メインメニューを開く

旭鷲山 昇(きょくしゅうざん のぼる、1973年3月8日 - )は、モンゴル国ウランバートル市出身で大島部屋所属の元大相撲力士、実業家、モンゴル国の政治家。本名はダワーギーン・バトバヤルモンゴル語キリル文字表記:Даваагийн Батбаярラテン文字転写Davaagiin Batbayar)。最高位は西小結、身長182cm、体重146kg。得意技は右四つ、上手投げ血液型はB型、趣味はスノーボード、愛称は「シュウ」。史上初のモンゴル出身関取[1]

旭鷲山昇
ダワーギーン・バトバヤル
Даваагийн Батбаяр
生年月日 (1973-03-08) 1973年3月8日(46歳)
出生地 モンゴル人民共和国の旗 モンゴルウランバートル
出身校 早稲田大学人間科学部
前職 力士
実業家
所属政党 民主党
称号 ウランバートル名誉市民

当選回数 1回
在任期間 2008年 - 2012年
テンプレートを表示
旭鷲山 昇 Sumo pictogram.svg
基礎情報
四股名 旭鷲山 昇
本名 ダワーギーン・バトバヤル
愛称 シュウ、「技のデパート・モンゴル支店」
生年月日 (1973-03-08) 1973年3月8日(46歳)
出身 モンゴル人民共和国の旗 モンゴルウランバートル市
身長 182cm
体重 146kg
BMI 44.08
所属部屋 大島部屋
得意技 右四つ、上手投げ、足癖、外無双、小股掬い[1]
成績
現在の番付 引退
最高位 西小結
生涯戦歴 560勝601敗2休(89場所)
幕内戦歴 408勝507敗2休(62場所)
優勝 十両優勝2回
幕下優勝1回
殊勲賞1回
敢闘賞2回
技能賞2回
データ
初土俵 1992年3月場所[1]
入幕 1996年9月場所[1]
引退 2006年11月場所
引退後 政治家
他の活動 実業家
趣味 スノーボード
備考
金星5個(1個、若乃花2個、武蔵丸1個、朝青龍1個)
2013年1月2日現在

目次

来歴編集

初のモンゴル出身力士としての入門編集

1991年に大島(元大関旭國斗雄)がモンゴルで行った新弟子公募に応募し、170人の応募者の中から旭天鵬旭天山らととも選ばれ初のモンゴル出身力士として来日し、1992年3月場所で初土俵を踏んだ。入門当初は稽古の厳しさや日本の生活習慣に馴染めず、共に来日したモンゴル人力士6名のうち旭天山を除く5名が部屋を脱走して駐日モンゴル大使館に駆け込むという出来事を起こした。しかし、大使館まで迎えに来た大島夫妻及び旭天山に説得されて再び部屋へと戻った。

旭鷲山はモンゴル出身の大相撲力士の先駆者であり、多くのモンゴル人を各相撲部屋に紹介し入門させた。後述のように早稲田大学に入学しここで様々な示唆を受けたことによりベテランの域に入ってなお成長を見せた。モンゴル人力士同士の交流にも重要な橋渡し役として貢献してきた[2][3][4]

モンゴルの子供の育英や貧しい人への援助を名目に「旭鷲山発展基金」を設立し、寄付を集めて各種の援助で国民に奉仕したことにより、母国では英雄として朝青龍を凌ぐ人気があるとも言われる。ウランバートル市議会議長からは、ウランバートル名誉市民の称号が贈られている。

技のデパート・モンゴル支店編集

当初大島は「もう1人だけついでに」というつもりで旭鷲山を採用したに過ぎなかったが、その時の予想に反して1995年3月場所で新十両に昇進し、1996年9月場所で新入幕を果たした。幕内に上がると多彩な技で観客を沸かし、「技のデパート・モンゴル支店」(“本店”は舞の海)と評された[1]。幕内2場所目、横綱貴乃花の休場により初日と2日目の割返しが行われた際に以前から対戦を望んでいた小錦[5]との割が2日目に実現、これに勝利した。新入幕から所要3場所で小結に昇進したが、新三役となった1997年3月場所で4勝11敗と大きく負け越して以来一度も三役に復帰することは無く、引退場所となった2006年11月場所まで58場所連続平幕在位の史上1位の記録を持つ。

