時津海正博

第16代時津風親方
本来の表記は「時津海」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。

時津海 正博(ときつうみ まさひろ、1973年11月8日 - )は、長崎県福江市(現・五島市)の出身で時津風部屋所属の元大相撲力士。本名は坂本 正博(さかもと まさひろ)。東京農業大学卒業。最高位は東前頭3枚目(2001年11月場所)。身長184cm、体重137kg。得意手は右四つ・寄り。趣味は釣り、トレーニング(引退後)。現在は年寄時津風血液型はA型、星座は蠍座[1]

時津海 正博 Sumo pictogram.svg
Tokitsuumi 2010.JPG
まわし姿の時津風親方(2010年)
基礎情報
四股名 時津海 正博
本名 坂本 正博
生年月日 (1973-11-08) 1973年11月8日(46歳)
出身 長崎県福江市(現・五島市
身長 184cm
体重 137kg
BMI 40.47
所属部屋 時津風部屋
得意技 右四つ・寄り
成績
現在の番付 引退
最高位前頭3枚目
生涯戦歴 466勝485敗43休(70場所)
幕内戦歴 322勝385敗43休(50場所)
優勝 十両優勝2回
技能賞4回
データ
初土俵 1996年3月場所(幕下付出)[1]
入幕 1998年9月場所[1]
引退 2007年9月場所[1]
引退後 時津風部屋 師匠
趣味 釣り、トレーニング(引退後)
備考
2015年10月3日現在

人物編集

農家の二男に生まれ、父の影響で2・3歳位の時から宮相撲に出場した。小学校では野球、中学校では柔道をやっていたが、部員が足りず休部状態に陥っていた相撲部を再興し、自宅の倉庫を稽古場に改造し、相撲を続けた。長崎県立諫早農業高等学校では相撲に専念し、東京農業大学でも活躍した。しかし、4年生の時は企業に就職しようと考え、印刷会社の試験に合格し、また父からアマチュア相撲の強豪である和歌山県庁への就職も勧められたが、アマチュアよりプロで取る方がいいという本人の意志で時津風部屋に入門。1996年3月場所、幕下付出初土俵[1]

時津海が入門した頃はまだ学生相撲出身者に対する風当たりが強かったため、巡業では他の部屋の錚々たる関取衆のかわいがりに遭った。また、新潟にあった部屋の夏合宿場で、炎天の下非常に厳しい稽古を積まされた。14代時津風も、稽古場では何も言葉を発さない寡黙な人物であったため、威厳あって怖く、大卒であって早く関取に挙がりたいという気持ちもあって必死で努力した[2]

1998年9月場所新入幕。以降は主に幕内中位で活躍し、2005年5月場所まで41場所連続で幕内の地位を維持し続けた。2001年から2003年あたりが全盛期で、この間に3度の技能賞を受賞。2001年7月場所、婚約の効果か千秋楽勝てば三賞受賞という1番に勝ち初受賞。2002年1月場所、結婚式が控えていたからか勝てば三賞受賞という1番にまたも勝利し2度目の受賞。2003年7月場所の11日目には大関栃東を破り単独トップに立つ活躍も見せた[1]。その栃東を破った2003年7月場所11日目の取組は、相手に左前ミツを取られたものの、これを持ち前の技術で切ると攻勢に転じ、右差し左上手の体勢から寄り切って相手を下した、という内容であった[3]。幕内中位で勝ち越すことが何度もあったが最高位は前頭3枚目と、番付運がなかった[注 1]。また、大関昇進前ではあるが琴光喜に強く、5勝3敗と勝ち越している。右四つ左上手での理詰めの相撲は好角家をうならせたが、2005年5月場所は西前頭12枚目で3勝12敗と大負けし、翌7月場所は1998年7月場所以来、42場所ぶりに十両に陥落した。以後は怪我もあって十両に落ちることが増え、幕内下位に低迷した。それでも2005年7月には2度目の十両優勝を果たし、2006年1月場所では14日目に白鵬に敗れるまで優勝争いに加わる活躍で12勝3敗と大勝して4回目の技能賞を獲得し、西前頭14枚目という当時最も低い地位[注 2]での三役揃い踏みを経験するなど長く地力を保ち続けた。

