望月 右内(もちづき うない、1858年7月2日(安政5年5月22日[1][2])– 1917年大正6年)1月28日[1][2][3])は、明治・大正期の実業家政治家衆議院議員

望月右内

経歴 編集

紀伊国伊都郡、のちの和歌山県伊都郡見好村[1][2][4](現かつらぎ町)で、豪農・望月嘉八郎の長男として生まれる[1][2]。上田釆女の塾で学んだ[1][2][5]

1873年(明治6年)第四大区五小区役場書記に就任[1][5]。その後、兄井村総代、兄井・三谷・寺尾・平沼田・皮張五カ村戸長、伊都郡書記を歴任[1][5]。1883年(明治16年)6月、補欠選挙で和歌山県会議員に選出され[2]、1884年(明治17年)寺尾村外十三カ村戸長に就任したため県会議員を退任[1][5]。1886年(明治19年)補欠選挙で県会議員に再選され、その後1888年(明治21年)、1892年(明治25年)に再選され、1894年(明治27年)3月に辞任するまで在任[1][5]。この間、常置委員、県会議長を務めた[1][2][5]

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙で和歌山県第2区から出馬して初当選[1][3]。以後、第4回第7回から第10回総選挙まで和歌山県から選出され、1912年(明治45年)5月の第11回総選挙では東京府郡部から選出され、衆議院議員を通算7期務めた[1][3]。この間、立憲政友会協議員、同院内幹事などを務めた[4]

1892年(明治25年)紀和鉄道期成同盟会委員として上京し、同年9月に設立された鉄道同志会に加わり、その後会頭に就任[2][3][5]。1894年、衆議院議員に選出後、鉄道会議議員に就任[1][2][5]。同年6月の第6回帝国議会で鉄道関連法案の議決に尽力し、その後も帝国議会で鉄道建設を推進する活動を行った[2][6]紀和鉄道が創立され、1898年(明治31年)1月に取締役となり、その後社長を務めた[2]。第25帝国議会に帝国鉄道会計法の改正案[注 1]が提出されると、衆議院の特別委員会委員長として法案の成立に尽力した[2][6]

また、1904年(明治37年)東京電燈に入り、水力部長、支配人、常務取締役、取締役副社長を歴任した[1][2][3][5]

腎臓炎で療養中、1917年1月、東京府豊多摩郡中野町の自宅で死去した[7]

親族 編集

脚註 編集

注釈 編集

  1. ^ 従来の鉄道特別会計と鉄道用品資金を統合して一つの特別会計にする法案。『鉄道先人録』357頁。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『和歌山県議会歴代議員名鑑』94-95頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『鉄道史人物事典』420-421頁。
  3. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』645頁。
  4. ^ a b 『立憲政友会功労者追遠録』489-490頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j 『和歌山県史 人物』478頁。
  6. ^ a b 『鉄道先人録』357頁。
  7. ^ 『大正過去帳』117頁。

参考文献 編集

  • 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
  • 『和歌山県議会歴代議員名鑑』和歌山県議会、1969年。
  • 日本交通協会鉄道先人録編集部編『鉄道先人録』日本停車場株式会社出版事業部、1972年。
  • 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
  • 和歌山県史編さん委員会編『和歌山県史 人物』和歌山県、1989年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 鉄道史学会編『鉄道史人物事典』日本経済評論社、2013年。