木曾衆(きそしゅう、木曽衆)は、元は信濃国の豪族木曾氏の一族や家臣であった山村氏千村氏馬場氏などが、慶長5年(1600年)に木曾氏が改易された後に江戸幕府旗本尾張藩の家臣となり明治維新まで信濃国の木曾谷伊那谷の一部、美濃国尾張藩領、遠州北部などを領地とした武家

歴史編集

徳川家康は、1600年に不行状の理由により木曾義利の領地16,000石を回収し、木曾氏の一族や家臣で東軍に参加し戦いで功績を上げた山村良勝千村良重馬場昌次等に木曾谷を与えた。しかし山村良勝の父山村良候は、木曾谷は幹線である中山道が通り、良質な木材の産地でもあるから、私達が領すべきではないと上申したところ、山村良候の廉直な志に感じた家康は、更に美濃国内の6,200石も加えて木曾衆に与えたため、木曾衆の領地の合計は、16,200石8斗3升となった。馬場昌次は江戸幕府直属の旗本(釜戸馬場氏)となった。千村平右衛門良重(千村平右衛門家)は美濃国可児郡久々利村に屋敷を与えられ幕府の交代寄合(参勤交代を行う旗本)と尾張藩との両属となり信州遠州船明山の槫木支配も任された。山村甚兵衛良勝は尾張藩徳川義直の家臣となり木曽福島で代官となり山村代官屋敷を拠点として木曽福島の関所の管理も行った。その他の家は元和3年(1617年)尾張藩徳川義直の家臣とされた。寛永2年(1625年)9月に徳川義直は、山村甚兵衛家と千村平右衛門家の両家から200石を割いて千村九兵衛と原藤兵衛の両人に与えた。尾張藩の所属で山村甚兵衛家と千村平右衛門家を除く9家を久々利九人衆という。

久々利九人衆の抵抗編集

寛文5年(1665年)3月、幕府は島原の乱以後キリシタン禁制を厳重にし宗門改めを始めた。尾張藩領でも、寺社奉行から各家臣に対し「今度宗門改めに付 頭(組頭)有之者ハ其頭ヘ 支配人有之者ハ其支配人ヘ宗門手形を差出す様」にと御触が廻った。尾張藩は、久々利九人衆に対して山村甚兵衛家、千村平右衛門家に対して手形差出すようにとの指示を出した。尾張藩によって美濃国可児郡久々利村に屋敷を与えられ定住させられていた久々利九人衆の山村清兵衛家、山村八郎左衛門家、千村助右衛門家、千村治郎衛門家、千村七郎左衛門家、千村九右衛門家、原十郎兵衛家、原新五兵衛家、三尾惣右衛門家は「親、祖父の頃より、この両家の組下に仰付けられたことは聞いた事がない、今度手形を両家に差出すにおいては山村甚兵衛、千村平右衛門の組下となることであって迷惑である。私共(九人衆)の親、祖父が権現様(家康)への忠義によって取立てられた者であるから、今度の手形は直接寺社奉行へ提出をお願いしたい、もしそれが叶わない場合は名古屋城中にて何れの組下或ハ御支配へなりと所属を変えていただきたい、ただ甚兵衛、平右衛門両人宛に手形を差出す事ハ御免願いたい」と陳情した(千村家伝集・寛文五年三月一三日)。 これについて、山村甚兵衛留帳には「九人衆は両所(山村甚兵衛家千村平右衛門家)ヘ手形差出候ハバ 組之者の様に有之云々」といっているが、彼等は組下ではないが「前々より支配人にハ相究候処に左無之様に申立候」と言っている。山村甚兵衛・千村平右衛門の両家と、久々利九人衆とが不和となり、久々利九人衆は名古屋へ転住し、その子孫は名古屋で明治維新を迎えた。

当初の石高の内訳編集

  • 山村甚兵衛良勝 4,600石
  • 山村道祐良候 (良勝の父) 3,000石
  • 山村清兵衛道休(良勝の弟) 1,600石
  • 山村八郎左衛門(良勝の弟) 500石
  • 山村次郎衛門 (八郎左衛門の子) 600石
  • 千村平右衛門良重  4,600石
  • 千村助右衛門 (良重の従弟) 700石
  • 千村藤右衛門 (良重の弟) 300石
  • 原図書助    800石
  • 三尾将監長次  500石
  • 馬場半左衛門昌次  1,600石

美濃国恵那郡における領地編集

  • 落合村480石8斗7升 (山村甚兵衛 240石2斗5升・千村平右衛門 240石2斗5升)
  • 中津川宿 (山村甚兵衛 1,334石6斗3升)
  • 駒場村 (千村平右衛門 772石)
  • 手金野村(手賀野村) (山村甚兵衛 456石5斗4升)
  • 千旦林村552石6斗2升 (山村甚兵衛 126石3斗1升・千村平右衛門 126石3斗1升・山村八郎左衛門 300石)
  • 茄子川村1,368石6升 旗本茄子川馬場氏との立会。(茄子川馬場氏275石・山村甚兵衛 350石・千村平右衛門 125石・原十郎兵衛 156石6斗・千村助右衛門 145石・山村一學 130石・千村次郎右衛門 119石・三尾左京 86石)
  • 正家村 873石2斗7升(山村甚兵衛 200石・千村平右衛門 400石・三尾左京 300石)

美濃国土岐郡における領地編集

美濃国可児郡における領地編集

以上 16,200石余 18ケ村

関連項目編集

出典編集

  • 恵那郡史
  • 中津川市史