本多 忠鋒(ほんだ たださき、1879年(明治12年)8月26日 - 1930年(昭和5年)6月7日)は、日本の子爵正四位

経歴編集

神戸藩最後の藩主だった本多忠貫の養子。なお、忠鋒の父である本多忠恕西尾忠受の四男)も忠貫の養子となっていた。妻は京極高徳子爵の四女・多幾子。

1884年(明治17年)、慶應義塾幼稚舎へ入学する。1888年(明治21年)、学習院へ入学し1905年(明治38年)、学習院大学科を卒業する。

趣味は野球である。

参考文献編集


日本の爵位
先代:
本多忠貫
子爵
神戸本多家第2代
1898年 - 1930年
次代:
本多忠照