朝倉 景盛(あさくら かげもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将朝倉氏の家臣。

 
朝倉景盛
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
別名 孫六、孫六郎(通称)
官位 出雲守
主君 朝倉義景織田氏
氏族 朝倉氏
父母 朝倉景尚
景茂
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略歴 編集

永禄10年(1567年)に足利義昭敦賀から一乗谷へと移住を行った際、景盛は主君・朝倉義景と共に義昭を出迎えた。永禄11年(1568年)に義景の館を足利義昭が訪問した際は、義昭へのみやげ物を景盛が運搬している。

元亀2年(1572年)に近江国織田信長が虎御前山城を築いた際には義景に従い出陣。織田軍への夜襲を成功させた事もあるが、戦局を覆すほどのものではなく、朝倉氏が元亀3年(1573年)に滅びると、織田の軍門に下った。

その後起こった越前一向一揆で戦死したともいわれている。