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Japanese destroyer Hayashio underway c1940 (painting).jpg
艦歴
計画 1937年度(マル3計画
起工 1938年6月30日[1]
進水 1939年4月19日[1]
就役 1940年8月31日[1][2]竣工
その後 1942年11月24日沈没
除籍 1942年12月24日
性能諸元
排水量 基準:2,033トン
全長 118.5m
全幅 10.8m
吃水 3.8m
機関 ロ号艦本式缶3基
艦本式衝動タービン2基2軸
52,000馬力
速力 35.5ノット
航続距離 18ノットで5,000
乗員 239人
兵装 50口径三年式12.7センチ砲連装×3
25mm機銃連装×2
61cm魚雷発射管4連装×2
爆雷16個

早潮(はやしお/はやしほ)は[3]日本海軍駆逐艦[4]陽炎型駆逐艦の5番艦である[5]1942年(昭和17年)11月下旬、ラエ沖で空襲により大破、沈没した[6]。戦後、艦名は海上自衛隊はやしお型潜水艦はやしお」、はるしお型潜水艦はやしお」に継承された。

概要編集

駆逐艦早潮は、1940年(昭和15年)8月末に浦賀船渠で完成した陽炎型駆逐艦5番艦[5][7]太平洋戦争開戦時、第二水雷戦隊麾下の第15駆逐隊に所属して南方作戦にともなう比島作戦蘭印作戦に従事[7]1942年(昭和17年)6月上旬のミッドウェー作戦では第十一航空戦隊(千歳神川丸)の護衛に従事した[7]。 8月以降のガダルカナル島の戦いでは、第二次ソロモン海戦南太平洋海戦等に並行して、鼠輸送ガダルカナル島輸送作戦)に多数参加[7]。11月中旬の第三次ソロモン海戦では[8]第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)旗艦となる[9][10]。同海戦直後の11月24日、ニューギニア東部ラエ増援作戦従事中にフォン湾で連合軍重爆撃機の夜間空襲を受けて大破、炎上[11]。僚艦「白露」の砲撃で自沈した[12]

艦歴編集

建造編集

1939年(昭和14年)3月31日、日本海軍は練習巡洋艦1番艦と2番艦にそれぞれ香取鹿島陽炎型駆逐艦5番艦に早潮(本艦)、測天型敷設艇巨済の艦名を与えた[3][13]。同日附で4隻(香取、鹿島、早潮、巨済)は艦艇(特務艇)類別等級表に類別される[14][15]。 本艦は浦賀船渠で建造されることになった[3]。浦賀船渠は本艦を含めて6隻の陽炎型駆逐艦(不知火、早潮、時津風浜風萩風秋雲)を建造した。早潮は1938年(昭和13年)6月30日、起工[1]1939年(昭和14年)4月19日、進水[1]

1940年(昭和15年)5月1日、日本海軍は朝潮型駆逐艦4番艦荒潮艤装員長[16]および初代艦長[17]、駆逐艦皐月初雪艦長等を歴任した山隈和喜人中佐を、早潮艤装員長に任命する[18]。 同日、浦賀船渠の早潮艤装員事務所は事務を開始する[19]。 8月31日[2]に竣工[注 1](姉妹艦の夏潮と同日竣工、夏潮艦長野間口兼知中佐)[1][20][21]。山隈中佐も制式に早潮駆逐艦長となった[21]。早潮艤装員事務所を撤去[22]呉鎮守府籍。

第15駆逐隊編集

1940年(昭和15年)8月31日、日本海軍は既に竣工していた陽炎型4番艦「親潮」[23]舞鶴海軍工廠建造艦、親潮艦長金岡國三中佐)[24]と、完成したばかりの「夏潮」(浦賀船渠建造艦)[25]と「早潮」で第15駆逐隊を編制した[26]。初代駆逐隊司令には植田弘之介大佐が任命されている[21]。編制直後の第15駆逐隊は、呉鎮守府練習駆逐隊となる[27]。 11月15日、第15駆逐隊は第二艦隊(司令長官古賀峯一中将)・第二水雷戦隊(司令官五藤存知少将)に編入[28][29]。同時に第16駆逐隊に所属していた陽炎型3番艦「黒潮」(藤永田造船所建造艦、昭和15年1月27日竣工)[30][31]が第15駆逐隊に編入され、15駆は定数4隻(黒潮、親潮、早潮、夏潮)を揃えた[28]

