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明石 健志(あかし けんじ、1986年1月9日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属する北海道旭川市[3]出身のプロ野球選手内野手外野手)。右投左打。

明石 健志
福岡ソフトバンクホークス #8
HAWKS36-K.AKASHI.JPG
2009年8月27日 千葉マリンスタジアムにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道旭川市
生年月日 (1986-01-09) 1986年1月9日(33歳)
身長
体重
175 cm
67 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 内野手外野手
プロ入り 2003年 ドラフト4巡目
初出場 2004年5月2日
年俸 1億円+出来高(2018年)
※2018年から3年契約[1][2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

目次

経歴編集

プロ入り前編集

先に野球を始めていた実兄を、実父がコーチとして教えていた影響で、旭川市立忠和小学校の2年時から野球をスタート。高学年での守備位置は三塁手遊撃手だった[4]

旭川市立忠和中学校への進学後は、旭川大雪ウィナーズでプレー。1年時から「3番・遊撃手」に定着すると、その年の夏に出場した全国大会で、チームを準決勝進出に導いた[5]。2年時に出場した全国大会では、チームの優勝に貢献するとともにMVPを獲得[6]。3年時には主将も務めた。

中学校からの卒業を機に、地元の北海道を離れて山梨学院大学附属高等学校に進学。入学時の監督・鈴木英夫が「野球での守備の中心は二塁手にある」という考えの持ち主だったことから、2年秋から本格的に二塁手へ転向した[5]。転向直後に臨んだ第55回関東地区高等学校野球大会山梨県予選では、2回戦にサヨナラスクイズ[7]を成功させると、3回戦では猛打賞を記録[8]。チーム8年振りの関東大会出場と、同大会での準々決勝進出に貢献した。3年夏の選手権山梨大会では、北杜高校との初戦(2回戦)に1番打者として出場すると、自身の先頭打者三塁打からチームを5回コールド勝利に導いている[9]。当時の同級生には、内村賢介がいた。

高校時代には春夏とも甲子園球場の全国大会と無縁であったが、身体能力の高さを見込まれて、2003年のNPBドラフト会議福岡ダイエーホークスから4位で指名。契約金5,000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した[10]。入団当初の背番号36

プロ入り後編集

2004年には、5月2日の対大阪近鉄バファローズ戦(大阪ドーム)8回表に、本間満の代打として一軍公式戦にデビュー。1点ビハインドの1死無走者という局面で初打席を迎えたにもかかわらず、一軍初安打を川尻哲郎からの右中間三塁打、次打者・川崎宗則犠牲フライで初得点も記録した。5月9日の対オリックス・ブルーウェーブ戦(福岡ドーム)では、チームの1点ビハインドで迎えた9回裏に、先頭打者として安打で出塁したペドロ・バルデスの代走に起用。一軍公式戦では初めての代走ながら、後続打者の進塁打で三塁まで進むと、2死満塁で巡ってきた本間の打席中に山口和男の暴投で本塁に生還。その直後に本間が安打を放ったことで、チームはサヨナラ勝利を収めた。王貞治監督の構想を背景に、外野の守備練習を本格的に始めた[11]ばかりの5月12日には、対西武ライオンズ戦(宮崎県営野球場)で、9回表にプロ入り後初めて中堅手に起用。2死2・3塁の場面で佐藤友亮が放った安打を捕球すると、二塁走者・後藤武敏の本塁生還を好返球で阻止したが、翌13日からは二軍で実戦経験を積むことに専念した[12]ウエスタン・リーグ公式戦では、81試合に出場。打率.304(リーグ6位)、三塁打12本(リーグ1位)、19盗塁(リーグ4位)という好成績で、リーグの優秀選手賞を受賞した[13]。その一方で、シーズン終了後の秋季キャンプでは、王の方針で内野手としての練習を優先した。この年に正遊撃手へ定着したばかりの川崎が右肩痛で参加を見送ったことや、当時の正二塁手だった井口資仁ポスティングシステムMLBに挑戦する意向を示していたことによる[14]

