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Destroyer Asagiri.jpg
艦歴
発注 昭和2年度艦艇補充計画
起工 1928年12月12日
進水 1929年11月18日
就役 1930年6月30日
その後 1942年8月28日戦没
除籍 1942年10月1日
性能諸元(計画時)
排水量 基準:1,680t 公試:1,980t
全長 118m (水線長:115.3m)
全幅 10.36m
吃水 3.2m
機関 ロ号艦本式缶4基
艦本式タービン2基2軸 50,000hp
速力 38.0ノット
航続距離 14ktで5,000浬
乗員 219名(もしくは220名)
兵装 50口径12.7cm連装砲 3基6門
13mm単装機銃 2挺
61cm3連装魚雷発射管 3基

朝霧(あさぎり)は、日本海軍駆逐艦[1]吹雪型駆逐艦(特型)の13番艦(特II型の3番艦)[2][3]。 霧級に属する[4][5]。 この名を持つ日本海軍の艦船としては春雨型駆逐艦朝霧」に続いて2隻目。

目次

概要編集

駆逐艦朝霧(あさぎり)は、日本海軍が佐世保海軍工廠で建造した吹雪型駆逐艦で、1930年(昭和5年)6月末に竣工した。同年12月、新編の第8駆逐隊に所属した[6]1939年(昭和14年)11月1日、従来の第8駆逐隊は「第20駆逐隊」に改称した[注 1][7]

太平洋戦争大東亜戦争)開戦時、ひきつづき霧級4隻(朝霧、天霧、夕霧、狭霧)で第20駆逐隊を編制し、第三水雷戦隊に所属した[1][8][9]。三水戦は馬来部隊(指揮官小沢治三郎南遣艦隊司令長官)として南方作戦にともなうマレー作戦蘭印作戦に従事した[1][10][11]。2月中旬には、軽巡洋艦由良等と共に連合軍商船や小艦艇を掃蕩した[12]

開戦からまもなく、第20駆逐隊は狭霧を喪失[13][14]、代艦として1942年(昭和17年)3月10日付で吹雪型駆逐艦白雲が第20駆逐隊に編入された[15][16]。 定数4隻(朝霧、天霧、夕霧、白雲)となった第20駆逐隊は、3月下旬から4月上旬にかけてのアンダマン・ニコバル諸島攻略作戦ベンガル湾機動作戦、6月のミッドウェー作戦(戦艦部隊護衛)、7月下旬のB作戦に従事した[17][9]

8月上旬以降のガダルカナル島攻防戦にともない、第三水雷戦隊(軽巡川内、第20駆逐隊)[注 2]は日本陸軍川口支隊の輸送船2隻を護衛し、川口支隊をガダルカナル島へ輸送することになった[18][19]。24日、トラック泊地を出撃してガダルカナル島へむけ進撃中、上級部隊の命令変更により第20駆逐隊だけでガダルカナル島へ向かうことになった[20][21]。 8月28日、「朝霧」はサンタイサベル島付近で米軍のSBDドーントレス急降下爆撃機による空襲を受けて沈没した[注 3][17]。 同時に空襲をうけた「夕霧」[9]と「白雲」[15]も大破する[23]。第20駆逐隊の健在艦は「天霧」のみとなり、10月1日付で解隊された[24]

艦歴編集

太平洋戦争以前編集

仮称艦名は第47号駆逐艦[25]1928年(昭和3年)9月11日、「天霧」と「朝霧」は吹雪型駆逐艦に類別される[2]。同年12月12日、朝霧(第47号駆逐艦)は佐世保海軍工廠で起工[26][27]1929年(昭和4年)11月18日、進水[27][28]

1930年(昭和5年)3月7日、佐世保海軍工廠内の朝霧艤装員事務所は事務を開始する[29]。6月23日、朝霧艤装員事務所を撤去する[30]。6月30日、竣工[27]。 同年12月1日、日本海軍は「天霧」と「朝霧」で第8駆逐隊を新編した[6]。 12月3日、舞鶴海軍工廠で姉妹艦「夕霧」が竣工[31]、同日付で第8駆逐隊に編入された[32]。司令駆逐艦は「天霧」であった[33]第二水雷戦隊所属。

1931年(昭和6年)1月末、浦賀船渠で姉妹艦「狭霧」が竣工し[34][35]、31日付で第8駆逐隊に編入された[36]。8駆は霧級4隻(天霧、朝霧、夕霧、狭霧)を揃えた[36]

1932年(昭和7年)、第一次上海事変において長江水域の作戦に参加。5月19日、狭霧は新編の第10駆逐隊(狭霧、漣)に転出した[37]。第8駆逐隊は霧級3隻(天霧、朝霧、夕霧)で行動することになった[38]

日中戦争に際しては1937年(昭和12年)以降、上海杭州湾上陸作戦、北部仏印進駐に参加。 1939年(昭和14年)11月1日、日本海軍は駆逐隊の名称を変更する[7]朝潮型駆逐艦4隻(朝潮大潮満潮荒潮)で編制されていた第25駆逐隊を第8駆逐隊と改名する[7]。吹雪型・霧級3隻(朝霧、夕霧、天霧)の第8駆逐隊は第20駆逐隊に改称した[7]

1940年(昭和15年)5月1日、日本海軍は第一艦隊麾下に第三水雷戦隊を新編した[39]。編制当初の三水戦は、川内型軽巡洋艦川内、第12駆逐隊(叢雲、白雲、東雲、薄雲)、第20駆逐隊(朝霧、夕霧、天霧)である[40]。 8月1日、「狭霧」が第20駆逐隊に編入され[35]、同隊は吹雪型・霧級4隻(朝霧、夕霧、天霧、狭霧)となった[41][42]。 同年9月、第三水雷戦隊(旗艦川内)は北部仏印進駐にともなう陸軍輸送船団護衛任務に従事した。