1941年(昭和16年)6月18日、第15駆逐隊司令は植田大佐から佐藤寅治郎大佐(前職第4駆逐隊司令)[32][注 2]に交代した(植田は9月20日より日本丸監督官)[33]。 9月1日、山隈中佐(早潮艦長)は第11掃海隊司令[34]へ転任[35][注 3]。 時雨駆逐艦長金田清之中佐[注 4]が、早潮駆逐艦長(二代目)に補職される[34]

太平洋戦争開戦時、陽炎型姉妹艦4隻(黒潮親潮早潮、夏潮)は引続き第15駆逐隊(司令佐藤寅治郎大佐)を編制、第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将:旗艦神通)に所属し、比島部隊(指揮官高橋伊望中将/第三艦隊司令長官)の指揮下にあった[39][40]。また二水戦(神通、第8駆逐隊、第15駆逐隊、白鷹、哨戒艇2隻)で第五急襲隊を編成していた[41]。第五急襲隊は11月26日に内海西部を出発、南方部隊本隊と行動することになった第8駆逐隊を途中で分離し、12月2日パラオに到着した[42]

1941年(昭和16年)12月8日の開戦以後、第二水雷戦隊[注 5]は比島部隊に所属してダバオ[43][44]レガスピー[45]ホロ攻略作戦に参加した[46][47][48]。フィリピン方面の作戦が一段落すると比島部隊の大部分は12月28日付で「蘭印部隊」となり、東南アジアでの作戦に従事する[49][50]

1942年(昭和17年)1月、第15駆逐隊はメナド攻略作戦に参加し、以降、ケンダリー[51]アンボン[52]マカッサル[53]、クーパンの各攻略作戦、ジャワ南方機動作戦に参加した[54]。 マカッサル攻略戦従事中の2月9日、米潜水艦の雷撃により僚艦「夏潮」が沈没[25][55]。陽炎型駆逐艦で最初の沈没艦となった[56]。佐藤司令は司令駆逐艦を「親潮」に変更した[57]。第15駆逐隊は陽炎型3隻(黒潮、親潮、早潮)編制になった[58]。 3月初頭、高雄型重巡洋艦3隻(愛宕〔第二艦隊旗艦、近藤信竹中将座乗〕、高雄摩耶)、第4駆逐隊(野分)はセレベス島スターリング湾を出撃してジャワ島南方に進出[59]、通商破壊作戦を実施する[60]。重巡部隊を支援していた「早潮」は、3月2日にオランダ船籍の輸送船(1,100トン)を拿捕した[61]。3月3日、重巡部隊は「早潮」と油槽船「東栄丸」と合同、補給を行う[62]。3月7日、各艦はスターリング湾に帰投した[63]。 3月15日、第15駆逐隊は空母「加賀」(前月9日に座礁して艦底損傷中)を護衛してスターリング湾を出港した[28][64]。3月22日、加賀隊はに到着する[64]。3月23日から4月17日まで、「早潮」は呉で整備に従事した[65]

4月上旬、フィリピンの連合軍残存部隊はバターン半島およびコレヒドール要塞に立てこもり、抵抗を続けていた[66](バターン半島の米軍部隊は4月9日降伏、4月13日大本営発表[67][68]。日本海軍は4月10日に南西方面艦隊を新編し、隷下の第三南遣艦隊は引き続き比島部隊としてマニラ湾の封鎖任務や陸軍輸送船護衛任務を続けていた[69][70][71]。 4月17日、第15駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)は呉を出撃[72]、比島作戦に協力するためフィリピンへ向かう[73][74]。 翌4月18日、米軍はドーリットル空襲を敢行する[75][76]。第15駆逐隊は宮崎県沖合でドーリットル隊のB-25型爆撃機を発見、「黒潮」が対空射撃をおこなった[77]。また米軍機動部隊を邀撃するため、第15駆逐隊は警戒部隊に編入される[78][72]。警戒部隊指揮官高須四郎中将の指揮下兵力(戦艦〈扶桑山城伊勢日向〉、空母〈鳳翔瑞鳳〉、第6駆逐隊〈〉、第15駆逐隊〈親潮、黒潮、早潮〉、駆逐艦〈三日月夕風〉)として[78]、他部隊から派遣された艦艇や航空隊と共に日本列島沿岸の警備にあたるが、米軍機動部隊との交戦は起きなかった[79]。本作戦従事中の4月19日朝、「早潮」はソビエト商船の臨検を実施しているが、連行中に悪天候でソ連商船を見失い[80]、日本海軍は基地航空隊を投入して捜索活動をおこなっている[78][81]。4月20日夜、連合艦隊は作戦中止を発令する[82]。第二戦隊等は内海西部へ帰投、第15駆逐隊はフィリピンへ向かった[78]

