日本金属工業株式会社(にっぽんきんぞくこうぎょう、英文名称:Nippon Metal Industry Co., Ltd.)は、かつて存在した日本鉄鋼メーカー。あえていうなら三井系である[1][2]

日本金属工業株式会社
Nippon Metal Industry Co., Ltd.
本社が入居していた新宿三井ビル
本社が入居していた新宿三井ビル
種類 株式会社
市場情報
東証1部 5479
1949年5月16日 - 2012年9月26日
略称 日金工
本社所在地 日本の旗 日本
本社は長い間新宿三井ビルに置かれた。
設立 1932年6月15日
業種 鉄鋼
事業内容 ステンレス・耐熱鋼の製造
資本金 134億08百万円(合併前)
売上高 ■1,691億円(2006年度)
■1,895億円(2007年度|最高売上高)
経常利益 152億円(2006年度|最高経常益)
従業員数 1700名程度
決算期 3月31日
主要子会社 日金工商事株式会社 100%
日金工鋼管株式会社 100%
日金加工株式会社 100%
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概要 編集

1932年、国内初のステンレス専業メーカーとして設立された。国内で初めて18-8系ステンレス鋼板の企業化および量産化に成功したとされる。

2012年10月、日新製鋼と経営統合し、日新製鋼ホールディングスの完全子会社となった。続く2014年4月1日には、日新製鋼ホールディングスおよび日新製鋼と合併し、解散した。

かつては、従業員数およそ1,700名(単独)、売上高1,000億円以上を計上する企業であった[3]。2006年度には、主力工場であった相模原製造所の売却益があり、経常益が過去最高となる。売上高1,691億円、経常利益152億円であった[3]。2007年度には、売上高が過去最高の1895億円を計上した[4]

最終的に、愛知県碧南市にある、日本金属工業衣浦製造所に生産を一極集中し、本社も同所に移された。現在は、日鉄ステンレス衣浦製造所となっている。その製鋼工場だが、2015年12月に休止し、熱延工場は2020年11月に休止となった。2022年3月末には、最後まで稼働していた薄板工場(冷延工場)も休止となった[5][6]

なお、日本金属株式会社は、圧延専門のメーカーであり、日本金属工業株式会社とは別の企業である。日本金属工業は、製鋼・熱延・冷延(薄板)・厚板までの一貫生産を行うメーカーであった。

同社は、日本製鉄のような高炉は持たず、電気炉で鉄やステンレスのスクラップ(屑)を溶解してステンレス鋼を製造していた。いわゆる、電気炉メーカーであった。

かつては、日本金属工業、日本ステンレス日本冶金工業を、「ステンレス専業3社」と呼んでいた。どれも売上高1,000億円以上の規模であった。そのうち、日本冶金工業は現存する。ちなみに、日本ステンレスは、住友金属工業に合併され、その住友金属工業は、新日本製鐵とともに、現在の日本製鉄の母体となった。

日本金属工業も、日新製鋼と合併の後、日本製鉄に合併された。

ステンレスとは 編集

 
日本金属工業(株)創業の地、横浜工場跡地に建つ「ステンレス鋼発祥の地記念碑」

ステンレスとは、電気炉などで鉄の溶解時にニッケルやクロムなどを添加した鉄が主体の金属素材である。硬く錆びにくい特性を持つ。ただし、水溶液中で鉄と接触することで、(鉄とステンレスとの)電位差による錆(電蝕)が発生したり、釘などを置いたことによる「もらい錆」という現象が発生することもある。

日本金属工業ではかつてステンレス鋼管の水道管配管システムを製造し販売したことがある。朝日新聞東京本社ビル(築地本社ビル)などで採用された。その際、鉄製の水栓金具とステンレス鋼管とを接続する場合には必ず「絶縁パッキン」を挟み込むよう注意を喚起をした。水溶液中での異種金属接触による腐食を防止するためである。

また、ステンレス鋼には、その添加物の違いにより、例えば、304系とか430系などの「鋼種」というものが多数存在する。前者は、磁性体であり磁石がつく。後者は、非磁性体であり磁石がつかない。病院のMRI室に置く医療用カートは、後者の、430系ステンレスでなければならない。MRIは磁気共鳴の原理を用いた画像診断装置である。金属コイルを液体ヘリウムで冷却し、そこに電流を流し、強い磁場を発生させる。