太平洋戦争前期編集

太平洋戦争開戦時[43]、第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将:軽巡〈川内〉、第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪〉、第12駆逐隊〈叢雲、白雲、東雲〉、第19駆逐隊〈浦波、磯波、綾波、敷波〉、第20駆逐隊〈天霧[44]、朝霧[45]、夕霧[31]、狭霧[35]〉)は馬来部隊(指揮官小沢治三郎南遣艦隊司令長官、旗艦「鳥海」)に所属し、他部隊からの編入部隊(第七戦隊の最上型重巡洋艦、軽巡由良鬼怒[46]と共に南方作戦におけるマレー作戦に従事した[47][48]。 12月24日、ボルネオ島方面作戦に従事していた姉妹艦狭霧がオランダ海軍潜水艦K XVIに撃沈された[49][13]。第20駆逐隊は霧級3隻(天霧、朝霧、夕霧)となった[14]

1942年(昭和17年)1月24日、第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将指揮下の輸送部隊はマレー半島シンゴラを出撃、エンダウにむかった[50]。輸送船2隻を、護衛部隊(三水戦旗艦「川内」、第11駆逐隊〈白雪、初雪、吹雪〉、第20駆逐隊〈朝霧、夕霧、天霧〉、第1掃海隊、特設掃海艇2隻)で護衛する[51]。26日にエンドウに到着したところ、イギリス軍機による空襲により輸送船に若干の被害があった[51]。 1月27日未明、連合軍駆逐艦「サネット」と「ヴァンパイア」がエンダウに到着、泊地に停泊中の日本軍輸送船団を襲撃した[52]。第三水雷戦隊の反撃により「サネット」は沈没、「ヴァンパイア」は損傷して戦場から避退した[53][54]

2月上旬、第三十八師団(師団長佐野忠義陸軍中将)がスマトラ島パレンバンを攻略することになり[55][56]、馬來部隊[注 4]は陸軍輸送船団の護衛をおこなった[57][58][59]。 同時期、マレー半島では日本陸軍がシンガポールに迫り、連合軍艦船は同地から南方への脱出を開始する[60]。馬来部隊各艦は、輸送船団護衛と並行して連合軍艦船の捕捉につとめた[61][62]シンガポールの戦い[12]。2月13日、吹雪と朝霧は特設敷設艦1隻と商船1隻の撃沈を報じた[63]。 2月14日午前8時、護衛隊指揮官(第三水雷戦隊司令官橋本信太郎少将)は護衛部隊の部署を変更し「一 川内及第十一駆逐隊第一小隊[注 5]ハ輸送船隊ニ合同ス/二、由良、朝霧、吹雪ハ由良艦長指揮ノ下ニ本海面ヲ機宜行動 敵艦船ノ攻撃ニ任ジ輸送船隊南下スルニ従ヒ之ガ北方ヲ警戒スル如ク行動セヨ/三 吹雪ハ一八〇〇輸送船隊ニ合同セヨ(輸送船隊ノ「バンカ」水道進入ヲ掩護セシムル予定)」と命じた[63]。由良艦長三好輝彦大佐の指揮下3隻(由良、朝霧、吹雪)はバンカ島スマトラ島間のムントク泊地で、哨戒と掃蕩任務に従事する[64]。同日夜、3隻は日本陸軍小規模船団を攻撃していたイギリス軍特設掃海艇(707トン)[65]を発見し、共同で撃沈した[66]。 翌15日、由良は朝霧を率いてムントク泊地を哨戒し[67]、イギリス商船1隻と特設掃海艇(953トン)を撃沈した[65]

同15日、日本軍輸送船団を攻撃するためカレル・ドールマン提督指揮下のABDA艦隊(重巡1隻、軽巡4隻、駆逐艦8隻)[68]がガスパル海峡を北上してきた[69][70]。だがABDA艦隊は空母龍驤の攻撃隊と基地航空部隊の空襲により撃退されジャワ島バタビヤにむけ反転したため[71]、水上艦同士の海戦には至らなかった[72][73]。その後、由良と朝霧は他艦と共にムントク泊地周辺の警戒任務に従事した[74][75]。16日夕刻、由良と朝霧はイギリス軍砲艇を捕獲した[76]。17日、南方部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官)はマレー作戦終了にともない兵力区分の変更を発令、馬來部隊の一部部隊は21日付で蘭印部隊(指揮官高橋伊望第三艦隊司令長官)に転じた[77]

同年3月10日、日本海軍は第12駆逐隊を解隊し、同駆逐隊所属だった駆逐艦白雲を第20駆逐隊に編入した[16][78]。第20駆逐隊は吹雪型4隻(夕霧、朝霧、天霧、白雲)となり、引き続き馬来部隊(指揮官小沢治三郎第一南遣艦隊司令長官)として、麾下各部隊・各艦(鳥海、由良、香椎、占守、龍驤、熊野、鈴谷、三隈、最上)などと共に北部スマトラ攻略作戦(T作戦)[79][80]アンダマン諸島攻略作戦(D作戦)[81]とビルマ攻略作戦(U作戦)[82][83]、ベンガル湾機動作戦などに従事した[84]

4月初旬、南雲機動部隊のセイロン島攻撃に策応し、小沢中将指揮下の馬来部隊機動部隊はベンガル湾で通商破壊作戦を実施した[85][86]。第20駆逐隊4隻は中央隊(鳥海、由良、龍驤、夕霧、朝霧)、北方隊(熊野、鈴谷、白雲)、南方隊(三隈、最上、天霧)に区分されて行動した[87][88]。 作戦実施直前の4月3日0645(日本時間)、南アンダマン島ポートブレアに停泊していた機動部隊警戒部隊(第三水雷戦隊)に対し連合軍爆撃機が空襲を敢行、夕霧は至近弾で若干の損傷を受けた[89](戦闘航海に影響なし)[90]。翌日以降、馬来部隊機動部隊はベンガル湾に進出し、4月6日の作戦で大きな戦果を挙げた[89][91]。中央隊の由良・龍驤・夕霧は艦砲射撃により商船3隻を撃沈している[92]。朝霧と夕霧は、由良による商船撃沈を支援した[93]。 作戦後、機動部隊各艦は燃料補給を行いつつベンガル湾を離れ、4月11日シンガポールに帰投した[94]。同地到着前日の10日、連合艦隊は第二段作戦第一期兵力部署を発動し、第三水雷戦隊は主隊に編入された[95]。朝霧や夕霧と共に行動していた由良は、第四水雷戦隊旗艦に転じた[96]