当時、日本海軍の比島部隊(指揮官杉山六蔵第三南遣艦隊司令長官、旗艦「球磨」)は、ビサヤ諸島ミンダナオ島における日本陸軍の戡定作戦に協力していた[83][84]。フィリピン進出後の第15駆逐隊(親潮、黒潮、早潮)も戡定作戦に従事する。4月28日、第15駆逐隊第1小隊(親潮、黒潮)は陸軍輸送船の護衛を命じられてビサヤ諸島へ出撃[85]、第2小隊(早潮)はマニラ封鎖部隊に編入された[86]。 5月10日、第15駆逐隊は比島部隊から除かれた[86]。同日、マニラを出発する。同時期、珊瑚海海戦で損傷した空母「翔鶴」(第五航空戦隊)は駆逐艦「夕暮」(第27駆逐隊)と「」(第7駆逐隊)に護衛され、内地に向かっていた[87][88]。第15駆逐隊はサイパン島付近で翔鶴隊と合流する[89][87]。5月17日[90][91]、「翔鶴」と第15駆逐隊以下護衛部隊は呉に帰投した[92][87]

ミッドウェー海戦編集

5月下旬から6月上旬にかけてのミッドウェー作戦における第15駆逐隊「親潮」と「黒潮」は輸送船団護衛隊(指揮官田中頼三第二水雷戦隊司令官)に所属していたが[93]、「早潮」は第十一航空戦隊(司令官藤田類太郎少将)を基幹とする航空隊(水上機母艦千歳、特設水上機母艦神川丸、駆逐艦早潮、第35号哨戒艇〔旧駆逐艦〕、海軍第二聯合特別陸戦隊1個小隊)として行動した[65][94]。特設水上機母艦「神川丸」は第四艦隊附属だったが、水上機母艦瑞穂(5月2日沈没)[95][96]の代艦として、5月20日附で航空部隊[97]および第十一航空戦隊[98]に編入されていた。「神川丸」には、キューア島攻略のため二聯特1個分隊が乗艦している[99]。 航空隊の主任務は、ミッドウェー島攻略部隊の対潜・対空警戒、キューア島の攻略、ミッドウェー占領後の水上機基地設営等であった[100]。「早潮」は呉で緊急整備をおこなったのち、佐世保に移動する[90]。同地より15駆は「千歳」を護衛する[90]。26日、「千歳」はサイパン島に進出した[101]

5月28日夕刻以後、ミッドウェー占領隊(輸送船12隻、補給船3隻。設営隊、第二聯合特別陸戦隊/司令官大田実海軍少将、陸軍部隊/司令官一木清直大佐)[102]、護衛隊(旗艦神通、第15駆逐隊、第16駆逐隊、第18駆逐隊など)、航空隊(千歳、神川丸、早潮、35号哨戒艇)はサイパン島を出撃、ミッドウェーに向かった[103][104]。航空隊は船団部隊と行動を共にし、水上機により対潜・対空哨戒をおこなった[105][106]。輸送船、護衛艦艇とも、対空火器は極めて貧弱であった[107]。 翌29日、船団部隊はグァム島からきた支援隊(指揮官栗田健男第七戦隊司令官、旗艦「熊野」)[注 6]と合流する[106][108]。30日夜、船団部隊は支援隊を見失い、そのまま連絡がとれなくなった[109][108]。 6月4日、航空隊(千歳、神川丸、早潮、35号哨戒艇)は事前の計画どおり船団部隊と分離して、ミッドウェー北西約17浬に位置するキューア島(クレ環礁)に向かった[110]。当時、船団はB-17重爆9機の空襲を受けたが、特に被害はなかった[111][112]。真夜中に飛行艇による夜間攻撃を受け、輸送船2隻が損傷した[113][114]

6月5日、南雲機動部隊の主力空母4隻(赤城加賀飛龍蒼龍)は空襲を受けて炎上、戦闘不能となる[115][114]。同日1000、攻略部隊指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官は船団部隊(指揮官田中頼三少将)に対し、第十一航空戦隊司令官指揮による輸送船団の避退と、第二水雷戦隊の攻略部隊本隊(第二艦隊)への合流を命じる[116]。キューア島に向かっていた航空部隊は反転、高速を発揮できる「千歳」と「早潮」は同日1630に、低速の「神川丸」と「第35号哨戒艇」は6月6日0400に、それぞれ船団部隊と合流する[117]。前述のように護衛部隊指揮官田中頼三少将は指揮下部隊(神通、第16駆逐隊、第18駆逐隊)を率いて攻略部隊本隊にむけ進撃していたので、第15駆逐隊[118]を含め船団部隊の指揮は藤田少将(十一航戦司令官、旗艦「千歳」)がとった[117]。船団部隊(編隊速力11.5ノット)は藤田司令官の指揮下で南鳥島方面への退避を続けた[117][119]

