星田啓三

日本の将棋棋士(1917−1995)

星田 啓三(ほしだ けいぞう、1917年1月8日 - 1995年7月20日)は、将棋棋士。棋士番号36。大阪府大阪市出身。坂田三吉贈名人・贈王将門下。

 星田啓三 八段
名前 星田啓三
生年月日 (1917-01-08) 1917年1月8日
没年月日 (1995-07-20) 1995年7月20日(78歳没)
プロ入り年月日 1944年1月1日(26歳)
引退年月日 1986年3月31日(69歳)
棋士番号 36
出身地 大阪府大阪市
所属 将棋大成会
日本将棋連盟(関西)
師匠 坂田三吉贈名人・贈王将
段位 八段
棋士DB 星田啓三
戦績
通算成績 312勝453敗(0.4078)
順位戦最高クラス B級2組(2期)
2018年9月6日現在
テンプレートを表示

棋歴

編集

第1期順位戦で四・五段戦に参加。第2期順位戦ではC級西組。第3期順位戦からはC級1組。第8期順位戦からはB級2組に昇級。第10期順位戦からはC級1組に降級。

第11期順位戦からはC級2組に降級。第12期順位戦のC級2組で降級となり、「予備クラス」(旧 三段リーグの当時の呼称)に陥落。「予備クラス」には1959年後期まで在籍し、第15期順位戦のC級2組への復帰を果たす。

54歳になった年の第21期王将戦(1971年度)一次予選を勝ち抜き、二次予選で塚田正夫加藤一二三を破り、挑戦者決定リーグに進出。リーグ戦では1勝6敗に終わるも、その1勝は当時棋聖に在位していた中原誠から挙げたものである。

第28期順位戦のC級2組で降級点3回となり、降級が決定。C級2組からの降級により引退となるところ、規定変更により順位戦以外の棋戦での対局が認められる[1]

人物・エピソード

編集
  • 初の「三段リーグ」陥落からの順位戦C級2組への復帰者。
1958年度順位戦・C級2組での降級により、1958年前期から「予備クラス」(旧 三段リーグの当時の呼称)に陥落。
1959年前期の予備クラスにおいて関西優勝をし、東西決戦で巻頭の佐伯昌優三段に敗れる。
1959年「予備クラス」後期で関西優勝、東西決戦で平野広吉に勝ち、1961年度順位戦へのC級2組に復帰。C級2組から「予備クラス」を経てC級2組に復帰した初のケースとなった。
  • 初の「C3」制度適用者の一人
第28期順位戦のC級2組からの降級が決定し、引退となるところ、規定変更により順位戦以外の棋戦での対局ができる「C3」制度が認められ、初の適用者2名のうちの一人となる(もう一人は橋本三治[1]

昇段履歴

編集
  • 1933年00月00日 : 入門
  • 1944年01月01日 : 四段
  • 1947年05月10日 : 六段(順位戦C級上位、六段特進)
  • 1973年11月00日 : 七段(贈七段:表彰感謝の日表彰)
  • 1986年03月31日 : 引退[2]
  • 1993年11月00日 : 八段(贈八段:将棋の日表彰)
  • 1996年07月20日 : 死去

主な成績

編集

在籍クラス

編集
順位戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[3]
名人 A級 B級 C級 0
1組 2組 1組 2組
1946 1 四・五段戦8位 9勝5敗
1947 2 C級10位 西組5勝7敗
1948 3 C級1組予選4組 3勝1敗 / 順位戦C級 5勝4敗
1949 4 C1西 5-3
1950 5 C1 4-8
1951 6 C114 6-6
1952 7 C107 8-4
1953 8 B212 6-5
1954 9 B207 4-9
1955 10 C103 4-9
1956 11 C202 6-6
1957 12 C208 5-10
1958
前期 予備クラス(関西 6勝6敗)
後期 予備クラス(関西 8勝4敗)
1959
前期 予備クラス(関西 10勝2敗 優勝/東西決戦 敗退)
後期 予備クラス(関西 8勝4敗 優勝/東西決戦 勝利)
1960 15 C213 2-10
1961 16 C211 4-8
1962 17 C209 4-9
1963 18 C214 8-4
1964 19 C202 8-4
1965 20 C203 7-5
1966 21 C201 3-9
1967 22 C215 6-6
1968 23 C209 5-7
1969 24 C207 2-10
1970 25 C217 6-6
1971 26 C209 3-5
1972 27 C212 4-6
1973 28 C212 3-7
順位戦の 枠表記 は挑戦者。
右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位
( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )

