暖流』(だんりゅう)は、1938年4月から9月『朝日新聞』に掲載された岸田國士長編小説、またこれを原作とした映画ドラマ化作品である。 1938年11月、改造社刊。岸田国士長篇小説集第四巻、新潮文庫ほか。

小説のあらすじ 編集

昭和10年代の東京。名門私立病院である、志摩病院の院長で内科臨床医の志摩泰英(しま やすひで)が胃がんで1年間近く、鎌倉山の別荘に引っ込んでいた間に、病院経営は破綻の危機に瀕していた。一人息子泰彦は医者の免状をもちながら医者を好まず、子爵の娘で妻の三喜枝と本郷の邸宅に住み、競馬やゴルフの贅沢三昧、一家は火の車である。泰英は、病院の再建をかけて、以前学資を出してやり台湾の製薬会社の庶務課長になっている若き実業家日疋祐三(ひびき ゆうぞう)を呼び寄せて、病院経営と一家の立て直しの全てを託す。日疋は泰英にたいする恩義と、男として意気に感じて引き受ける。緻密な計画を立てておこなわれる突然の大胆な病院改革に、反発する医師たちと、派閥同士の対立でなかなか進まない改革。極度の緊縮に志摩夫婦との、心のすれ違い。日疋は、20歳そこそこの看護婦の石渡ぎん(いしわたり ぎん)を利用して、内通させ、複雑に入り組んだ病院の内情を把握しようと試みる。身寄りも無いぎんは日疋に淡い恋心を抱くが、一方の日疋は、院長の後妻とのあいだの令嬢、美しく聡明で気位の高い啓子(けいこ)に思慕の情を寄せていた。ぎんと啓子とは小学校から女学校2年まで同級であった。啓子はミシンの針が指に刺さり、父の病院に見てもらいに行き、治療した笹島医学士に恋されて、求婚される。両親も賛成し、啓子も異存は無いが、院長の病気が重くなり死亡したため、結婚を秋に延期するうちに、笹島に、有名な声楽家安達和子という愛人のいること、笹島に弄ばれて自殺した看護婦のいることがわかり、啓子は笹島を責め婚約を解消する。啓子に恋していた祐三は、病院の建て直しに自信をもって求婚する。母滝子は鎌倉山の別荘を整理して東京で質素な生活をおくっているが、祐三にたいする信頼と恩義からその結婚に賛成であるが、啓子は祐三の人間と実力に好意と愛情をいだきながら、ぎんの祐三にたいする恋をしっているうえに「自分にはどうしても棄てきれない世界があり、それはやっぱり大事にしなければならないと思う」と言い、祐三の求婚を拒む。祐三は、病院をやめて派出看護婦になっているぎんが自分に恋しているのを知り、「この女になら、なにかしてやれるという自信がもてる。自分には、そんな悦びが必要だ」と考え、婚約する。泰彦は質素な生活にたえられず、祐三が一家の財産を自由にしているという錯覚から、母滝子を訴えようとし、祐三のために首になった人々が祐三や滝子をいやがるビラをはるなどしたことから、彼女らは手に入れるべき財産をすべて泰彦に与えることを祐三に申し出て、東京を離れて静岡の近くの昔の雇人の離れを借りて隠棲する。祐三は自分の努力がむなしかったことを思うが、それに同意し、病院をやめて中国にでかけて新しい仕事をする決心をする。その間、ぎんを滝子へあずけて主婦教育を依頼する。啓子は新たな道に出て行く決心をする。

映画 編集

1939年版 編集

暖流
監督 吉村公三郎
脚本 池田忠雄
原作 岸田国士『暖流』
出演者 佐分利信
撮影 生方敏夫
編集 濱村義康
製作会社 松竹(大船撮影所)
配給 松竹
公開  1939年12月1日
上映時間 124分
製作国   日本
言語 日本語
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暖流』(だんりゅう)は、1939年に公開された吉村公三郎監督の日本映画[1]。 キネマ旬報ベスト・テン7位

制作 編集

当初は吉村公三郎の師匠・島津保次郎が監督することで脚本も完成していたが、島津が東宝へ移った為、監督を誰にするかで、大船撮影所の所長・城戸四郎は迷った。すでに主役に決定していた高峰三枝子の口添えで、城戸は吉村を起用した。ただし吉村が渋っていた戦争映画「西村戦車長伝」を次に撮るという条件付きであった。[2]

配給 編集

初公開日は戦前の1939年12月1日で『前篇・啓子の巻』と『後篇・ぎんの巻』の合計3時間で構成されていたが、現存するフィルムを戦後(1947年)に再編集され、2時間4分の短縮版となった。

キャスト 編集

ほか

スタッフ 編集

1957年版 編集

キャスト 編集

スタッフ 編集

1966年版 編集

キャスト 編集

スタッフ 編集

TVドラマ 編集

1960年版 編集

1960年3月1日・同年3月8日フジテレビ系「サンウエーブ火曜劇場」枠にて放送された。同ドラマ枠の初作品。

キャスト 編集

スタッフ 編集

 

1964年版 編集

1964年8月3日 - 11月2日東海テレビの15分昼ドラマ枠にて放送された。

キャスト 編集

スタッフ 編集

  • 演出:伏屋良郎
  • 脚本:竹内勇太郎

1967年版 編集

1967年7月17日 - 9月8日にフジテレビ系昼ドラマ「ライオン奥様劇場」枠にて放送された。

キャスト 編集

スタッフ 編集

1976年版 編集

1976年10月7日 - 1977年3月31日日本テレビ系列(制作:よみうりテレビ)の木曜21時枠にて放送された。

キャスト 編集

スタッフ 編集

主題歌 編集

松坂慶子『おとずれ』

放送局 編集

2007年版 編集

2007年4月16日 - 6月29日毎日放送製作・TBS系列「ドラマ30」枠で放送(全55回)。設定を現代(制作時の2007年)に置換えて制作しているのが特徴。番組終了後の7月31日DVD-BOXが発売された。

登場人物&キャスト 編集

志摩家

志摩総合病院

その他

スタッフ 編集

主題歌 編集

脚注 編集

  1. ^ kinenote.
  2. ^ 登川直樹『映画史上ベスト200シリーズ・日本映画200』、キネマ旬報、1982年
  3. ^ a b 『北國新聞』1977年2月10日付朝刊、テレビ欄。
フジテレビ サンウエーブ火曜劇場
前番組 番組名 次番組
(なし)
暖流
(1960.3.1 - 3.8)
少女
(1960.3.15)
フジテレビ系 火曜22:00 - 22:45枠
暖流
(1960.3.1 - 3.8)
少女
(1960.3.15)
東海テレビ制作・フジテレビ系 昼ドラマ
雪燃え
(1964.5.4 - 7.31)
暖流
(1964.8.3 - 11.2)
われ泣きぬれて
(1964.11.3 - 1965.1.29)
フジテレビ系 ライオン奥様劇場
永遠に答えず
(1967.5.22 - 7.14)
暖流
(1967.7.17 - 9.8)
母子舞い
(1967.9.11 - 11.3)
よみうりテレビ制作・日本テレビ系 木曜21時台
暖流
毎日放送中部日本放送制作・TBS 平日13時台後半(ドラマ30枠)
キッパリ!
(2007.1.29 - 4.13)
暖流
(2007.4.16 - 6.29)
こどもの事情
(2007.7.2 - 8.31 )