2005年には、井口が上記の事情でシカゴ・ホワイトソックスへ移籍したことを背景に、ウエスタン・リーグ公式戦で開幕から主に二塁手として起用。6月中旬までは43試合の出場で打率.281を記録していたが、同月23日の対サーパス神戸戦(北神戸田園スポーツ公園野球場)で本塁へ突入した際に右足首を捻挫した[15]ため、3ヶ月近い戦線離脱を余儀なくされた。9月中旬に戦線復帰を果たしたが、打率.270でシーズンを終えるほど振るわず、一軍への昇格も見送られた。

2006年には、シーズン中に右肩を痛めたため、8月10日に右肩上方関節唇縫合手術を受けた[16]。その影響で、前年に続いて一軍公式戦に出場できなかった[17]

2007年には、6月30日の対千葉ロッテマリーンズ戦(福岡ヤフードーム)に、代走ながら3年振りに一軍公式戦へ出場。7月8日の対西武戦(グッドウィルドーム)では、9回表無死満塁で山崎勝己の代打に起用されると、一軍公式戦での初打点を岩崎哲也からの適時打を記録した。同月13日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)では、「8番・指名打者」として一軍公式戦の初スタメンも経験(成績は三振、捕邪飛、右飛、三振)。一軍公式戦では、通算で15試合に出場。代打や指名打者としての起用ばかりで、守備に就く機会はなく、打率も.176にとどまった。

2008年には、6月中旬から一軍へ昇格。7月19日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(クリネックススタジアム宮城)では、6回表に代打で田中将大から内野安打を放って出塁すると、二塁への盗塁を成功させたことによって一軍公式戦での初盗塁を記録した。一軍公式戦には、一塁の守備固めを中心に、通算で29試合に出場。シーズン中に開かれた北京オリンピック前後の試合では、野球日本代表として出場した川崎に代わって、遊撃手としてスタメンに起用された。その一方で、ウエスタン・リーグの公式戦では、46試合の出場で打率.282、リーグ最多の8三塁打をマーク。8月27日の対阪神タイガース戦では、本塁打が出ればサイクル安打を達成する状況で8回裏の打席に立ったが、クリス・リーソップから右手に死球を受けた。当日は試合後に一軍のナイトゲーム(同ドームでの対オリックス戦)にも出場する予定だったが、病院で右手第2・3指骨折と診断されたため、出場選手登録を抹消[18]。そのまま一軍へ復帰できなかった。

2009年には、7月に一軍へ昇格すると、8月2日の対オリックス戦(ヤフードーム)では一軍公式戦で5年振りに外野手でスタメンに起用。この年は外野のレギュラー陣の一角を担っていた多村仁志が欠場しがちだったことから、以降の一軍公式戦でも、内野手登録ながら外野手として24試合でスタメンに起用された。8月11日の対楽天戦(クリネックススタジアム宮城)では、岩隈久志から3安打を放つ活躍で、プロ入り初の猛打賞をマーク。岩隈からは、9月29日の対戦でも、2打席連続で三塁打を放った。8月26日の対ロッテ戦(千葉マリン)では、一軍公式戦での初本塁打を小林宏之からのソロ本塁打で記録。レギュラーシーズンでは、一軍公式戦での通算打席数が初めて100を超えるとともに、打率.291という好成績を残した。チームのレギュラシーズン2位で臨んだクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージでも、右翼手で全2試合でスタメンに起用されたが、8打数2安打という成績にとどまった。

2010年には、一軍公式戦39試合に出場。バッテリーを除く7ポジションを守った一方で、打率は.128にとどまった。秋季キャンプ期間中の11月7日に実施された第16回アジア競技大会野球日本代表との練習試合では、外野手として臨んだ初回の守備で、西郷泰之が右中間に放った打球(本塁打)を追った際にフェンスへ激突。当初は左足の捻挫と診断されていたが、後に左足の甲を骨折していたことが判明した[19][20]

2011年には、7月から一軍へ昇格。当時の主力打者であった小久保裕紀アレックス・カブレラに代わって、一塁手として18試合でスタメンに起用された。試合途中からの守備起用も一塁手が35試合と多く、外野での起用は左翼手6試合、右翼手1試合だった。打撃面では、打率.278、出塁率.347と安定。全25安打のうち、三塁打を5本放った。

