旧笹川家住宅(きゅう ささがわけじゅうたく)は、新潟県新潟市南区味方に所在する歴史的建造物。通称笹川邸。1万4000平方メートルの敷地を有し、主屋など11棟の建造物と土地が国の重要文化財に指定されている。

旧笹川家住宅
主屋正面 2016年撮影
地図
施設情報
正式名称 重要文化財旧笹川家住宅[1]
事業主体 新潟市
管理運営 新潟市(南区役所 地域課)
所在地 950-1261
新潟県新潟市南区味方216番地
位置 北緯37度46分35.0秒 東経139度0分36.0秒 / 北緯37.776389度 東経139.010000度 / 37.776389; 139.010000座標: 北緯37度46分35.0秒 東経139度0分36.0秒 / 北緯37.776389度 東経139.010000度 / 37.776389; 139.010000
プロジェクト:GLAM
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所有者は新潟市であり、管理業務は同市南区地域課が行っている。

概要 編集

江戸時代初期の慶安2年(1649年)から明治維新1868年)まで9代にわたって村上藩味方組8カ村(味方・白根・板井・木場・黒鳥・北場・亀貝・小新)の大庄屋(おおじょうや)を勤めた笹川家の旧宅である。

味方組は村上藩の飛び領地、四万石領のひとつであった。七左衛門朋通(6代目)の代には、村上四万石領騒動が起こった。

米蔵に収納された年貢米は、中ノ口川を利用して新潟湊に輸送された。

笹川家は、もともと甲斐の武田家の出といわれ、武田氏の滅亡後、信州笹川村(現在の長野県飯山市)を経てこの地に移住してきたのだとされる。土蔵裏手の墓地には、武田姓の墓碑が何基か残してある。

敷地内には日本庭園が開け、一隅に「椎落葉掃き悠久の人住めり」と高浜虚子の句碑がある。

1953年昭和28年)、柳宗悦浜田庄司らとともに笹川家を訪れたイギリスの陶芸家バーナード・リーチは「わたしのこれまでに見たうちで最も魅力ある家屋の一つ」と、この家の印象を手記に書き残している。

建築 編集

当住宅の特色は、大庄屋の役宅としての「主屋」の部分と、家族の日常生活の場である「居室」の部分が別棟となり、公私が明確に分けられている点にある。主屋(重要文化財指定名称は「表座敷及び台所」)は、東を正面として建てられ、桁行15間半(34.3メートル)、梁間7間(17.6メートル)。寄棟造、銅板葺き(もとはこけら葺き)。棟札から文政9年(1826年)の上棟と判明する[2]

主屋の正面左寄りには切妻造の式台玄関が突出する。そのすぐ右手(北)には柵を設けた脇玄関があり、そのさらに右手に一般玄関、もっとも右(下手)には土間への入口がある。このように、建物正面には4つもの入口がある[3]

式台玄関を入った先は18畳の「三の間」、その下手(右)、すなわち脇玄関を入ったところには28畳の「広間」がある。「三の間」の上手(左)には「二の間」があり、「二の間」の西には「上段の間」がある。「三の間」「二の間」「上段の間」の3室は矩折り(L字形)に連なり、役宅の接客用の表座敷を構成する。これらの室の外側には畳廊下と濡縁を回す。「二の間」と「上段の間」は、普通の畳を敷けばそれぞれ15畳及び12畳半の広さだが、本住宅の場合は特別に大きいサイズの畳を敷き、それぞれ12畳及び9畳になっている。以上の各室は内法(床から鴨居までの高さ)が高く、その分、建具も大型になっている。「広間」は梁組を現し、そのさらに上方に天井を張るため、天井高は4.9メートルに達する[4]

主屋の下手(北側)には土間を設け、土間の奥(西側)には板敷の「台所」(「囲炉裏の間」とも)がある。ここは往時は笹川家の使用人のたまり場になっていた[3]

居室部棟は、主屋の背後(西)に別棟で建ち、主屋とは渡廊下で接続している。桁行12間半(26.5メートル)、梁間5間(13.0メートル)。寄棟造、桟瓦葺き。棟札から、主屋よりやや早い文政4年(1821年)の上棟と判明する。居室部は主屋とは異なって棟を東西方向にして建てられており、内部は多くの室に分けられ、茶の間や家族用の座敷などを設ける。主体部南側の東端と西端に突出部を設け、さらに北側中央付近には「勝手」が突出する。東の突出部は客間であり、西の突出部は納戸(寝室)などを設ける。西の突出部のさらに先には矩折りに仏間がある。西の突出部の2階は明治末期に増築したもので、もとは平屋建てであった[2]

指定文化財 編集

以下の11棟と土地が国の重要文化財に指定されている。

  • 表座敷及び台所(主屋)
  • 居室部
  • 表門
  • 文庫
  • 雑蔵
  • 奥土蔵
  • 米蔵
  • 飯米蔵
  • 三戸前口土蔵
  • 井戸小屋
  • 外便所
  • 土地 14,252.24m2(堀、土塁、板塀、裏門、庭塀を含む)

主屋、居室部、表門、文庫、雑蔵、奥土蔵は1954年(昭和29年)3月20日付で国の重要文化財に指定され、他の5棟と土地は1978年(昭和53年)5月31日付および1991年平成3年)5月31日付で追加指定された。主屋は1826年(文政9年)、居室部は1821年(文政4年)、表門は1799年(寛政11年)の建立であり、他の付属建物は江戸時代末期から明治時代の建立である。

観覧料 編集

近隣に所在する新潟市曽我・平澤記念館との一体的な運営が行われている。観覧料は両施設とも同一額で、どちらか一方の観覧料を支払えば、当日中に両施設とも観覧することができる。

  • 一般(15歳以上) 500円
  • 小・中学生 300円
  • 20人以上の団体には割引が適用される。
    • 一般 400円
    • 小・中学生 200円

交通 編集

  • 新潟交通 W8 味方線「笹川邸入口」バス停より東へ徒歩約3分
    • W80系統(青山 - 味方・月潟)・W81系統(青山 - 木場・味方・潟東営業所)のいずれも利用可能。青山発着の路線であるため、新潟駅方面からはBRT萬代橋ラインからの乗り換えとなる。
  • 北陸自動車道巻潟東ICから車で約20分
  • 国道8号・白根四ツ興野交差点から車で約5分

脚注 編集

  1. ^ 重要文化財旧笹川家住宅条例 - 新潟市 例規 - 2013年1月24日閲覧。但し条例の本文では「重要文化財」を省き、単に「旧笹川家住宅」と表記している。
  2. ^ a b 鈴木 & 宮澤 1985, p. 87,88.
  3. ^ a b 高井 2002, p. 158.
  4. ^ 鈴木 & 宮澤 1985, p. 88,90.

参考文献 編集

  • 『郷土資料事典』新潟県・観光と旅(人文社)
  • 高井潔『民家 上』淡交社、2002年。ISBN 4-473-01946-2 
  • 鈴木嘉吉監修; 宮澤智士執筆『日本の民家万有ガイドシリーズ30』小学館、1985年。 
  • 『笹川邸今昔』味方村村史編さん委員会

関連項目 編集

外部リンク 編集