日比谷野外音楽堂

日比谷野外音楽堂(ひびややがいおんがくどう、Hibiya Open-Air Concert Hall)は、東京都千代田区日比谷公園内にある野外音楽堂である。大・小の2つがあり客席数・使用用途も異なっている。

日比谷野外音楽堂
Hibiya Open-Air Concert Hall

Hibiya Park - various - April 13 2019 sunny day.jpeg
大音楽堂(2019年)

情報
正式名称 日比谷野外音楽堂
完成 1923年7月
収容人員 3,119人
客席数 大音楽堂 椅子 2,664席、立見 450席、車椅子対応 5席
小音楽堂 1,075席
用途 コンサート、集会
運営 東京都指定管理者
日比谷公会堂・大音楽堂管理事務所
所在地 東京都千代田区日比谷公園1-5
位置 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度 / 35.672361; 139.754028 (日比谷野外音楽堂
Hibiya Open-Air Concert Hall
)
座標: 北緯35度40分20.5秒 東経139度45分14.5秒 / 北緯35.672361度 東経139.754028度 / 35.672361; 139.754028 (日比谷野外音楽堂
Hibiya Open-Air Concert Hall
)
アクセス 地下鉄霞ケ関駅下車
外部リンク 日比谷公会堂/日比谷野音 公式HP
テンプレートを表示

明治時代に小音楽堂が開設されたのち、大正時代に大音楽堂が開設された。小音楽堂は日本最古の野外音楽堂である。

大音楽堂編集

一般には、『野音(やおん)』の名で親しまれている。野音といえばこの大音楽堂を指し、野外音楽堂の代名詞的存在である。客席数は椅子2,664席、立見450席、車椅子対応5席[1]

さまざまなアーティストのコンサートに使われるほか、毎年5月1日のメーデーや、市民団体の集会なども行われる。周囲への騒音等を考慮し、コンサートは土曜休日に限定されている。

初代の大音楽堂は1923年(大正12年)7月に開設され、太平洋戦争大東亜戦争)中の1943年昭和18年)から一時休館する。戦後はGHQに接収されたが、接収解除後の1954年(昭和29年)8月に改築の上 2代目大音楽堂として再開した。老朽化が進行して1982年(昭和57年)から全面改築工事を行い、1983年(昭和58年)8月に3代目大音楽堂として完成し、現在に至る。

2006年(平成18年)4月1日から、日比谷公会堂とともに、東京都の指定管理者が管理している。

  • 降雨時の傘の使用は禁止で、雨合羽はここのイベントでは必需品である。
  • 席はベンチ型で固い。
  • かつては客席内で煙草が吸える唯一の会場であったが、現在は禁煙である。飲食は可能で、酒類も販売される。
  • キャロルの解散コンサート炎上事件、尾崎豊のステージ飛び降り骨折事件、岡林信康のライブ、キャンディーズが解散宣言をする、Johnny, Louis & Charが無料コンサートで1万4千人を動員する、などがあった。1987年4月19日にLAUGHIN' NOSEのライブ中に、ステージへ詰め掛けたファンが将棋倒しとなり死傷者が出る事故が発生し、LAUGHIN' NOSEは責任からしばらく活動を停止した。
  • 2代目音楽堂の最終催事は萩原健一のコンサートだった。

小音楽堂編集

日本初の野外音楽堂として1905年(明治38年)に完成した。1923年(大正12年)9月の関東大震災で倒壊したが後日再築された。1983年(昭和58年)に大音楽堂と同時期に改築されて現在に至る(北緯35度40分26.2秒 東経139度45分25.2秒 / 北緯35.673944度 東経139.757000度 / 35.673944; 139.757000 (日比谷野外小音楽堂))。客席数は1,075。最大の特徴はすべての催事が無料で、基本的に有料公演には貸し出さない。

完成時から軍楽隊の定期演奏会などが行われていた。関東大震災以降の中断期間を経て、1949年(昭和24年)ごろから再開した。現在は警視庁音楽隊東京消防庁音楽隊などが演奏している。

出典編集

  1. ^ 大音楽堂(野音):座席表 (PDF)”. 2015年7月29日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集

全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML