時任為基

日本の内務官僚、政治家
時任静吉から転送)

時任 為基(ときとう ためもと、天保13年5月1842年) - 明治38年(1905年9月1日)は、日本内務官僚政治家府県知事元老院議官貴族院議員。通称・静吉[1]

時任為基
ときとう ためもと
生年月日 1842年
出生地 日本の旗 日本 薩摩国鹿児島郡鹿児島城下
(現・鹿児島県鹿児島市
没年月日 1905年9月1日
前職 開拓大書記官
称号 正三位
勲三等旭日中綬章

在任期間 1898年8月 - 1905年9月1日

在任期間 1887年5月18日 - 1888年2月29日

宮城県の旗 官選 第5代 宮城県知事
在任期間 1898年6月3日 - 1898年7月28日

大阪府の旗 官選 第9代 大阪府知事
在任期間 1897年11月13日 - 1898年6月3日

愛知県の旗 官選 第10代 愛知県知事
在任期間 1892年8月20日 - 1897年11月13日

その他の職歴
静岡県の旗 官選 第2代 静岡県知事
1889年6月8日 - 1892年8月20日)
高知県の旗 官選 第8代 高知県知事
(1888年2月29日 - 1889年6月8日)
宮崎県の旗 官選 第2代 宮崎県知事
(1887年1月4日 - 1887年5月18日)
函館県令
1882年2月8日 - 1886年1月26日
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経歴 編集

薩摩藩士・時任為徳の長男として薩摩国鹿児島郡鹿児島城下新屋敷通町で生まれる。明治4年8月1871年)、新政府に出仕し東京府典事に就任。

明治5年7月1872年)、開拓使八等出仕となる。1875年9月、千島樺太交換条約締結に際し理事官としてサンクトペテルブルクへ出張した。その後、札幌本庁民事局長、開拓大書記官、函館県令北海共同競馬会社会長、函館支庁長などを歴任。

1887年1月、宮崎県知事に就任[2]。同年5月、元老院議官に転じた。1888年2月、高知県知事となる。以後、静岡県愛知県大阪府宮城県[3]の各知事を歴任。1898年8月、貴族院勅選議員に任じられ、死去するまで在任した。1899年8月14日、錦鶏間祗候に任じられた[4]

栄典 編集

位階
勲章等

親族 編集

脚注 編集

  1. ^ 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』117頁。
  2. ^ 宮崎県. “宮崎県歴代知事”. 宮崎県. 2022年2月6日閲覧。
  3. ^ 宮城県. “宮城県の歴代知事”. 宮城県. 2022年2月6日閲覧。
  4. ^ 『官報』第4837号、明治32年8月15日。
  5. ^ 『官報』第1019号「叙任」1886年11月20日。
  6. ^ 『官報』第4570号「叙任及辞令」1898年9月21日。
  7. ^ 『官報』第6655号「叙任及辞令」1905年9月4日
  8. ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
  9. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  10. ^ 函館市公式観光情報サイト 元町公園

参考文献 編集

  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 我部政男・広瀬順晧編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』柏書房、1995年。