第二段作戦編集

南方作戦が一段落すると、馬来部隊に編入されていた各部隊・各艦(第三水雷戦隊を含む)は内地に帰投した[95]。5月下旬より、第三水雷戦隊はミッドウェー作戦に従事した。 連合艦隊司令長官山本五十六大将直率の主隊は[97]、第一戦隊(大和、長門、陸奥)、第二戦隊(山城、扶桑、伊勢、日向)、第九戦隊(北上、大井)、第三水雷戦隊(軽巡〈川内〉、第11駆逐隊〈初雪、白雪、吹雪、叢雲〉、第19駆逐隊〈磯波、浦波、敷波、綾波〉、第20駆逐隊〈夕霧、朝霧、天霧、白雲〉)、他部隊からの駆逐隊(第24駆逐隊〈海風、山風、江風、涼風〉[注 6]、第27駆逐隊〈時雨、白露、有明、夕暮〉)、空母隊(鳳翔、夕風)、特務隊(千代田、日進)[注 7]、燃料補給部隊であった[100]

5月29日朝、主力部隊は桂島泊地を出撃した[101]。第20駆逐隊は第一艦隊司令長官高須四郎中将指揮下の警戒部隊(第二戦隊〈伊勢、日向、山城、扶桑〉、警戒隊〈指揮官岸福治第九戦隊司令官:第九戦隊〔北上、大井〕[102]、第24駆逐隊〔海風、江風〕、第27駆逐隊〔夕暮、白露、時雨〕、第20駆逐隊〔天霧、朝霧、夕霧、白雲〕〉、第二補給隊〔さんくらめんて丸、東亜丸、山風〕)に区分されており[103]、6月4日0500に主力部隊主隊(山本長官直率)と分離した[104]。 海戦に敗北したあと内地にもどった三水戦は[105]、6月下旬より奄美大島方面で対潜掃蕩に従事した。

7月下旬、第三水雷戦隊はインド洋方面通商破壊を主目的とする「B作戦」に従事するため[106][107]マレー半島西岸メルギーに進出した[108][109]。 B作戦参加部隊の兵力部署において、第20駆逐隊は三水戦司令官指揮下の機動部隊・北方隊(軽巡〈川内〉、第19駆逐隊〈浦波、敷波、綾波〉、第20駆逐隊〈夕霧、朝霧、天霧、白雲〉)[注 8]に所属していた[111]

8月7日、ガダルカナル島攻防戦の開始にともないB作戦は中止される[112][113]。B作戦参加部隊は、とりあえず第七戦隊司令官西村祥治少将の指揮下でダバオ回航を命じられた[注 9][114][115]。第20駆逐隊はマカッサルとダバオを経由して、8月23日までにトラック泊地に進出した[116]

8月24日から25日にかけての第二次ソロモン海戦の敗北にともない、日本海軍は軽快艦艇による急速輸送作戦(鼠輸送)を開始する[117][21]ガダルカナル島にむけ南下中だった第三水雷戦隊(川内、第20駆逐隊、輸送船2隻/川口支隊乗船)は予定を変更し、川口支隊将兵のうち約600名が洋上で第20駆逐隊(夕霧、朝霧、天霧、白雲)に移乗、ガ島にむかった[116]。ショートランド泊地から出撃した第24駆逐隊(海風、江風、磯風)[注 10]との合同を予定して行動中の8月28日午後、第20駆逐隊はサンタイサベル島東方海域でガ島ヘンダーソン飛行場から飛来したSBDドーントレス急降下爆撃機[118]の空襲をうけ「朝霧」は沈没、「夕霧」と「白雲」が大破、第一次鼠輸送作戦は完全に失敗した[20][119]。沈没に至る経過は、以下のとおり。

ガダルカナル島の戦い編集

1942年(昭和17年)8月7日時点で、第十七軍はポートモレスビー作戦のためフィリピンパラオからラバウルにむけ移動中で、第十七軍司令部(司令官百武晴吉陸軍中将、参謀長二見秋三郎陸軍少将)はラバウルに進出済みであった[120][121]。同日朝、第八艦隊より「輸送船25隻をふくむ米軍大部隊ガダルカナル島来襲」の速報を知らされ、さらにガ島奪回作戦のため陸軍兵力の提供を要請された第十七軍は、パラオ諸島の川口支隊(歩兵第35旅団の2コ大隊基幹、旅団長川口清健陸軍少将)[122]ならば派遣可能と回答した[123]。第十七軍は川口支隊のラバウル進出を急がせると共に、大本営に対して対応を要請した[124]

8月12日、大本営陸海軍部は陸海軍中央協定を締結[125][126]、ガダルカナル群島要地奪還作戦を「カ」号作戦と命名した[127][128]。13日、第三水雷戦隊のうち「川内」と第20駆逐隊は南東方面部隊(指揮官塚原二四三第十一航空艦隊司令長官)に編入された[129][130]。 8月16日、パラオ諸島にあった日本陸軍第十七軍隷下の川口支隊は輸送船「佐渡丸」と「浅香丸」に分乗、同地を出発してトラック泊地にむかった[131][132]