新入幕から一度も十両に陥落せず地力があったことは間違いないが、歳を重ねるにつれ立合い諸手を突いての逃げ回るような攻めが目立つようになった。十両陥落が見える地位になると二桁の大勝ちを見せて一気に番付を上げ、上位で大負けした後は僅かな負け越しを続け少しずつ番付を下げていくパターンの繰り返しが多かった。技が連続しないことや寄り身を試しても力強さが無いことから三役定着には至らなかった。

長く幕内に留まっていられた理由として、立合いでは激しく当たらず、敢えて相手に踏み込ませそこから形を作っていく相撲を取ることにより、激しい衝撃を避けることで肉体の消耗を免れていると、相撲解説者である舞の海は指摘している。初土俵以来の決まり手数は45を数えるとされ、大相撲界にそれまで無かったモンゴル相撲を持ち込み、2000年に新たに15の決まり手が追加された一因となった。

なお「技のデパート・本店」である舞の海との取組も数度実現している。この中には1分を超える取組も見られ、「大相撲」と言われたこともある。

朝青龍との確執編集

2003年7月場所、同郷の後輩である横綱・朝青龍との一番で横綱が旭鷲山の髷を掴み反則で勝ち星を得たが、協会金星と認めないことを発表した。取組後の風呂場で両者は激しい口論となり、居合わせた魁皇が割って入って止めたという。怒りが収まらない朝青龍は、旭鷲山の車のサイドミラーを壊して弁償する騒動にまで発展した。両者は2003年5月場所の対戦でも、土俵際で逆転負けした朝青龍が物言いを要求する態度を見せて物議を醸している。この時には大々的に確執が伝えられたが、後に報道陣の前で和解をした。

大学進学編集

2004年、早稲田大学に入学し、人間科学部人間情報科学科の通信教育課程にて学び始めた。早大を志望した理由は、モンゴルの大統領・ナツァギーン・バガバンディ外務大臣小渕恵三の会談に同席した際、バガバンディが「相撲をやめたら何をする? せっかく恵まれた環境にいるんだから、勉強した方がいい」[6]と述べたところ、小渕が「それなら早稲田でしょう」[6]と勧めたことがきっかけであった。なお、小渕の発言により早稲田大学に関心を持った旭鷲山は、スクールカラーに合わせたえんじ色のまわしを締めるようになった。

引退編集

2006年11月場所前、体調が優れず満足の行く相撲を取れなくなり病院で診察を受けたところ、虚血性心疾患と診断され、医師から「これ以上相撲を取り続けると命にかかわる」と言われた。このため、11月場所初日の相撲に敗れた後で大島に相談して、翌2日目(11月13日)に日本相撲協会へ引退届を提出した。ところが、2007年7月、旭鷲山に対する恐喝未遂の疑いで元指定暴力団住吉会系組長らが逮捕された。この際警察の事情聴取により、引退はこの事件も原因であったことが明らかになった[7][8]。引退の直因を暴力団問題の事例の一つとして取り扱う書籍においては、モンゴルの金鉱山開発利権を住吉系と関西系の暴力団へ二重に売却したことが問題になったと主張されていた[9]

2007年6月2日に両国国技館断髪式が行われた。冒頭では長男と相撲、断髪式には200人以上が参加し、最後に大島が止め鋏を入れた。海部俊樹元内閣総理大臣、平沢勝栄衆議院議員、上田清司埼玉県知事、藤岡弘、池谷幸雄木下博勝ジャガー横田の夫で医師)、モンゴル関係者、旭道山、大関以上の各力士(直前の2007年5月場所で引退した栃東は欠席した)が断髪式に参加し髷に鋏を入れ、式の後、長女と旭鷲山の写真集にも参加した女優の土屋アンナから花束が贈呈された。