しかし2007年10月9日、同年6月に発生した時津風部屋力士暴行死事件を受け、日本相撲協会より解雇された師匠で15代時津風親方こと山本順一の後継として部屋を継承するために急遽現役引退することとなり、日本相撲協会に引退届および年寄時津風襲名届を提出した。時津海自身は「まだ燃え尽きていない」と現役へのこだわりがあったが、今回の新弟子死亡事件からの出直しを図るため、14代時津風(豊山勝男=入門時の師匠)を始めとする関係者の説得を受け入れ、16代時津風となり、部屋の師匠として名門復活に全力を注ぐこととなった[4][1]

なお、時津海の引退と年寄襲名により、日本相撲協会は2007年11月場所番付において、引退した時津海が位置する予定であった西前頭11枚目を空位にするという措置を取った。これは時津海が年寄時津風として番付に掲載されることにより、番付上の重複を避けるためである。幕内の番付で空位が発生した事態は、1873年(明治6年)11月に当時の東京相撲の関脇だった小柳常吉ら以来(この時は力士名を墨で塗りつぶした)、実に134年ぶりという珍事となった。[注 3]

また時津海が時津風を襲名するにあたり、自身が取得していた年寄・錦島株を弟弟子の霜鳳に譲渡した。

先代こと山本が解雇されたちょうど1年後の2008年10月5日両国国技館において引退相撲を執り行い、断髪式で髷に別れを告げた(留め鋏は14代時津風が入れた)。式典後、時津海の16代時津風は昨年の不祥事を改めて謝罪した後、「新生時津風部屋を良い方向へ行くように頑張りたい」と抱負を語った。[5]

2016年3月30日現在で、協会の職務では審判部の所属になっている。

2017年1月31日に間垣(元小結・時天空)が悪性リンパ腫により死去した際には「堪えますね」とぽつり。続けて「(昨年の)9月に復帰して指導者として稽古場に毎日来てました。若い衆にしつけとかあいさつとか厳しかった。あんなに厳しく指導するやついない。自分も見習わないといけない。若い衆をしっかり指導していきたい」と、沈痛な表情を浮かべながらコメントした[6]

2017年5月場所はヘルニアで場所を休場。3日目に足立区内の病院で内視鏡手術を行い、すぐに部屋に戻った[7]

取り口編集

現役時代の時津海はしばしば「相撲巧者」として紹介された。右四つでの寄りが持ち味。左上手を取れれば引き付けが効き、出し投げ、ひねりもあり、特に強かった。また、廻しを切る技術も秀逸だった[1]。さらには差し手を殺すことも上手く、けんか四つの相手でも勝つことができるというところがあった。しかし元々組めないともろく、突き押し相撲相手には苦戦した。晩年には足腰の衰えが顕著になり、すぐに腰が立って足が流れたり吹っ飛ばされたりすることも目立った。四つ身での技術では同世代の力士の中でもトップクラスであり、4回に渡る技能賞受賞がそれを物語っているが、番付運の悪さや取り口の脆さが災いして三役昇進は叶わなかった。

人物・エピソード編集

  • 山本順一が暴行死事件を起こしたことによって発覚し次第完全に相撲界からの関わりを断たれた関係上、部屋の師匠としての職務上の引き継ぎなども何もなく、最初の2、3年はお詫び行脚に終始した。その後、新しく出来た後援会などによって部屋の運営を手伝ってもらえるようになり、自分の仕事も落ち着いてきた[2]
  • 部屋の師匠としては自分で考えることと自らの意志で厳しい稽古を行うことが重要だと主張しており、稽古場で厳しさを発揮した時天空が死去したことで部屋の上下関係に対する意識や弟子の稽古態度などの面で弟子育成が危機感と隣合わせとなったが、それでも16代時津風は「無理やり(稽古を)やらせても強くならない」として力士達の自主性を重んじている。だらだらとした稽古を長時間行うのではなく、同じ時間の稽古でもより気合や力を入れて集中してやった方が良いと話している[2]
  • 体の衰え以外の事情で現役を引退して相撲に未練があったためか引退後もトレーニングを継続しており、2017年にヘルニアを患うまで現役力士の頃から気持が切り替わらなかったという。一方気持ちが切り替わって以降も、2018年の時点でもトレーニングを欠かさず行っており、現役時代とほぼ変わらない肉体で弟子に胸を出している[2]
  • 豊ノ島が引退したばかりの頃、一部報道機関によって「自分のトレーニングに没頭して指導にはあまり熱心ではない」と指導態度を否定された[8]
  • ゲームのテトリスが得意で非常に上手い。

