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末長 (川崎市)

神奈川県川崎市高津区の町名

地理編集

高津区の中央部にあり、北西では下末吉台地[7]谷戸が入り込んでおり、南東が低地となっている[8]。低地部には富士通ゼネラルの本社があり、周辺も宅地となっている[6]

東急田園都市線第三京浜道路南武線などの交通路が末長を通過し、梶が谷駅京浜川崎インターチェンジなどが所在する。また、二ヶ領用水の分流である根方堀が台地と低地の境を流れている[9]

末長は北端で下作延久本坂戸と、東端で中原区上新城と、南西端で新作・高津区梶ケ谷と接している(特記のない町域は高津区)。

地価編集

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、末長字高ノ面1394番3の地点で29万4000円/m2となっている。 [10]

歴史編集

古代・中世編集

当地からは縄文弥生時代の遺跡が発掘されている[7]。また、田地の地割りが条里制の遺構だと考えられているほか、延喜式の「小高」に関係すると思われる「小高谷戸」の地名が付いていたなど[9]、古代からの歴史がうかがえるが、「末長」の名の初出は「小田原衆所領役帳」に、「稲毛末長」として残る[8]

近世編集

江戸時代を通して、当地は旗本の国領氏・浅井氏・松波氏による三給の地であった[8]。農地は畑より水田が多く[7]、村は、正保年間の「武蔵田園簿」や「元禄郷帳」では508あまり、「天保郷帳」では585石あまり、幕末の「旧高旧領取調帳」では587石あまりというように推移していた[7]。水利として、二ヶ領用水からの分流である根方堀のほか、「池の谷」と呼ばれた現在の梶が谷駅あたりに溜池を設けていた[9]。賦役として、溝口宿・品川宿の半高助郷を務めた。品川宿の助郷は負担が重く、何度も免除の嘆願を行なっているが、これが容れられることはなかった[11]

近代・現代編集

明治以降、当地は橘村の一部となり、のちに川崎市へ合併した。当地では明治頃から養蚕が行われたり、大正末期からは養蚕に変わり野菜栽培が始まるなど、農村として推移していた[6]。しかし、1940年昭和15年)に日本光学(現・ニコン)が水田を埋め立て当地に工場を設置し、海軍の光学兵器の生産を始めた[6]。その結果、1945年(昭和20年)には空襲を受けることとなり、工場が壊滅したのみならず周囲にも被害が出たが、日本光学は丘陵に地下壕を作り生産を続けたという[6]

戦後の1955年(昭和30年)には日本光学の跡地に八欧電機(現:富士通ゼネラル)が進出し、周囲に社宅が建つなど、宅地化が進行していった[12]

地名の由来編集

地名の由来ははっきりしていない[9]。ただし、いくつかの説が提起されている。

  • 瑞祥地名であるとする説[8]
  • 村域の形状から生じたとする説[8]
  • 丘陵地帯のある地形から生じた「セナガ」が転じたとする説[7]

なお、源義家後三年の役からの帰途に、当地の奇妙な石を見つけて、弓矢を納めて武運を祈り、この地の民が末永く栄えるように願ったという伝承が、「新編武蔵風土記稿」にも残っている[8]

沿革編集

町域の新旧対照編集

末長のうち住居表示が施行された区域について、施行前のは以下のようになっていた。

現町丁 施行日 住居表示施行前の字 出典
末長一丁目 2013年(平成25年)9月24日 末長字姿見台・字向台の各全部、末長字久保台・字中原の各一部 [18]
末長二丁目 2013年(平成25年)11月18日 末長字富士見台・字大谷の各全部、末長字久保台・字中原の残部、末長字宗田町の一部 [19]
末長三丁目 2014年(平成26年)10月20日 末長字宗田町の残部、末長字中町の一部 [20]
末長四丁目 2014年(平成26年)10月20日 末長字高ノ面各全部、末長字中町の残部 [21]

小字編集

住居表示施行前の末長には、姿見台・久保台・向台・富士見台・中原・大谷(おおやと)・宗田町・中の町・高の面という小字が存在した[22]

