日龍峰寺

岐阜県関市下之保にある高野山真言宗の寺院

日龍峰寺(にちりゅうぶじ)は、岐阜県関市下之保にある標高434メートルの高澤山中腹にある高野山真言宗寺院である。山号は大日山。高澤観音とも呼ばれる。また本堂が京都の清水寺本堂に似た舞台造り(懸崖造)であることから「美濃清水」との異名がある。本尊は千手観世音菩薩美濃三十三観音霊場第一番札所(かつては第二十五番札所)。中濃八十八ヶ所第六十一番札所。

日龍峰寺

本堂(岐阜県指定重要文化財)
所在地 岐阜県関市下之保4585
位置 北緯35度32分44.63秒 東経136度58分20.85秒 / 北緯35.5457306度 東経136.9724583度 / 35.5457306; 136.9724583座標: 北緯35度32分44.63秒 東経136度58分20.85秒 / 北緯35.5457306度 東経136.9724583度 / 35.5457306; 136.9724583
山号 大日山
宗旨 古義真言宗
宗派 高野山真言宗
本尊 千手観世音菩薩
創建年 伝・5世紀前期
開基 伝・両面宿儺
中興年 伝・鎌倉時代
中興 伝・北条政子
正式名 大日山日龍峰寺
別称 高澤観音、美濃清水
札所等 美濃三十三観音1番
中濃八十八ヶ所61番
文化財 多宝塔(重要文化財
本堂(岐阜県指定重要文化財)
法人番号 7200005007922 ウィキデータを編集
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沿革 編集

寺伝によれば、5世紀前半の仁徳天皇の時代、美濃国日本書紀にも登場する両面宿儺(りょうめんすくな)という豪族がいた。両面宿儺はこの地方に被害を及ぼしていた龍神を退治し、龍神の住んでいたこの山に祠を建立したのが始まりと伝わる。鎌倉時代北条政子によって再興されたと伝えられている。

室町時代応仁の乱によって多宝塔を残し堂宇の大半を焼失した。その後、江戸時代になって現在の伽藍が整えられた。

伽藍 編集

  • 仁王門 - 享保3年(1718年)建造[1]
  • 本堂 - 江戸時代前期の寛文10年(1670年)建立。岐阜県指定重要文化財。
  • 多宝塔 - 鎌倉時代後期、北条政子によって建立されたと伝えられる。重要文化財
  • 宝篋印塔(ほうきょいんとう)- 源頼朝の分骨が眠る[2]
  • 鐘楼
  • 千本檜
  • 薬師堂
  • 金毘羅堂
  • 庫裡
  • みたらしの霊水

文化財 編集

重要文化財(国指定) 編集

  • 多宝塔 - 鎌倉時代後期(1275年-1332年)の建立。三間多宝塔、檜皮葺。明治34年(1901年)03月27日指定。

岐阜県指定文化財 編集

  • 本堂 - 江戸時代前期(1670年)の建立。

行事 編集

  • 1月17日:初観音
  • 2月第一日曜:星まつり
  • 4月上旬:桜まつり
  • 8月17日:千日供養
  • 10月17日:紅葉まつり

所在地 編集

アクセス 編集

脚注 編集

  1. ^ お寺の風景と陶芸
  2. ^ 伝説の豪傑、両面宿儺が起源の「日龍峯寺」 源頼朝の分骨が眠る祠”. 岐阜の旅ガイド. 2022年10月5日閲覧。

外部リンク 編集