8月18日、南東方面日本陸海軍(第十一航空艦隊〈司令長官塚原二四三海軍中将〉、第八艦隊〈司令長官三川軍一海軍中将〉、第十七軍〈司令官百武晴吉陸軍中将〉)は現地協定を結ぶ[133][134]。川口支隊をガ島へ揚陸するにあたり、第三水雷戦隊(司令官橋本信太郎少将)は同部隊輸送船の護衛を命じられた[注 11][135][136]。 8月20日、川口支隊の輸送船2隻はトラック泊地に到着した[137][131]。 8月23日、第三水雷戦隊もトラック泊地に到着、三水戦司令官橋本信太郎少将と川口支隊長の間で作戦協定がおこなわれた[138]。川口旅団長は敵航空機と潜水艦の活動活性化を理由に第十七軍・第八艦隊の協定案を逸脱した輸送航路を主張して、立ち会った神重徳第八艦隊参謀と越次一雄第十七軍参謀を手こずらせた[139]

8月24日、第三水雷戦隊の大部分は外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)に編入される[140]。同日午前10時[141]、三水戦(軽巡〈川内〉、第20駆逐隊〈夕霧、朝霧、天霧、白雲〉)[138][注 12]は輸送船2隻(佐渡丸、浅香山丸。川口支隊主力約5000名)を護衛してトラック泊地を出撃する[18][143]。ガ島到着予定日は28日[141]。トラック泊地出撃時、第20駆逐隊は燃料を満載できなかったという[144]

24日から25日にかけて、日本海軍は第二次ソロモン海戦に敗北した[145](空母龍驤沈没、水上機母艦千歳損傷)[146]。第二水雷戦隊が護衛していた輸送船団もガダルカナル島ヘンダーソン飛行場から飛来したSBDドーントレスエスピリトゥサント島から飛来したB-17による空襲で輸送船金龍丸と駆逐艦睦月が沈没、旗艦神通損傷の被害を受け、ラバウルに撤退していた[147][148][149]。 連合艦隊は船団方式による上陸作戦を中断し[150]、軽快艦艇(駆逐艦、旧式駆逐艦改造の哨戒艇など)による急速輸送作戦の実施を命じた[注 13][151]鼠輸送[152][153]。 外南洋部隊(第八艦隊)は連合艦隊の命令に同意したが、南東方面部隊(第十一航空艦隊)は第十七軍と協議の上で、機動部隊(指揮官南雲忠一第三艦隊司令長官)の掩護下における輸送船団ガ島強行突入を各方面に通知した[154][155]。だが、連合艦隊は南東方面部隊の作戦を認めなかった[156][157]

8月26日[158][159]、南東方面部隊も連合艦隊の小艦艇緊急輸送作戦に同意した[注 14][注 15]。 この命令により三水戦と輸送船2隻によるガ島突入は中止され[159]、第20駆逐隊(夕霧〈司令駆逐艦〉、朝霧、天霧、白雲)のみ川口支隊陸兵600名をガ島へ揚陸、3隻(川内、佐渡丸、浅香丸)はラバウルに戻ることになった[注 16][141]。 第十七軍では、日本海軍の能力と姿勢に対する不信感が広まった[160][159]。そして連合艦隊参謀長に対し、川口支隊を予定期日どおり上陸させるべく最善の努力を払うよう要望した[161][159]。大本営に対しては「現状ニ於テハ輸送船ヲ以テスル上陸ハ掩護ニ自信ナシトスル聯合艦隊ノ意見ニ依リ止ムナク左ノ如ク上陸ヲ変更ス」として、鼠輸送による上陸日程を報告した[161][159]

同日夕から夜にかけて、陸軍一木支隊第二梯団[注 17]瑞鶴隊掩護下で、順次ブーゲンビル島ショートランド泊地に帰着した[注 18][158][164]。 南東方面部隊の鼠輸送開始命令をうけた外南洋部隊増援部隊指揮官(二水戦司令官田中頼三少将、旗艦「陽炎」)[注 19]は、第24駆逐隊司令村上暢之助大佐指揮のもと駆逐艦3隻(海風江風磯風)による一木支隊増援部隊(人員約350名、速射砲4門、糧秣1300名一週間分)[141]ガ島輸送を命じた[注 20][165]。 陸軍将兵は徹夜で輸送船から駆逐艦3隻に移乗した[165]。3隻がショートランド泊地を出発したのは翌27日0530であった[166]

一方、8月26日時点で川口支隊輸送船団(川内、朝霧、夕霧、天霧、白雲、佐渡丸、浅香丸)はソロモン諸島北方海域を南下していた。南東方面部隊の命令をうけ、三水戦司令官橋本信太郎少将は川口支隊長と協議する[19]。同日夜半、北緯01度05分 東経156度35分 / 北緯1.083度 東経156.583度 / 1.083; 156.583地点で川口支隊約600名は輸送船2隻から第20駆逐隊(朝霧、夕霧、天霧、白雲)[注 21]に移乗し、27日2100タイボ岬着を予定して南下を開始した[19]。川内は輸送船2隻(川口支隊長は佐渡丸乗船)を護衛してラバウルにむかった[注 22][141][20]

8月27日朝、第20駆逐隊はオントンジャワ島の西50浬で、連合軍飛行艇1機に発見され触接された[167]。外南洋部隊指揮官(第八艦隊司令長官三川軍一中将)は増援部隊に対し「二十八日夜『タイボ』岬ニ揚陸セシムベシ」と命じた(南東方面部隊の命令は27日夜にタイボ岬揚陸)[19]。つづいて「第二十四駆逐隊及び『磯風』は引き返せ」(二水戦受信1138)と命じた[19]。駆逐艦3隻(海風、江風、磯風)は外南洋部隊の命令により反転し、同日夕刻ショートランドに帰投した[168]。 また外南洋部隊はサンタイサベル島北方海域を南下中の第20駆逐隊に対して、ショートランド泊地での仮泊と増援部隊(二水戦)指揮下での28日揚陸を下令した[168]。27日は天候不良のため基地航空部隊(第十一航空艦隊)のガ島空襲が不徹底だったうえ、第三艦隊の戦闘機隊約30機が28日以降ブカ島基地に進出予定であった[169]。これらの要素から、ガ島揚陸日を延期したのである[167]。外南洋部隊は、28日に第20駆逐隊・第24駆逐隊合同でガ島揚陸をおこなうよう指導した[19]。だが第20駆逐隊司令は吹雪型駆逐艦の航続力と残燃料の不足[144]、ショートランド泊地での補給時間の観点からショートランド寄港は困難と判断した[19]。そこで増援部隊(二水戦)に対し「第20駆逐隊はイサベル島北方付近を機宜行動し、28日午後フロリダ島付近で第24駆逐隊と合同したい」と申し入れた[19]。増援部隊指揮官(二水戦司令官)は「第20駆逐隊は28日1600イサベル島南東ルアディカ島の20度60浬付近で第24駆逐隊と合同し、以後は第24駆逐隊司令の指揮を受けるよう」下令した[170]。 南東方面部隊(第十一航空艦隊)と外南洋部隊(第八艦隊)が異なった命令を出したことで外南洋部隊増援部隊(二水戦)は混乱した[19]。この行動の遅滞が、第20駆逐隊の大損害につながった[19]