引退後編集

旭天鵬は将来親方になり後進を指導することを目指すため日本国籍を取得し帰化したが、旭鷲山は帰化をせずモンゴルへの帰国を明らかにしていたため、規定により相撲協会に残らなかった。永住権を返上して帰国し、実業家として建設、通信、貿易業などを手がける。

2008年6月の国民大会議(モンゴル国会)議員総選挙に野党民主党より出馬してトップ当選を果たした。2009年5月より、大統領特別補佐官を務めている。2010年に中国で行われたスポーツアコードワールドコンバットゲームズでは相撲の宣伝大使を務めた。2012年6月、2選を目指し再び国民大会議議員総選挙に民主党から立候補。民主党は与党人民党を破って第一党となり勝利したものの、旭鷲山は落選した[10]

大相撲八百長問題に際して、旭鷲山は地元紙のインタビューに「我々は八百長の存在を知っているし、理解できる民族。モンゴル相撲に八百長があることは、我々は知っている」とコメントし、モンゴル相撲では地元力士に勝った上位力士には「負けてあげればよかったのに」と、ファンから怒りの声が上がることもあると話している。旭鷲山は「日本人にとっては、国民をだましていたという論調になるので、今回は大きな事件になっている」と分析。自身の現役時代の八百長関与は否定し「今はモンゴル人力士を疑ってはいけない」と、力説していた[11]

髷がなくなって久しい2016年5月29日、両国国技館における公開形式の取組に約10年ぶりに出場した。同部屋同期の元関脇・旭天鵬の引退相撲において、旭天鵬の「最後の取組」の相手に指名される形で対戦。立合いで左上手を取り、土俵際まで寄り立てたが最後に逆転のうっちゃりを決められて黒星を喫した。現役時代のトレードマークでもあったワインレッドの締め込みとさがりを持参し、旭天鵬が用意した足袋を着用して土俵に上がり、館内を大いに盛り上げた[12]

2017年日馬富士貴ノ岩に対する暴行問題では「灰皿やカラオケのリモコンなどで40~50発殴られた。翌日病院へ行き、頭を縫いました。床山さんもうまく結えなかった」と、貴ノ岩から直接電話で聞いた暴行の内容を語った。朝青龍はこの証言を嘘だと完全否定、「貴ノ岩は絶対電話かかってこないはずなので、絶対嘘だとなっている。相撲協会にも話してない、親方もノーと言っているからなんでわざわざ旭鷲山こんな時に電話したのか?これは嘘だと(なっている)」と否定の理由について自ら話している。自身は「別に日馬富士を横綱(引退)どうのこうの言ってるんじゃなくて、できれば両方、仲良くさせて、日本の相撲協会に連れて行ってマスコミの前で両方謝って握手して」と、どちらかの肩を持つわけではなく両者の和解を願っているとした[13][14]

現在はモンゴル相撲協会会長も務めている[15][16][17]。大統領補佐官も務めていたが、2017年11月30日に解任された[15][18]。大手ニュースサイト「ニュース・MN」は今回の解任と日馬富士の問題を関連付けて報じた[19]

2018年10月4日に貴ノ岩が日馬富士に対して損害賠償請求訴訟を起こすと、日馬富士の代わりに請求金額を支払うと発言して非難を浴びた[20][21]。10月30日に訴えが取り下げられた背景について、日馬富士引退を残念がっているモンゴル国民が2,400万円もの大金(モンゴルでは日本の10倍に値する)の請求に驚いてしまったと説明し、貴ノ岩の家族がバッシングにあったことは事実と述べている[22][23]。年功序列の考え方が強い国民性があり『先輩に対して裁判を起こすこと』は反感を抱かれることであるため、「貴ノ岩が2,400万円をもらってモンゴルに帰ってきたら、それ以上のことが起こる可能性があるから。彼は正解かなと思って。ここで自分からやめることは一番いい」と話している[24]