2012年には、シアトル・マリナーズへ移籍した川崎に代わって[21]、3月30日の開幕戦(対オリックス戦)、一軍公式戦の開幕から「2番・遊撃手」としてスタメンに起用。打撃が好調だったことに加えて、正二塁手の本多雄一が故障で戦線を離脱したことから、4月下旬から1ヶ月近くにわたって「1番・二塁手」に回った。本多が一軍に復帰した5月下旬か遊撃手に戻ったが、同月の月間打率は.340にまで達していた。しかし、6月6日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦1回表の遊撃守備中にぎっくり腰を発症。その影響で、自身も一時戦線を離れた[22]。7月7日の対北海道日本ハムファイターズ戦(いずれもヤフードーム)では、9回表の第5打席に、乾真大から19球粘った末に四球を選んで出塁した。公式戦における1打席19球1947年11月11日の太陽ロビンス金星スターズ戦で、大陽の松井信勝が19球粘って四球を選んで以来65年振りのNPB最多タイ記録である[23]。さらに、オールスターゲームに初めて選出。パシフィック・リーグ(パ・リーグ)指名打者部門のファン投票1位だったターメル・スレッジ(日本ハム)の故障による出場辞退に伴って、補充選手として選出された[24]が、全3試合に途中から出場した。7月22日の第2戦(松山坊っちゃんスタジアム)では、7回表に迎えたオールスターゲーム初打席で、野村祐輔から初安打をマーク[25]。遊撃の守備でも、再三にわたって好プレーを披露したことから、敢闘選手に選ばれた[26]。後半戦には、正三塁手の松田宣浩が死球で戦線を離脱した8月上旬から、三塁手として46試合にスタメン出場。試合の終盤には、今宮健太が遊撃の守備固めに入っていたため、一塁の守備に回ることも多かった。6月以降は打撃が低迷したものの、シーズン中には、2度の1試合4安打[27]などで猛打賞を11回記録。一軍公式戦全体では、135試合に出場すると、リーグの最終規定打席へ初めて到達。1番、2番、9番打者に起用されながら、リーグ21位の打率.255やを記録したほか、安打数(129)や盗塁数(25)で自己最多の成績を残した。

2013年には、1月の自主トレーニング中に右膝を痛めた[28]ものの、レギュラーシーズンでは開幕直後の4月7日から一軍へ昇格。昇格後は一軍公式戦15試合に出場したが、打率が.103にとどまるなど振るわず、5月18日に出場選手登録を抹消された[29]。さらに、抹消中の6月4日に出場したウエスタン・リーグの対中日ドラゴンズ戦で、守備中に中西健太と激突。担架で病院に運ばれたが、8月29日の対ロッテ戦(福岡ヤフオクドーム)で「7番・一塁手」としてスタメンで出場すると、4回裏の打席でシーズン1号本塁打を西野勇士からの3点勝ち越し本塁打で記録した[30]。復帰後は打率.300(50打数15安打)と活躍したものの、今宮の急成長によって、遊撃手としては起用されなかった。

2014年には、公式戦の開幕からフルシーズン一軍に帯同。開幕当初はもっぱら代打・守備要員として起用されていたが、本多の打撃不振や骨折、内川聖一の肉離れ、松田の骨折、長谷川勇也の靭帯部分断裂などを背景に、5月中旬以降はスタメンでの出場が相次いだ。レギュラーシーズンでは、通算で一軍公式戦93試合に出場。64試合でスタメンに起用された。打線では主に9番(37試合)を任されていたが、二塁手として38試合、三塁手として19試合、一塁手として7試合に起用されるなど、ユーティリティープレイヤーとしてチームの3年振りリーグ優勝に貢献した。走塁面では、8月17日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)で、吉田一将 - 伊藤光のバッテリーからプロ入り後初めての複数盗塁を記録。同月には、22日の対ロッテ戦(涌井秀章 - 田村龍弘)と31日の対楽天戦(武藤好貴 - 嶋基宏)でも、複数の盗塁を成功させた。