8月28日、外南洋部隊(第八艦隊)は、南東方面部隊(第十一航空艦隊)や第十七軍と協議をおこない、一木支隊と川口支隊の輸送計画をまとめた[注 23][171][172]。第20駆逐隊と増援部隊の第一次輸送に関しては「一 第一次 二十八日夜一木支隊一〇〇〇名(第二十四駆逐隊、磯風、陽炎、哨戒艇四) 川口支隊六〇〇名(第二十駆逐隊)」であった[173]。 同日0600、第24駆逐隊(海風、江風、磯風)は一木支隊増援部隊をのせてショートランド泊地を出撃する[174]。同時刻、イサベル島北方の洋上で待機していた第20駆逐隊(夕霧、朝霧、天霧、白雲)も、第24駆逐隊と合同するため南下を開始した[175]。ガ島で揚陸終了後、第20駆逐隊はショートランド泊地で「あけぼの丸」より燃料補給予定である[174]。駆逐艦の輸送を外南洋部隊支援部隊(指揮官五藤存知第六戦隊司令官)の重巡青葉古鷹が支援することになり、また同戦隊の重巡衣笠はショートランド泊地に寄港して外南洋部隊増援部隊に編入された[176]。増援部隊指揮官(第二水雷戦隊司令官田中頼三少将)は陽炎から衣笠に移乗して将旗を掲げ、衣笠は増援部隊旗艦(第二水雷戦隊旗艦)となった[168][176]

各部隊が行動を開始したあとの同日0820、第20駆逐隊は南緯07度05分 東経158度55分 / 南緯7.083度 東経158.917度 / -7.083; 158.917地点でB-17に触接された[177]。燃料不足のため低速しか発揮できず、早めに行動を開始したことが裏目に出て、昼間のうちに敵機の空襲圏内に入ってしまった[175][167]。第20駆逐隊は昼過ぎから日没時にかけて、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地[118]より発進した米軍急降下爆撃機SBDドーントレス十数機(偵察のSBD2機、海兵隊のSBD11機)[144]より空襲をうける。天霧駆逐艦長の報告によれば襲撃地点は南緯08度13分 東経160度07分 / 南緯8.217度 東経160.117度 / -8.217; 160.117[177]。朝霧は日没五分前ころ、爆弾2発を被弾した[177]。1発目は缶室で爆発して大火災となり、2発目は前部魚雷発射管に命中した[177]魚雷の誘爆により朝霧は轟沈した[177]。生存者は艦長以下8名、下士官兵128名[177]。戦死した朝霧機関長は、侍従武官城英一郎大佐の義弟であった[178]。朝霧沈没にともなう川口支隊(歩兵第124連隊第七中隊)の被害は、戦死62名、重軽傷5名、大隊砲2門と弾薬喪失[177]、生存者87名[175]

朝霧沈没のほかにも、白雲が被弾して航行不能となり、夕霧は至近弾により機関部に損傷をうけた[177](第20駆逐隊司令山田雄二大佐戦死)[175]。第20駆逐隊の被害は重巡青葉飛行機も確認し、第六戦隊は「青葉飛行機ノ偵察ニ依レバ味方駆逐艦三隻一六五〇沈没セリ、地点『ラモス』島附近」と報告している[177]。白雲は天霧に曳航され、速力6ノットででショートランド泊地へ向かった[175]。駆逐艦陽炎(第15駆逐隊)が救援に向かい、29日昼頃に合同した[144]。 8月30日0600~0730までに、陽炎と第20駆逐隊(夕霧、天霧、白雲)はショートランドに到着した[179]。なお第24駆逐隊司令(海風)は「本日ノ揚陸ヲ断念シ引返ス、二十八日一九二五」「第二十駆逐隊ノ被害ニ鑑ミ敵航空兵力撃滅後ニ非ザレバ損害大ナルノミニシテ成功ノ算尠キモノト認ム」と発信、独断でガ島突入を中止してショートランド泊地に帰投した[175][144]。増援部隊指揮官(田中少将)も同様の判断を下し、哨戒艇4隻の出撃を取り消した[注 24][144]。第一次鼠輸送作戦は大失敗に終わった[167][180]

10月1日、「朝霧」は吹雪型駆逐艦[181]、帝国駆逐艦籍[182]のそれぞれから除かれた。 同日付で、第20駆逐隊も解隊された[24]。「夕霧」と「白雲」は呉鎮守府部隊に編入され[183][184]、警備駆逐艦となる[185]。「天霧」は第八艦隊に編入され[186]、ひきつづきソロモン諸島での作戦に従事した[8]

歴代艦長編集

※『艦長たちの軍艦史』278-279頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」による。

艤装員長編集

  • 池田七郎 中佐:1930年3月1日 - 1930年4月25日[187]