主な成績編集

  • 通算成績:560勝601敗2休 勝率.482
  • 幕内成績:408勝507敗2休 勝率.446
  • 現役在位:89場所
  • 幕内在位:62場所
  • 三役在位:1場所(小結1場所)[1]

三賞・金星編集

  • 三賞:5回
    • 殊勲賞:1回(2003年5月場所)
    • 敢闘賞:2回(2005年5月場所、2006年3月場所)[1]
    • 技能賞:2回(1997年1月場所、2002年5月場所)
  • 金星:5個(1個、若乃花2個、武蔵丸1個、朝青龍1個)

各段優勝編集

  • 十両優勝:2回(1995年7月場所、1996年3月場所)
  • 幕下優勝:1回(1995年1月場所)

場所別成績編集

旭鷲山昇
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1992年
(平成4年)
x (前相撲) 西序ノ口25枚目
6–1 
東序二段85枚目
5–2 
西序二段46枚目
4–3 
東序二段15枚目
6–1 
1993年
(平成5年)
東三段目58枚目
5–2 
西三段目27枚目
3–4 
西三段目41枚目
5–2 
東三段目10枚目
5–2 
西幕下50枚目
5–2 
東幕下31枚目
4–3 
1994年
(平成6年)
東幕下23枚目
4–3 
西幕下17枚目
5–2 
西幕下8枚目
3–4 
東幕下14枚目
5–2 
東幕下9枚目
3–4 
東幕下16枚目
5–2 
1995年
(平成7年)
東幕下9枚目
優勝
7–0
西十両11枚目
6–9 
東幕下2枚目
5–2 
東十両13枚目
優勝
10–5
西十両6枚目
8–7 
西十両5枚目
6–9 
1996年
(平成8年)
西十両9枚目
8–7 
西十両8枚目
優勝
11–4
東十両4枚目
9–6 
東十両筆頭
9–6 
東前頭15枚目
9–6 
西前頭7枚目
8–7 
1997年
(平成9年)
西前頭3枚目
9–6
西小結
4–11 
西前頭4枚目
2–13
西前頭11枚目
9–6 
西前頭3枚目
3–12 
西前頭8枚目
9–6 
1998年
(平成10年)
東前頭4枚目
5–10 
東前頭7枚目
4–11 
西前頭13枚目
9–6 
西前頭11枚目
9–6 
東前頭5枚目
4–11 
東前頭12枚目
8–7 
1999年
(平成11年)
西前頭8枚目
9–6 
東前頭3枚目
7–8
東前頭4枚目
5–10 
東前頭7枚目
9–6 
東前頭2枚目
7–8 
東前頭3枚目
5–10 
2000年
(平成12年)
東前頭6枚目
8–7 
西前頭筆頭
5–10
東前頭4枚目
5–10 
東前頭8枚目
5–10 
東前頭14枚目
9–6 
東前頭3枚目
4–11 
2001年
(平成13年)
東前頭10枚目
8–7 
西前頭5枚目
1–12–2[25] 
東前頭15枚目
11–4 
東前頭5枚目
7–8 
東前頭6枚目
6–9 
東前頭9枚目
10–5 
2002年
(平成14年)
東前頭筆頭
6–9
西前頭3枚目
2–13 
東前頭10枚目
10–5
西前頭2枚目
1–14 
西前頭11枚目
9–6 
東前頭5枚目
7–8 
2003年
(平成15年)
西前頭6枚目
7–8 
西前頭7枚目
10–5 
東前頭3枚目
8–7
東前頭2枚目
4–11 
東前頭8枚目
8–7 
西前頭5枚目
8–7 
2004年
(平成16年)
西前頭2枚目
8–7 
西前頭筆頭
4–11 
西前頭7枚目
9–6 
西前頭3枚目
3–12 
西前頭10枚目
11–4 
西前頭4枚目
2–13 
2005年
(平成17年)
西前頭10枚目
9–6 
東前頭6枚目
5–10 
西前頭9枚目
12–3
西前頭筆頭
5–10 
西前頭4枚目
4–11 
東前頭10枚目
7–8 
2006年
(平成18年)
西前頭11枚目
7–8 
東前頭13枚目
11–4
東前頭5枚目
9–6 
西前頭筆頭
3–12 
東前頭8枚目
6–9 
東前頭10枚目
引退
0–2–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