6月7日、藤田司令官は重巡「三隈」と「最上」に対する米空母機の攻撃を知り、船団部隊も翌日には敵空母部隊に捕捉され空襲に晒されると判断した[120]。そこで速力を基準に船団部隊を三分割、一刻もはやく南鳥島の飛行威力圏内に避退することにした[注 7][120]。各船団の内訳は、一番隊(速力16ノット。駆逐艦親潮ぶらじる丸あるぜんちな丸、清澄丸)、二番隊(速力14ノット。駆逐艦黒潮第二号哨戒艇〈旧灘風〉第三十四号哨戒艇〈旧薄〉、南海丸、善洋丸、五洲丸、吾妻丸、北陸丸、霧島丸、鹿野丸、第二東亜丸)、三番隊(速力13ノット。第一号哨戒艇〈旧島風〉、あけぼの丸、慶洋丸)であった[120]。航空隊は船団部隊二番隊と三番隊の中間付近に位置した[120]

6月8日朝、藤田司令官は敵機動部隊からの離脱に成功したと判断し、分割していた船団を合同した[121]。1710、神川丸は連合艦隊からの下令により船団部隊と分離、翌日には第三戦隊第1小隊(比叡、金剛)と合流して北方に向かった[99]。また船団部隊の指揮は藤田(第十一航戦司令官)から田中(二水戦司令官)に復帰する[99]。6月9日正午、「千歳」と「早潮」は船団部隊から分離する[122](船団部隊は6月13日グァム帰投)[123]。6月14日、2隻(千歳、早潮)は桂島泊地に入泊した[122][124]。同日夕刻には戦艦「大和」なども桂島泊地に帰投した[125]。15日昼過ぎ、第二艦隊長官(近藤中将)、一航艦(南雲忠一中将、草鹿龍之介参謀長)、第四水雷戦隊・第十戦隊・十一航戦司令官は「大和」に集まり、連合艦隊司令部との打ち合わせをおこなった[126]

7月5日、アリューシャン方面作戦に従事中の第18駆逐隊3隻(不知火)は[127]、米潜水艦グロウラーの雷撃により「霰」沈没[128]、「不知火」大破[129]、「霞」大破[130]という損害を受ける(7月5日の海戦[131]。 駆逐隊として当分活動できないため[132][133]、残存かつ健在の駆逐艦「陽炎[134]は7月20日附で第15駆逐隊に編入された[28][135]。第15駆逐隊は再び陽炎型駆逐艦定数4隻(親潮、黒潮、早潮、陽炎)編制となった[28][132]。艦隊の編制替えにより、二水戦も軽巡「神通」、第15駆逐隊(黒潮、親潮、早潮、陽炎)、第24駆逐隊(海風、江風、涼風)となった[127]

ガダルカナル島の戦い編集

1942年(昭和17年)6月末、連合艦隊司令長官山本五十六大将は南西方面艦隊に対し、7月下旬から8月下旬にかけてインド洋方面で通商破壊機動作戦を実施するよう命じた(連合艦隊電令作第174号)[136]。作戦名はB作戦であった[136]。南西方面艦隊の従来戦力(軽巡鬼怒、軽巡長良、練習巡洋艦香椎、駆逐艦春風、海防艦占守など)に加え、連合艦隊所属の第七戦隊・第二水雷戦隊・第三水雷戦隊・第四水雷戦隊の一部もB作戦に参加することになった[137]。作戦全体の指揮官は第一南遣艦隊司令長官(旗艦「香椎」)[注 8]。本艦は、機動部隊南方隊(指揮官西村祥治第七戦隊司令官)第七戦隊(熊野、鈴谷)[注 9]、第2駆逐隊(村雨、五月雨、春雨、夕立)[138]、第15駆逐隊(親潮、早潮、黒潮)[注 10]に所属していた[139]。B作戦参加部隊は、7月31日までにマレー半島西岸メルギーに集結した[140][139]。7月にはペナン沖で対潜警戒活動を実施する。

8月7日、ガダルカナル島攻防戦の生起によりB作戦は中止され、増援部隊はソロモン諸島への移動を開始した[141][142]第二艦隊(司令長官近藤信竹中将)と第三艦隊(司令長官南雲忠一中将)の大部分はトラック泊地を経由して南太平洋方面へ進出、8月下旬の第二次ソロモン海戦に至った[143]。同海戦で軽空母「龍驤」と駆逐艦「睦月」および輸送船「金龍丸」が沈没[144]、水上機母艦「千歳」と軽巡「神通」が損傷する[124][145]。9月25日、二水戦旗艦は「神通」から軽巡「五十鈴」に交代した[146][147]

続いて二水戦の大部分はガダルカナル島輸送に投入される[127][148]。「陽炎」以外の第15駆逐隊は外南洋部隊増援部隊(指揮官橋本信太郎第三水雷戦隊司令官、旗艦「川内」)に編入され[149]、トラック泊地からビスマルク諸島へ移動する[150]。9月30日、ニューアイルランド島カビエンで水上機母艦「日進」と合流、同艦を護衛して「親潮」と「早潮」はショートランド泊地に到着した[150][151]。10月3日以降、第15駆逐隊は外南洋部隊増援部隊の僚艦と共にガ島輸送作戦(鼠輸送)に従事した[152][153]。 10月9日、第15駆逐隊司令佐藤寅治郎大佐指揮下の6隻(親潮、黒潮、早潮、龍田、野分、舞風)はショートランド泊地を出撃、日本陸軍第十七軍(司令官百武晴吉陸軍中将以下770名)をガ島に輸送する[154][155]。第十七軍司令部(司令官、作戦主任参謀)と大本営陸軍部参謀辻政信中佐など陸軍将校はラバウルで駆逐艦「五月雨」(水上機母艦「千歳」を護衛中)に乗艦、ショートランド泊地移動後に「親潮」へ移乗した[156][157]。輸送作戦は成功し、百武中将や辻中佐はガ島に上陸した[157]。10日、輸送部隊はショートランド泊地に戻った[158]

10月中旬のヘンダーソン基地艦砲射撃では[159][160]、第三戦隊司令官栗田健男中将の指揮下、戦艦(金剛榛名)、第二水雷戦隊(旗艦五十鈴、第15駆逐隊〈親潮黒潮、早潮〉、第24駆逐隊〈海風江風涼風〉、第31駆逐隊〈高波巻波長波〉)として参加する[161][162]。 飛行場砲撃実施のため第15駆逐隊は10月11日付で前進部隊に復帰[163]、ショートランド泊地帰投後に即日出港する[158]。10月12日1230、洋上で第三戦隊(金剛、榛名)以下と合流した[158]。10月13日から14日にかけて、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場砲撃をおこなう「金剛」と「榛名」を護衛した[164]。15日夜、第五戦隊(妙高、摩耶)と第31駆逐隊がガ島海域に突入し、ヘンダーソン飛行場を砲撃する[165]。二水戦(五十鈴、第15駆逐隊)は射撃隊の警戒に従事した[166]。続いて支援部隊・前進部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官、旗艦「愛宕」)に所属して南太平洋海戦に参加する[167][168]。26日の海戦当日、「黒潮」と「早潮」は第二航空戦隊(司令官角田覚治少将)旗艦「隼鷹」を護衛しており[169]、空母ホーネットの追撃には参加していない[170]

11月1日、連合艦隊は損傷艦の修理とガ島輸送部隊増強をかねて兵力部署の再編を実施する(11月1日0821、聯合艦隊電令作第366号)[171]。第二水雷戦隊は外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入され、3日にトラック泊地を出発、5日11時30分ショートランド泊地に進出した[172]。外南洋部隊増援部隊の職務は第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将から第二水雷戦隊司令官田中頼三少将に引き継がれ、三水戦はトラック泊地に帰投した[173][174]。6日から7日にかけて、甲増援隊(第15駆逐隊〈親潮、早潮、陽炎〉、第24駆逐隊〈海風、江風、涼風〉、第31駆逐隊〈巻波、長波、高波〉、第10駆逐隊〈夕雲、風雲〉)は15駆司令佐藤大佐の指揮下でガ島輸送を実施する[172]。空襲で「長波」と「高波」が小破したが、作戦は成功した[175]。大本営陸軍部参謀辻政信中佐は駆逐艦(陽炎)に乗艦し、ガ島から生還した[176]

