本多光忠

戦国時代の武将

本多 光忠(ほんだ みつただ、生没年不詳)は、戦国時代武将本多忠俊の子。通称 修理亮八郎

略歴 編集

永禄3年(1560年桶狭間の戦いでしんがりを務め家康を守った。永禄6年(1563年)の三河一向一揆では功を立て三河池尻の地を与えられた[1]。墓所は豊川市伊奈町のお松見[2]

脚注 編集

  1. ^ 本多光忠. コトバンクより2022年9月12日閲覧
  2. ^ お松見”. 2022年9月12日閲覧。

外部リンク 編集