略歴編集

エピソード編集

  • 子供の頃からやんちゃな性格で、社会主義下のモンゴル人民共和国に於いて3歳頃からチョコレート代わりに石を口に含んだり、家の内壁を食べたという逸話がある。
  • モンゴル語日本語に加え、ロシア語朝鮮語にも精通している。
  • モンゴルでは魚は神聖なものとされ、生の魚を食べる習慣がないので、来日直後は魚を平気で食べる大島を目の当たりにして絶句したという。
  • 来日前に、日本は科学が進んでいて、声を掛けるだけで物が出ると聞かされ、ジュースの自動販売機に一日中、「ジュースください」と声を掛けお辞儀をしていた。また、いまだに日本人はちょんまげを結い、袴姿に刀をさしていると思い込んでいた。
  • プロ野球・千葉ロッテマリーンズのファンである。
  • 好きな日本の女性芸能人は山田花子である。
  • グラフィックデザイナー浅葉克己によって旭鷲山の廻し姿を描いた「日本・モンゴル友好記念」切手が、2001年にモンゴルから発行された。
  • 週刊ポスト」の八百長記事に対し、小学館名誉棄損で訴えた。小学館側からの200万円での和解金申し入れを受諾し、チンギス・ハーンに勝訴報告をした。
  • 高見盛との対戦では時間前に自分から土俵上でにらみ合いを仕掛けることが多かった。
  • 4横綱(若乃花武蔵丸朝青龍)から金星を5個獲得し、上位によく善戦していたが、貴乃花とは11回対戦して1度も勝てなかった。
  • 16歳の時にナーダムの相撲少年の部に出場したが、当時の社会主義体制の食糧不足で腹を空かせていたところに、モンゴル相撲の横綱(アヴァルガ)である父のジグジドゥ・ムンフバトに同伴していた当時4歳の白鵬が食べ物をくれたことがあった。両者共に記憶に刻まれた出来事であったが、来日したものの入門先が見つからず帰国寸前の白鵬に対して旭鷲山が骨を折り、その後暫く経っても、互いにその時の相手であったことに気付かなかった。
  • 中日勝ち越しと中日負け越しを各2回記録したが、これは大相撲史上において旭鷲山と高安のみが持つ記録である。[26]
  • 2017年10月10日放送の『世界ふれあい街歩き』「ただいま変貌中 ウランバートル/モンゴル」編(NHK BSプレミアム)に登場し、ウランバートル市内に KYOKUSHU BEYA を開設、地元の子供たちに相撲を教えている[27][28]

書籍編集

  • 『自伝旭鷲山-大草原から土俵へ』(1997年3月、ベースボール・マガジン社)
  • 『土俵の上から見た不思議なニッポン人』(2000年5月、扶桑社)
  • 「モンゴル流、俺の錦の飾り方」(1998年11月、トップランナーVol.7)

