木の実ナナ

日本の女優、歌手

木の実 ナナ(きのみ ナナ、本名:池田 鞠子(いけだ まりこ)[1]1946年昭和21年〉7月11日 - )は、日本女優歌手である。東京都向島区寺島町(現在の墨田区東向島)出身[1]。所属事務所はダンカンミュージック。身長160cm。B85cm、W59cm、H86cm[2]

きのみ なな
木の実 ナナ
本名 池田 鞠子(いけだ まりこ)
生年月日 (1946-07-11) 1946年7月11日(77歳)
出生地 日本の旗 日本東京都向島区寺島町(現墨田区東向島
身長 160 cm
血液型 B型
職業 女優・歌手
活動期間 1962年 -
活動内容 テレビドラマ、映画、舞台など
配偶者 独身
著名な家族 木の実まこ(妹)
事務所 ダンカンミュージック
公式サイト 木の実ナナホームページ
主な作品
テレビドラマ
混浴露天風呂連続殺人』シリーズ
『霊感を売る女たち』
『霊感を呼ぶ女たち』
万引きGメン・二階堂雪』シリーズ
温泉名物女将!湯の町事件簿』シリーズ
『震える手』
『デパ地下の女』シリーズ
ドクター・ヨシカの犯罪カルテ』シリーズ
映画
男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく
汚れた英雄
もっともあぶない刑事

『おまえさん』
『うぬぼれワルツ』
『居酒屋』
『NANA』
『紅ほおずき』「あぶない刑事」
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来歴 編集

父はトランペット奏者[3]、母は踊り子[3]。父が19歳、母が20歳の時に生まれた。体が弱く、3歳まで歩けなかった[4]。その後、身体を鍛えるために5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つ。花柳界の中で育ったため[3]芸者が夏の時期に浴衣手桶を持って銭湯に行く姿を見て、「カッコイイナー」と思い[3]、大きくなったら絶対に芸者になろうと決心していた[3]

中学3年生16歳[3]の時に渡辺プロダクション主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催され、友人の付き添いで参加[3]。受験する友人は緊張の余り固まってしまい、困った司会者より「じゃあ! 君が代わりに唄って!」と指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝した。その後、猛反対する父親を「絶対に半端なことはやりません」などと説き伏せ[3]、芸能界入りした。このため30歳過ぎても親に仕事の話をすることはなかったという[3]。この頃にザ・ドリフターズの専属歌手として唄っていたこともあるという[5]

デビュー曲は「東京キカンボ娘」(1962年8月10日菊村紀彦作詞・作曲)[2]。「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村によってつけられた。漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村が「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだという[6]。「着の身着のまま」が芸名の由来という説は、自身が否定している[注釈 1][6]

1962年、音楽番組『ホイホイ・ミュージック・スクール』(日本テレビ)でテレビデビュー[3]。当時、この番組のイメージにより「ホイホイ娘」と呼ばれていた。当時は歌番組も少なく[3]、歌って踊れる木の実は貴重な存在だった[3]。「(1978年のインタビューで)芸能界も変ったなと思いますね。今は楽になったわね。私の新人のころときたら、楽屋の真ん中に座るな、スタジオの中で男と話をするなとか、いつも怒られてばかりよ。昔を思い出すと辛いけど、プラスにはなっています」などと話している[3]。人気アイドルがテレビ局を飛び回り、寝る時間もないというエピソードは、70年代以降の話だという[3]。1967年には「ミニ・ミニ・ロック」[7]という曲が小ヒットし人気を集めたものの番組終了と同時に低迷、前座歌手をする日々が続く。ヒット曲になかなか恵まれず、心機一転として1970年に本場のショー・ビジネスを学ぼうと決意し渡米する。

1973年、帰国後に劇団四季のミュージカルに自ら応募し、同年『アプローズ』に出演する。これがヒット作となり、自身も高い評価を受けて舞台女優としての地位を確立した。この時に主演を務めた越路吹雪とは、共演を機にプライベートでも親しく付き合うようになり、多大な影響を受けたという。以後、多数のミュージカルに出演するようになった。

1974年から始まった、細川俊之との歌と踊りとしゃれた会話でつづる二人芝居『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなる。1975年、芸術選奨新人賞受賞。1976年、紀伊國屋演劇賞受賞。

1975年、小沢昭一主宰の劇団「芸能座」の旗揚げ公演『清水次郎長伝・伝』に参加する(次郎長の妻・お蝶役)。小沢、加藤武山口崇山谷初男猪俣光世、音楽担当の神津善行薗田憲一とデキシーキングス、座付き作者の永六輔らと共に旅興行に出る(飯塚・嘉穂劇場など)[8]

