有川 定輝(ありかわ さだてる、1930年1月14日 - 2003年10月11日)は日本武道合気道空手)家である。合気道開祖・植芝盛平の高弟。

略歴 編集

人物・業績 編集

  • 空手や古武術に精通していたこともあり、当身を多用した実戦的な技で知られた。
  • 日本の武道・宗教についての研究に幅広く取り組み、12トンを超える資料を遺した。また植芝盛平の写真及び映画(8ミリフィルム)を多く所有していた。
  • 合気会本部道場では水曜日夜の稽古を長年担当し、朝日合気会、一橋大学津田塾大学法政大学東海大学日本大学千葉工業大学等でも指導にあたった。
  • 長年の指導実績に加え、全日本合気道連盟高等評議会委員、同常任理事を歴任し、1959年から1974年まで合気会発行の「合気道新聞」の編集長を務めて合気道の普及に多大な貢献を成した。