本多 修理(ほんだ しゅり)は、以下の家で複数の当主が名乗った。

  • 福井藩家老の家。本多富正の子・本多正房を初代とする。
    • とくに幕末期の松平慶永の側近で記録(『越前藩幕末維新公用日記』)を残した本多釣月(敬義)が「本多修理」として知られる。
  • 膳所藩(本多家)家老の家。
    • 本多康完の代に家老に就任し、長年にわたる藩政の混乱「御為筋一件」を収拾した「本多修理」が知られる。
  • 江戸幕府の大身旗本(9000石)の家。幕末期に三河西端藩主となる。西端藩参照。
    • 東京・神楽坂の「本多横丁」は、この「本多修理」の屋敷があったことに由来する。