月感(げっかん、1601年1月24日慶長5年12月20日)- 1674年10月4日延宝2年9月5日))は、江戸時代前期の浄土真宗。字は円海。肥後国の出身。肥後延寿寺(本願寺派のち、真宗大谷派に転向)の住職西吟との法論承応の鬩牆として知られる。

月感
1601年 - 1674年
円海
生地 肥後国、熊本
宗旨 浄土真宗
宗派 本願寺派、のちに真宗大谷派
寺院 延寿寺
了尊
著作 『安心決定鈔糅記』
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承応の鬩牆 編集

1652年承応元年)、西本願寺能化西吟の講義に異議を唱えて論争となり、本願寺興正寺とが対立するまでに発展した(承応の鬩牆[注釈 1])。この対立は江戸幕府の裁決を受けることとなり、その結果月感は出雲国玉造へ配流された。その後月感は本願寺派から大谷派へ転向している。

著作 編集

  • 『安心決定鈔糅記』(あんじんけつじょうしょうにゅうき)

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 承応の鬩牆は、明和の法論、三業惑乱とともに浄土真宗本願寺派の三大法論とされる。