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星野氏

星野氏(ほしのし)は、筑後国生葉郡星野邑より起こった国人領主。筑後十五城の一つ。

星野氏
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亀甲に三枚笹
裏桔梗
本姓 調宿禰黒木支流
家祖 星野元真
種別 武家
出身地 筑後国生葉郡星野邑
主な根拠地 筑後国生葉郡星野邑
凡例 / Category:日本の氏族

目次

出自編集

黒木氏と同じく古代調氏の後胤だが、摂津源氏多田行綱の子の黒木大蔵大輔源助能の後裔とも伝え、助能の次男の元真を祖とする。

星野吉実編集

戦国時代の星野吉実(ほしの よしざね)は、生葉郡、竹野郡に1000町(約1万石)を領す。龍造寺隆信が黒木氏の所領に侵攻した時、吉実は同族の黒木氏の側に立ち、自らは黒木氏の猫尾城に入り、次男の正実(まさざね)を福丸城に配し抗戦する。吉実の嫡男の親忠(ちかただ)は、侵攻してきた大内義隆毛利元就の数万の兵と妙見城にて戦い討死。正実が周防方に組した時、親忠の弟の重実(しげざね、表記は「鎮実」とも)は大友氏方に属して戦った。

星野鑑泰編集

重実には子がおらず、蒲池氏蒲池鑑広とされる)の妻となった重実の娘の子である蒲池鑑泰(あきやす、のち鎮泰(しげやす))が母方の星野氏の名跡を継ぎ、重実の死後、大友方(「鑑」の字や「鎮」の字を大友義鑑義鎮(宗麟)から賜っていることからも大友氏に従属していたと言える)として白石城福丸城と転戦し、肥後国勝山にて討死した。鑑泰の嫡男の鎮虎(しげとら)は、白石城にて龍造寺氏を迎え撃つが守りきれず、豊後国に逃れた。鑑泰の次男の鎮胤(しげたね)は福丸城から星野高取城に移り、正実の子の高実(たかざね)の所領1000町を領す。鎮胤と弟の鎮元(しげもと)は、天正14年(1586年)8月に立花宗茂と戦い筑前国糟屋郡高鳥井城にて討死し、星野氏は滅びた。

鍋島家臣編集

鎮胤の子の鎮之(しげゆき)は父の筑前出陣中は本城を守っていたが、鎮胤の死後、老臣の星野右衛門佐が叛き、鍋島氏が鎮圧し、鎮之は鍋島氏の家臣となった。

脚注編集