曹騰
中国後漢末期の宦官。中常侍・大長秋。
曹 騰(そう とう、100年-159年)は、中国後漢末期の宦官。字は季興。沛国譙県の人。父は曹萌[1]。兄は曹褒。弟は曹鼎[2][3]。息子を作れない宦官のため血の繋がりはないが、曹嵩(曹操の父)の養父。三国時代の魏の武帝曹操の祖父。諡号は高皇帝。『後漢書』「宦者列伝」に伝がある。
生涯編集
年少の頃黄門の従官となり、皇太子劉保(後の順帝)の学友の一人として抜擢された。
125年、順帝が即位すると小黄門に任じられた。安帝・順帝・沖帝・質帝の四帝に仕え、その間中常侍・大長秋にまで昇進し宮中に仕えること三十余年に及んだ。桓帝の時代には費亭侯に封ぜられ、特進の位を与えられた。
優れた人物を抜擢することが好きで、陳留の虞放・辺韶、南陽の延篤・張温、弘農の張奐、潁川の堂谿典などの人物が引き立てられ、高官に登った。しかし曹騰は彼らに恩着せがましい態度を取ることはなかった。
蜀郡太守が曹騰に贈賄の使者を送った際、益州刺史の种暠は函谷関での取り調べでその文書を手に入れた。种暠は皇帝に対し曹騰を免職するように上奏したが、皇帝は「外部からの書状であり、曹騰の関与は認められない」としてその申請を却下した。曹騰はこの件を意に介する事無く、种暠の節度を賞賛した。後に种暠は司徒となると「今日三公となれたのは曹常侍のおかげである」と語った。
脚注編集
参考文献編集
- 陳寿著、裴松之 注、「正史 三国志」1巻、今鷹真 ・井波律子訳、筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1992年12月、7-9頁。ISBN 4-480-08041-4