チームのパ・リーグ連覇で臨んだ日本ハムとのCSファイナルステージでは、二塁手として全6試合でスタメンに起用。打率.304(23打数7安打)、4得点を記録したほか、2度成功させた盗塁がいずれも得点につながる活躍で、チームの日本シリーズ進出に貢献した。阪神タイガースとの日本シリーズでも、二塁手で全5試合にスタメン出場。打率は.214(14打数3安打)ながら、3四球と3得点を記録したほか、3度成功させた犠打がいずれもチームの得点と勝利につながった。10月30日の第5戦(福岡ヤフオクドーム)では、1点リードだった9回表からデニス・サファテによる3者連続与四球で招いた1死満塁のピンチで、一塁手として西岡剛の放ったゴロを捕球。捕手・細川亨への送球によって三塁走者の生還を阻止すると、細川から自身への返球が西岡の背中に当たるハプニング(記録上は西岡の守備妨害)で併殺が完成したことによって、チームのシリーズ制覇の瞬間をダイヤモンド上で迎えた[31]

2015年には、一軍の代打・守備要員としてレギュラーシーズンをスタート。しかし、正二塁手の本多が早々に戦線を離脱したことから、高田知季川島慶三などと正二塁手の座を争った。4月29日に故郷・札幌ドームで催された対日本ハム戦では、3点ビハインドで迎えた2回表の打席で、一軍公式戦では初めての逆転満塁本塁打を中村勝から放った[32]。6月下旬から徐々に調子を上げると、7月28日の対東北楽天戦(秋田こまちスタジアム)以降の試合では1番打者に定着。一軍公式戦には115試合の出場で、二塁手として45試合、一塁手として34試合でスタメンに起用。パ・リーグの最終規定打席にはわずかに届かなかったが、打率.263、11盗塁、自己最多の3本塁打を記録する活躍で、チームのリーグ3連覇に貢献した。CSファイナルステージの突破を経て臨んだ東京ヤクルトスワローズとの日本シリーズでは、「2番・二塁手」として全5試合にスタメンで出場。打率.438(16打数7安打)、1本塁打、7四死球、出塁率.609という好成績で、優秀選手賞を受賞した。

2016年には、一軍公式戦の開幕を「5番・一塁手」としてスタメンで迎えながら、故障の影響で3月28日に出場選手登録を抹消された。7月下旬から一軍へ復帰したが、本多が正二塁手の座を取り戻した影響で、自身の出場機会は一塁手としてのスタメン起用か内野の守備固めに限られた。一軍公式戦への出場は47試合(スタメンでは32試合)の出場にとどまったが、9月22日の対日本ハム戦(ヤフオクドーム)で4年振りに左翼手として試合の途中から出場したことを皮切りに、左翼手として2試合でスタメンに起用された。シーズン終了後の12月14日に、入団以来13シーズンにわたって着用していた背番号36を、8に変更することが発表された[33]

2017年には、レギュラーシーズンの開幕を一軍で迎えたが[34]、腰痛を発症したため4月1日から23日まで出場選手登録を抹消[35]。4月29日の対オリックス戦(京セラドーム大阪)では、死球の影響で欠場した柳田悠岐に代わって、一軍公式戦では初めて3番打者に起用された(詳細後述[36]。8月15日の対オリックス戦では、3打点を挙げる活躍で、レギュラーシーズンにおける福岡ソフトバンクホークスとしての通算1000勝達成に貢献。試合後には、チームを代表して、単独でヒーローインタビューを受けた[37]。途中から出場した9月23日の対楽天戦で走者として帰塁の際に右手親指を痛めた[38]が、レギュラーシーズン全体では、正二塁手として一軍公式戦103試合に出場。8月26日の対ロッテ戦で自身2年振りの本塁打を放つ[39]など、チームの2年振りパ・リーグ優勝に貢献した。レギュラーシーズン3位だった楽天とのCSファイナルステージでは打率.167(12打数2安打)と不振で、同ステージの突破を経て臨んだ横浜DeNAベイスターズとの日本シリーズでも、11月2日の第5戦で敗戦につながる失策を犯した[40]。それでも、日本シリーズ全体では、CSを上回る打率.250(12打数3安打)をマーク。10月29日の第2戦(いずれもヤフオクドーム)では、2点ビハインドの7回裏に代打で二塁打を放ってチームの逆転勝利につなげる[41]など、チームの2年振りシリーズ制覇に寄与した。