年度別成績

編集
公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1945 0. [4]
1946 0. [5]
1947 0. [6]
1948 0. [7]
1949 0. [8]
1950 0. [9]
1945-1950
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1951 0. [10]
1952 0. [11]
1953 0. [12]
1954 0. [13]
1955 0. [14]
1956 0. [15]
1957 0. [16]
1958 0. [17]
1959 0. [18]
1960 0. [19]
1951-1960
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1961 0. [20]
1962 0. [21]
1963 0. [22]
1964 0. [23]
1965 0. [24]
1966 0. [25]
1967 0. [26]
1968 0. [27]
1969 0. [28]
1970 0. [29]
1961-1970
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1971 0. [30]
1972 0. [31]
1973 0. [32]
1974 0. [33]
1975 0. [34]
1976 0. [35]
1977 0. [36]
1978 0. [37]
1979 0. [38]
1980 0. [39]
1971-1980
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1981 0. [40]
1982 0. [41]
1983 0. [42]
1984 0. [43]
1985 0. [44]
1981-1985
(小計)
通算 765 312 453 0.4078
1986年3月31日引退

関連項目

編集

脚注

編集
  1. ^ a b 棋士生命にも影響する順位戦・C級2組の降級制度の変遷 - 田丸昇のと金横歩き・2010年8月13日
  2. ^ 将棋連盟の棋士データベースでは、引退日が「1993年11月1日」になっているが、公式戦の現役最終局は1986年3月27日棋王戦予選・本間博戦であり、1986年度以降の公式戦には参加していない。
  3. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  4. ^ [1][名無しリンク]
  5. ^ [2][名無しリンク]
  6. ^ [3][名無しリンク]
  7. ^ [4][名無しリンク]
  8. ^ [5][名無しリンク]
  9. ^ [6][名無しリンク]
  10. ^ [7][名無しリンク]
  11. ^ [8][名無しリンク]
  12. ^ [9][名無しリンク]
  13. ^ [10][名無しリンク]
  14. ^ [11][名無しリンク]
  15. ^ [12][名無しリンク]
  16. ^ [13][名無しリンク]
  17. ^ [14][名無しリンク]
  18. ^ [15][名無しリンク]
  19. ^ [16][名無しリンク]
  20. ^ [17][名無しリンク]
  21. ^ [18][名無しリンク]
  22. ^ [19][名無しリンク]
  23. ^ [20][名無しリンク]
  24. ^ [21][名無しリンク]
  25. ^ [22][名無しリンク]
  26. ^ [23][名無しリンク]
  27. ^ [24][名無しリンク]
  28. ^ [25][名無しリンク]
  29. ^ [26][名無しリンク]
  30. ^ [27][名無しリンク]
  31. ^ [28][名無しリンク]
  32. ^ [29][名無しリンク]
  33. ^ [30][名無しリンク]
  34. ^ [31][名無しリンク]
  35. ^ [32][名無しリンク]
  36. ^ [33][名無しリンク]
  37. ^ [34][名無しリンク]
  38. ^ [35][名無しリンク]
  39. ^ [36][名無しリンク]
  40. ^ [37][名無しリンク]
  41. ^ [38][名無しリンク]
  42. ^ [39][名無しリンク]
  43. ^ [40][名無しリンク]
  44. ^ [41][名無しリンク]

外部リンク

編集