曹 霖(そう りん、? - 嘉平2年12月15日251年1月24日[注釈 1])は、中国三国時代の皇族。祖父は曹操。父は曹丕(文帝)。生母は仇昭儀。異母兄は曹叡(明帝)。子は曹啓(嫡子)・曹髦(高貴郷侯)。

経歴 編集

黄初3年(222年)に河東王に封ぜられ、黄初6年(225年)に館陶王に改封された。『三国志』「曹霖伝」によれば、性格は粗暴で荒々しく、後宮の侍女や婢女に暴力を振るい、時には殺害してしまうこともあったという。太和6年(232年)、異母兄の明帝によって東海王に改封された[1]。嘉平2年(または嘉平元年)に死去し、東海定王とされた。

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  • 曹啓(生没年不詳)

曹霖の嫡子。父の後を継いで東海王に封ぜられた。景初正元景元の間に加増され、父から受け継いだ物と合わせて6200戸の所領を得た[1]

魏の第4代皇帝。少帝髦、廃帝髦、高貴郷公髦。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 『三国志』魏書 巻20 武文世王公伝 曹霖伝には「嘉平元年薨(嘉平元年に亡くなった)」とあるが、『三国志』魏書 巻4 三少帝紀 曹髦伝では嘉平二年の条に「十二月甲辰東海王霖薨(嘉平2年12月15日に亡くなった)」とある。

出典 編集

  1. ^ a b 『三国志』魏書 巻20 武文世王公伝 曹霖伝