なお、レギュラーシーズン中の5月23日に国内FAの権利を取得した[42]が、日本シリーズ終了後の11月13日に権利を行使しない旨を表明[43]。12月19日の契約更改では、2018年シーズンからの3年契約を締結するとともに、推定で4,500万円もの昇給によって1億円プレイヤーの仲間入りを果たした[1]

2018年には、春季キャンプ終盤の2月27日に腰痛を発症。救急車で急遽病院へ搬送された。4月中旬から一軍へ昇格したものの、レギュラーシーズン中も腰痛に悩まされた[44]ため、一軍公式戦への出場は45試合にとどまった。それでも、23試合で一塁手、21試合で二塁手、2試合で外野手に起用。打率は前年(.279)を上回る.282で、本多の引退試合として催された10月6日の対西武戦では、代打でこの年唯一の本塁打を放った[45]。チームはパ・リーグの2位でレギュラーシーズンを終えたが、CS突破を経て臨んだ広島東洋カープとの日本シリーズでは、二塁手として好守を連発。11月1日の第5戦(ヤフオクドーム)では、1点ビハインドの7回裏で迎えた打席で左投手のヘロニモ・フランスアから同点のソロ本塁打を放つと、チームは延長10回裏に柳田のソロ本塁打でサヨナラ勝利[46]。この勝利が、同月3日の第6戦(マツダスタジアム)でのシリーズ2連覇につながった。なお、ダイエー時代に同期で入団した城所龍磨が翌4日に球団から戦力外通告を受けたため、ダイエー時代から他球団へ移籍せずにソフトバンクへ在籍する現役選手は明石だけになった[47]

2019年には、前年に続いて腰に痛みを抱えていたことから、春季キャンプ中の2月21日に脊椎全内視鏡ヘルニア摘出手術を受けた[48]

選手としての特徴編集

最大の特徴として、内野ならばどこでも守れるユーティリティープレイヤーであることが挙げられる[49]。2012年(二塁手22試合、三塁手46試合、遊撃手58試合)及び2015年(一塁手34試合、二塁手45試合)は、ほぼレギュラークラスとして起用されたが、いずれのシーズンも2つ以上の守備位置で20試合以上に先発出場している。また、時折だが外野手として出場することもあり、2016年シーズンは4年ぶりに左翼手としての出場があった(先発出場2試合、途中出場1試合)。

プロ入り前は高校時代に1試合で5盗塁[50]、50メートル走のタイムが5秒6、遠投110メートルと高い身体能力を示していた[51]。2016年シーズン終了時点で、200打席以上に立ったシーズンはいずれも、「10盗塁以上」を記録している。

打撃では三塁打が多く、自身もこだわりを持っており[52][53]、『ミスタースリーベース』の異名を持っていた時期がある。

2017年4月22日に京セラドーム大阪で行われた対オリックス戦において、死球の影響で欠場した柳田悠岐に代わりプロ12年目にして初めての三番打者でのスタメン出場。これにより四番打者以外の全打順で出場経験を得た[36]

人物編集

北海道にいた頃から秋山幸二に憧れ[4]、ダイエーホークスの大ファンであり、2003年11月20日にスカウトが指名挨拶を行った際には「秋山さんのような、どれを取っても一流と言われる選手になりたい」と述べた。高校2年時の修学旅行で福岡ドームに隣接するホテルに宿泊した際には「いつかは自分もここでプレーがしたい」とプロへの思いを固めていた[3]。2019年4月25日にサヨナラホームランを打った際には現役時代の秋山と同様にバック宙ホームインを披露した[54]

お笑い芸人のとにかく明るい安村は、同じ旭川出身で、同じ少年野球チームの先輩・後輩の関係[55]