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
末長一丁目 3,973世帯 7,925人
末長二丁目 1,938世帯 3,851人
末長三丁目 2,138世帯 4,882人
末長四丁目 2,379世帯 4,762人
10,428世帯 21,420人

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[23][24]

丁目 番地 小学校 中学校
末長一丁目 6~10番
40~53番
川崎市立西梶ヶ谷小学校 川崎市立宮崎中学校
その他 川崎市立新作小学校 川崎市立橘中学校
末長二丁目 1~13番
16番以降
その他 川崎市立末長小学校
末長三丁目 1~3番
5番以降
その他 川崎市立坂戸小学校 川崎市立東高津中学校
末長四丁目 1~8番
その他 川崎市立末長小学校

交通編集

鉄道編集

当地を通る路線は東急田園都市線南武線の2路線がある。東急田園都市線は当地で丘陵地を通り、梶が谷駅が設置されている。南武線は当地の低地を通るが、駅は設置されていない(南方の武蔵新城駅が利用可能である)。

路線バス編集

当地で路線バスを運行しているのは東急バス川崎市交通局の2事業者であるが、両者とも梶が谷駅を拠点として丘陵上を結ぶバスと、溝の口駅を拠点として平地を結ぶバスを運行しており、末長の丘陵地と平地を直接結ぶようなバスはない。

道路編集

施設編集

脚注編集

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  1. ^ a b 町丁別面積(総務省統計局 統計GIS) Archived 2013年10月29日, at the Wayback Machine.(Excelデータ) 川崎市、2010年(2012年10月18日閲覧)。
  2. ^ a b 町丁別世帯数・人口”. 川崎市 (2018年1月25日). 2018年2月15日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月15日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月15日閲覧。
  5. ^ a b 平成25年8月23日川崎市告示611号(同年9月10日川崎市公報1634号1945ページに採録、Web版 (PDF)
  6. ^ a b c d e f g h i 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.502。
  7. ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.501。
  8. ^ a b c d e f g 川崎地名辞典(上)』 p.363。
  9. ^ a b c d 川崎の町名』 p.167。
  10. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  11. ^ a b 川崎地名辞典(上)』 pp.363-364。
  12. ^ 川崎の町名』 p.168。
  13. ^ a b 川崎地名辞典(上)』 p.367。
  14. ^ 歴史”. 川崎市立高津高等学校. 2012年10月18日閲覧。
  15. ^ 平成25年8月23日川崎市告示610号(同年9月10日川崎市公報1634号1945ページに採録、Web版 (PDF)
  16. ^ 平成25年度の住居表示実施予定地区”. 川崎市 (2013年10月18日). 2013年10月25日閲覧。
  17. ^ 平成26年度の住居表示実施地区”. 川崎市 (2014年10月20日). 2014年10月20日閲覧。
  18. ^ 住居表示新旧対照案内図 No.99 末長1丁目 (PDF)”. 川崎市 (2013年9月24日). 2013年10月25日閲覧。
  19. ^ 住居表示新旧対照案内図 No.100 末長2丁目 (PDF)”. 川崎市 (2013年11月18日). 2013年10月25日閲覧。
  20. ^ 住居表示新旧対照案内図 末長3・4丁目 (PDF)”. 川崎市 (2014年10月21日). 2014年10月27日閲覧。
  21. ^ 住居表示新旧対照案内図 末長3・4丁目 (PDF)”. 川崎市 (2014年10月21日). 2014年10月27日閲覧。
  22. ^ 川崎地名辞典(上)』 p.365
  23. ^ 川崎市立小学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。
  24. ^ 川崎市立中学校の通学区域”. 川崎市 (2015年4月1日). 2018年2月15日閲覧。

参考文献編集

  • 『川崎の町名』日本地名研究所 編、川崎市、1995年。
  • 『川崎地名辞典(上)』日本地名研究所 編、川崎市、2004年。
  • 角川日本地名大辞典 14 神奈川県』角川書店、1984年。