不祥事編集

大相撲八百長問題編集

2011年3月大相撲八百長問題に関与し、引退勧告処分となった霜鳳典雄の監督不行き届きにて昇格見送り3年の処分を受けた。野球賭博問題での5年間昇格見送りと合わせて合計8年間の処分となったことになる。霜鳳の処分に関しては「納得はしていない。思いはみんな一緒だ」としている[9]。2014年の役員改選と同時に行われた新たな職務分掌では当初の方針より早く昇格停止処分が解除された形で主任に再昇格し、2015年1月29日付で委員に昇格している[10]

大相撲野球賭博問題への関与編集

2010年6月18日、大相撲における野球賭博の問題で、日本相撲協会に対し豊ノ島と共に賭博をしていた事実を認めていたことが報道された[11]。これを受けて日本相撲協会は主任から最下位の平年寄への1階級降格と5年間の昇格見送りの処分を下した。

コロナ禍中の協会ガイドライン違反編集

2020年9月11日、日本相撲協会は協会作成の2019新型コロナウイルス感染対策ガイドラインに違反する行動があったとして、16代時津風を9月場所中の謹慎とした。その間、時津風部屋は部屋付きの枝川が師匠代行として管理することとなった[12]

今後、相撲協会危機管理委員会・コンプライアンス委員会(青沼隆之委員長=元名古屋高検検事長)が聞き取り調査を行い、理事会で追って処分などが協議されるという。芝田山広報部長はこの時点では調査中として詳細に関する説明を控えたが、「例えば新弟子(スカウト)とかある。(判断に困れば)協会に相談してくださいと言っているんですが、安易な行動」「これだけ協会が感染予防の強化と言っているが、違反行動をとられることによって、感染してくる可能性はなきにしもあらずですよ。何らかの処分の対象になってくる」と話した[13]。外出に関してはガイドライン上で取り決めがあり、本人も違反行為を認めたという[14]

相撲協会は9月場所を見据え、8月以降は感染予防の観点から2週間ごとに力士や親方の行動ガイドラインを作成していた。7月場所後の一時的な緩和を経て、8月中旬に「外食は第三者との接触を避ける」「ホテル、旅館の宿泊不可」などと規定し、再通達をしていた。関係者によると、不要不急の外出が禁止された8月31日以降に第三者を交えて他県を訪れゴルフをしていたことが発覚したという[15][13][16][17]

正式な処分が出るのは10月1日の協会理事会においてであり、部屋所属の正代の大関昇進が決まった場合の伝達式は9月30日となる。慶事であることも考慮して相撲協会は特例としてこの時の同席は認めることとした[18][19][20]。ところが謹慎中の時津風が29日朝から吐き気を訴え急性膵炎と診断され、夜に内視鏡手術を受けたことから、正代の大関昇進伝達式には師匠代行の枝川と時津風部屋女将が出席することとなった[21][22][23]。なお、急性膵炎に関して女将は「石が十二指腸まで動いて引っかかっていて、すい臓が炎症を起こしていました」と説明しており、時津風は「どうしても(昇進伝達式に)行きたい」と言っていたものの医師からは「(伝達式が行われる30日まで)放置していたら大変だった」とストップがかけられた[24]

10月1日の協会理事会で、委員から年寄への2階級降格処分となることが決定した。協会コンプライアンス委の調査によると、時津風は9月4日に友人に誘われて宮城県に旅行し、居酒屋で会食。この店が「3密」状態であったにも関わらず、マスク着用などの感染予防策を怠った。また翌5日はゴルフコンペに参加したあと、長崎県五島市に帰省するため福岡市に移動し8日まで滞在したという。感染リスクの高い行為が含まれており、部屋での感染蔓延や力士の休場・本場所開催が危ぶまれる可能性を指摘し、過去に2度の懲戒処分を受けていることからも降格処分が妥当と同委員会は八角理事長に答申していた[25][26][27]

主な成績編集

  • 通算成績:466勝485敗43休 勝率.490
  • 幕内成績:322勝385敗43休 勝率.455
  • 現役在位:70場所
  • 幕内在位:50場所[2]
  • 三賞:4回
    • 技能賞:4回(2001年7月場所、2002年1月場所、2003年7月場所、2006年1月場所)
  • 各段優勝:十両優勝2回(1997年5月場所、2005年7月場所)

