田2, pp. 463–465.
  14. ^ a b 鍛冶 1974.
  15. ^ a b report, pp. 9–11.
  16. ^ report, pp. 17–18.

参考文献 編集

  • 国家運輸安全委員会 (1967) (English) (PDF), Japan Air Lines, Ltd., Douglas DC-8-33, JA8006, San Francisco, California, December 25, 1965, http://libraryonline.erau.edu/online-full-text/ntsb/aircraft-accident-reports/AAR67-AD.pdf 
  • 柳田邦男マッハの恐怖新潮文庫、1986年。ISBN 9784101249056 
  • 柳田邦男『続・マッハの恐怖』新潮文庫、1986年。ISBN 9784101249063 
  • 山本善明『日本航空事故処理担当』講談社、2001年。ISBN 9784062720649 
  • 鍛治 壮一『ジェット・パイロット―国際線機長ものがたり』ぺりかん社、1974年。