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最上川 (曲)

画像提供依頼:日和山公園の歌碑の画像提供をお願いします。2013年11月

最上川」(もがみがわ)は日本都道府県の一つ、山形県県民歌である。歌詞は昭和天皇御製であり、作曲は島崎赤太郎が行った。

最上川

県民歌の対象
Flag of Yamagata Prefecture.svg 山形県

作詞 昭和天皇御製
作曲 島崎赤太郎
採用時期 1930年(制定告示は1982年3月31日
言語 日本語
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目次

沿革編集

御歌 最上川 山形県民歌
(A面)徳山璉 /
(B面)日本ビクター男声合唱団
シングル
B面 山形県青年団歌
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 都道府県民歌
レーベル ビクターレコード(52898)
作詞・作曲 最上川‥作詞:昭和天皇(御製歌)、作曲:島崎赤太郎
山形県青年団歌‥作詞:土井晩翠、作曲:五十嵐悌三郎
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昭和天皇が皇太子時代の1925年大正14年)10月、山形県行啓に際して最上川の情景を詠まれた和歌(御製歌)を援用したものである。元の御製歌は1926年(大正15年)の歌会始で勅題「河水清」に基づいて詠み上げられた[1]。昭和天皇即位後の1929年(昭和4年)に山形県教育会が行ったこの御製歌を県歌にすべきであるとの決定を受け[2]1930年昭和5年)10月に宮内省の許可を得て東京音楽学校教授の島崎赤太郎に作曲を依頼し、曲が完成した[3]

戦後の扱い編集

1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結以前は長野県の「信濃の国」や秋田県民歌(旧)と並ぶ“三大県民歌”と称されて来たが、連合国占領下では熊本県の「菊池盡忠の歌」のように連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP)の命令で演奏が禁止された県民歌もあり、山形県の「最上川」も自粛措置として演奏が控えられるようになった。それに伴い、憲法普及会山形県支部が新憲法普及活動の一環として1947年昭和22年)5月3日日本国憲法制定記念式典で演奏する新「山形県民歌」の歌詞を公募し[4]高校教諭でアララギ派歌人原知一が「原まこと」名義で応募した「朝ぐもの」が採用される[5]。作曲は依頼により橋本國彦が行い、憲法制定記念式典においてはこの新県民歌「朝ぐもの」が演奏されたが、この新県民歌は戦前から「最上川」に慣れ親しんで来た県民には広く受け入れられず、サンフランシスコ講和条約の発効後には忘れ去られてしまった。そのため、1960年代には「慣例上」としながらも「最上川」が再び県民歌として扱われるようになる[1]

正式な県民歌としての制定編集

1981年(昭和56年)には県議会で県民歌に関する質問が行われたことを契機に新県民歌の制定について協議されたが、新県民歌の制定を求める意見と戦前から親しまれて来た「最上川」を支持する意見とで賛否が拮抗し、最終的に板垣清一郎知事の判断で1982年(昭和57年)3月31日に「最上川」を正式な「山形県民の歌」として制定する旨が告示された[2]1986年(昭和61年)4月1日には山形放送(YBC)がテレビの放送開始時に本曲を演奏するようになり、これは現在も続いている。

歌唱編集

1933年(昭和8年)にビクターレコード(現JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)から徳山璉が歌唱するSPレコードが発売された。同じレコードのB面には土井晩翠作詞、五十嵐悌三郎作曲で日本ビクター男声合唱団が歌う「山形県青年団歌」が収録されている。

また、1978年(昭和53年)には日本コロムビアが「スポーツ県民歌」をEP盤として復刻した際にB面曲として芳野靖夫が歌唱する「最上川」のカバーが収録されている。

歌碑編集

酒田市日和山公園に本曲の歌碑が建立されている。また、同市の出羽大橋に設けられている欄干にも本曲のレリーフが設置されている。

脚注編集

  1. ^ a b 国民文化協会『事典 シンボルと公式制度 日本篇』(国際図書、1968年)、140ページ。
  2. ^ a b 県民歌山形県立図書館
  3. ^ 中山裕一郎 監修『全国 都道府県の歌・市の歌』(東京堂出版2012年ISBN 978-4-490-20803-0 、92ページ。
  4. ^ 新憲法施行の日(1947年5月3日)山形県都での式典で「最上川」にかわり、新しい県民歌となる「朝ぐもの」が歌唱紹介されたといわれているが、「朝ぐもの」の歌について、経緯・作者・歌詞などが知りたい。国立国会図書館・レファレンス協同データベース)
  5. ^ 『山形県史』第6巻 現代史編 上, pp84-87

関連項目編集

  • 立山の歌 - 「最上川」と同様に昭和天皇の御製歌を原詞とする富山県の愛唱歌。ただし、正式な県民歌とした記録は残されていない。

外部リンク編集