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p30
  2. ^ 元小結旭鷲山が来日 日馬富士&貴ノ岩との面談を希望”. 東スポ (2017年11月21日). 2017年11月24日閲覧。
  3. ^ 元小結の旭鷲山「日馬富士にもう1回チャンスを」”. NHK (2017年11月18日). 2017年11月24日閲覧。
  4. ^ 元小結・旭鷲山がモンゴル会の変化を指摘「楽しい会じゃなくて怖い会」”. livedoor ニュース (2017年11月18日). 2017年11月24日閲覧。
  5. ^ 自身が初土俵を踏んだ平成4年3月場所に幕内最高優勝した力士であるため「いつか対戦したい相手」の筆頭として名を上げていた。
  6. ^ a b 山内則史「旭鷲山昇さん――場所中もパソコンで受講」『再入学の現場から(3) 旭鷲山昇さん  場所中もパソコンで受講 : 探訪 : 育む : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. 2006年2月15日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年7月2日閲覧。読売新聞、2004年7月19日。なお、小渕は早稲田大学出身である。
  7. ^ 「これも引退の動機」旭鷲山への恐喝未遂で暴力団員ら逮捕 産経新聞
  8. ^ 大島部屋に石が投げ込まれる、2tトラックが故意に追突するなどの襲撃を受けた。
  9. ^ 『実録アングラマネー――日本経済を喰いちぎる闇勢力たち 』 著者 有森 隆+グループK、 出版 講談社α新書
  10. ^ 元旭鷲山、元朝青龍の兄は落選…モンゴル総選挙読売新聞
  11. ^ 元旭鷲山「モンゴルは八百長理解」 日刊スポーツ 2011年2月20日8時28分 紙面から
  12. ^ http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20160529-OHT1T50098.html
  13. ^ 元旭鷲山、批判コメント元朝青龍へ「いつかわかる」 日刊スポーツ 2017年11月24日15時45分(日刊スポーツ新聞社、2017年11月24日閲覧)
  14. ^ 元旭鷲山が元朝青龍に反論「いつかどっちが嘘をついているかは分かる」 デイリースポーツ 2017.11.24.(神戸新聞、2017年11月24日閲覧)
  15. ^ a b 「僕らは勘違いしていた」元小結・旭鷲山だけが知っている貴乃花親方の知られざる一面”. フジテレビ (2017年11月22日). 2017年11月24日閲覧。
  16. ^ 緊急来日の旭鷲山に問う「日馬富士事件」”. 日本テレビ (2017年11月23日). 2017年11月24日閲覧。
  17. ^ 元小結旭鷲”. サンケイスポーツ (2017年11月22日). 2017年11月24日閲覧。
  18. ^ “元朝青龍介入か、元旭鷲山は大統領非常勤補佐官クビ”. 日刊スポーツ. (2017年12月2日). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201712020000135.html 2017年12月3日閲覧。 
  19. ^ Д.БАТБАЯРЫГ ЕРӨНХИЙЛӨГЧИЙН ЗӨВЛӨХӨӨС ЧӨЛӨӨЛЖЭЭ]]” (2017年11月30日). 2017年12月4日閲覧。
  20. ^ “旭鷲山が出てくると「余計ややこしくなる」 賠償「僕が払う」宣言にツッコミ殺到|ニフティニュース” (日本語). ニフティニュース. https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12144-340553/ 2018年11月7日閲覧。 
  21. ^ “元旭鷲山、貴ノ岩の賠償金請求「今、金あるんで僕が代わりに払ってあげれば」” (日本語). サンスポ. https://www.sanspo.com/sports/news/20181005/sum18100514330006-n1.html 2018年11月7日閲覧。 
  22. ^ “貴ノ岩が元横綱日馬富士への訴訟を取り下げた背景とは…旭鷲山が解説/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online. https://www.daily.co.jp/general/2018/10/30/0011775742.shtml 2018年11月7日閲覧。 
  23. ^ “元旭鷲山、貴ノ岩の2400万円損害賠償請求は「びっくらこいた」” (日本語). サンスポ. https://www.sanspo.com/sports/news/20181010/sum18101017000014-n1.html 2018年11月7日閲覧。 
  24. ^ “元旭鷲山、貴ノ岩の訴え取り下げは「正解」 モンゴル国内の反応明かす” (日本語). サンスポ. https://www.sanspo.com/sports/news/20181030/sum18103016370005-n1.html 2018年11月7日閲覧。 
  25. ^ 右腓腹筋不全断裂により13日目から途中休場
  26. ^ 『大相撲ジャーナル』2015年6月号31ページ
  27. ^ 世界ふれあい街歩き ただいま変貌中 ウランバートル/モンゴル”. NHK. 2018年1月29日閲覧。
  28. ^ 世界ふれあい街歩き ただいま変貌中 ウランバートル~モンゴル~”. もっと NHK ドキュメンタリー. 2018年1月29日閲覧。

外部リンク編集