有馬 広之(ありま ひろゆき、寛保3年(1743年) - 寛政2年2月12日1790年3月27日))は、江戸時代高家旗本堀川広益の次男。生母は秀小路の養女。初名は広福。通称は熊之丞、修理。官位は従四位上侍従・兵部大輔。

寛延2年(1749年)11月1日、将軍徳川家重御目見する。表高家に列する。宝暦6年(1756年)7月6日、父広益の死去により家督を相続する。宝暦7年(1757年)12月24日、高家職に就き、従五位下侍従・兵部大輔に叙任する。後に従四位上に昇進する。安永5年(1777年)4月4日、高家肝煎となる。安永7年(1779年)4月1日、堀川姓から有馬姓に改める。久留米藩有馬頼徸赤松氏庶流摂津有馬氏)と同じく村上源氏であったためである。寛政2年(1790年)2月12日死去、58歳。

正妻は牧野忠篤の養女。三男広春ら5男3女あり、そのうち1人は養女。

先代:
堀川広益
高家有馬家第2代当主
1756年 - 1790年
次代:
有馬広春