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7代目 月亭 文都(つきてい ぶんと、1960年9月12日 - )は上方噺家出囃子は「おかめ」(替えは「楠公」)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。血液型はB型。本名は宮田 健司(みやた けんじ)。月亭文都の当代である。初名は「月亭八天」。

7代目 月亭つきてい 文都ぶんと
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結三柏は、桂米朝一門の定紋であるが、
月亭一門は変え紋として月紋を併用。
本名 宮田 健司(みやた けんじ)
生年月日 (1960-09-12) 1960年9月12日(58歳)
出身地 日本の旗 日本大阪府大阪市中央区
師匠 月亭八方
弟子 月亭天使
名跡 1. 月亭八天(1986年 - 2013年)
2. 7代目月亭文都(2013年 - )
出囃子 おかめ
活動期間 1986年 -
活動内容 上方落語
所属 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
公式サイト オフィシャルHP
受賞歴
なにわ芸術祭最優秀新人賞 落語部門(1996年)
備考
上方落語協会会員

目次

来歴・人物編集

大阪府大阪市中央区出身。子供のころに初めて買った笑福亭仁鶴のレコード「仁鶴古典独演会」を聴きいて落語に興味持つ。近畿大学卒業後、1986年3月16日月亭八方に入門。月亭遊方とは、入門が僅か1か月だけ遅かったため、弟弟子となった。初名の「八天」という名前の由来は「発展」とも掛けてあるのだが、当時の住まいが天王寺区にあったため、と言われる。

学生時代、路上で弾き語りをしていたころ、気のない客に好きな落語を話したところ、振り向いてもらえたため、それから落語家を志す。以降4年間、師匠を求めてさすらうが、その間、主に桂雀三郎に多くの稽古を受ける。ただし、雀三郎には当時「又三郎」という弟子が既におり(現在は廃業し、弟弟子にあたる桂雀喜に新作落語を下している)、入門とは至らなかった。八方に入門後は、大々師匠の桂米朝や、桂吉朝にもネタを付けてもらう。

持ちネタは100近く、笛も得意としており、月亭一門では異色の本格派である。吉本の先輩に当たる桂文珍は、ある高座で八天時代の文都のことを「お師匠はん」と、からかい半分で呼んだことがあり、その実力の程が知られる。また、師匠である八方に対してネタを付けたこともある(ただし、八方は厳格な師匠でもある。この件については後述)。

芸風は緻密で、繊細な楷書を思わせる。各地で自己プロデュースによる落語会を主催し、積極的な活動を繰り広げている。

元々ミュージシャン志望でもあり、独演会の最後にバンドを組んで歌を披露することもある。

また、ワッハ上方では1996年のオープン当初から独演会を毎年開催。2005年2月から隔月で「落語再生公開堂・ハナシをノベル!!」という、落語好きのSF作家・ミステリ作家(田中啓文北野勇作田中哲弥我孫子武丸浅暮三文牧野修飯野文彦森奈津子)が作った新作落語を演じるイベントを実施。2007年11月に集英社から『ハナシをノベル!! 花見の巻』としてCD付の単行本が発売された。

2013年3月に7代目「月亭文都」を襲名[1]。「文都」(主に桂文都)を名乗った落語家は過去に6人おり、2009年に亡くなった落語立川流立川文都(同年生まれだが、早生まれのため学年は1つ上)が6代目を名乗っていたことから、新・文都は7代目を名乗る。「月亭文都」としては113年ぶり、上方における文都の名跡自体も68年ぶりの復活となった。尚、7代目文都は2013年3月19日になんばグランド花月での襲名披露公演を以て正式に名跡を襲名した[2]

エピソード編集

内弟子時代、破門されかけたことがある。ある日、寝坊をしてしまい、急いで劇場の楽屋へ行くと、もう先に八方が到着しており、「おはようございます」と挨拶したところ、八方は「なにがお早うや。少しも早いことあれへん」と激怒した。すかさず「すみませんでした」と詫び、着付けの手伝いをしたが、「ああ、人の衣装に触らんといて!」と吐き捨てられ、八方が舞台に上がる前に「もう来んでもええわ! お前なんか破門じゃ!」と言い渡され手渡した扇子で頭を叩かれた。それから数日後に、ようやく許してもらえたと言う[3]

後で分かったことであるが、その時、八方は徹夜マージャンで大負けしたために機嫌が悪かったとのこと[3]。とはいえ、師匠・八方は大師匠の米朝やざこばと同様に時間や服装には厳しく、遅刻した場合は即刻指摘、または破門にすると言う厳しい一面があり、八天(当時)にその厳しさを見せ付けた。

なお、文都襲名に対しもっとも心血を注いだのも師匠・八方である。八方は襲名に際してはトラブルが発生しないよう、大師匠で一門の総帥である桂米朝はもとより、上方桂文枝一門の宗家である6代桂文枝、さらには大阪に在住している立川文都の母親にも挨拶に行っている。

主な受賞編集

弟子編集

  • 月亭天使 - 八天時代からの弟子、東西落語界史上初とされる「玄孫弟子(3代目桂米朝から見て)」として有名になった
  • 月亭秀都 - 文都時代になってからの弟子
  • 月亭都来 - 上に同じ

関連項目編集

出典編集

  • 『上方落語家名鑑』(やまだりよこ著、出版文化社、2006年)

脚注編集

外部リンク編集