11月12日、第二水雷戦隊司令官田中頼三少将(輸送部隊指揮官)は二水戦旗艦を「五十鈴」から「早潮」に変更する[177]。同日15時30分、第15駆逐隊(早潮〔第二水雷戦隊旗艦〕、親潮〔第15駆逐隊司令〕、陽炎)[注 11]、第24駆逐隊(海風、江風、涼風)、第31駆逐隊(高波、巻波、長波)、収容隊(望月、天霧)、第一分隊(長良丸、宏川丸、佐渡丸、かんべら丸、那古丸)、第二分隊(山月丸、山浦丸、信濃川丸、鬼怒川丸、ぶりすべん丸、ありぞな丸)[178][179]はショートランド泊地を出撃、ガダルカナル島に向かう[180][181]。だが飛行場砲撃にむかった挺身攻撃隊(比叡、霧島、第十戦隊、第四水雷戦隊)が夜間水上戦闘に巻き込まれる[182][183]。挺身輸送船団(駆逐艦11隻、輸送船11隻)は連合艦隊の命令により13日午前3時に反転し、午前11時頃ショートランド泊地に戻った[10](第三次ソロモン海戦・12日の夜戦)[180][184]

11月13日朝、外南洋部隊主隊(旗艦「鳥海[注 12]と支援隊(旗艦「鈴谷」)[注 13]はショートランド泊地を出撃、同日深夜にガ島ヘンダーソン飛行場砲撃を敢行した[184][185]。 挺身輸送船団(駆逐艦11隻、輸送船11隻)は同日15時30分、ショートランド泊地を再出撃した[186]。11月14日朝、輸送船団はニュージョージア島東方海域で索敵機に発見される[186]。以後、F4Fワイルドキャット戦闘機SBDドーントレス急降下爆撃機TBFアヴェンジャー雷撃機、B-17爆撃機の波状攻撃を受けた[注 14][187][188]。零式艦上戦闘機のべ36機、零式水上観測機14機が上空警戒をおこなったが、敵機を阻止できなかった[186]。輸送船6隻が沈没、「佐渡丸」のみ損傷避退した[注 15][189][190]。外南洋部隊も同海域で空襲を受け、「衣笠」が沈没、3隻(鳥海、摩耶、五十鈴)が損傷した[191][192]。 第二水雷戦隊(旗艦「早潮」)と残存輸送船4隻(宏川丸、山月丸、山浦丸、鬼怒川丸)は進撃を続行[193](この時、第三次ソロモン海戦・14日の夜戦生起)[194]、輸送船4隻をガダルカナル島タサファロング沿岸に突入・擱座させた[195][9]。約2000名が上陸したが、無傷で揚陸できた物資・糧食・重火器は少量であった[196][197]。またガ島から生還できた輸送船4隻の乗組員も、小数であった[198][199]。15日夜、第二水雷戦隊はショートランド泊地に帰投した[196]。第三次ソロモン海戦は日本軍の大敗で終わり、ガダルカナル島撤退の決定的要因となった[200]

沈没編集

11月16日、日本軍は第八方面軍(司令官今村均陸軍中将)と第十八軍(司令官安達二十三陸軍中将)を新編、第八方面軍は第十七軍と第十八軍を隷下においた[201](第八方面軍司令部は11月22日ラバウル進出。第十八軍司令部は11月25日ラバウル進出)[202][203]。 同16日、連合軍はニューギニア島東部ブナ地区に上陸を開始[204]、パプアニューギニア方面で攻勢に出た[205][206]。 外南洋部隊はブナ増援輸送をかねて兵力部署の変更を発令する[207]。ショートランド在泊の重巡「鳥海」と駆逐隊[注 16]はラバウルに、支援隊(鈴谷、摩耶、天龍、涼風)はカビエンに移動した[207]。「鳥海」は損傷修理のため「涼風」に護衛されてラバウルからトラック泊地に向かったので、「涼風」の代艦として「早潮」が支援隊に編入された[207]。「早潮」は第二水雷戦隊各艦と分離してカビエンへ移動する[208]。ショートランド泊地に残っていた兵力は、二水戦(高波、巻波、長波、黒潮)と修理中の「満潮」のみであったという[209]

11月18日夜、ブナ増援輸送に従事中の「海風」がB-17の攻撃で航行不能となり、「朝潮」に曳航されてラバウルに撤退した(21日、ラバウル着)[210]。19日、「海風」の代艦として「早潮」はR方面防備部隊(指揮官金沢正夫第八根拠地隊司令官)に編入され、ラバウルに移動した[211][212]。なおカビエンには敷設艦「白鷹」が派遣されている[211]。またブナ方面作戦の重大性に鑑み、トラック泊地に戻ったばかりの前進部隊から駆逐艦4隻(春雨、白露、電、磯波)を外南洋部隊に編入し、ラバウルに派遣した[211]。22日午前中、駆逐艦4隻はラバウルに進出した[211]。ラバウルの「早潮」では陸戦隊員や物資の積みこみと共に、幹部乗組員以下人事異動が行われたという[213]