艦長編集

  • 池田七郎 中佐:1930年4月25日[187] - 1931年12月1日
  • 安富芳介 中佐:1931年12月1日 - 1932年12月1日
  • 難波祐之 中佐:1932年12月1日 - 1933年11月15日
  • 門前鼎 中佐:1933年11月15日 - 1934年3月10日
  • 木村昌福 中佐:1934年3月10日 - 1935年11月15日
  • 橘正雄 中佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
  • 松原博 中佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  • 阿部俊雄 中佐:1937年12月1日 - 1938年12月15日
  • 井上良雄 中佐:1938年12月15日 - 1939年11月1日
  • 宇垣環 少佐:1939年11月1日 - 1941年9月10日[188]
  • 荒井靖夫 少佐:1941年9月10日 -
  • 前川二三郎 少佐:1942年7月25日 -

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 同日付で、朝潮型駆逐艦4隻(朝潮、大潮、満潮、荒潮)で編制されていた第25駆逐隊(旧称)が第8駆逐隊(新称)に改編された。
  2. ^ 第三水雷戦隊隷下の第11駆逐隊と第19駆逐隊は別行動。
  3. ^ (昭和17年8月29日記事)一六〇〇、軍令部総長、戦況〔奏上〕。「ガダルカナル」上陸部隊川口支隊 20dgにて進撃中、二八日夕刻、敵(飛行機)の空襲を受け「朝霧」沈、其他も被害あり。24dg(一木支隊) 11dg(川口支隊)今夜上陸の予定、(長官)/8Fより強行を命ず。我(飛行機)は天候不良にて二八日空襲不能。[22]
  4. ^ L作戦時点での馬来部隊兵力部署は、主隊(鳥海、熊野、鈴谷、三隈、最上、由良、綾波、磯波、白雲)、第一護衛隊(川内、初雪、白雪、吹雪、朝霧)、第二護衛隊(香椎、占守、夕霧、天霧、第9号駆潜艇)、第一航空部隊(基地航空部隊)、第二航空部隊(神川丸、相良丸)、第三航空部隊(龍驤、敷波)、パレンバン遡航部隊(初鷹、第九根拠地隊)。他に浦波と叢雲がアナンバス諸島で合流予定。
  5. ^ 吹雪型駆逐艦「白雪」と「初雪」。
  6. ^ 第24駆逐隊所属の涼風は修理中のため、実際には同行せず[98]
  7. ^ 甲標的母艦2隻(千代田、日進)は主隊所属だが、連合艦隊より攻略部隊に続行するよう命じられていた[99]
  8. ^ 第19駆逐隊の磯波はMI作戦中止後内地へ帰投中に浦波と衝突、艦首切断により修理中[110]。三水戦の第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪、叢雲)は機動部隊・中央隊に区分。
  9. ^ 聯合艦隊電令作第一九八号(8月8日0200)(中略)(ハ)聯合艦隊電令作第一七四号ニ依ル作戦(註、B作戦)ヲ取止メ、第七戦隊、三水戦、第二駆逐隊、第十五駆逐隊、旭東丸、日本丸(南西部隊ヨリ除ク)ハ第七戦隊司令官指揮ノ下ニ八月十七日頃「ダバオ」ニ回航。(以下略)
  10. ^ 陽炎型駆逐艦磯風は第17駆逐隊に所属するが、本作戦では第24駆逐隊司令の指揮下で行動する。
  11. ^ 外南洋部隊電令作第三六号(8月19日1400)一 外南洋部隊ハ第十七軍ト協同シテ陸軍後続部隊ヲ速ニ「ガダルカナル」島附近迄護送、同地ヲ確保シ次デ「ツラギ」ヲ攻略セントス/二 第三水雷戦隊(駆逐隊二欠)ハ陸軍川口支隊(二大隊ヲ基幹トシ輸送船二隻ニ乗船)ヲ護衛、八月二十四日「トラック」発 北緯三度三四分、東経一六〇度二六分ヲ通ズル航路ヲ執リ八月二十八日日没後「ガダルカナル」島ニ達シ之ヲ揚陸セシムベシ、川口支隊ノ揚陸終了セバ駆逐艦二ヲ残シテ泊地警戒ニ任ゼシメ、爾余ノ兵力ヲ以テ輸送船ヲ「ラバウル」迄護送スベシ/第三水雷戦隊ノ駆逐隊一隊ハ「トラック」着補給ノ上速ニ「ラバウル」ニ進出スベシ 
  12. ^ 第三水雷戦隊隷下の第11駆逐隊(初雪、白雪、吹雪)は8月25日ラバウル到着[142]。三水戦隷下の第19駆逐隊(浦波、敷波、綾波)は8月下旬時点で機動部隊前衛(第十一戦隊司令官阿部弘毅少将)に所属。