ステンレス鋼のパイオニア 編集

右の写真であるが、かつて存在した日本金属工業横浜工場の跡地に残る記念碑である。

「ステンレス鋼発祥の地」と刻まれている。日本ではじめてステンレス鋼が製造されたのは、1932年(昭和7年)のことであった。

横浜工場は、ステンレスのワイヤーつまりステンレス鋼線をつくる精線工場として稼働していた。1987年(昭和62年)4月、川崎工場とともに廃止となった。現在、跡地には大型マンションが建っている。

日本金属工業は、ステンレス鋼薄板(白ホットコイル)や厚板を主に製造していた。

薄板は、家電や厨房機器などの表面素材や内張りとして使わた。厚板は、例えば、三菱重工神戸造船所(通称:神船|読み:しんせん)などに出荷され、艦船や潜水艦の甲板などに用いられた。

各種建材も製造していた。前述のステンレス製水道管はそのひとつである。

ほかに、塗装を施したカラーステンレス製屋根材や、断熱材を封入したステンレス製サイディングなどがあった。サイディングは、表面にエンボス加工(凹凸をつけること)を施したものなどがラインナップされていた。建物の外壁材である。

ステンレス製浴槽を製造した時代もあった。商品ブランド名は、「ジャブロン」である。かつての主力工場である川崎工場の建屋などに完成品を在庫していた。

ジャブロンに関しては、テレビ朝日系列「必殺仕事人」(藤田まこと主演)で、オリジナルのCMソングとともにコマーシャルが放映された。製品カタログ(冊子)も配布されていた。(以下画像参照)

沿革 編集

  • 1922年7月 - 横浜工業株式会社設立。横浜工場操業開始。
  • 1926年6月 - 日本電熱線製造合資会社設立。
  • 1927年4月 - 日本電熱線製造合資会社 仙台工場操業開始。
  • 1932年6月15日 - 資本系統を同じくする横浜工業株式会社および日本電熱線製造株式会社の事業発展のため、田沼義三郎が井坂孝、植村澄三郎の支援をえて資本金12万円をもって、日本金属工業株式会社を設立。本社は、東京都中央区銀座6丁目2番地5。
  • 1932年6月 - 大阪市に営業所を設置。
  • 1932年9月 - 横浜工業株式会社横浜工場の敷地の一部を借用し製鋼工場の建設に着手。
  • 1932年12月 - 製鋼工場完成。167KVA高周波電気炉1基を設置しステンレス鋼の材料を横浜工業に、電熱線および電熱帯の材料を日本電熱線製造に供給。横浜工業の圧延機を利用してわが国最初のステンレス鋼板の製造に成功。
  • 1934年9月 - 東京第二陸軍造兵廠王子火薬製造所へ18-8ステンレス鋼板試作納入。
  • 1935年3月 - 横浜工業㈱と日本電熱線製造㈱を吸収合併。
  • 1938年6月 - 川崎工場完成、操業開始。
  • 1940年3月 - 川崎工場、鋼板工場生産開始、鋼板の一貫生産体制を確立。
  • 1943年4月 - 海軍航空本部の要請により新所原工場の建設開始。
  • 1945年8月 - 終戦により新所原工場の建設工事中止。
  • 1949年 - 東京証券取引所に株式上場。
  • 1952年 - 日本染色機械株式会社を連結子会社化。
  • 1955年 - 日金加工株式会社の株式を取得。
  • 1955年 - 仙台工場を閉鎖、設備を横浜工場に集約。
  • 1956年6月9日 - 大阪証券取引所に株式上場。
  • 1957年 - 浪速ステンレス工業株式会社の株式を取得。
  • 1960年 - 相模原工場が操業開始。
  • 1964年 - 金星工業株式会社の株式を取得。
  • 1965年 - 金星工業の商号を金星ステンレス株式会社に変更。日本引抜工業株式会社の株式を取得。
  • 1970年1月 - 第2号センジミア20段冷間圧延機完成。
  • 1970年3月 - 相模原熱延工場に4段熱間粗圧延機およびステッケル式4段熱間仕上圧延機完成。
  • 1970年4月 - 相模原工場を相模原製造所と改称。新人事管理制度採用。
  • 1970年6月 - 第2号50トンレクトロメルト式電気炉完成。これらの完成によって世界最高水準のストリップフォームによるステンレス鋼板の一貫生産体制を確立。
  • 1970年7月 - 愛知県碧南市衣浦臨海工業地帯約100万平方メートルに新工場建設計画を公表。豊田自動織機株式会社碧南工場の隣接地。
  • 1972年 - 衣浦製造所が操業開始。
  • 1985年 - 金星ステンレスの商号を日金工商事株式会社に変更。
  • 1986年 - 日本染色機械の商号を株式会社ニツセンに変更。
  • 1987年4月 - 相模原製造所、横浜工場及び川崎工場を廃止。
  • 1990年 - 日本引抜工業の商号を日金工鋼管株式会社に変更。
  • 2000年1月 - 川崎製鉄(JFEスチールの前身)と提携。
  • 2002年6月19日 - 新日本製鐵と提携。
  • 2004年9月 - 日新製鋼とステンレス事業で提携。
  • 2005年 - 浪速ステンレス工業を日金加工に統合。
  • 2006年 - 相模原事業所を閉所。
  • 2007年1月18日 - ニッセンを日金加工に統合。
  • 2009年
  • 2012年10月1日 - 日新製鋼との共同株式移転により日新製鋼ホールディングスを設立。販売機能を日新製鋼に統合。本社を現在地に移転。
  • 2014年4月1日 - 日新製鋼ホールディングスを存続会社とし、日新製鋼及び日本金属工業を消滅会社とする吸収合併を実施。存続会社の商号を日新製鋼株式会社とした。
  • 2019年4月1日 - 日新製鋼日本製鉄とが合併。日新製鋼が、消滅会社。日本製鉄が、存続会社。合併時、日新製鋼は日本製鉄の完全子会社であった。