ブナ方面の戦局が重大視される中、外南洋部隊(第八艦隊)はR方面防備部隊の負担が重くなりすぎたことを考慮し、東部ニューギニア方面の防備を第七根拠地隊司令官に、東部ニューギニア方面輸送を第十八戦隊司令官松山光治少将に委ねた[214]。松山少将はトラック泊地で修理中の軽巡「龍田」から駆逐艦「涼風」に移乗して23日ラバウルに進出、カビエン在泊の軽巡「天龍」も同日ラバウルに進出した[215]。松山少将は「天龍」に将旗を移した[215]。 同23日12時40分、外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官三川軍一中将)は兵力部署の改定を発令(外南洋部隊電令作第135号)、その中で「六 東部ニューギニア方面護衛隊 第十八戦隊司令官 第十八戦隊(龍田欠)、第八駆逐隊(満潮欠)、第十駆逐隊(秋雲欠)、春雨、白露、電、磯波、早潮 東部ニューギニア方面ニ対スル輸送作戦」と定めた[215]

同23日21時00分、春雨(旗艦)以下駆逐艦5隻の輸送隊はラバウルを出港し、パプアニューギニアラエへ向かった[216][217]。輸送部隊指揮官は第2駆逐隊司令橘正雄大佐で、各艦の所属は第2駆逐隊(春雨)、第27駆逐隊(白露)、第6駆逐隊()、第19駆逐隊(磯波)、第15駆逐隊(早潮)であった[218][11]。本作戦は、東部ニューギニア方面護衛隊編成後の最初の輸送であった[219]

11月24日午後7時前後、輸送隊はラエ東方フォン湾B-17爆撃機7機の攻撃を受ける[12]。 「早潮」は至近弾により浸水して左舷機械が使用不能となり、応急処置を実施した[220][221]。また、2番砲塔は射撃不能となって死傷者も出ており、3番砲塔も人員は無事であったものの射撃通信装置故障で射撃困難となっていた[222]という。敵機触接下での揚陸は不可能と判断した第2駆逐隊司令は、部隊の反転を命じた[220]。 応急処置完了後の「早潮」は速力28ノットを発揮していたところ、19時10分から25分にかけて至近弾と命中弾を受ける[220]。一番砲塔と艦橋間に受けた直撃弾により大火災となった[223][224]。 「春雨」が接舷を試みたが、誘爆の危険により果たせなかった[225]。 弾薬や燃料に引火して手の施し様がなくなり、金田中佐(早潮艦長)は20時25分に総員退去と軍艦旗降下を命じる[220][226]。脱出者は僚艦が派遣した装載艇に救助されていった[227][228]。 その後「早潮」は「白露」の砲撃により魚雷が誘爆、23時5分に沈没した[229][230]。戦死者約50名[231]。沈没地点記録南緯06度54分 東経147度55分 / 南緯6.900度 東経147.917度 / -6.900; 147.917[220]

25日、輸送隊4隻はラバウルに帰投した[220]。29日の輸送作戦では「白露」が大破し、「巻雲」が損傷する[232][233]。連合艦隊はニューギニア方面輸送の困難を認め、複数隻(熊野、谷風、有明、夕暮、嵐、野分)を外南洋部隊に増強した[220]。駆逐艦「早潮」は12月24日附で、 帝国駆逐艦籍[234]、 第15駆逐隊[235]、 陽炎型駆逐艦[236] のそれぞれから除籍された。 早潮駆逐艦長の職務を解かれた金田清之中佐は[237]、建造中の秋月型駆逐艦5番艦「新月」艤装員長[238]および初代艦長に任命される[239]。だが「新月」がクラ湾夜戦で沈没した際に[240]、第三水雷戦隊司令官秋山輝男少将と共に戦死した[241][242]