  13. ^ 聯合艦隊機密二五一二〇〇番電 「カ」号作戦ハ左ニ依リ実施ノ方針ナルニ付、至急陸軍ト協定準備ヲ進メラレ度/一 一木支隊 川口支隊ノ輸送船ハ一時「ボーゲンビル」方面ニ避退、ナルベク多兵力ヲ軽快艦艇ニテ逐次「ガダルカナル」島ニ輸送、「ガダルカナル」守備兵力ノ増強ヲ俟ッテ飛行場ヲ奪回/二 基地航空部隊、軽快艦艇、潜水艦等ニ依リ「ガダルカナル」飛行場ノ空襲攻撃ヲ昼夜反復シテ敵機竝ニ飛行場ヲ撃摧スルト共ニ敵ノ増援ヲ阻止ス/三 飛行場ヲ奪回セバ速ニ飛行機ヲ進出、次イデ陸軍輸送船ヲ「ガダルカナル」島ニ進出セシム/四 前進部隊機動部隊ハ「ソロモン」群島北方海面ヲ機動シ敵機動部隊ニ備フ 
  14. ^ (南東方面部隊指揮官、8月26日0750発令)一 川口支隊ハ予定変更シ直ニ「ラバウル」ニ回航、海軍艦艇ニ分乗ノ上「ガ」島ニ上陸セシムルニ決ス/二 川口支隊ノ約一個大隊(約六〇〇名)「ラバウル」ニ回航ノ途次洋上ニテ第二十駆逐隊ニ移乗ノ上二十七日「ガ」島ニ上陸セシムベシ 但海上模様右ノ移乗ニ適セザル場合「ラバウル」ニ回航スベシ/三 直接護衛兵力ハ直ニ別途手配ス 
  15. ^ 南東方面部隊電令作第一五号(二水戦、8月26日1138受信)第二梯団ハ予定ヲ改メ直チニ「ショートランド」ニ回航 乗船中ノ陸軍兵力ヲ海軍艦艇ヲ以テ輸送「ガダルカナル」島ニ上陸セシムベシ 右ニ依ル第一次上陸ヲ二十七日夜ト予定 
  16. ^ (8月26日午前7時、第十七軍命令)一 川口支隊ハ約一大隊(約六〇〇名)ヲ洋上ニ於テ駆逐艦ニ移乗シ二十七日夜「ガ」島ニ上陸セシメ残余ハ「ラバウル」ニ前進 海軍艦艇ニ移乗ノ後速ニ「ガ」島ニ上陸シテ現任務ヲ遂行スヘシ 成ルヘク多クノ弾薬、糧秣ヲ携行スベシ 但シ洋上ノ移動困難ナル場合ハ前項約一大隊ハ主力ト行動ヲ友ニセシムヘシ/二 一木支隊第二梯団ハ「ショートランド」ニ於テ海軍艦艇ニ移乗シ二十七日夜「ガ」島ニ上陸セシム 
  17. ^ 沈没した金龍丸と睦月生存者は軽快艦3隻(駆逐艦弥生第1号哨戒艇第2号哨戒艇)に収容し8月27日0330ラバウル帰投[162]。駆逐艦陽炎〔二水戦司令官田中頼三少将旗艦〕、磯風、海風、第34号哨戒艇第35号哨戒艇、輸送船(ぼすとん丸、大福丸)は8月26日昼以降、ショートランド帰投。
  18. ^ 8月26日1920(東京時間)陽炎・海風ショートランド着、同日2200に磯風・江風・第34号哨戒艇・第35号哨戒艇・ぼすとん丸・大福丸着。ほかに3隻(特設水上機母艦讃岐丸神川丸、駆逐艦夕立)は8月26日付で外南洋部隊増援部隊編入、他の特設水上機母艦と共にショートランド在泊もしくは同方面で行動[163]
  19. ^ 空襲で損傷した神通は、駆逐艦涼風(第24駆逐隊)に護衛されてトラック泊地に退却、二水戦司令官は駆逐艦陽炎(第15駆逐隊)に将旗を掲げた。
  20. ^ 外南洋部隊増援部隊信令作第六号(8月26日1630下令)一 一木先遣隊ハ「タイボ」岬付近ヲ確保後続部隊ノ来援ヲ待チツツアリ/二 護衛部隊ハ急速一木支隊増援隊〔歩兵約三〇〇名速射砲四門(砲員約六〇名)糧食弾薬〕ヲ駆逐艦三隻ニ分乗輸送シテ二十七日「ガ」島ニ揚陸セントス/三 第二十四駆逐隊司令ハ磯風ヲ指揮下ニ入レ陸軍増援隊ヲ第二十四駆逐隊(涼風欠)及磯風ニ分乗二十七日夜「ガ」島「タイボ」岬ニ上陸セシムベシ 
  21. ^ 『戦史叢書83巻』22頁で第二十駆逐隊(天霧、朝霧、夕雲、白雲)と記述するが、夕霧の誤記。夕雲型駆逐艦「夕雲」は第10駆逐隊所属。
  22. ^ 川口支隊主力船団は、8月28日午前1時30分ラバウル到着。
  23. ^ 第十七軍 第十一航空艦隊ト協議ノ結果「ガ」島方面揚陸日程左ノ通協定セリ/一 第一次 二十八日夜一木支隊一〇〇〇名(第二十四駆逐隊、磯風、陽炎、哨戒艇四) 川口支隊六〇〇名(第二十駆逐隊)/第二次 二十九日川口支隊四五〇名(第十一駆逐隊)/第三次 三十日川口支隊一〇〇〇名(第二十駆逐隊)/第四次 三十一日川口支隊六五〇名(第十一駆逐隊、第一、第二号哨戒艇)/第五次 一日川口支隊一〇八〇名(第三次ニ同) 以上累計四七八〇名/二 上陸地点「タイボ」岬付近/三 陸軍運送船佐渡丸二十九日午前 浅香山丸ハ三十一日午前「ショートランド」進出重量物ハ第二梯団ノモノノ一隻又ハ二隻ニ積ミ替ヘ「ショートランド」ニ待機、爾余ノ運送船ハ適宜「ラバウル」ニ帰投(以下参考)第十七軍第一次ノ上陸概ネ順当ニ経過セバ其ノ完了後進撃ヲ開始九月四日頃ヨリ高射砲(射程一万米)ヲ以テ飛行場ヲ砲撃其ノ使用ヲ妨害シ得ベキモノト予想シアリ 
  24. ^ (8月28日1840)天霧第七三番電関連 敵機ノ跳梁スル現状ニ於テハ駆逐隊ヲ以テスル陸兵増援ハ成功ノ算尠キモノト認ム 