1977年頃、西田敏行武田鉄矢と共に、バラエティー番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』に出演し、コントを披露する。また、1982年の五木ひろしとのデュエット曲「居酒屋」は大ヒットを記録した。

2015年、舞台『南阿佐ヶ谷の母』の沖縄公演終了後の10月24日に左大腿骨を骨折する。11月3日からの紀伊國屋ホールの公演では、演出を変更して車いすで出演した[9][10]

人物 編集

  • 墨田区立寺島中学校卒業、城西高等学校中退。
  • 出身地付近は鳩の街と呼ばれた歓楽街だった。幼少期は、彫りの深い独特の顔立ちから混血児に間違えられ、いじめられた経験がある。
  • 読売新聞1978年9月3日付のインタビューでは「好きな男性のタイプは高倉健さん(木の実は年上でも年下でも相手をさんづけで呼ぶ[3])。あと最近出演した『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』の山田洋次監督さんも理想の人物。もし山田さんが離婚したら、『結婚して!』と胸にすがりつくかも」と物騒なことを言っていた[3]。将来の目標は「杉村春子さん、水谷八重子さん、尾上松緑さん、長谷川一夫さん、越路吹雪さんを、ミキサーに入れて出てきたのが私でありたいの。杉村さんは普段はとてもやさしくて、文学座のボスという感じがしないの。でも、私がその年になったら、今の杉村さんより芸で上でなければいけないと考えるの。すると勉強が足りない……。そう考えると夢があって楽しいわ」などと話していた[3]
  • 万引きGメン・二階堂雪』で共演していたあき竹城とは仲が良い(2人で旅行に行くほどで、脚本家に「もっとあきちゃんとの場を増やして」とお願いしたこともある)。また、角替和枝とも親交があった。
  • 1992年頃、更年期うつ病を発症した。現在は医師の治療と周囲のサポートにより、回復している。2000年にはシオノギ製薬の新聞広告で「私は、バリバリの「鬱」です」というキャッチコピーを擁した広告に登場したことがある[11]
  • 趣味はスキューバダイビング
  • 芸能界有数のディズニーグッズマニアであり、楽屋や部屋はディズニーグッズで埋め尽くされている。2002年2月12日に『笑っていいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に出演した際、花束と一緒に1つミッキーのぬいぐるみが置かれていたが、その時「あ〜! 可愛い〜!!」と大興奮し、司会のタモリを驚かせたことがある。
  • 実妹も1970年代に木の実まこ[注釈 2]という芸名で歌手デビューし、1枚のシングルレコードを残している。1980年代になってライオンの生理用品のCMで共演している。
  • TBSラジオのヘビーリスナーである。
  • 混浴露天風呂連続殺人」シリーズで共演した古谷一行が2022年8月23日に亡くなり、訃報が同年9月2日に発表されたときは、ショックを受け泣き崩れたという。後に、NEWSポストセブンで最後の手紙としてしたためた。
  • あぶない刑事」シリーズでは松村優子役でレギュラー出演し、1986年放送開始のテレビ1作目から2016年公開の映画「さらば、あぶない刑事」まで出演していたが、2024年5月に公開される映画「帰ってきた、あぶない刑事」には出演せず、本人曰く「前作で卒業という形になってます。いい形でおわれました。」と語っている。