製品 編集

ステンレス鋼

  • ステンレス鋼板
  • 塗装ステンレス鋼板
  • 建材関連商品
  • 極薄鋼帯(ステンレス精密圧延品)
  • メンブレンシート(LNGタンカー内張)

機能材料

関連企業 編集

子会社 編集

企業 事業内容 資本金
  日本 日金工商事(現・日新ステンレス商事) 鉄鋼・金属・加工製品の販売 1億8,000万円
日金工鋼管(現・日新製鋼ステンレス鋼管) 溶接鋼管の製造 2億5,000万円
日金加工(現・日新加工) 鋼材の加工 8,000万円
  シンガポール NIPPON METAL SERVICES(S) PTE LTD.
(現・NISSHIN METAL SERVICES(S) PTE LTD.)
ステンレス製品の製造・販売 21万S$
  マレーシア NIPPON METAL SERVICES(M) SDN.BHD.
(現・NISSHIN METAL SERVICES(M) SDN.BHD.)
ステンレス鋼材の加工・販売 900万RM

脚注 編集

  1. ^ https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4820&query=&class=&d=all&page=4 渋沢社史データベース>日本金属工業(株)『二十五年誌 : 1932-1957』(1957.06)の昭和21年(1946)4月の欄に、「制限会社令により、三井本社系制限会社に指定さる」との記述がある。
  2. ^ https://shashi.shibusawa.or.jp/details_nenpyo.php?sid=4820&query=&class=&d=all&page=2 渋沢社史データベース>日本金属工業(株)『二十五年誌 : 1932-1957』(1957.06)の昭和12年(1937)8月の欄に、「ステンレス鋼の一貫作業を目的とする川崎工場(高周波電気炉、弧光炉、蒸気鎚)建設のため、三井、三菱、住友、古河、山下の旧財閥より資本的援助を得て、資本金を350万円に増額」との記述がある。
  3. ^ a b 上昇気流「ステンレス鋼のパイオニア日本金属工業」”. 株式会社日刊工業新聞. 2022年3月9日閲覧。
  4. ^ 株探(かぶたん)>日本金属工業”. 株探(かぶたん). 2023年9月22日閲覧。
  5. ^ “日鉄の愛知・衣浦製造所、来春全面休止 コロナで需要減”. 朝日新聞デジタル. (2021年3月6日). https://digital.asahi.com/articles/ASP364STSP36OIPE001.html 
  6. ^ “【独自】日鉄ステンレス衣浦製造所、22年3月閉鎖へ”. 中日新聞. (2021年3月6日). https://www.chunichi.co.jp/article/213226 2022年3月31日閲覧。 

外部リンク 編集