出典編集

  1. ^ a b c 歴群、水雷戦隊II 1998, pp. 88-89朝霧(あさぎり)
  2. ^ a b #海軍制度沿革(巻8、1940)コマ66(原本93頁)〔 ◎昭和三年九月十一日(内令二五四)艦艇類別等級表左ノ通改正ス 別表巡洋艦一等妙高型ノ項「鳥海」ノ下ニ「、摩耶」ヲ加フ 同砲艦二等勢多型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ |熱海型|熱海、二見| 同驅逐艦一等吹雪型ノ項「敷波」ノ下ニ「、天霧、朝霧」ヲ加フ 〕
  3. ^ #海軍制度沿革8(1971)pp.88-92、大正15年11月29日(内令238)、第35号型(第35,36,37,38,39,40,41,42,43号)制定。同書p.92、昭和2年4月26日(内令143)、「第44号」追加。同書p.92、昭和2年10月20日(内令341)、「第45号」追加。同書pp.92-93、昭和3年6月20日(内令160、8月1日施行)、吹雪型(吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波)に名称変更。同書p.93、昭和3年8月6日(内令212)、「敷波」追加。同書p.93、昭和3年9月11日(内令254)、「天霧」「朝霧」追加。同書p.93、昭和3年11月23日(内令323)、「狭霧」追加。同書p.93、昭和3年12月11日(内令356)、「夕霧」追加。同書p.94、昭和4年6月20日(内令177)、「朧」追加。同書p.94、昭和4年9月20日(内令222)、「曙」「漣」「潮」追加。同書p.94、昭和5年3月15日(内令43)、「暁」「響」「雷」「電」追加。
  4. ^ 日本軍艦集2600年版p.443『一等驅逐艦 天霧(あまぎり) (艦要目略) 所謂特型驅逐艦で、同型計23隻、この中霧級には天霧のほかに、朝霧、夕霧、狭霧の三隻がある。』
  5. ^ ポケット海軍年鑑(1937)コマ48(原本78頁)『一等驅逐艦"狭霧 さぎり"  全要目{排水量1,700噸 速力34.0節 備砲12.7糎砲6門 魚雷發射管9門 起工昭和4年3月 竣工昭和6年1月 建造所浦賀船渠會社} 特型驅逐艦はわが海軍驅逐艦の中堅主要部隊である。わが驅逐艦名のゆかしさは世界に比類のない、外國の追随を許さぬ詩的なものであるが、"吹雪"より始る特型驅逐艦は "吹雪 ふぶき" "初雪 はつゆき" "白雪 しらゆき" 雪級3隻(深雪が除籍された) 雲級4隻 "浦波 うらなみ" "磯波 いそなみ" "綾波 あやなみ" "敷波 しきなみ" 波級4隻 "天霧 あまぎり" "朝霧 あさぎり" "夕霧 ゆうぎり" 霧級4隻 外に"朧" "曙"等一文字名のものが8隻、合計23隻で各大體4隻づゝをもつて驅逐隊一隊を編制、時には水雷戰隊となり、或ひは航空戰隊に加はり、また警備戰隊に入つて活躍する。』
  6. ^ a b #海軍制度沿革4-1(1971)pp.94-95、昭和5年12月1日(内令229)
  7. ^ a b c d 昭和14年11月1日(水)海軍公報(部内限)第3349号 p.1』 アジア歴史資料センター Ref.C12070381800 『官房第五五八七號 本月十一月一日驅逐隊編制中改正竝ニ海軍定員令中改正施行ノ際現ニ左記上欄ノ隊ノ職員タル者ハ別ニ辭令ヲ用ヒズシテ各下欄ノ相當職員ニ補セラレタル義ト心得ベシ 昭和十四年十一月一日 海軍大臣』-『(従前ノ隊名)第八驅逐隊|(新隊名)第二十驅逐隊』-『第二十五驅逐隊|第八驅逐隊』-『呉防備隊|佐伯防備隊』
  8. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, p. 280b天霧(あまぎり)
  9. ^ a b c 陽炎型(光人社) 2014, pp. 280c-281夕霧(ゆうぎり)
  10. ^ 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 89a夕霧(ゆうぎり)
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  13. ^ a b 歴群、水雷戦隊II 1998, p. 89c狭霧(さぎり)
  14. ^ a b #内令昭和17年1月(2)pp.15-19〔 内令第七十號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和十七年一月十五日 海軍大臣嶋田繁太郎|第十二驅逐隊ノ項中「東雲、」ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「、狭霧」ヲ削ル|第二十九驅逐隊ノ項中「疾風、」ヲ削ル|第三十驅逐隊ノ項中「如月、」ヲ削ル 〕
  15. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, p. 275白雲(しらくも)
  16. ^ a b #内令昭和17年3月(1)、p.35〔 内令第四百十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年三月十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十一驅逐隊ノ項中「初雪」ノ下ニ「、叢雲」ヲ加フ |第十二驅逐隊ノ項ヲ削ル|第二十驅逐隊ノ項中「夕霧」ノ下ニ「、白雲」ヲ加フ 〕
  17. ^ a b 陽炎型(光人社) 2014, p. 280a朝霧(あさぎり)
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  24. ^ a b #内令昭和17年10月(1)、pp.1-2〔 内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「睦月」ヲ削ル 第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ 〕
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  26. ^ 公文備考 昭和5年 F 艦船 巻1(防衛省防衛研究所)官房機密第991号 3.9.15 佐廠機密第7号の110 駆逐艦朝霧工事予定概括表の件 p.03』 アジア歴史資料センター Ref.C05021160700 
  27. ^ a b c 幕末以降帝国海軍軍艦写真と史実コマ160(原本251頁)『吹雪型(十六隻) 艦種一等驅逐艦 艦名考風波等気象に採る。(略)朝霧 (起工)昭和3-12-12 (進水)4-11-18 (竣工)5-6-30 (建造所)佐世保工廠』
  28. ^ 昭和4年11月19日(火)海軍公報 第853号 p.12』 アジア歴史資料センター Ref.C12070323000 『○驅逐艦進水 佐世保海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦朝霧本月十八日午前九時十五分進水セリ』
  29. ^ 昭和5年3月12日(水)海軍公報 第941号 p.33』 アジア歴史資料センター Ref.C12070326200 『○事務所設置 驅逐艦朝霧艤装員事務所ヲ佐世保海軍工廠内ニ設置シ本月七日ヨリ事務ヲ開始セリ』
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    • 『昭和17年9月1日~昭和17年12月31日 呉鎮守府戦時日誌(3)』。Ref.C08030325700。
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/20駆隊機密第47号の42 第20駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120970600。
    • 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/20駆隊機密第39号の136 第20駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120980000。

関連項目編集