星 英府(ほし えいふ、1907年3月 - 没年不詳)は、日本の俳優である[1][2][3][4][5]。本名は川上 英男(かわかみ ひでお)[1][3]マキノ・プロダクションの主要人物の一人である[3]

ほし えいふ
星 英府
本名 川上 英男 (かわかみ ひでお)
生年月日 1907年3月
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市北方町(現在の同県中区同町)
職業 俳優
ジャンル 劇映画時代劇現代劇サイレント映画
活動期間 1926年 - 1933年
主な作品
友愛結婚
黒怪流星
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来歴・人物 編集

1907年(明治40年)3月神奈川県横浜市北方町(現在の同県中区同町)に生まれる[1][2][3][4][5]

京都市立工業学校(現在の京都市立洛陽工業高等学校)を卒業後、貿易商社に入るが、1926年(大正15年)7月、マキノ・プロダクションへ入社する[1][2][3][5]。同年8月27日公開の曽根純三監督映画『砕かれた人形』で映画デビューを果たし、金が有り余るという男役を演じた[1][3][5]。以後、マキノの中堅俳優として多数の作品に出演した[1]。翌々年1928年(昭和3年)に発行された『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』(映画世界社)など一部の資料によれば、京都府葛野郡花園村天授ヶ丘(現在の同府京都市右京区花園天授ヶ岡町、マキノ・プロダクション内)、京都府京都市一条通大将軍坂田町7番地(現在の同府同市北区大将軍坂田町)と転々と住み、趣味は絵描きダンス散歩であり、洋酒と外国煙草が嗜好であるという[2][3]

1929年(昭和4年)、帝国キネマに移籍し、新興キネマに改称後も多くの作品で脇役として出演[1][5]。ところが、1933年(昭和8年)2月8日に公開された印南弘監督映画『ふらんす人形』以降の出演作品が見当たらず、以後の消息は不明である[1][4][5]。トーキー作品への出演は1作もなく、出演作品はすべてサイレント映画であった。没年不詳。星の来歴ついて記載されている資料はほとんど存在しない。

出演作品 編集

マキノ・プロダクション御室撮影所 編集

全て製作は「マキノ・プロダクション御室撮影所」、配給は「マキノ・プロダクション」、全てサイレント映画である。

帝国キネマ演芸 編集

全て製作・配給は「帝国キネマ演芸」、全てサイレント映画である。

新興キネマ 編集

全て製作・配給は「新興キネマ」、全てサイレント映画である。

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、520-521頁。 
  2. ^ a b c d 『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』映画世界社、1928年、21頁。 
  3. ^ a b c d e f g 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』映画世界社、1929年、25頁。 
  4. ^ a b c 『日本人物レファレンス事典 芸能篇1 (映画・演劇・タレント)』日外アソシエーツ、2014年。 
  5. ^ a b c d e f 『日本映画興亡史 マキノ一家』ワイズ出版、2000年、26頁。 

関連項目 編集

外部リンク 編集