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最上 義春(もがみ よしはる)は室町時代中期から戦国時代出羽国の武将・大名で山形城主。最上氏第5代当主。

 
最上義春
時代 室町時代中期 - 戦国時代
生誕 不詳
死没 文明6年3月21日1474年4月7日
改名 政家(初名)→義春
戒名 龍門寺殿天直源公大居士
墓所 山形県山形市北山形の龍門寺
官位 右京大夫
幕府 室町幕府
氏族 最上氏
父母 父:最上満家
兄弟 頼宗義春義秋
成沢義総杉山義旦
養子:義秋

生涯編集

嘉吉3年(1443年)、満家の死去に伴い跡を継ぎ最上氏第5代当主となったとされているが、『菊地蛮岳旧蔵本』では「応永31年(1424年)に満家の長男の頼宗が家督を相続し、貞享2年(1430年)に頼宗が退隠した」とある。

初名は政家であったが、将軍足利義政から「義」の字を賜り、名を義春と改めた。義春以降の最上氏歴代当主は足利将軍家から「義」の偏諱を受けている。宝徳2年(1450年)5月、庄内妙味水の城を攻めたが逆に捕らえられ、7月上旬に和議が成り解放された[1]寛正2年(1461年)10月と文正元年(1466年)に、義政の命を受け古河公方足利成氏攻めに参加している。

脚注編集

  1. ^ 「羽黒山年代記」『寒河江市史 上巻』p.670

参考文献編集

  • 『山形市史』
  • 寒河江市史編さん委員会『寒河江市史 上巻』1994