受賞 編集

出演 編集

テレビドラマ 編集

映画 編集

舞台 編集

吹き替え 編集

バラエティ 編集

CM 編集

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

キングレコード

  • 東京キカンボ娘(1962年8月10日、E-1002)
    (c/w かわいいキューピー)
  • 子象の行進(1962年11月10日、EB-7155)
    (c/w ホイ・ホイ・ルック)
  • ポッ・ポッ・ポパイ(1963年3月、EB-7189)
    (c/w マンハッタン・スキャンダル)
  • 太陽の下の18才(1963年5月20日、EB-7212)
    (c/w 日曜日の恋人)
  • おじいちゃまハイ(1963年7月、DT-2)※共演:榎本健一
    (c/w 出かけて 出あって)※共演:榎本健一
  • サタデイ・ナイト(1963年7月、EB-7222)
    • 作詞・作曲:ジョン・メドラ、デイビット・ホワイト / 訳詞:あらかは・ひろし / 編曲:東海林修
    (c/w 悪口はやめて)
  • ジュディー・ジュディー(1963年10月10日、EB-7240)
    (c/w テル・ミー・ママ)
  • ママとパパのテレビ(1963年、EB-7262)
    (c/w お部屋でナイト)
  • ティーンエイジ・クレオパトラ(1964年3月、EB-7254)
    • 作詞・作曲:ビバリー・ロス / 訳詞:漣健児 / 編曲:東海林修
    (c/w アイスクリーム・ジョー)
  • サミーのマーチ(1964年3月10日、BS-7022)
    • 作詞:ジャック・フィッシュマン / 訳詞:漣健児 / 作曲:トリストラム・キャリー / 編曲:東海林修
    (c/w 涙の24時間)
  • 野のユリ(1964年9月10日、BS-7043)
    (c/w うつろなハート)
  • 涙をこらえて(1964年11月20日、BS-7061)
    (c/w からかわないで)
  • 三つの夢(1965年3月、BS-7081)
    • 訳詞:七野洋太 / 編曲:東海林修
    (c/w ラ・ラ・ラ・ラ)
  • 太陽の海(1965年4月20日、BS-7088)
    • 訳詞:七野洋太 / 編曲:東海林修
    (c/w 若草の恋)
  • すてきなジェシカ(1965年7月20日、BS-7108)
    (c/w 二人だけの秘密)
  • 指先のキッス(1965年、BS-7118)
    (c/w カナダの小屋)
  • ギッチラ舟唄(1966年1月10日、BS-359)
    (c/w リンゴ慕情)
  • 涙ギラギラ(1966年7月20日、BS-465)
    • 作詞:橋本淳 / 作曲:しらいそうや / 編曲:森岡賢一郎
    (c/w 愛はひとりぼっち)
  • 貴方でいっぱい(1966年12月1日、BS-544)
    • 作詞:橋本淳 / 作曲:津々美洋
    (c/w 一人で歩きたい)
  • 真赤なブーツ(1967年5月1日、BS-639)
    • 作詞:橋本淳 / 作曲:筒美京平 / 編曲:筒美京平
    (c/w 愛のひき潮)
  • ミニ・ミニ・ロック(1967年7月1日、BS-7166)
    (c/w 恋のかたみ)
  • 恋は宝(1967年11月20日、BS-744)
    • 作詞:橋本淳 / 作曲:鈴木邦彦 / 編曲:鈴木邦彦
    (c/w 20才の恋)
  • メケメケ波止場(1967年)※共演:飯野おさみ
    (c/w ピロピロ天国)
  • 最高なのさ(1967年、BS-862)※共演:飯野おさみ
    (c/w サマー・アフタヌーン)
  • しかたがないんだもん(1969年1月20日、BS-945)
    • 作詞:世志凡太 / 作曲:森岡賢一郎 / 編曲:森岡賢一郎
    (c/w この世の果てまで)

ワーナーブラザーズ・レコード[注釈 3]

PLAYBOY

TRIO

徳間ジャパン・BOURBON

  • 砂の城(1980年5月1日、BMA-1039)
    (c/w 夢織り人)
  • ダンシング・ママ(1980年10月1日、BMA-1052)
    (c/w オープン・チケット)
  • 夜のパントマイム(1981年、BMA-2002)
    • 作詞:三浦徳子 / 作曲:亀井登志夫 / 編曲:松任谷正隆
    (c/w Mr.Half Moon)
  • 愛してごめんなさい(1981年、BMA-2013)
    (c/w 人生哲学)
  • 居酒屋(1982年10月25日、BMA-2029)共演:五木ひろし
    • 作詞:阿久悠 / 作曲:大野克夫 / 編曲:大野克夫
    • 五木ひろしとのデュエットで今でも歌われる大ヒット曲
    (c/w 帰郷)
  • 水中花(1983年10月、BMA-2043)
    (c/w うぬぼれワルツ)
  • 美しき女(ひと)(1984年、BMA-2048)
    (c/w 自由の女神が化粧落として)

ワーナー・パイオニア

東芝EMI

  • 東京ウキウキ天国ブギ(1992年5月20日、TODT-2838)
    (c/w マイ・ブルー・ヘヴン)

ソニー

  • 男なんて(1993年8月21日、SRDL-3692)※共演:森公美子深沢敦
    (c/w ムパパ)※共演:森公美子、深沢敦

クラウン

  • 星空デート(2012年4月4日、CRCN-1607)※共演:平尾昌晃
    (c/w 恋ふたたび)※共演:平尾昌晃

未発売曲 編集

オリジナル・アルバム 編集

  1. 愛人(1976年、TRIOレコード・PLAYBOYレコード、PB-6001)
  2. NA NA Vol.2 紅ほおずき(1977年、TRIOレコード・PLAYBOYレコード、PB-6002)
  3. WOMAN(1979年、SOUNDS MARKETING SYSTEM、SM25-5024)
  4. DANCING MAMA(1980年、BOURBON、BMD-1002)
  5. わが胸の底の湖(1981年、BOURBON、BMD-1013)
  6. YESTERDAY'S(1981年、キャニオン、C28A0382)※共演:細川俊之