歴代艦長編集

艤装員長
  1. 山隈和喜人 中佐:1940年5月1日[18] - 1940年8月31日[21]
駆逐艦長
  1. 山隈和喜人 中佐:1940年8月31日[21] - 1941年9月1日[34]
  2. 金田清之 中佐:1941年9月1日[34] - 1942年12月20日[237]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』など、一部の二次資料では1940年(昭和15年)8月21日竣工とする。
  2. ^ 後日、佐藤寅治郎大佐は軽巡洋艦神通艦長に任命され、コロンバンガラ島沖海戦での神通沈没時に戦死。
  3. ^ 翌年1月12日、タラカン攻略作戦中に戦死[36]。その際、機雷敷設艦オラニエを駆逐艦山風が撃沈した。
  4. ^ 金田中佐は、睦月型駆逐艦8番艦長月および睦月型9番艦菊月駆逐艦長[37][38]白露型駆逐艦2番艦時雨駆逐艦長等を歴任。
  5. ^ 二水戦の第18駆逐隊(不知火、霞、陽炎、霰)は南雲機動部隊に所属し、別行動。二水戦・第8駆逐隊(大潮、朝潮、荒潮、満潮)も南方部隊本隊となり別行動となる。
  6. ^ 支援隊指揮官栗田健男中将/第七戦隊司令官。第七戦隊(熊野鈴谷三隈最上)、第8駆逐隊(朝潮荒潮)、補給船「日栄丸」。
  7. ^ さらに低速の特務艦宗谷などは、6日の時点で船団部隊から分離、ウェーク島に向かっている。
  8. ^ 昭和17年7月14日付で、第一南遣艦隊司令長官は小沢治三郎中将から大川内伝七中将に交替した。
  9. ^ 第七戦隊所属の重巡最上はミッドウェー作戦で大破、修理中。
  10. ^ 前述のように昭和17年7月20日付で第15駆逐隊に陽炎が編入されているが、B作戦時点では別行動。
  11. ^ 第15駆逐隊所属の「黒潮」は待機隊に区分。
  12. ^ 外南洋部隊指揮官三川軍一第八艦隊司令長官直率部隊。鳥海、衣笠、五十鈴、朝潮。駆逐艦満潮は出撃直前に空襲で大破、ショートランド泊地に残置。
  13. ^ 支援部隊指揮官西村祥治第七戦隊司令官。鈴谷、摩耶、天龍、夕雲、巻雲、風雲。
  14. ^ 小型機は空母エンタープライズやガ島ヘンダーソン基地から、大型爆撃機はエスピリトゥサント島から飛来した。
  15. ^ 佐渡丸は天霧と望月に護衛されてショートランド到着後、空襲で沈没した。
  16. ^ 第10駆逐隊(夕雲、巻雲、風雲)、第15駆逐隊(親潮、陽炎)、第8駆逐隊(朝潮)、第24駆逐隊(海風、江風)

出典編集

  1. ^ a b c d e f #昭和16年6月30日現在艦船要目公表範囲p.20『艦名:早潮|艦種:一等驅逐艦|(性能略)|製造所:浦賀船渠會社|起工年月日13-6-30|進水年月日14-4-19|竣工年月日15-8-31|(兵装略)』
  2. ^ a b 『艦長たちの軍艦史』による。『写真 日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』では1940年8月21日竣工となっている。
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  6. ^ 城英一郎日記 1982, p. 212(昭和17年11月25日)戦況、ガ島にはS×2にて物糧補給中。「ブナ」方面輸送の「早波〔駆逐艦〕爆撃を受く、大爆発遂に処分。(註、陽炎型の早潮と、夕雲型の早波の誤記)
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    • 非情なる海戦劇の真相を赤裸々に描出した激闘の記録―岡本辰蔵『ソロモン特急「早潮」ダンピールに死す』
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和14年達 完/3月(2)』。Ref.C12070105300。
    • 『昭和17年1月~3月 内令1巻/昭和17年2月(4)』。Ref.C12070161100。
    • 『昭和17年7月~9月 内令3巻/昭和17年7月分(3)』。Ref.C12070164200。
    • 『昭和17年7月~9月 内令 3巻/昭和17年8月分(2)』。Ref.C12070164500。
    • 『昭和17年10月~12月 内令4巻止/昭和17年12月(4)』。Ref.C12070167000。
    • 『昭和16年12月31日現在10版内令提要追録第10号原稿2.3』。Ref.C13072003500。
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/第15駆機密第35号 第15駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120969900。
    • 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/第15駆機密第27号の19 第15駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120979500。
    • 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/第15駆機密第27号の11 第15駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。Ref.C14120988300。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030098800。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030098900。
    • 『昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030099000。
    • 『昭和17年9月1日~昭和17年12月24日 第18戦隊戦時日誌戦闘詳報(7)』。Ref.C08030063400。

関連項目編集