場所別成績編集

時津海正博
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1996年
(平成8年)
x 幕下付出60枚目
6–1 
東幕下31枚目
5–2 
東幕下17枚目
4–3 
西幕下11枚目
4–3 
東幕下9枚目
4–3 
1997年
(平成9年)
西幕下5枚目
5–2 
西幕下2枚目
5–2 
西十両13枚目
優勝
12–3
西十両3枚目
5–10 
東十両8枚目
9–6 
西十両3枚目
8–7 
1998年
(平成10年)
西十両2枚目
4–11 
西十両9枚目
9–6 
西十両5枚目
8–7 
東十両2枚目
10–5 
西前頭14枚目
8–7 
東前頭13枚目
9–6 
1999年
(平成11年)
東前頭5枚目
4–11 
西前頭11枚目
9–6 
西前頭6枚目
4–11 
東前頭13枚目
8–7 
東前頭10枚目
7–8 
東前頭12枚目
8–7 
2000年
(平成12年)
西前頭11枚目
9–6 
東前頭7枚目
7–8 
西前頭8枚目
5–10 
西前頭11枚目
9–6 
東前頭10枚目
7–8 
東前頭12枚目
8–7 
2001年
(平成13年)
西前頭9枚目
8–7 
東前頭4枚目
6–9 
西前頭6枚目
4–11 
西前頭13枚目
11–4
西前頭4枚目
9–6 
東前頭3枚目
2–13 
2002年
(平成14年)
東前頭11枚目
11–4
西前頭4枚目
2–6–7[注 4] 
東前頭11枚目
休場
0–0–15[注 5]
東前頭11枚目
8–7 
西前頭6枚目
7–8 
西前頭7枚目
8–7 
2003年
(平成15年)
西前頭4枚目
5–10 
東前頭8枚目
8–5–2[注 6] 
東前頭7枚目
休場
0–0–15[注 5]
東前頭7枚目
9–6
西前頭3枚目
5–10 
西前頭6枚目
8–7 
2004年
(平成16年)
東前頭4枚目
7–8 
東前頭5枚目
8–7 
東前頭4枚目
7–8 
東前頭6枚目
6–9 
西前頭8枚目
5–10 
東前頭14枚目
8–7 
2005年
(平成17年)
東前頭12枚目
5–10 
東前頭16枚目
8–7 
西前頭12枚目
3–12 
西十両3枚目
優勝
11–4
西前頭14枚目
4–11 
西十両3枚目
9–6 
2006年
(平成18年)
西前頭14枚目
12–3
西前頭5枚目
2–13 
東前頭16枚目
2–9–4[注 7] 
東十両9枚目
8–7 
西十両6枚目
8–7 
東十両4枚目
10–5 
2007年
(平成19年)
西前頭12枚目
8–7 
西前頭10枚目
8–7 
東前頭6枚目
3–12 
東前頭11枚目
8–7 
西前頭7枚目
5–10 

引退
––[注 8]
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴編集

  • 時津海→時津海(「海」の「毋」が「母」)

年寄変遷編集

  • 時津風 正博(ときつかぜ まさひろ)2007年11月〜

愛車編集

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 前頭4枚目で9勝しながら1枚しか上がらない等。
  2. ^ 現在の記録は2020年1月場所德勝龍の西前頭17枚目。
  3. ^ その後、2008年8月19日若ノ鵬が大麻所持で逮捕されたため、2008年9月場所に彼の四股名が掲載される予定だった東前頭8枚目が空位となった。
  4. ^ 右膝外側側副靱帯損傷、右膝蓋骨骨折により8日目から途中休場
  5. ^ a b 公傷制度適用
  6. ^ 大腿部筋挫傷により13日目から途中休場
  7. ^ 腰椎捻挫により初日不戦敗、6日目から出場
  8. ^ 秋場所後の10月9日に急遽引退。西前頭11枚目に掲載される予定だったがその地位は空欄。

