晦日銭(みそかぜに)は、江戸古町町人が町の運営費として町年寄に納入していた金[1][2]

古町とは、明暦3年(1657年)の大火前後までに成立していた300町ほどの町で[3]、古町町人はそこに代々暮らしてきた人達のことである[3]

当初、町年寄役所の町方支配事務を各町が分担しており、各町の月行事が交代で町年寄役所に勤務していたという。町々ではこれを「迷惑」と考え、人員を出す代わりに町年寄役所で「手代」を雇う給料として金を納める方式へと変わっていった[3]。その納入金の中で、古町町人達が納めた金を晦日銭と呼んだ[3][4]。町年寄3家の収入のうち、晦日銭は寛政元年(1789年)には、

となっている[5]

脚注 編集

  1. ^ 寛政3年(1791年)2月、町奉行が町入用の調査をした際の答申より(『江戸の町役人』 吉原健一郎著 吉川弘文館 44 - 45頁)。
  2. ^ 『日本の歴史 18 幕藩制の苦悶』 北島正元著 中公文庫 105 - 106頁。
  3. ^ a b c d 『江戸の町役人』 吉原健一郎著 吉川弘文館 44 - 45頁。
  4. ^ 『江戸の町役人』 吉原健一郎著 吉川弘文館 136 - 138頁。
  5. ^ 『江戸の町役人』 吉原健一郎著 吉川弘文館 137頁。

参考文献 編集