木村嘉孝 (棋士)
日本の将棋棋士
木村 嘉孝(きむら よしたか、1931年3月26日 - 2019年2月28日)は、将棋棋士。1991年、引退。木村義雄十四世名人門下。棋士番号は80。東京府東京市(現:東京都中央区[1])出身。
木村嘉孝 七段 | |
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名前 | 木村嘉孝 |
生年月日 | 1931年3月26日 |
没年月日 | 2019年2月28日(87歳没) |
プロ入り年月日 | 1960年10月1日(29歳) |
引退年月日 | 1991年3月31日(60歳) |
棋士番号 | 80 |
出身地 | 東京府東京市(現:東京都中央区[1]) |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 木村義雄十四世名人 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 木村嘉孝 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
通算成績 | 241–479 (.335) |
竜王戦最高クラス | 5組 |
順位戦最高クラス | C級2組 |
2019年10月16日現在 |
経歴編集
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早稲田大学在学中に学生大会で活躍し[2]、1951年、1級で木村十四世名人に入門する。
プロ入りと同時期の第3回(1959年度)古豪新鋭戦で優勝。
1960年のプロ入り後、順位戦初参加となる第16期(1961年度)C級2組順位戦は、8勝4敗で次点(3位)。つづく第17期でも8勝5敗で次点(3位)。デビューが遅かった木村にとっては、この頃が、すでに現役棋士としてのピークであった。しかし、その後も順位戦からの陥落の危機と立ち向かいながら、還暦を迎えるまで粘り強く指し続けた。
人物編集
エピソード編集
後に名人位・永世棋聖となる佐藤康光のプロ公式戦最初の対局相手であった(1987年5月26日・早指し将棋選手権予選)が、事情により欠場し不戦敗となった。このため、佐藤のプロ初白星は不戦勝という、棋界では非常に珍しい記録を残すことになった。
棋風編集
振り飛車党で、軽快な指し方をする棋風。向かい飛車、三間飛車、四間飛車、中飛車のどれも指した。居飛車対振り飛車の将棋を好み、相手が振り飛車の場合に自分は居飛車にすることもあった。
攻めが切れそうになった場合など、自分に勝ち目がないと見切ると、潔く早々に投了している棋譜が多い。
昇段履歴編集
主な成績編集
- 通算成績
- 241勝479敗
- 優勝
- 古豪新鋭戦 1回(1959年度 = 第3回)
- 優勝合計1回
- 在籍クラス
- 順位戦 自己最高C級2組
- 表彰
- 現役勤続25年表彰(1985年)