出典編集

  1. ^ a b c d e f g h ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p27
  2. ^ a b c d e ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p76-79
  3. ^ ベースボール・マガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(5) 時津風部屋』p44
  4. ^ 時津海、引退で時津風襲名 産経新聞 2007年10月6日閲覧
  5. ^ 断髪式で異例の陳謝 時津風親方 産経新聞 2008年10月5日閲覧
  6. ^ 元時天空告別式、師匠の時津風親方「堪えますね」 日刊スポーツ 2017年2月7日16時0分
  7. ^ 『大相撲ジャーナル』2017年7月号 p82
  8. ^ 井筒襲名した豊ノ島の評判 白鵬を後見人にタレント活動か(2/5ページ) 日刊ゲンダイDIGITAL 2020/04/26 06:00 11:50(2020年6月28日閲覧)
  9. ^ 土俵去る八百長関与力士、無念の表情 (2/2ページ) - スポーツ - SANSPO.COM”. web.archive.org (2011年4月24日). 2020年9月12日閲覧。
  10. ^ [“木瀬親方が主任から委員に復帰”. 日刊スポーツ. (2015年1月29日). http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20150129-1427870.html 2016年3月3日閲覧。 
  11. ^ 「時津風親方も野球賭博認める 豪栄道、豊響も」 朝日新聞 2010年6月18日
  12. ^ 時津風親方を謹慎 感染対策ガイドラインに違反 - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2020年9月11日). 2020年9月11日閲覧。
  13. ^ a b 時津風親方が秋場所を謹慎「ガイドラインに基づく行動違反」枝川親方が師匠代行へ/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2020年9月11日). 2020年9月11日閲覧。
  14. ^ 時津風親方が謹慎…ガイドラインに基づく行動違反 場所終了まで枝川親方が師匠代行/デイリースポーツ online” (日本語). デイリースポーツ online(2020年9月12日). 2020年9月12日閲覧。
  15. ^ 時津風親方が秋場所謹慎 他県訪れる違反行為か:東京新聞 TOKYO Web” (日本語). 東京新聞 TOKYO Web(2020年9月11日). 2020年9月12日閲覧。
  16. ^ 時津風親方、不適切行動で秋場所を謹慎…芝田山広報部長「弟子を管理しなきゃいけない立場の人が…」(スポーツ報知)” (日本語). Yahoo!ニュース(2020年9月12日). 2020年9月12日閲覧。
  17. ^ 時津風親方が秋場所謹慎、他県でゴルフ 新型コロナのガイドライン違反” (日本語). SANSPO.COM(サンスポ) (2020年9月12日). 2020年9月12日閲覧。
  18. ^ 秋場所謹慎・時津風親方に特例 正代の昇進伝達式に同席OK – 東京スポーツ新聞社” (日本語). 東スポWeb – 東京スポーツ新聞社(2020年9月28日). 2020年9月28日閲覧。
  19. ^ 正代大関昇進なら伝達式に謹慎中の時津風親方参加へ - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2020年9月27日). 2020年9月28日閲覧。
  20. ^ 正代、謹慎の時津風親方が特別に大関昇進伝達式出席へ/秋場所 SANSPO.COM 2020.9.27 20:52 (2020年9月28日閲覧)
  21. ^ 時津風親方、急性すい炎で昇進伝達式欠席 正代の師匠” (日本語). 日本経済新聞 電子版(2020年9月30日). 2020年9月29日閲覧。
  22. ^ 時津風親方が急性膵炎で手術 正代の伝達式は欠席 - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2020年9月29日). 2020年9月29日閲覧。
  23. ^ 膵炎手術の時津風親方の容体は「石が十二指腸まで」 - 大相撲 : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com(2020年9月30日). 2020年9月30日閲覧。
  24. ^ すい炎で緊急手術の時津風親方…おかみさんが状況を説明「放置していたら重篤な状況だった」 2020年9月30日 11時37分スポーツ報知 (2020年10月2日閲覧)
  25. ^ “時津風親方は2階級降格 松ケ根親方はけん責 コロナで違反行動” (jp). Mainichi Daily News. (2020年10月1日). https://mainichi.jp/articles/20201001/k00/00m/050/303000c 2020年10月1日閲覧。 
  26. ^ 相撲協会、時津風親方を降格処分 コロナ指針違反で” (日本語). 日本経済新聞 電子版(2020年10月1日). 2020年10月1日閲覧。
  27. ^ コンプライアンス委、時津風親方に「無自覚で到底許しがたい」旅行し、ゴルフや会食” (日本語). SANSPO.COM(サンスポ) (2020年10月1日). 2020年10月1日閲覧。

関連項目編集

外部リンク編集