ライブ・アルバム 編集

  • NANA Live(1979年、SOUNDS MARKETING SYSTEM、SM40-5035〜36)

カバー・アルバム 編集

  • デビュー50周年記念アルバム SHOW GIRLの時間旅行〜my favorite songs(2012年11月14日、BOURBON、TKCA-73838)

ベスト・アルバム 編集

  • うぬぼれワルツ The Best of Nana(1979年、TRIO、3B-1017)
  • 木の実ナナ 魅惑のシングルコレクション キングレコード編(2010年、KING/ブリッジ)

著書 編集

  • 『虹色の街』勝川克志 絵. みみずくぷれす, 1984.4
  • 『下町のショーガール ナナの愛と喝采の日々』主婦と生活社, 1986.12
  • 『キラッ!と女ざかり』PARCO, 1998.7

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 当時「このみ」と呼ばれることがあり、「『着の身着のまま』の『き』です」と言っていたのが芸名の由来だと勘違いされたのだという。出典の新聞記事原文中の木の実ナナの談話は、次のとおり。「当時『このみ』と呼ばれることがあり、『〈着の身着のまま〉の〈き〉です』と言っていたのです。それが芸名の由来と勘違いされることに、ハハハ。」 ということで、記事中で、彼女自身は「誰によって呼ばれたのか」には触れていないが、「着の身着のまま」が芸名の由来であるという説は誤りであることが確認できる。なお当該新聞記事は縮刷版などでも見られる。
  2. ^ 作品によっては木の実味摩子名義とされる場合もあり。但し、姉妹での共演はないものの、『遠山の金さん(高橋英樹主演版)』ではナナ・味摩子ともに出演している。
  3. ^ 1971年当時の正式社名は「ワーナーブラザーズ・パイオニア」。前年の発足に於いて渡辺プロダクションが資本出資し、その関係で作品の音源発売権や原盤権を保有していた。現在、本作は渡辺音楽出版株式会社原盤権を保有・管理しており、2010年に音源がCD化された際にはジャケットに「音源提供 WATANABE MUSIC PUBLISHING CO., LTD.」と明記されている。

出典 編集

  1. ^ a b 公式プロフィール”. ダンカンミュージック. 2014年2月3日閲覧。
  2. ^ a b 種田正 (1975年7月7日). “《美女ある記》 木の実ナナ 13年 華麗に色づく"木の実" 本当の魅力は30過ぎよ”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 5 (1975年7月、木の実のインタビューを含む記事)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “9月のあらかると –テレビ・芸能– 今月のプロフィル 木の実ナナの巻 踊り過ぎてロッ骨折っちゃった…”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 27. (1978年9月3日) 
  4. ^ "母を語る". ラジオ深夜便. 22 January 2008. NHKラジオ第1放送
  5. ^ 加藤茶 ドリフ加入秘話明かす「木の実ナナがいたんだ。まだナナは18歳ぐらいで」 - スポニチ Sponichi Annex 芸能”. スポニチ Sponichi Annex. 2022年12月1日閲覧。
  6. ^ a b “人生の贈り物「『着の身着のまま』は勘違いです」”. 朝日新聞 夕刊. (2011年12月6日) 
  7. ^ 「ミニミニ娘に乾杯」『映画情報』1967年12月号。NDLJP:10339803/23
  8. ^ 昭和の肖像<芸>148-154頁
  9. ^ 木の実ナナ、左大腿骨骨折 車いすで舞台出演”. ORICON STYLE (2015年11月10日). 2015年11月10日閲覧。
  10. ^ “木の実ナナ 大腿骨骨折の重傷で車いす”. デイリースポーツオンライン (株式会社デイリースポーツ). (2015年11月9日). http://sp.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/11/09/0008552018.shtml#btnMore 2015年11月9日閲覧。 
  11. ^ うつサポート情報室”. NHK (2005年4月19日). 2009年7月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月19日閲覧。
  12. ^ a b c d e f g h 日外アソシエーツ現代人物情
  13. ^ a b 読売人物データベース
  14. ^ “田辺誠一、キレまくるニューヒーローに! フジ系列連ドラ初主演”. ORICON STYLE. (2016年8月29日). https://www.oricon.co.jp/news/2077292/full/ 2016年8月29日閲覧。 

関連項目 編集

外部リンク 編集