詳細情報編集

年度別打撃成績編集

















































O
P
S
2004 ダイエー
ソフトバンク
7 5 4 2 1 0 1 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 .250 .400 .750 1.150
2007 15 18 17 3 3 1 0 0 4 1 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .176 .222 .235 .458
2008 29 55 49 8 11 2 1 0 15 4 1 0 2 2 1 0 1 17 0 .224 .245 .306 .551
2009 48 114 103 14 30 9 2 1 46 9 6 0 2 1 8 0 0 27 0 .291 .339 .447 .786
2010 39 51 47 8 6 2 0 0 8 0 2 1 2 0 2 0 0 12 1 .128 .163 .170 .333
2011 58 105 90 8 25 1 5 1 39 15 5 2 4 1 10 1 0 21 2 .278 .347 .433 .780
2012 135 567 508 54 129 8 6 1 152 27 25 10 23 1 33 0 2 98 2 .254 .301 .299 .601
2013 33 89 79 8 18 1 1 1 24 7 2 2 4 0 6 0 0 16 1 .228 .282 .304 .586
2014 93 273 250 38 63 10 4 1 84 21 17 4 7 1 13 1 2 54 4 .252 .336 .293 .629
2015 115 394 342 49 90 12 3 3 117 30 11 5 12 4 31 1 5 64 4 .263 .330 .342 .672
2016 47 152 135 17 31 6 2 0 41 16 6 2 6 2 7 0 2 34 3 .230 .274 .304 .578
2017 103 339 290 37 81 10 3 1 100 23 5 6 15 3 30 1 1 57 3 .279 .346 .345 .691
2018 45 115 103 16 29 5 3 1 43 12 2 1 0 0 11 1 1 21 0 .282 .357 .417 .774
通算:13年 767 2277 2017 262 517 67 31 10 676 165 82 33 77 15 154 5 14 429 21 .256 .311 .335 .647
  • 2018年度シーズン終了時
  • ダイエー(福岡ダイエーホークス)は、2005年にソフトバンク(福岡ソフトバンクホークス)に球団名を変更

年度別守備成績編集

内野守備

一塁 二塁 三塁 遊撃
















































2008 13 51 3 0 4 1.000 - 1 0 0 0 0 ---- 9 6 13 0 2 1.000
2009 3 3 1 0 0 1.000 3 3 2 0 0 1.000 10 3 4 1 1 .875 -
2010 9 31 3 2 1 .944 2 0 1 0 0 1.000 1 0 2 0 0 1.000 1 1 1 0 1 1.000
2011 53 200 8 0 13 1.000 - - -
2012 59 131 8 0 7 1.000 24 53 61 1 13 .991 48 22 90 2 7 .982 59 67 150 6 18 .973
2013 18 135 6 0 9 1.000 5 9 13 0 3 1.000 - 4 2 1 1 1 .750
2014 24 79 5 0 6 1.000 41 91 117 5 20 .977 27 12 28 2 1 .952 -
2015 60 310 33 1 16 .997 64 99 129 0 18 1.000 - -
2016 32 153 16 1 14 .994 14 26 37 0 8 1.000 - -
2017 72 386 23 1 22 .998 36 61 65 1 15 .992 - -
2018 23 96 10 0 10 1.000 21 27 32 1 9 .983 - -
通算 366 1575 116 5 102 .997 210 369 457 8 86 .990 87 37 124 5 9 .970 73 76 165 7 22 .972
外野守備

外野












2004 1 0 1 0 0 1.000
2009 37 42 4 1 1 .979
2010 17 15 0 0 0 1.000
2011 7 3 0 0 0 1.000
2012 4 3 0 1 0 .750
2016 3 8 0 0 0 1.000
2017 4 4 0 0 0 1.000
2018 2 6 0 0 0 1.000
通算 75 81 5 2 1 .977
  • 2018年度シーズン終了時

表彰編集

記録編集

その他の記録

背番号編集

  • 36 (2004年 - 2016年)
  • 8 (2017年 - )

登場曲編集

[56]

出演編集

MV編集

脚注編集

[ヘルプ]
  1. ^ a b ソフトバンク明石「3億円…ウソです」は本当です!?3年契約、年俸1億円プラス出来高”. 西日本スポーツ (2017年12月19日). 2017年12月26日閲覧。
  2. ^ ソフトバンク - 契約更改 - プロ野球”. 日刊スポーツ. 2017年12月26日閲覧。
  3. ^ a b 道産子・明石が福岡で夢つかむ 2003年11月21日 日刊スポーツ九州
  4. ^ a b 明石健志(上)プロへの夢 原点は秋山選手 2003年11月29日西日本スポーツ ドラフト2003 新戦力
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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集